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桜散るころに 〜 自宅での介護と看取りの体験(上)

 ねじれの医学でお馴染みのぴょんぴょん先生にお母様の自宅介護と看取り体験のエッセイを寄稿していただきました。
 2回に分けて掲載しますが(上)は、2007年の春先に突如始まった自宅介護の様子です。医師であるぴょんぴょん先生であれば、介護もスムーズだったのかと思いきや…。厳しい現実の中で得られた深い学びが書かれています。
 子育て同様に、しっかり向き合うことで得られる学びは尊いものだと思います。その学びが得られるかどうかの分水嶺は、"時間は、もうそれほど長くないのかもしれない"という自覚と共に、本質的なところで日々生き切れるかどうかでしょうか。
(編集長)
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桜散るころに(上)

pixabay[CC0]


生霊となって訴えに来たある祖父のお話


10年くらい前に聞いた話です。
うろ覚えですが、内容はほぼこんな感じでした。

 夜中に目覚めると、誰かが夢枕に立っています。誰なのかはわかりませんが、じーっとこちらを見ています。よく見ると、体にたくさんのヒモがからまって、苦しそうにしています。

 後日、祖父を見舞いに病院に行った時、それが祖父であったことに気づき、呆然としたそうです。たくさんのヒモとは、体につなげられているたくさんの延命チューブでした。

「そういうのを生霊と言うんです」と、教わった記憶があります。

長く生かすためにお金も人手もかけて、良かれと思ってなされていることが、本人には拷問でしかありませんでした。やさしい孫娘なら、この苦しみをわかってくれると思ったのでしょうか。生霊にでもならないと、自由に動けない。こんなふうに人生の最期を過ごしたいとは、誰も思わないでしょう。




突然始まった母の介護


桜が散るころになると、そろそろ母の命日、5月30日が近いなと思い出します。
以前書いたこともあるように、母は20年近く、慢性関節リウマチを患っていました。そんな母と私は二人暮らしをしていました。

2007年3月初め頃から、母は風邪をこじらせたことがきっかけで、自力で回復できない状態になりました。母の希望で入院はさせず、自宅で看ていました。午前中は手伝いの人に来てもらい、それ以外の時間は母の介護に追われて、今になってみると何が大変だったのかも、よく思い出せないくらい、いっぱいいっぱいでした。

4月の初め頃だったか、真夜中に突然、トイレから叫び声が聞こえました。母が便座から立ち上がろうとして立ち上がれず、床にしゃがみこんでしまっていたのです。それまでは自力で歩けたのが、突然足に力が入らなくなってしまいました。どんなに力を振り絞っても、私の腕力では人を立たせることはできません。しかもこんな真夜中、誰も助けてくれる人はいません。

幸いセコムに入っていましたので、セコムを呼び出しました。元気そうな若い男性が玄関に現れたときは、ホッとしました。若い男性にトイレで抱えられるのは、母も恥ずかしかったと思いますが、彼は母をらくらくと立ち上がらせ、ベッドまで連れて行ってくれました。

以降、母は立って歩けなくなりました。昼は椅子に座り、トイレの往復は車いすで、夜は完全におむつの生活に切り替わったのです。


写真AC[CC0]


気力、体力の限界を超える自宅での介護の日々


こうなってしまうと、何かあった時に、私一人では手に負えません。不安な日々でした。

5月の中頃、亡くなる2週間前くらいだったと思います。おむつからあふれるほどの、大量の下痢と悪戦苦闘したのは。それも夜中に限って。排毒だから良しとすべきなのかと思いましたが、その後の洗濯物には参りました。それが1週間くらい、連日続いたように記憶しています。

後から考えると、体を離れる前の準備で、ゴミを捨て去って、きれいにしていたのだと思います。後の話に出てくる友人の母も、そうだったと聞きました。

ある日イライラして、母に八つ当たりしました。「もう、甘えてるからできないのよ。こんなこともできなかったら、施設に入ってもらうしかないんだから」と言うと、母は小さな声で、「甘えてない・・施設には行きたくない」とつぶやきました。

