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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第12話 ― 満洲の「影の皇帝」

 戦争は企業にとって「大儲け」のチャンスです。様々な企業が関与しますが、中でも「ぬれ手に粟」の代表は言うまでもなく大銀行、それに併せてすぐ想起するのは武器商人、いわゆる「死の商人」です。
 911テロの後のアメリカを見ていて、驚愕し呆れ果てたことがあります。私人がアメリカという国家の名を利用して、犯罪行為で莫大な利益を手にして欲望を遂行していくこと、そのあからさまさにです。これは謀などと呼べず、謀というべきなのか……。
 911テロ時の政権はW.ブッシュ政権でしたが、その閣僚中枢は私有企業から送り込まれた人物たちで占められ、その関係、私有企業へのあからさまな利益誘導を行っていました。最もわかりやすいのが、当時の副大統領のディック・チェイニーとハリバートン社です。
 チェイニーはハリバートン社の1995年から2000年まで、つまり政権に入る直前までの最高経営責任者だったのです。
 ハリバートン社は国防省と石油開発・施設建設の請負契約をしており、また軍需企業でもあります。911テロの直後に言いがかりで攻め込んだアフガニスタン戦争、明らかな国際法違犯の犯罪である2003年イラク戦争、これで莫大な収益をあげたのがハリバートン社です。
 私有企業が犯罪行為でも何であろうとも、「儲けるため」自分たちのやりたいことを「国家事業」としてしまえば、最も確実で効率よく収益を挙げられます。
 私人が国家を利用するのですが、これはアメリカだけの話ではありませんでした。現在の「電通」や竹中平蔵氏の「パソナ」など見れば、日本でも同じようなことが進行しているのが分るでしょう。そしてこれは最近に始まったことではなさそうです。
 日本が大陸に軍事進出する「国策」、この国策に群がる企業群がありました。この背景に何があったのか……、
満洲の「影の皇帝」と呼ばれた男にスポットを当ててみます。見えてくるものがあります。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第12話 ― 満洲の「影の皇帝」


「満洲の夜を支配する」と言われた男


日本の特務機関・特務工作機関の種類一覧
名称 説明
(前略)
甘粕機関(※②) 陸軍大尉の甘粕正彦によって設立された民間の特務機関で、満州国と関東軍をバックに付け、 満州国の国策であった阿片(アヘン)の中国国内での密売を茂川機関や松機関と共に行っていました。
茂川機関(※②) 茂川秀和少佐が設立した機関で、天津陸軍機関に所属していました。
主に阿片(アヘン)の中国国内での密売を行った他、盧溝橋事件での工作を行ったとも言われています。
松機関(※②) 上海に本部が置かれた特務機関で、現地の情報収集や阿片(アヘン)の中国国内での密売や、「杉工作」と命名された偽札の中国国内への流通工作を行っていました。
里見機関(※②) 里見甫によって設立された民間の特務機関で、関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。
興亜機関(※②) 関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。
(中略)
昭和通商(※②) 三井物産、大倉商事、高田商会の三社から出資された泰平組合を元とする、日本陸軍の特務機関です。
表見は商社ですが、中国国内での阿片(アヘン)の密売や、情報収集、物資や兵器調達などを行っていました。
また、里見機関や興亜機関などの特務機関とも連携を取っていたとされています。
(以下略)
いちらん屋より引用
※註:名称の後の(※②)は「阿片の取引に関するもの」として、前回、シャンティ・フーラで独自に分類したものの一つ。

東京大学教授 伊藤隆氏の「目で見る議会政治百十年史」がネット上で公開されています。その昭和期(I)に「満州某重大事件」があります。そこに次の記述があります。

田中首相は天皇に「張作霖横死事件には遺憾ながら帝国軍人関係せるものある如く、もし事実であれば法に照らして厳然たる処分を行うべく・・・」と奏上した。陸軍中央の調査によって真相は判明したが、陸軍はこれをかくそうとした。村岡長太郎関東軍司令官・荒木貞夫参謀本部作戦部長・小畑敏四郎作戦課長ら上原勇作元帥系のグループが強力に動いて真相隠蔽(ぺい)をはかった。河本大佐もこのグループに属していた。

