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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第19話 ― 戦犯の皇族たち

 いわゆる大東亜戦争、この戦争で大掛かりな略奪と虐殺行為、また強姦もありました。ありのままに裁かれるべき人物たちがいます。しかし、この戦争での真犯人たちが裁かれるどころか、完全に世間から秘匿されているのです。
 シリーズのテーマからは少し外れるので、南京大虐殺について資料を読むことはあまりなかったのですが、今回、松井石根という人物に目を引かれました。
 松井石根は南京大虐殺の責任者として東京裁判で処刑されるのですが、彼のウィキペディア記事で出ている東京裁判時の写真が、諦念しているのか非常に穏やかで印象に残ったのでした。
 確かに南京攻略戦での総司令官が松井石根であり、その南京戦で大虐殺と掠奪、そして強姦があったのは事実です。しかし、松井石根はそのような違法行為がないよう将兵に命じていたのが、いわば「裏切られた」のです。
 それでも松井は南京での部下たちの不法行為に対し「自分の責任を回避しない」と、自らの処刑を受け入れ、次の言葉を残してます。
「私だけでも、こういう結果になるということは、当時の軍人たちに一人でも多く、深い反省をあたえるという意味で大変に嬉しい。せっかくこうなったのだから、このまま往生したい。」
 南京戦後、松井は軍服を脱ぎ、日本と中国の戦死者たちを慰霊する毎日を送るのですが、この松井を裏切った上に処刑を身代わりにさせた人物がいます。虐殺と掠奪を命じた皇族たちがいました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第19話 ― 戦犯の皇族たち


関東軍宮田参謀と731部隊


731部隊の振る舞いが秘された理由はその残虐非道さにありますが、皇族が絡んでいたことも大きかったと考えられます。

731部隊に三笠宮と思われる人物が同席している集合写真がありました。風貌から見て20歳時の三笠宮であると思われます。ただし、この写真で三笠宮が731部隊に深く関与しているということではないです。


写真では特別な椅子に三笠宮と思える若い人物が最前列中央に座していることから見て、宮様が731部隊を訪問したので“お客様”として扱い写真に収まった、というものでしょう。お客様の若い三笠宮が731部隊の行状に関与したとは思えません。

しかし、昭和天皇の従兄弟である竹田宮恒徳は違います。

衣冠姿の竹田宮恒徳
Wikimedia_Commons [Public Domain]

戦後は皇籍離脱し、1962(昭和37)年に日本オリンピック委員会の委員長に任命された竹田宮は、戦時中は731部隊に非常に深く関与しています。「731部隊 竹田宮」や「731部隊 宮田参謀」で検索すればたくさんの情報が出てきます。宮田参謀とは竹田宮恒徳が戦時中に使っていた名前です。

そのネットに多くある情報の一つに、「731からフクシマまで!!」のサイトにて「『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より」として次のようなものがあります。

竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は、関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍における医療行政官のチーフのように権力のある個人すら、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。

こういった情報の真偽ですが、ウィキペディアの竹田宮恒徳の記事には次のようにあります。

太平洋戦争(大東亜戦争)には大本営参謀として、フィリピン攻略戦、ガダルカナルの戦いに参画する。参謀としての秘匿名は「宮田参謀」であった。しばしば前線視察を希望し、危険が多いラバウル視察を強行するなど、周囲をはらはらさせていた。1943年(昭和18年)3月、陸軍中佐に昇進、8月に関東軍参謀に転出した。新京では満州国皇帝溥儀と交流を持ち、親しくしていたという。1945年(昭和20年)7月、第1総軍参謀として内地へ戻り、間もなく終戦を迎えた。

少なくとも竹田宮は、満洲で関東軍の参謀という要職にあったのです。当然ながら、同じ関東軍の731部隊とは共働していたのは間違いないのです。しかも、竹田宮は敗戦(ソ連参戦)を予め知らされていたのでしょう。敗戦直前に満洲から内地に戻っています。悲惨な目にあった満蒙開拓移民とは雲泥の差です。