母の気持ちは、私も重々承知の上のことでしたが、先が全く見えないために、こんなひどい言葉が出てしまいました。夜は母に呼ばれる。おむつの交換、外にもれているときは、シーツの交換など、体力の限界を超えていました。

それから数日後、夢を見ました。今もハッキリと思い出せるくらい鮮明な夢でした。私は由布山の見えるカフェで、一人お茶を飲んでいました。「ああ、もう母はいない。一人なんだなあ」と思いながら。目覚めてハッとしました。母との時間は、もうそれほど長くないのかもしれない。

その日の昼に、母にあやまりました。「こないだは、ごめんね。ひどいことを言った」と言うと母は、「私は許すの。何でも許すの」それだけが返ってきたことばでした。

(下)につづく… 

Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

[seiryuu氏]私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。 〜プラウトの実践と金融システムの改革〜 【第9回】

竹下雅敏氏からの情報です。
 プラウトが実現する上で重要なのは、金融システムの改革です。現在のような中央集権型の金融システムでは、地方の問題を解決出来ません。
 日本では、バブル崩壊で銀行が統廃合され、生き残った巨大銀行は、外資が影響力を行使出来るようになってしまいました。このため、地方の預金はすべて中央に吸い上げられてしまい、地方にお金が循環しなくなりました。地方が衰退するのは当たり前なのです。
 利子という考えは見直さなければなりません。これまでは銀行にお金を預けると利子が付きました。そして利子が付くのは当たり前だと思い込んでいます。ですがお金を預けて銀行が管理しているのだから、管理手数料を払わなければならないという考え方もありそうです。要するに、銀行から利子をもらう、あるいは管理手数料を支払うというのは、マイナス金利政策を考慮すると、どちらもあり得るということがわかります。だとすれば、例えば銀行がお金を貸して利子を取るという行為自体をやめた方が良いという事にもなります。これは銀行が民間でなければ十分可能です。
 現在の金融システムは、誰かが銀行からお金を借りることで通貨が生み出される仕組みになっていますが、これを改め、信頼できる機関がGDPに応じて通貨を発行するようにするのが本来の姿だと思います。
 人々の意識の変化とプラウトの実践、そして通貨改革は、手を取り合って進むと考えた方が良さそうです。
(竹下雅敏)
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私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。
文:seiryuuさん

※さあ、始めよう。(結び)
・正直で信頼にたるリーダー:自己潜在力の活用。
 

 プラウトの実行、何か面倒で難しいと感じられましたか?行動のためプラウトを知り理解することは大事ですが、難しい理論や理屈を覚えておく必用は全くありません。それより具体的に実践し経験し実感することが重要なのです。そして実はこの実践は「いつでも、どこでも、誰にでも」始められます。つまり「今、ここで、私が」開始できるのです。東日本大震災のあった夏ある方に教えて頂きました、誰でも知っている大切で当たり前の姿勢「まっとうな生き方の尊さ」-嘘をつかないこと、過ちは素直に認め謝ること、この実践者は誰であれ尊い-。これがプラウトの実践といって間違いないのではないでしょうか?三本柱の運動推進の両輪とは、高い倫理性と高い透明性(情報の共有)。では私たちが最容易に犯してしまう倫理違反は?「嘘をつくこと」では?情報を出さず隠したいことは?「自分の犯した間違い過ち」ではないでしょうか?だからこそ誰であれ「まっとうな生き方」の継続こそが尊いのです。これこそが「正直で信頼にたるリーダー」の資質でしょう。自己の潜在力を開拓し新たな世界と自己を展開していく原点がここにあるのではないでしょうか。

・自然環境の潜在力の活用 

 「衣食住」がその地域で完結しているべきで地域の自立になります。そのための自然環境潜在力の活用は、その観察から始まります。歩くと気づきます。我が地域も日本の各地域と同じような問題、課題がありますね。
・まちの高齢化問題。人口減少。老人の孤独問題。
・増え続ける空き家。空き地。消えていく商店。
耕作放棄地の増加。手入れが行き届かない山林。
地場産業の不振などなど・・・。