1928年(昭和3年)満洲の覇王と称された張作霖が爆殺される事件がありました。この張作霖爆殺事件は、現在では関東軍の河本大作大佐が主犯とされています。

関東軍参謀
河本大作大佐
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[Public Domain]
赤龍会初代総裁・
帝国陸軍元帥 上原勇作
Wikimedia Commons
[Public Domain]

この張作霖爆殺事件から満洲国設立に至るいわゆる関東軍の暴走、これを背後で操っていたのが、赤龍会初代総裁にて帝国陸軍元帥であった上原勇作であったことが上の記述から窺われます。帝国陸軍のトップ、元帥である上原勇作が、関東軍に密かに司令を出していたのは全く自然なことです。

また、満洲への軍事的進出だけでなく、日本が満洲でも罌粟を栽培し、中国大陸で阿片事業を展開していくのを導いていたのが上原勇作であったことも前回に見ました。

この関東軍の動きに合わせるように、阿片事業を展開していく人物群が満洲に集結していきました。その代表格の一人が「甘粕機関」の甘粕正彦です。上に「いちらん屋」の特務機関一覧から、阿片事業の特務機関を抜粋していますのでご覧ください。

満州国時代の甘粕正彦
Wikimedia Commons [Public Domain]

甘粕正彦は、阿片より1939年に就任した満洲映画協会(満映)の理事長としてのほうが有名で、「満州は、昼は関東軍が支配し、夜は甘粕が支配する」と囁かれてもいたようです。

ただし、このように甘粕正彦が満州で「影の皇帝」といわれるほどの権勢をふるえた、その元にあったのが、阿片取引による莫大な収益でしょう。ウィキペディアには甘粕機関の設立の経緯は次のように記載されています。

1930年(昭和5年)、フランスから帰国後、すぐに満州に渡り、南満州鉄道東亜経済調査局奉天主任となり、さらに奉天の関東軍特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で情報・謀略工作を行うようになる。大川周明を通じて後に柳条湖事件や自治指導部などで満州国建国に重要な役割を果たす右翼団体大雄峯会に入る。そのメンバーの一部を子分にして甘粕機関という民間の特務機関を設立。

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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第11話 ― 裏天皇の実働部隊

 アヘン、アヘン戦争によって中国が蹂躙されたのは誰しもが知るところです。アヘンは植物の罌粟から作られる薬品です。
 アヘンは人間を廃人にする有害な薬品として知られますが、これと異なる側面の見方もあります。落合莞爾氏の『國體アヘンの正体』には、アヘンにも種類があり使い方次第では大変な薬効があること、「罌粟と黄金が真の本位財」という表現で、アヘン(罌粟)に黄金に匹敵かそれ以上の価値があるとの見方を示しています。
 この真偽の判断は私にはできませんが、ともあれ黄金とアヘン(罌粟)は地上の歴史を動かしてきたのは紛れもない事実です。そして、この黄金とアヘンという視点から歴史を見ないと、この地上世界の動きが捉えられないのも事実です。

 堀川辰吉郎の裏天皇グループは、地域としては満洲を新エルサレムとする日本中心のNWOを見越して動いていたでしょう。そして、その日本中心のNWO実現に必須なのが莫大な黄金であり、黄金奪取のためにも、軍や人々を動かしていくために必要としたのがアヘンの製造と売買だったのが見えています。
 この裏天皇の計画を実現していくためには当然ながらその実働部隊が必要です。日本が日清戦争以降に大陸進出に伴い数々設立されていったのが「特務機関」でした。この「特務機関」こそが裏天皇の実働部隊だったでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第11話 ― 裏天皇の実働部隊