皇族は民衆とは隔絶された特別な地位にあります。その皇族の中で戦時中には虐殺、そして黄金を主とする財宝の略奪を指揮したものがいます。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第18話 ― 731の遺伝子(下)

 世界中で新型コロナのワクチン接種が広がりました。国の別も人種の別もありません。ワクチン接種を広めた黒幕、自分たちのしっぽが掴まれ、追い詰められた彼らにとっては、国や人種などはどうでも良いことが分かります。彼らが基準にしているのは、自分たちエリートか、自分たち以外の非エリートか、これだけだというのが明瞭に見えます。
 …それにしても…見事に騙されるものです。ワクチン接種を薦める黒幕の正体やその意図が見えないのは仕方ないにしても、自分たちの体内に入れることになるワクチンの説明書ぐらいは読めばいいのに…。
 「恥知らず」で、少し調べればすぐにバレる嘘を彼らは常時用います。日本ではワクチンの効果と危険に対する、大臣の発言やマスコミの報道などがそうです。…しかし、そのくだらない大臣のデマや中身を伴わない単なるイメージだけの報道に、多くの方がたやすく踊らされているのも事実です。ワクチンの毒によって健康を、生命まで奪われかねないのに…。「お人好し」の代償としては高すぎるのです。
 しかし、これも繰り返されてきたことでもあります。日本の戦争への道がそうでした。これで実際にどれほどの民衆の生命が奪われたことか…。
 「騙して(生命を含め)奪え。それを誇れ。ただし自分の正体は知られないように…」
 これは「731の遺伝子」の特徴と言えますが、これを地上世界で実行してきた連中をこのシリーズではずっと追ってきていました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第18話 ― 731の遺伝子(下)

彼らの2つの「聖典」


地上世界で起き上がった重大な出来事の数々、歴史の内側には「ユダヤ問題」が潜んでいたのを見てきています。そして、ユダヤ問題の内側には2つの「聖典」が内在していて、それが様々に絡んでいました。

一つは「タルムード」、もう一つは「ヨハネの黙示録」です。

「タルムード」はユダヤ教の聖典とされますが、実際にはユダヤ教というよりは、その聖職者であるラビの聖典です。ユダヤ・イスラエル民族が他の民族から選別され隔絶、特に「ラビの言葉は神の言葉よりも現実に重視されなければいけない」と記され、ラビの絶大的権威を認めさせています。

Wikimedia Commons [Public Domain]

一方の「ヨハネの黙示録」は新約聖書の最後にあります。ユダヤ教は旧約聖書は聖典ですが、新約聖書を聖典と認めていません。ユダヤ教徒の神は旧約の神であり、新約の神ではないからです。ところが、このヨハネの黙示録だけは、ユダヤ教徒は新約にあっても聖典として崇めているのです。

ヨハネの黙示録の内容は簡単にはハルマゲドン(最終戦争)が起き、その終末に救世主が降臨、最終的には新エルサレムが降りてきて、旧ユダヤ・イスラエル民族がその統治者となるというものです。

Wikimedia Commons [Public Domain]

この2つの聖典、それを降ろした真の作者がいます。

タルムードの作者はブラック・ロッジの首領の一人です。従って、タルムードはブラック・ロッジ(表のイルミナティ)の聖典です。

ヨハネの黙示録の真の作者はホワイト・ロッジの宰相、旧約の神エノクでした。従って、ヨハネの黙示録はホワイト・ロッジ(裏のイルミナティを含む)の聖典となります。

ブラック・ロッジとホワイト・ロッジは敵対関係にあるのですが、実際にはブラック・ロッジとホワイト・ロッジのそれぞれが「タルムード」と「ヨハネの黙示録」を都合よく利用していました。「タルムード」と「ヨハネの黙示録」は共に選民思想であり、これを聖典として位置づけるのは、どちらも自分たちのやっていることを正当化し、権威付けるに最適だったからです。

pixabay 1 & 2 & 3

ブラック・ロッジは血流的には偽ユダヤの系統で、地上支配のためハルマゲドンの「ヨハネの黙示録」を利用しています。

一方、ホワイト・ロッジの者たちもヨハネの黙示録をベースにしながら「タルムード」も利用しています。ホワイト・ロッジには悪魔崇拝とそうでないグループがありますが、悪魔崇拝を含めたホワイト・ロッジのハイアラーキーたちには、タルムードの「自分の正体は隠し、ゴイを騙して奪え」の教えが使い勝手が良かったからでしょう。