 一見するとどうしようもないようにも思えますが、問題を並べてみるとある共通点、課題が見えます。「我が地域で生まれ育った子弟、若者たちが都市部に向かい、帰郷しないこと。」これが課題でしょう。地域で安定した「やりがい、誇り、喜び」の持てる仕事で十分な収入があれば、どうでしょうか?特に食料とエネルギーの自給自足へ向けた取り組みは急を要する課題です。地域活性化のため次のようなことは思い浮かびます。

・帰郷者を初め若者に空き家を開放し住民に。
耕作放棄地を活用し新たな農業を開始し食糧増産。(従事者の十分な収入は保証する。)
・工場を導入し山林の間伐材等をバイオエタノールとして活用する。(従事者の十分な収入は保証する。)
・川の流れを活用した小水力発電の実施。等々。

問題は資金でしょうが、「地域通貨」の研究はその価値がありそうです。ともあれ、ここからは皆で智慧を出し合い工夫して進むことになります。自立した豊かで幸せな私たちの地域へ向けて。 
   
後書き

 プラウトを紹介する備忘録帳的なものをとの考えで本稿は作成に取りかかりました。(当初に思い描いたより倍ほどの字数になってしまいましたが、)少ない字数で全体像が浮かび上がるようにとの思いで進めたのが本稿です。ですから実は詳しい説明等はこれでもかなり割愛しカットしています。その分乱暴でもありますし、私の勘違いの部分もあるでしょう。その点はご容赦ください。

 さて、本年、新たな時代が幕開けしました。トランプ大統領が今年1月20日就任しました。選挙期間中の訴え「偉大な米国を取り戻す!」。そして就任スピーチの冒頭の端的な意訳「ワシントンに巣くい(政治を裏で操り)利権を貪ってきたものたちの手から米国を国民の手の中に!!」。最初からここまで本稿を読んで頂いた方にはトランプ大統領の発言の意味は明瞭ではないでしょうか。独立戦争に勝利し英国の植民地から建国した米国は繁栄します。しかし1913年、表には見えない形で乗っ取られます。米国に実質中央銀行FRBが創設されて実権が奪われたのです。それから100年余の現在、米国の天文学的な借金、戦争の連続、1%対99%と揶揄される貧者の拡大、麻薬、犯罪者、不法入国者の跋扈・・・。乗っ取られ惨めになった米国、そこから独立し繁栄した偉大な米国を再び取り戻すと宣言したのです。端的にはFRBの所有者たちの手から国民の手に米国を取り戻すとの就任スピーチだったのです。そしてその言葉通りの実行です。最初に行ったのがTPPからの脱退、そしてCIAへの訪問演説。「TPPとISD条項」、「CIAと麻薬」で検索し調べてみて下さい。これらのトランプ大統領の言動、その意味が分かるでしょう。

 新たな時代、世界の変革、その幕開けは既に始まり今後もどんどん展開していくでしょう。(残念ながら日本は最も遅れて取り残されている感は強いのですが、)ただし、この新しい時代、世界が私たちにとって幸せなものになるかどうかは、本稿でふれているように結局私たちの姿勢次第です。勇気を出して共々に進んでいきましょう。

 先に発表した「お金の秘密・打ち出小槌物語」は『円の支配者』(リチャードAヴェルナー著、「草思社」)。そして本稿は『資本主義を超えて』(ダダ・マヘンシュヴァラナンダ著、「世界思想社」)をベースにして作成したものです。入手されて是非ご一読下さい。そして・・・もう一点。本稿も「お金の秘密・打ち出小槌物語」もある方の教示なしには作成できなかったものです。

 毎日、様々な角度から「世界の今」を発信しているブログに「シャンティ・フーラ」があります。日々更新される情報には驚かれるでしょうが正確で興味深いです。そしてそのブログの中に「映像配信」のコーナーがあります。東広島に在住の竹下雅敏様の様々な講義が映像で配信されているものです。多数の映像配信がありますがプラウトについての講義もあります。ここでは膨大なそして貴重な知識と情報があふれんばかりに詰まっています。まさに宝庫です。この知識と情報にふれることで本稿と「お金の秘密・打ち出小槌物語」作成に向かうことになりました。教示頂いた知識と情報のごく一部を切り取りまとめ直したのが本稿と「お金の秘密・打ち出小槌物語」といっても過言ではありません。といっても教示頂いた知識と情報について私の理解不足や勘違いもあるでしょう。その意味も含め、皆様もこの「映像配信」等を直接視聴されますことをお薦めします。