特務機関の役割 〜特務機関の一覧とその始まり


正確な詳細は、『いちらん屋』さんというサイトの「日本の特務機関・特務工作機関の種類一覧」に目を通して見て下さればいいのですが、その情報から特務機関の一覧を下記のようにしました。出されている特務機関の名称全てと、説明の一部を抜粋させていただきました。それをこちら側で3つに大別・分類しています。

日本の特務機関・特務工作機関の種類一覧
名称 説明
梅機関(※①) (中略)
土肥原機関(※①) (中略)
ゼスフィールド機関
(※①)
(中略)
甘粕機関(※②) 陸軍大尉の甘粕正彦によって設立された民間の特務機関で、満州国と関東軍をバックに付け、 満州国の国策であった阿片(アヘン)の中国国内での密売を茂川機関や松機関と共に行っていました。
茂川機関(※②) (中略)
松機関(※②) (中略)
里見機関(※②) 里見甫によって設立された民間の特務機関で、関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。
興亜機関(※②) (中略)
児玉機関(※②) 児玉誉士夫によって上海で設立された特務機関で、軍事物資などを海軍航空本部に納めていました。(中略)...
水田機関(※②) (中略)
昭和通商(※②) (中略)
明石機関(※①) 陸軍大将の明石元二郎が日露戦争中に創設した特務機関です。
日露戦争中にロシアを内部から弱体化させるために、(中略)...ロシア革命を支援する工作を行いました。
F機関(※①) (中略)
岩畔機関(※①) (中略)
光機関(※①) (中略)
南機関(※①) (中略)
板西機関(※①) (中略)
ハルビン特務機関
(※①②)
...(中略)ハルビン特務機関は後に関東軍配下に入り、関東軍情報部へと改編されました。
関東軍情報部
(※①②)
ハルビン特務機関を改編した組織で、天津特務機関、奉天特務機関、大連特務機関、アパカ機関など多くの特務機関が属していました。
アパカ機関(※①) (中略)
蚌埠特務機関
東機関(※①) (中略)
河辺機関(※③) (中略)
有末機関(※③) (中略)
辰巳機関(※③) (中略)
服部機関(※③) (中略)
山崎機関(※③) (中略)
野村機関(※③) (以下略)
いちらん屋より引用
※註:名称の後の(※①)(※②)(※③)はシャンティ・フーラで独自に分類したものです。

このような整理されたまとまった情報が出されてあるのはありがたいことです。

これほど多くの特務機関が表に情報として明かされている(表に現れていない特務機関はまだ多く隠れているでしょうが)のには少々驚きますが、この一覧に目を通してみれば「特務機関」の任務が大まかに見えてきます。

特務機関は秘密の部隊で特殊業務に携わっていますから、どの特務機関でも「諜報活動」は必須です。この上で一覧の特務機関を見ていくと、次のように大別して分類できるのが分るでしょう。

独立支援などの特殊軍事活動。
阿片の取引に関するもの
③戦後に設立されたもので、主にはGHQやCIAに協力

表された特務機関一覧を見ていけば、③は戦後に設立されたものなのでこれを除くと、日本の特務機関はそのほとんどが満洲を中心として、中国大陸そしてアジアで活動していた事実が浮かんできます。

「関東軍情報部」そのものが特務機関の一つとして一覧の中にありますが、特務機関の全般と関東軍は密接な関係にあったでしょう。

無論、関東軍とそうであるならば、特務機関全般は満鉄とも密接な関係にあった、というよりも満鉄には調査部があり重要な活動をしており、この満鉄の調査部が特務機関全般の元締め的な位置づけにあったようにも思われます。巨大国策企業であった満鉄、その満鉄の調査部こそが「特務機関」そのものだったでしょう。

満鉄調査部の活動を支えた奉天の満鉄公所(絵はがき)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第8話 ― 実験国家・満洲国の建国