八咫烏はホワイト・ロッジ側、それも悪魔崇拝ではないほうに所属しています。八咫烏は真と贋の2種類あり「裏天皇グループ」は「贋の八咫烏」になると教えられています。ただし、裏天皇グループも基本的には悪魔崇拝ではないと見ています。そして、裏天皇グループはヨハネの黙示録に沿って、その計画と行動を進めてきたのが見て取れます。

編集者が原図に一部補足

裏天皇グループとひと括りにしても、その中には様々な人物がいたでしょうが、それでもその構成者の多くがタルムードを都合よく利用していただろうと見受けられます。その代表格で象徴となるのが731部隊ということです。

 「ゴイは犬に劣る。ゴイからは奪うべきだ。ゴイは犯して良いし殺しても良い。ただし我々の正体は秘密にせねばならない。

731部隊の戦時中、そしてその関係者の戦後の振る舞いを見れば、こういったタルムードの教えと重なるのです。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第17話 ― 731の遺伝子(中)

 民衆を奴隷支配せずにおられない輩がいます。彼らは民衆に対しての残虐非道な行為を平気で実行します。その代表格の一つがイギリス東インド会社、後の300人委員会のメンバーたちです。彼らのインドや中国での残虐行為については既にある程度は見ています。これと同じような性向をもつものが日本の支配層にもあったということです。
 彼らは自分たちが選ばれし優秀なエリートであり、他は劣等種族であって、自分たちが好き放題に扱うべきだと思い込んでいるようです。しかし、彼らのエリート意識そのものが劣等意識の裏返しであり、他者の奴隷支配を実行している彼ら自身が、自分の「心の闇」の奴隷となって支配されているのが事実です。恐怖にも覆われています。この「心の闇」は誰にでもあるのかもしれません。ただし、その奴隷となるかどうかは各人次第なのでしょう。
 「心の闇」に支配された支配層の人々の実働部隊として、その性向を鮮明に表したのが731部隊です。731部隊は隊長の石井四郎がある意味優秀であったので、部隊が拡大した組織となり目立ちました。しかし、日本軍の部隊で秘密の非合法行為を担当したのは731部隊だけではなく他にもあります。 直接的にそれらを生み出したのは軍であり、それに医学界・科学界でもありました。ただ突き詰めていくと、それらの全ての生みの親は「心の闇」なのでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第17話 ― 731の遺伝子(中)

731の遺伝子作動が映り込む映像


「731の遺伝子」と題しています。これは731部隊が「その遺伝子とも呼ぶべきもの」を生み出したという意味ではありません。正確に記せば“731部隊を生み出した遺伝子”となります。題名には731部隊の振る舞いが「その遺伝子とも呼ぶべきものを強化し鮮明にした」という意味も込めてはありますが…。

“731部隊を生み出した遺伝子”が明らかに作動している場面の映像を、ずいぶん古くなりますが以前に取り上げたことがあります。2017/05/23の記事です。「せせら笑う」三者の映像についてです。

場面映像の古い順から記すと、一つめは脳死・臓器移植を巡る推進派と反対派のテレビ討論です。反対派の医師たちを「せせら笑う」推進派の医師などの面々がそうです。
次いでは、原発の稼働を巡っての京大小出裕章助教(当時)と東大大橋教授の討論映像、「プルトニウムは飲んでも大丈夫…」などとうそぶきながら「せせら笑う」大橋教授の映像。
そして最後が安保法案参院本会議の最終局面、採決直前の野党の反対討論を公明党山口代表とその周囲が(ヤジを飛ばしながら?)「せせら笑い」談笑している映像です。

この三者、おそらく脳死・臓器移植推進派の医師などたちは、731部隊に直接的に関係する面々、大橋教授など原発稼働を推し進める勢力も同様である可能性は高いです。
公明党の山口代表たちは、直接は731部隊とは無関係でしょう。しかし間接的な意味では繫がっていると見てもいいでしょう。