 新たな時代を幸せな時代に。ありがとうございました。  

2017年2月2日

[seiryuu氏]私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。 〜3つのモデルケース〜 【第8回】

竹下雅敏氏からの情報です。
 プラウトでは具体的なモデルケースとして、“小規模の個人経営、協同組合、基幹産業”の3つに分けます。シャンティ・フーラ合同会社は、正に記事に書かれている通りの小規模の個人経営に該当することがわかります。しかし、プラウトの中心にあるのは協同組合です。協同組合と言うと、私たちは農協などを思い浮かべます。日本では残念ながら、協同組合のところで書かれている“必須の3項目”のどれ1つとして満たされていないという感があります。最初の“正直で信頼に足るリーダー”というところで、すでに蹴つまずいている感じです。多くの場合、こうした組合のリーダーは支配層に取り込まれていて、例えば農協の場合、リーダーたちは実質的に農家の敵になっています。彼らの役割は、TPPを農家の人たちに受入れさせることです。
 株式会社の場合、利益は株主が配当金として持って行ってしまうので、労働者の生活の向上という観点からは不向きなのです。健全で豊かな社会は、地方の中小企業の親方が元気な社会だということを心に留めておくと良いでしょう。
 大規模な基幹産業は、基本的に生活インフラを対象にしており、“公益事業として行政が設置する自治的機関によって経営されるべき”としています。基本的に、競争の起こりにくいこうした分野は、民間であるべきではないと思います。
 プラウトの理念にある経済システムは大変合理的で納得出来るものですが、これを多くの人が受け入れられるようになるには、意識をお金から幸福へと転換しなければならないでしょう。
 私は以前父親に、“お金はあるだけありゃ〜いいんよの。腐りゃあせんのじゃけん(広島弁)”と言われましたが、その時に、“必要のないお金を貯め込めば、人間が腐っちゃうよ”と答えました。私は本心でそう思っているのですが、私と同じように考える人たちが地球で大半を占めるようにならなければ、プラウトの理念は実現しないのです。
 人々が、少しでも多くのお金を我が物にしようという貪欲から経済システムを考えれば、今の資本主義が、最もその要求に応えるものになっているからです。
(竹下雅敏)
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私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。
文:seiryuuさん

※地域から始めるプラウト(自立した豊かで幸せな地域へ)
*経済民主主義
(『〃』p78~97)

「経済的開放はあらゆる人の生得の権利である。経済的開放を実現するために、経済的権限が地元の人々に与えられなくてはならない。経済民主主義においては、地元の人々が、全ての経済的決定を行い、集合的必要性に基づいて商品を生産し、農業、工業の全ての商品を流通させる権限をもつ。」(P・R・サーカーp78)

 冨とは「今・ここにある」生活している人々と自然環境です。その「潜在力のすべてが最大限に活用され合理的に配分される」のがプラウトです。地域から始めるのです。だから全ての権限は地域の人々私たちが有するのです。逆に言えばそれだけの良識と責任が必要になります。依存姿勢では成り立ちません。既に本稿では、外部者からの収奪の実情を見てきました。地域にある私たちが目覚め自立していく気概努力なしには、これは繰り返されるでしょう。民主主義とは「与えられ守ってもらう」ものではなく、「獲得し努力して維持する」ものなのでしょう。成功のための必要条件と具体的モデルケースがが記されています。

・経済民主主義成功のための4つの必要条件(『〃』p79) 

1、あらゆる人を貧困と欠乏から解放させるために、生活の最低限の必需品を利用できること。
2、商品とサービスに対する購買力を向上させ、人々が自分の生活の質が向上していると実感すること。
3、地元の人々が生活に関わる全ての経済的な事柄を決定する権利を持つこと。
4、外部の者は地域経済に否定的に干渉することを禁止されるべきである。土地や資源について外部の者の所有権は認められない。その地域で得た利潤が、他の地域に送られたり蓄蔵されたりすることなく、その地域の生産的な事業に再投資されなければならない。