 京都とは秦氏が作った都であり、京都=平安京=エルサレムです。
 さて、満洲建国の首都は「新京」と名付けられました。私などは字を見れば「新“京”?」「ああ、京か、新エルサレムだな」と、こうすぐに思ってしまいます。ただし「新京」と言っても「新しい京都(平安京=エルサレム)」とは限らないのでは?」との疑問があっても当然ではあります。
 ところが、“京”特産、“京”名物、“京”織物、“京”料理、“京”野菜、“京”間…等々、“京”の一文字がそのまま京都を示す事例は多いのです。新たな国の新たな首都を意味するだけならば「新都」でもいいのでしょうが、これだと都の個性が出ません。わざわざ「新“京”」としたのは、名付けた主体者が「京都」を意識し、その名称に触れた者に「京都」を連想させる意図があったように見受けられます。新たな“人造国家”満洲建国に求められる役割は、新首都「新京」の名称に込められていただろうと思う次第です。
 満洲国創設の動きは1904年に勃発した日露戦争、もしくはどう遡っても、1894年に勃発の日清戦争がその始まりと見るのが普通で、それは正しいでしょう。
 しかし、あえて言えばこういった数十年単位の構想のみで、満洲の建国が果たされていったわけでもないと思えます。満洲建国は世界統一国家のモデルとしてなされたと受け止めています。中国大陸にて世界統一国家建設に向けた「破壊と構築」のモデル実験は、満洲建国の数百年前からなされていたはずだからです。
 ミトラ・マイトレーヤのホワイト・ロッジの中国大陸への介入がそれであり、その具体例としては「1351年の紅巾の乱」まで遡れるでしょう。
 こういった数百年単位の動きの底流があって「新エルサレム」の実験を行うべく満洲建国がなされたと思えるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第8話 ― 実験国家・満洲国の建国

満洲皇族と八咫烏の関わり 〜「嵯峨浩」の出自


満洲国とは関東軍の傀儡国とも言えるのですが、それでもやはり、その国家元首は当然ながら重要です。清朝は満洲族が創建した国家でした。その清朝最後の皇帝が愛新覚羅溥儀であり、その溥儀が満洲国の元首として選定されたのです。

満洲帝国軍大元帥服で皇帝に即位する溥儀
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さて、満洲皇族たちの代々の居城が言うまでもなく紫禁城でした。清朝崩壊後もしばらくは満洲皇族たちは紫禁城にありました。この紫禁城に裏天皇・堀川辰吉郎の居住場所があったことは、大正編 第11話で見たとおりです。

落合莞爾氏によれば溥儀の摂政を勤め、清朝末期の満洲皇族の中心だったのが醇親王、この醇親王のはからいによって、満洲皇族との対応を担当した堀川辰吉郎が紫禁城内に居住場所を構えることになったようです。

この事実にたてば、満洲国設立にあたり清朝最後の皇帝溥儀が満洲国元首になったこと、これに堀川辰吉郎・八咫烏が関わっていないはずなどないのは全く明白です。

そして満洲皇族では、溥儀の弟の愛新覚羅溥傑も八咫烏絡みであるのが見て取れて興味深いです。愛新覚羅溥傑本人そのものよりも、その妻の出自に目を引かれるのです。

溥傑の妻が嵯峨浩」です。自伝『流転の王妃』を著した女性で、侯爵嵯峨家(公家華族)の長女とウィキペディアの「嵯峨浩」記事にあります。

ただし、嵯峨浩は嵯峨家の娘ではありますが、この記事の系図をみれば分るように、嵯峨浩は同時に中山忠光の忘れ形見の中山南加の孫娘でもあることが分かります。

中山家、嵯峨家、満洲皇族の系図
Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [Public Domain]

中山忠光とはいかなる人物であったか?