何よりも「せせら笑い」映像の三者、彼らには共通して“731部隊を生み出した遺伝子”が作動しているのが見て取れます。過去記事では彼らの共通項として次の指摘をしました。

自身のバックには巨大な力と権力が存在し、自身はその巨大な存在に連座する代弁者で、選ばれし優等エリートであるとの選民意識が明瞭に見て取られます。

彼らのその高慢と「お前たち弱者・劣等者たちが何をほざいたところで…」との弱者と見なしたものへの嘲りが「せせら笑い」になっているのだとも。

改めてですが、「脳死問題」とは、「生きた臓器」の移植をその生体実験を適法のもとで行いたくてたまらない医師たちが、そのため「脳死」を「人の死」とする法律を求めたものです。「死んだ臓器」など使い物にならないからです。

歴史の襞の中から6」で「(昭和)43年の和田寿郎の心臓移植手術」を取り上げています。当時、和田医師は殺人罪で告発されています。

右から二人目が心臓移植手術をする和田教授

こういった彼らの振る舞いを観察すると、証拠はなく邪推のそしりもあるでしょうが、彼らが闇では臓器移植を、生体解剖実験を実践していたのではないか?との疑念が拭えません。

ともあれ、元々は人間の死、個人の死の概念に「脳死」などはなく、本来は殺人罪が適用される行為を適法にすべく進めていったのが「脳死・臓器移植」の法案です。本来は完全な犯罪の残虐行為を、巨大な力を背景にそれを「正当行為」として推し進めていく、この姿は731部隊の姿とオーバラップします。

満洲では、関東軍は絶対権力と言えたでしょう。その絶対権力をもとに731部隊は生体解剖実験など残虐非道な行為を繰り返していました。

編集者註:ガーディアン紙の翻訳記事はこちら


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第16話 ― 731の遺伝子(上)

 コロナワクチン、モデルナ社のものは武田/モデルナ社と表記されています。武田薬品がコロナワクチンに大きく絡んでいるのが見て取れます。
 731部隊は「武田薬品満洲支部」と呼ばれるほど武田薬品と密接な関係にありました。要はコロナワクチンにも731部隊の影が見えるのです。
 コロナワクチンだけではありません。薬害エイズを始め薬害関係のほぼ全て、それに原発の放射能汚染など現在の日本(世界)の様々な問題に、731部隊はその影を落としているのです。731部隊は、その遺伝子とも呼ぶべきものは、現在も生きていて地上世界を覆ってきていたのです。
 731関係者、特にその研究者上層部の人間たちが、戦後も日本医学界をその重鎮として取り仕切っていたのはよく知られた事実です。彼らは、米国側との取引で免責されてその地位にあったのですが、彼らは自分たちの行ってきた行為を決して認めようとはせず隠蔽、つまり一切の反省もなしに現在に至っています。731部隊の行状を明らかにするものに対しては、直接・間接の731関係者とそれに連なる者が徒党を組み、種々の方法で執拗な攻撃を加えることもしています。一種の集団ストーカー行為です。
 最新の映像配信でも改めて「個の自立・確立」の重要さが語られています。彼らの中にいかに立派な肩書や権力を持つものがいても、自分たちの行為を認め受け止めることもできず、都合の悪い相手には違法な集団ストーカー行為をせずにおられない彼らは、「個の自立・確立」とは対極の位置にあることが分るでしょう。内実としては「弱く・幼稚」ということです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第16話 ― 731の遺伝子(上)

『悪魔の飽食』への攻撃 〜徒党を組み卑劣な攻撃をする輩


残酷でおぞましい人体実験を繰り返した731部隊……、こういった書き出しに対して、相手が弱いと見れば居丈高になって攻撃し、そうでなくてもヒステリックに事実を認めず、歪曲・否定し隠蔽しようとする輩がいます。