・三層構造の経済市場:運動における具体的なモデルケース 

1、小規模の個人経営

 「創造性と主体性を発揮させるために、個人や家族や少人数の共同によって自己所有のビジネスを始めることができるようにすべきである。彼らは非必需品や贅沢品の商品とサービスを提供できる。
 「共同で行うには小規模、複雑な」在宅事業、家族経営レストラン、小売店、手工芸製作、芸術家グループ、個人発明家など。」

2、協同組合

 「プラウト経済の機能と組織の中心である。経済民主主義において、自分たちの企業を所有し集団的に経営するのは、労働者の基本的な権利である。工業、商業、農業、銀行業は、生産者協同組合と消費者協同組合によって組織されるべき。それは、最低限の生活必需品をはじめほとんどの生産物とサービスを生み出し、プラウト経済の大部分を構成する。」

 ①正直で信頼にたるリーダー。②ガラス張りの経理による厳格な管理運営。③一般の人々が協同組合システムを心から受け入れていること。この三つが必須。

3、大規模な基幹産業

 「協同事業で経営するにはあまりに大規模化か、あるいは大規模かつ複雑なものは、大規模事業であるべきである。」。輸送、エネルギー、防衛、鉱業、石油、石油化学、鉄鋼は、全ての経済の不可欠な部分である。そのような基幹産業は、公益事業として行政が設置する自治的機関によって経営されるべきである。(注:ここでは主に生活インフラが対象ですが大銀行も加えるべきです)

 基幹産業は「無利潤―無損失」の原則で経営されるべきである。 

 この原則によれば、収益は再投資されるか、あるいは効率、品質、満足を最大限にするために労働者のボーナスとして支払われことになる。将来の赤字を補填する基金にあてることもできる。これらの事業は、私的に所有されていないので、株主や個人投資家に配当金として支払われることが無い。」。 

 プラウトはその具体的活動のモデルの中核に協同組合を置きますが、これにて組合員全員がその企業の株主になり、経営に携わります。大きな権限が委譲され同時に大きな責任も発生します。地域の問題、組合の課題は、それは「誰かの」でなく組合員全員にとって「私の」問題であり課題になります。小さくてもその地域にとってその企業(協同組合)がなくてはならないものになって行くにつれ、その構成員の全員が「大いなる働きがい、誇り、喜びを」持ちます。「地域にとってなくてはならない自分」であることを肌で実感します。つまりプラウトの3本柱の中核、「世界観、自己観の拡大」が育まれているのです。

 本質は協同組合という形態の重要さ以上に、中身の重要さです。「①正直で信頼にたるリーダー。②ガラス張りの経理による厳格な管理運営。③一般の人々が協同組合システム(帰属組織)を心から受け入れていること。」この必須の三項目の具体的実現が決定的に重要であり、プラウトを推進します。

[seiryuu氏]私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。 〜 衣食住の保障と幸福に対する正しい認識 〜 【第7回】