倒幕、そして明治維新を導いた中核組織が、八咫烏の政治組織として結成された「天忠党」でした。この天忠党の下部組織に「天誅組」があり天誅組の主将が中山忠光だったのです。

幕末期、中山忠光は天忠党総督・中山忠伊(光格天皇の皇子)の采配の元に決起挙兵、「大和天誅組の変」を起こします。しかし敗走し、長州に逃れ潜伏。ところが、そこで中山忠光は斬殺され、非業の死を遂げたのでした。

中山忠光は、五龍会の中心・黄龍会の初代総裁でもある中山忠能の息子でもあります。忠光は長州の地にて非業の死を遂げますが忘れ形見、中山南加を遺していたのでした。

この中山忠光の遺児である中山南加の孫娘が嵯峨浩だったのです。八咫烏の政治組織の重要人物で、かつ非業の死を遂げた人物の血流を引く女性が、愛新覚羅溥傑の妻となっているのです。

八咫烏は本来政治活動を行わず、それで八咫烏の政治組織として江戸期に結成されたのが「天忠党」でした。同様に五龍会も八咫烏の政治組織であり、五龍会とは「天忠党」の後継組織とも見なせます。

中華民国初代大統領の孫文も五龍会、とりわけ黄龍会の中山家とは深い関わりがありましたが、満洲皇族たちとも五龍会が深く絡んでいたのは明白でしょう。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第2話 ― 満洲国設立へ

日本は今もなお「満洲」の呪縛に囚われたままであるように私には見えるのです。
 その著書『満洲暴走 隠された構造』のプロローグの中でこう語られているのが安冨歩氏です。この呪縛とは日本に植え込まれた「植民地根性」であり、「立場主義」であるとの見解です。
 またこの呪縛とは、満洲を植民地化、つまり都合で支配したことを意識化せず眼をつむっているうちに自分が「被植民地化」している事実、支配されてしまった不自然な状態にあることに気づかず、その被植民地の状態で与えられた「立場」のみを重視し、本来の自分とは遠く隔絶した状態に縛られている事実、こういう言い方もできるでしょうか。

 安冨歩氏はこの著書の中で語ります。
この植民地化された魂は、日本を、特に支配的な地位にいる政治家・官僚・大企業の経営陣などなどを、覆い尽くしています。
 現在の日本、まさにこの安冨歩氏の指摘どおりです。現在開かれている国会中継を視聴すれば、「植民地化された魂」が、そして支配された立場からその立場を死守しようとする「立場主義」が、続々と延々と登場しているのに気づくでしょう。
 話の論点をすり替えて誤魔化して事実を隠蔽しようとし、事実が表に現れていないうちは平気でウソを通し、事実が表に出てきてもなお誤魔化し隠蔽しようとする…。
 彼らが必死で守ろうとしているのはいかに大きな既得権益があるかは知りませんが、支配される中で与えられた小さな部所であり、立場に過ぎません。
 そして、そうやって彼らが本来の自身の生命を削りながら奴隷根性で立場を死守しようとする行為は、法治国家や民主主義を破壊していく暴走でもあるわけです。
 こういった現在の日本の姿は満洲支配呪縛の継続でもあったようです。

追記:石原莞爾のドイツ留学の年号(正しくは1922年)とそれに続く一文を訂正させていただきました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第2話 ― 満洲国設立へ

満洲支配への背景


満洲、その地域についてはウィキペディア記事では以下のようにしています。

おおむね北辺はスタノヴォイ山脈、南辺は長城、西辺は大興安嶺、東辺は鴨緑江・図們江 (豆満江) の内側を想定している。しかしながら、マンチュリアの範囲は歴史的変化に伴い、その範囲は伸縮していた。

日本で満洲と呼ばれる地域は、満洲国の建国時の地域全体を意識することが多く、おおよそ、中華人民共和国の「東北部」と呼ばれる、現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を範囲とする。

満洲(マンチュリア)の範囲
Wikimedia_Commons [Public Domain]

日本から言えば、いわば満洲とは満洲と蒙古、つまり「満蒙」とういうことになります。この地域に流れる中心河川がアムール川です。このアムール川(黒竜江)にちなんで玄洋社(=白龍会)の内田良平が中心となって黒龍会を組織したのが思い出されます。

要するに、八咫烏並びにその政治組織である五龍会は、早くからアムール川(黒竜江)の流域地域を掌握していくことを見越して行動していたということでしょう。

また、明治天皇(大室寅之祐)の曾孫を自認・自称する張勝植氏が主張する“高句麗”は、地域としてはその範囲は更に大きく拡大しますがこの満洲、満蒙の地のことも指しています。