ウィキペディアの731部隊の記事内容にも、彼らの攻撃が加えられたのだろうと思える節があります。同様のことが起きるのは「慰安婦問題」「南京大虐殺」がそうです。彼らの姿は、最近では愛知県の大村知事に対する不正な攻撃で一部顕わになっています。

731部隊のことが世に出てきたのは、森村誠一氏の『悪魔の飽食』によってでしょう。しかし、世の大きな話題となったその『悪魔の飽食』シリーズは「捏造」として激しい攻撃を受けました。それにより731部隊の話題は下火になりました。

詳しくは、森村誠一公式サイト「回想~悪魔の飽食~卑怯な匿名」の「国賊の証明」章の森村誠一氏ご本人の説明の全文を読まれたらよいのですが、彼らの攻撃の手口、ここにはこうあります。

三百万部を超える『悪魔の飽食』が生まれた。だが、続編のグラビア写真に、無関係な写真を誤用したために、グラビアが偽物であるから内容もインチキであろうと叩かれた。
(中略)
元隊員から提供された第二部に使用した写真の中に、七三一部隊とは関係ない明治四十三(一九一〇)年から翌年にかけて中国東北部に流行したペストの惨状の写真が混入されていた。提供者は本物の資料と混ぜて提供したので、真贋見分けられなかったのである。
その後が凄まじかった。これまでなにも言わなかった右筋の街宣車の大行列が我が家の前に連日群集した。お経を唱え、最大ボリュームの拡声器で国賊、売国奴、非国民、日本から出て行け、と怒鳴り続けた。

ここでは『悪魔の飽食』を継続出版しようとした角川書店も攻撃対象になった様子も語られています。


繰り返される執拗な攻撃、ネット上での彼らが「捏造だ」と攻撃するその内容を読みましたが、一見はそれらしいものの、デタラメな暴論です。

 “1000の不法行為を犯したものがその全てを隠蔽した。あるものがその1000の不法行為のうち100を調査によって明らかにした。しかしその100の内の1が間違っていた。これに対して1000の不法行為の隠蔽側が、間違っていた1のみを針小棒大に攻撃、それで明かされた100の全てが「捏造・歪曲」と断定、ひいては1000の不法行為も「全て無かったこと」に。

こういったたぐいのものです。

100の内の1が間違いならば、それはそれだけのことです。1が間違いならば残りの99も間違いになるなどありえません。ましてや1の間違いで1000の不法行為と隠蔽が否定されるはずもありません。

「捏造だ」と主張するならば、捏造とするその一つ一つを示し、それが捏造である具体的・客観的な根拠を示して説明する必要があります。

ところが、彼らにはその作業はなし。

それに加え、彼らの攻撃の言説自体が、少し調べるとまさに根拠を欠くでっち上げ、捏造であるのが見えてきます。彼らの徒党を組んだ不法な攻撃、その卑劣さは森村氏が次に語る通りです。

『悪魔の飽食』発刊後、三十余年後の今日に至っても、インターネット上に『悪魔の飽食』は贋作(がんさく)、模倣であるという書き込みが載っている。ネットの書き込みには署名がない。署名がない人間の言動や非難は、自分の言ったこと、行ったこと、書いたこと、他人の非難、中傷、妨害などについて一切責任を持たないということである。脅迫状の大半も匿名であった。

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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第15話 ― 「私の描いた作品」

 「昭和の妖怪」こう評されたのが岸信介(1896-1987)。「なるほど」と思わされる風貌の彼は長州の「田布施族」の一角です。安倍前首相の祖父でもあります。
 アベシは「地球儀を俯瞰する外交」などと称し、ODAなる看板を用いて湯水のように日本国家の資金を垂れ流し、その資金はアベシに金魚のフンのようについて回った企業に流され、アベシはそこからキックバックによって資金を獲得しています。絵に書いたような迂回によるマネーロンダリングです。他にもありますが、これがアベシの不正な資金獲得の主たるものでした。こうやって得た莫大な資金の蓄財が「安倍一強」と称されるような力となっていたのです。祖父である岸信介は「政治資金“ろ過”」(マネーロンダリング=資金洗浄)の名手であり、孫のアベシはそれに倣っていたのです。
 岸信介の場合、その「濾過器を通ったキレイな政治資金」の大方は阿片マネーでした。これが岸信介の「裏の顔」の一部分です。
 実験国家・満洲国を「私の描いた作品」とまで言い切ったとされるのが岸信介です。満洲国の経済産業政策を中心的に担ったのが岸信介であり、統制経済の満州「産業開発の5ヵ年計画」を計画し、満洲国実業部トップとしてこれを実施したのが彼です。こちらが岸信介の「表の顔」部分です。
 「裏の顔」と「表の顔」を使い分けた岸信介が、ある意味では満洲国を作り上げ、統制し、経営したのです。岸信介が満洲国の実質的な支配者だったのです。無論その岸信介の背後にはあのグループがあります。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第15話 ― 「私の描いた作品」