竹下雅敏氏からの情報です。
 皆さんは、プラウトが主張する、衣食住、医療、教育は最低限保障されていなければならないということに同意するでしょうか。それともグローバリズムという弱肉強食の世界こそ自然の摂理だと考え、弱者は見捨てられて当然だと思うでしょうか。この2つの立場が相容れない事は明らかです。
 1%と99%の戦いでは、99%は負け組です。弱肉強食ならば、負け組は奴隷か家畜が相応の身分です。それが嫌なら、努力して這い上がって来いという世界観です。ところがその勝ち組である1%は何の努力もせず、世襲と言うシステムで、安楽な暮らしが保証されているのです。皆さんがこういうシステムを、公正公平だと思うなら、それも仕方ありませんが、私にはどう考えても、不正かつ邪悪に見えます。
 苫米地氏が対談で語っていたように、オリンピックなどの祭典は、人々を奴隷として洗脳するのに、大変都合が良いように思えます。超人的な努力をした、ほんの一握りの人間が栄光を手にすることが出来るのです。多くの人々が貧しいのは、才能がなく、努力も足りないからだという暗黙のメッセージが、ここには有ります。
 ですが全く別の考え方があります。人間は誰でも幸福に生きる権利があるという考え方です。幸福な人生のためには、先に挙げた5項目(衣食住、医療、教育)が最低限無償で、全ての人に与えられるべきなのです。
 この中には生き甲斐も、自分の仕事に対する誇りも入ってはいません。自尊心の低い人が幸福なはずがありません。プラウトは、生きる権利を最優先事項としますが、“個人の尊厳”のためにも、生活保護は適切ではなく、適切な職が必要だと考えています。私もこの立場です。
 今の日本は相当に病んでおり、生活保護を受け取れた人が勝ち組という、逆転した価値観が一部の若い人にはあるようです。確かに真面目に懸命に働いても、生活保護以下の収入しか手に入れることが出来ないとするならば、このような考え方が出て来てもおかしくはありません。しかし、それは政治、社会が腐っているからなのであって、このような考え方は、明らかに間違っています。
 働きもせず、他の人たちの労働の上に寄生をして平気でいられるとすれば、その人はどれほど自尊心が低い人物なのでしょう。人生において金がすべてなら、こういう考え方も出来るでしょうが、これまでプラウトで説明されて来たように、人間は身体的側面以上に、心と意識の割合が大きいのです。
 人間の幸福は、この意識、心、体のバランスの上に成り立っています。意識と心を無視して、体だけに特化した世界観、すなわち、お金だけに特化した世界観に、現代人はあまりにもどっぷりと浸かってしまっているのではないでしょうか。幸福とは何かをきちんと認識すれば、プラウトが提唱する世界観、そしてそれに基づいた経済システムが基礎になるのは、明らかではないでしょうか。
 もしも、負け組の99%の人たちが、プラウトの世界観を拒否する理由があるとすれば、支配者側の論理に同調することで、心理的に自分が勝ち組の側に属しているという幻想を維持し続けたいからだとしか思えません。この意味でも、まず最初に行わなければならないのは、自分自身をありのままに見ることです。
(竹下雅敏)
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私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。
文:seiryuuさん

※実践に向かう。

1,プラウトの優先事項を知る。 

*生きる権利! (第1優先事項)

・最低限の生活必需品の保証
 「プラウトが第1に必要とすることは、あらゆる人の最低限の生活必需品を保証することである。」
 ➀食料(飲料水も含む)、②衣服、③住居(下水設備とエネルギーを含む)、④医療、⑤教育。
 「これらの必需品は、その国のもともとの住民であろうが、外からやってきた人であろうが、あらゆる人間に保証されなくてはならない。」。このようにプラウトは「生きる権利!」が第一優先事項であり、全ての人に最低限の生活必需品が保証されないといけないとします。また、そのためにも以下の提言があります。
・雇用は政府機関の責任(完全雇用政策)(『〃』p59)
・適切な最低賃金。(生活保護についての見解)(『〃』p59)
 最低賃金「生きる権利!」を十分保証する適切な額でなければならない。また、完全雇用を実現維持すべきで特例以外は生活保護は適切でなく、個人の尊厳のためにも適切な職が与えられるべきである。
・人々の購買力の向上がポイント。(『〃』p60)

*「生きる権利!」が削られ続けている日本

 プラウトでは優先事項第一は「生きる権利!」で、そのために政府責任による完全雇用で適切な最低賃金は保障されなければならない。ポイントは「人々の購買力向上」であるとされます。そうすると日本の現状は?近年非正規雇用が増大の一途、特に都市部では最低賃金では生活できず、社会保証も減少し「下層老人」なる言葉も飛び交っているのは承知の通りです。国税庁発表の「民間給与実態統計調査」によると、「1997~2015年の19年間、民間企業の平均年収はほとんど上がらず、日本人の平均収入は昭和63年と同水準に落ち込み、さらに税金と社会保険料の負担率は上がっているため、手取り額の減少は平均年収の減少よりも厳しい。」ポイントである購買力が逆に低下し「生きる権利!」が徐々に削られている実態が浮かび上がります。なぜそうなったのか?豊かであったはずの日本が貧しくなったのはなぜ?この約二〇年間日本にてマスコミ等で盛んに持ち上げられ実施され続けたのが「構造改革」でした。これの関連はあるのでしょうか?