張勝植氏のその著書のP32~33にて“高句麗”は中国(清国)を含み、ユーラシア大陸の大半、南はコーカサス山脈から北はウラル山脈、その一帯より東側は全て“高句麗”の版図だとしています。

また、蒙古のチンギス・カンも高句麗家そのもので、その象徴が八咫烏だと語っています。

チンギス・カン時代のモンゴル帝国最大版図
Wikimedia_Commons [Public Domain]

張勝植氏が奉じていて、明治天皇(大室寅之祐)も奉じていたとされる「教旨」とは、神ではなくハイアラーキーの計画書でした。また一方、八咫烏の背後にはハイアラーキー、銀河連合、星の教団がありました。

要は、日本が朝鮮半島から満蒙の地を併合していくのはハイアラーキーや銀河連合の計画であり、八咫烏にしても明治天皇(大室寅之祐)もその司令に順じていたということになるでしょう。

さてこの満洲ですが、安冨歩氏は満洲地域には、その経済社会形態が他の中国の各地域のそれとは大きく異なった特徴があると指摘されています。

安冨歩氏は『満洲暴走 隠された構造』の中で満洲の経済社会構造の研究をされた石田興平教授と米国の地理学者・人類学者・歴史学者G.W.スキナーが、第2次世界大戦直後に四川省で行ったフィールドワークに基づいて提唱した「定期市ネットワーク」を比較します。

そのことによって満洲と華北などの他地域での中国地域の経済社会形態の相違と満洲の特殊性を明かしています。


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歴史の襞の中から6 ― 医療界の闇より ―

 「新型コロナの切り札となるワクチン接種を。」国会でメディアでこの言葉を聞くたびに心底うんざりとします。
 それでも、ようやく国会の中で「イベルメクチン」のことが取り上げられ、田村厚労大臣の口からもイベルメクチンのことが語られていたのは、一縷の光になるかな?との思いもあります。
 今回の新型コロナワクチンのとてつもない危険性といおうか、害毒についてはシャンティー・フーラの記事で多く取り上げられてきました。人間としての生命を終了させてしまうようなワクチンが、今回のコロナワクチンと言えるでしょう。
 しかし、マスメディアではその実際の危険性と害毒を決して取り上げず、報じません。それどころか、過去から現在に至るまで、マスメディアはワクチンの実態を取り上げるどころか、その偽りの効能を喧伝してきたのです。製薬会社を含めた日本の医療界とマスメディアが結託した日本民衆への洗脳行為です。
 マスメディアと結託し、それが「医療行為」だと宣言されれば、それが本当は生体実験であったとしても、その医療界の行為は全て許されてきた。実際に集団予防接種や大量被爆が強いられるX線検査を強制された私などには、この感が強いです。
 医療界もまた大きな問題といおうか、深い闇を抱えていたようです。そして、その闇とは結局人間をどう見るか?にかかってくるようです。
 医療界は日本の民衆を利用価値の有無の視点から、そしてゴイムと見る傾向が強かったのでは?と思わされます。
(seiryuu)
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歴史の襞の中から6 ― 医療界の闇より ―



表沙汰になった日本の臓器移植問題 〜日本の医療界を抉った石垣純二氏


ご隠居、今日でこの旅路も終了のようでやすが、一連の話の語り手、歴史の証人であった瀧山澄子さんの父親であった石垣純二氏にはいくつもの裏の顔があったとのことでやしたが、具体的には?

そうだね。石垣純二氏については、2015年12月の公開された情報の中で既に次にのように語られている。基本的にはその内容が全てともいえるかもしれないね。

彼は今上陛下の家庭教師の一人でした。日本国の裏の特捜のドンでもありました。マッカーサー元帥やケネデイ家とも親交があり彼らとは親友だったと聞いております。また内務省出身という立場で国内外の悪人退治を昭和50年病で倒れるまで行っていました。

ふーむ、「マッカーサー元帥やケネデイ家とも親交があり彼らとは親友だった」。これは石垣純二氏の祖父、そして母がイギリス系だったことにやはり関係が?