「二キ三スケ」の顔ぶれ 〜「田布施族」の「三スケ」


満洲国の実力者としてよく使われるフレーズが「二キ三スケ」です。「二キ」とは、東條英と星野直。「三スケ」とは、岸信、松岡洋、鮎川義のことです。

「二キ」の東條英機は日米開戦時の日本国首相で、満洲時代は1935年に関東憲兵隊司令官・関東局警務部長。 1937年には関東軍参謀長に就任しています。
星野直樹は1932年に大蔵省から設立されたばかりの満洲国建国に渡り、数々の要職を経た後に1937年に実質上の行政トップ国務院総務長官に就任しています。

東條英機
Wikimedia Commons [Public Domain]
星野直樹
Wikimedia Commons [Public Domain]

「三スケ」の岸信介については後述します。
松岡洋右は、1933年に首席全権として出席した国際連盟特別総会にて日本の国際連盟脱退を宣言した人物です。1935年に満鉄の総裁に就任、1940年には近衛内閣で外務大臣に就任。
鮎川義介は日産コンツェルン創始者で、満洲重工業開発株式会社総裁でした。「河豚計画」を提唱した人物でもあります。

松岡洋右
Wikimedia Commons [Public Domain]
鮎川義介
Wikimedia Commons [Public Domain]

「二キ三スケ」では「二キ」より「三スケ」のほうがより重要だと見ています。ウィキペディアの「弐キ参スケ」記事の中には次のようにあるのです。

鮎川義介・岸信介・松岡洋右の3人は満州三角同盟とも称された。3人はいずれも山口県周防地方の生まれ、育ちである。この3人の間には姻戚関係もある。
  • 松岡の妹婿の佐藤松介は、岸の母方の叔父である。岸の実弟である佐藤栄作は、叔父夫妻の長女で松岡の姪の寛子と結婚して婿養子となっている。
  • のちのことになるが、岸の長男信和の妻は、鮎川の従兄の娘である。

「三スケ」の3名は同郷、明治天皇・大室寅之祐の出身の長州・田布施の「田布施族」であり、姻戚関係で結ばれてもいたのです。竹下さんは2014/11/29の記事で次の指摘をされています。

堀川辰吉郎の直接の部下が岸信介。岸信介の部下が塚本素山、笹川良一。笹川良一の部下が児玉誉士夫。

岸信介

裏天皇・堀川辰吉郎の直接の部下で、堀川辰吉郎の意志を満洲で実際に具現化していく役割を担っていたのが岸信介、その岸信介の役割をサポートする同盟関係の仲間が松岡洋右、鮎川義介であったと見受けられます。

この意味で「二キ」より「三スケ」のほうが重要であり、特に最重要人物が岸信介だと見ているのです。岸信介の満洲時代はウィキペディア記事では以下です。

1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。

岸信介が就任した国務院総務庁次長。総務庁次長とは、星野直樹が就いた行政トップの国務院総務長官に次ぐポストの行政No.2で、実業部門のトップです。予算編成は総務庁が握っており行政を仕切っていました。しかも星野直樹は大蔵省出身の財政の専門家で、実業には疎かったようです。

こういったことを踏まえれば、岸信介は「表の顔」として満洲国の行政を事実上のトップとして司っていたと言えるでしょう。そして彼には無論「裏の顔」もありました。


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