*略奪の手法を知る:IMF(国際通貨基金)が行ってきた事実。

 IMFは世界における公的経済救済機関、つまり有名で善なる機関として装われています。しかし事実でしょうか?IMFこれに頼った南半球の貧しい国々、そして東ヨーロッパ、ロシア(東アジアの国々も)、そこに住む一般の人々が恐ろしい苦しみを味わったことが記されています。((『〃』p18,19)
 IMFは貸付資金と引き替えに必ず「構造調整プログラム」をその国に押しつけます。(無論、資金貸し付けとは「お金の秘密・打ち出の小槌物語」で明かしたように、所有する資金を貸すのではなく、無からお金を創造し貸し付けたことにして利息を取るのです。)これは国際投資家に莫大な利益をもたらし、その国の富裕エリートも恩恵にあずかる。しかし国内企業、労働者、一般市民には致死的なダメージを与えることが明かされています。国際投資家(無論その中核トップはFRBの所有者)がその国の富裕エリートと(賄賂によって)協力を得、一般民衆からIMFを道具に使い徹底的に略奪する手法です。これがグローバリズムの手法です。

・IMFの「構造調整プログラム」の内容
公務員数と社会的支出の削減による政府予算の縮減。
②インフレ対策として利率を上げること。
③輸入商品への関税の撤廃。
土地、資源、企業を外国人が所有することを禁止している法律の廃止。
⑤基本的生活必需品に対する助成金の削減。
⑥国内経済を自給自足から輸出中心へ方向付けること。

 気づかれたでしょうか?日本で進められてきた「構造改革」とIMFの「構造調整プログラム」が非常に似通っていることに。内容的に検討すれば➀の公務員数削減と②以外は全て重なります。「構造改革」とは略奪システムである「構造調整プログラム」を下敷きにしたものだったのです。日本の一般大衆が貧しくなって当然です。富を継続的に収奪できる構造が「構造改革」なのですから、分かって意図的行ってきたのです。目眩ましをしながら。(この「構造改革」を導入し推進してきた首魁こそが「日銀のプリンス」たちであったことを『円の支配者』では詳細に明かしています。)
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[seiryuu氏]私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。 〜解脱に至る無想三昧 / 自己実現の本当の意味〜 【第6回】

竹下雅敏氏からの情報です。
 記事にある通り、万物は3層構造になっています。西欧では物と心に分けるのですが、実際には、物と心と意識に分けるのが本当です。これは、インド哲学の3種のグナという概念が基礎にあります。
 多くの人は、心と意識を一緒くたにしてしまい、区別がついていません。意識というのが、一番わかりにくいかも知れません。多くの人は、熟睡時に意識が無くなると思っています。ところが、ヨーガでは全く逆のことを言うのです。ヨーガ・スートラ(「解説 ヨーガ・スートラ 」佐保田鶴治 平河出版社)には次の記述があります。

1.10 睡眠とは、「空無」を対象とする、心のはたらきのことである。

 睡眠(ニドラー)の意味は、夢も見ないほどの深い眠りのことです。このような状態の時、普通、私たちは意識がないと思うのですが、ヨーガ・スートラは全く逆で、非存在という想念をずっと見ている(意識している)状態だと言うのです。要するに、熟睡していても意識は無くならないというわけです。
 睡眠時に想念が動き出すと、夢として現れます。夢見の状態は、心に意識の焦点がある状態のことです。覚醒時は、物に意識の焦点が合っている状態なのです。
 なので、瞑想によって意思の力で心のみに集中し、明晰な意識状態のまま物の世界を遮断して心の世界に没入すると、いわゆる異次元にトリップします。そこで見たものは、この世界よりもずっとリアルなのです。このような体験のことを、三昧(サマーディ)と言います。
 サマーディ体験で、様々な世界に入り様々な対象を見ます。しかし、何か見る対象があるサマーディは、有想三昧と言います。有想三昧では、解脱に至りません。一切の対象のない三昧を、無想三昧と言います。無想三昧を実現することで、人は解脱を得ます。
 無想三昧とは、簡単に言うと、瞑想で完全な意識を保ったまま、熟睡状態を体験することです。この時、物と心を離れて意識そのものになります。それでも、心と体を超越した意識そのものである自分が、そこに在るのです。これが本当の意味での自己実現です。
 この体験は、実はそれほど難しいものではありません。
(竹下雅敏)
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私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。
文:seiryuuさん
※実践に先だって:プラウトの特質を理解する。
*万物、全ての私は三層構造。