うむ。そうだね。
滝山氏は幼少時に石垣純二氏のはからいによって、ケネディjr.とキャロラインの兄妹と遊んだことがあったと語られていたね。あの暗殺事件の後、ケネディ兄妹はしばらく日本に避難していたようだ。
石垣純二氏とケネディ一家とは相当の深い繋がりがあったのは確かなようで、その背景には石垣純二氏の祖父、そして母がイギリス系だったことが、やはり関連してくるのだろうね。

なるほど。
で、石垣純二氏は日本の内務省にあって、裏の特捜のドンとして指揮をとっていたとのことでやすね。

そうだね。
石垣純二氏が日本の裏の特捜のドンであったとの情報、これは表情報のどこにも出てこないので情報の裏取りができず、深入りはできないが、…
うん、まぁしかし、あくまでも想像の世界だが多少の推測もできないこともないね。

そうでやすね。
石垣純二氏についてコトバンクには、
内務省衛生局に入り、厚生官僚の道を歩む。
また、
日本医師会などを批判し、43年の和田寿郎の心臓移植手術では“和田心臓移植を告発する会”を組織するなど、医療、福祉全般にわたり鋭い評論活動を続けた。
とありやすね。

そう。
石垣純二氏が裏の特捜のドンだったとすれば、彼が内務省の厚生官僚であったのは表情報からも確かだから、石垣純二氏は主には医療関係の犯罪捜査に従事していただろうとは想像できるね。

「43年の和田寿郎の心臓移植手術」、これはいってぇどんなものだったんで?

昭和43年(1968年)、札幌医科大学胸部外科チームを主宰していた和田寿郎が起こした事件だね。
和田寿郎たちは溺死事故を起こした21歳の男子大学生から摘出した心臓を、18歳の心臓弁膜症の男子高校生に移植した。心臓移植を受けた男子高校生は一時的に回復の傾向を見せたが、結局は手術後3ヶ月もたたずに死亡した。
この心臓移植手術を巡るドス黒い事件だね。

右から二人目が心臓移植手術をする和田教授

ドス黒い事件❓ ふーむ、脳死・臓器移植に関する問題でやすね。
昭和43年1968年か、確か脳死・臓器移植が日本社会で大きな話題になったのは立花隆著の『脳死』が発表された1986年以降でやしたから、随分早い時期でやすね。
それでこれがドス黒い事件とは?

この事件は、ネットでも詳しい情報があるからそれを参照すればよいが、まず溺死したとされる21歳の男子大学生に対し、札幌医科大は蘇生への適切な処置を行わず、脳死判定の適切な処置も全く行っていなかった。この男子大学生への殺人罪が疑われる。
そして心臓移植を受けた男子高校生、こちらも心臓移植を希望していたわけでもなく、心臓移植が必要な病状でもなかった。それにも関わらず男子高校生から心臓が摘出され、代わりに溺死したとされる大学生の心臓が移植され死亡に至っている。男子高校生の摘出された心臓はしばらく行方不明だったようだ。こちらの高校生への殺人罪も疑われる。

ウワーッ❗ひでぇ話だ。
始めから臓器移植の実験、生体実験ありきで進められた手術のようでやすね?

そうだろうね。
和田寿郎は殺人罪等で刑事告発され、嫌疑不十分で不起訴となっているが、ただし、限りなくブラックに近いグレーでの不起訴の印象だね。
この事件の捜査に石垣純二氏が携わっていたんだろうね。

ふーむ、ひでぇ事件でその実行者が不起訴に終わっていやすが、調べ直すと、心臓移植手術がその後日本で再開されたのは1999年でやすね。
日本の臓器移植手術が約30年間止まっていたのは、この「和田寿郎の心臓移植手術」事件とそれに対する石垣純二氏たちの対応が大きな影響を与えたようでやすね。

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