「プラウトモデルの独自の特質は、自然資源と人間の両方のフィジカル(物的=身体的)な質。サイキック(知的=心的)な質。スピリチュアル(精神的=直観的)な質を認めることにある。」(『〃』p66) 

 自然資質つまり世界そのもの、万物、そして人間の両方が、つまり全ての私が3つの質(要素)で成り立っている、いわば3層構造になっていると記しているのです。それは次の➀フィジカル(物的=身体的)な質、②サイキック(知的=心的)な質、③スピリチュアル(精神的=直観的)な質だと示しているのです。この万物(私)の三層構造を踏まえてプラウトは構築されており、これが独自の特質と言っているのです。この3つの質(要素)の三層構造は古代インドの哲学3グナ(質・要素)➀タマス②ラジャス③サットバがベースにあります。またここでの表記、サイキック(心的)とスピリチュアル(精神)が区別しずらく分かりにくいのでスピリチュアルは一般的な表記で意識とした方が理解しやすいかもしれません。これらを鑑みて名称や特質、作用を整理してまとめてみたのが下の表になります。

スクリーンショット 2017-02-11 17.57.40 

 万物つまり全ての私、人間から動植物鉱物に至るまで全ては、この三質(要素)一般名称の意識、精神、身体を例外なく備え、三層構造になっているのです。また、この三質(要素)は歴然とした上下関係で成立しています。意識が最上位で精神、身体の順になります。なぜそう言えるか?私に生起する全ての事象はこの順で起きるからです。例えば私が買い物でスーパーにいたとします。この事象はどのように起きたかと見ると、まず私の意識の焦点がスーパーに向きます(意識作用)。続いてそこまでどのように行こうかと考え道を思い浮かべ選択します。つまり精神作用です。最後に歩くなり車を運転するなり身体を動かす身体の物理作用によりそこに行ったのです。意識、精神、身体の順になっているのです。三層構造は切り離せないのです。

・プラウトの特質:三層構造を通徹したシステム。 

 この三層構造は私たちの社会にも反映されています。意識に対応しているのが宗教、哲学。精神の活動が本来は政治です。身体つまり物質的活動が経済です。三層構造ですから本来は宗教、政治、経済は分かちがたくその活動はそれぞれが三層を通徹していなければなりません。しかし現在のそれぞれは全くバラバラです。宗教は救済を説きます。しかし実際に人々が苦しんでいるのは物質つまりお金です。そこを踏まえ経済の仕組みから救済の道が説かれているでしょうか?浮き世離れしたことを説き現実から目をそらさせていませんか?政治は哲学を持ち高い考えで経済をリードする役割ですが、逆にお金に引きずられ腐敗していませんか?現状の経済に哲学や高い精神性がないどころか弱者からの収奪システムになっているのは既に記述した通りです。それぞれが分割された部分活動になっています。そして社会を豊かに幸福にしていません。逆になっています。

 「プラウトは経済活動ではありますがそれは単なる物質的活動ではなく高い哲学、高い精神性をその物質的活動の中に込めた経済システム」と既に指摘しました。プラウトの三本柱の中核、活動の源流であり回帰点とした「世界(自己)観の拡大」とは意識の領域です。意識が精神活動を通じ物質活動の経済システムとなっているのです。三本柱の運動の両輪、高い倫理と高い透明性は、三層全てに浸透してつなぎ合わせ浄化していきます。三層構造を通徹したプラウトのシステムは部分活動ではなく全存在活動となっているのです。矛盾が生じないのです。プラウトは真の幸福、至福が意識領域にあるとしながら「無限の幸せに向かう身体活動と知的表現(*精神活動)だけが進歩」と提起しているのは(『〃』p46)この所以です。