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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第8話 ― 日本の911

 1991年(平成3年)末に解体されたソ連では、その国富がアメリカの資本家ユダヤ人と連携する国内のユダヤ人を中心とするオリガルヒに食い荒らされていきます。これは世界で次々と起こされてきた典型的な光景の一つで、こういった事態創出の一つの原点が、1973年911の「チリ・クーデター」でした。
 「チリの911」によってチリ国民から民主的に選ばれたアジェンデ政権は、ロックフェラーの部下であるシカゴ学派などに率いられたピノチェトに倒されます。以来チリは軍事独裁政権の体となりますが、チリを本当に支配したのは新自由主義者たちでした。パワー・エリートであるロックフェラーの部下にチリという国家・国富が丸ごと私物化された事態でした。
 その後も、チリを食い物にした新自由主義者たちなどパワー・エリートの手先は、世界のアチラコチラにその食指を伸ばします。その中で1991年のソ連解体が起きたのです。そしてついにパワー・エリートの手先達は、2001年911には米国多発テロを起します。「911テロ」です。911テロは自作自演であり、米国政府自身が米国民を攻撃したものです。この結果成立させられた「愛国者法」によって米国憲法は完全にその機能を停止してしまいました。
 攻撃の手口そのものは異なる部分が大きいのですが、政府が国民を攻撃するという意味で、同様のことが日本で起きたのが2005年(平成17年)911でした。この日、いわゆる郵政解散を受けた第44回衆議院選挙、いわゆる郵政選挙が行われたのです。この日を境にして、日本という国家はその質が大きく変わっていくことになるのです。
 当時この郵政選挙は、刺客云々で連日大きな話題としてメディアに取り上げられましたが、毎日どの時間帯にでも小泉首相の映像とワンフレーズが流されていました。莫大な量のCMの洪水でした。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第8話 ― 日本の911

電通の「B層戦略」


「B層」なるフレーズがあります。日本国民に対する相当に失礼なフレーズですが、このフレーズが作られたのが2005年(平成17年)8月の衆議院解散に伴う総選挙時でした。この総選挙は9月11日に実施され、「郵政選挙」と呼ばれます。あの2001年の米国「911テロ」の4年後の「日本の911」です。そして、この郵政選挙に際して「B層」なるフレーズを作ったのが広告会社です。ウィキペディアの「B層」記事では以下のようにあります。

国民を「構造改革に肯定的か否か」を横軸、「IQ軸(EQ、ITQを含む独自の概念とされる)」を縦軸として分類し、「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層を「B層」とした。B層には、「主婦と子供を中心とした層、シルバー層」を含み、「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層、内閣閣僚を何となく支持する層」を指すとされる。

広告会社は郵政選挙の戦略として、国民をA, B, C, Dの4つの層に分類したとされます。
  • A層は「IQ」が比較的高くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層、
  • B層は上にあるように「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層としています。
  • C層は「IQ」が比較的高くかつ構造改革に否定的な層、
  • D層は「IQ」が比較的低くかつ構造改革に否定的な層とされたようです。
広告会社は日本国民の大多数がB層に属すると分類し、そこにターゲットを絞った選挙戦略を建てていったということです。


このように日本国民を分類していったのは、ウィキペディア記事では「宣伝企画の立案を自民党から受注した広告会社・有限会社スリード」としていますが、実際にはその背後にあって「B層戦略」を実施していったのは電通となるでしょう。

苫米地英人 著『現代版 魔女の鉄槌』 に次のようにあるようで、これはこの通りでしょう。

小泉政権(2001~2006)の当時、電通がB層戦略を展開し、郵政民営化などの政策を後押ししたことは周知の事実です。B層戦略とは、人間をAとBの2つのグループに階層分けし、数が多く操り易いB層に向けて集中的に働き掛けていく戦略です。
ちなみにB層と言うのは、自分で考える力がなく、テレビや新聞・雑誌しか見ない人達。A層は、自分で考え判断する力があり、多様な情報ソースを持つ人達。電通は「B層のBが、バカの頭文字Bであるというのは誤解」としていますが、そうした誤解も強(あなが)ち間違いではないと思えるのが、B層戦略の真骨頂です。
さて、テレビや新聞などで何度も何度も同じ内容が繰り返されると、B層はいつの間にかその内容を自分の考えであるように思い込んでいきます。そこで、B層戦略では、キャッチーなワンフレーズを繰り返します。ただ繰り返していれば、遅かれ早かれB層は、その言葉を信じるようになるからです。

前回に森田実氏の発言で、「ウォール街は、多額の広告費を日本に投入し、日本のテレビを動員して、日本国民をマインドコントロールして、小泉首相を大勝利させる方向に動いている。」その額は「桁違い」の額だと言うのを見ましたが、その投入された広告費の多くを電通が受け取っていたと見るのが自然です。



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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第7話 ― 郵政解散

 日本での相対的貧困があり、それは1人世帯の月収に換算すると12万7000円で、いまやその12万7000円以下の生活をしている人が日本に2000万人いるとのことです。2000万人の相対的貧困層…、「米百俵」の話はどうなったのか?と問いたい。
 「米百俵」とは2001年に首相に就任した小泉首相が、5月7日の所信表明の最後部分で取り上げた話です。窮乏していた長岡藩に米百俵が送られた。しかしその米を飢えた藩士は消費せずに「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」との提案を実施したというものです。今の非常に苦しい状態を忍んでも、未来に投資すれば明日の繁栄になって返ってくるという喩えです。小泉所信は構造改革を進めるとし、その実施は当初は苦しく痛みがあるが、未来の繁栄になる「痛みを伴う改革だ」として所信の最後部分に「米百俵」を持ってきたのです。
 小泉内閣が改革の本丸としたのが郵政民営化で、それはなされました。他の種々の構造改革も実現し、現在も継続中です。現在がその小泉所信から22年後の未来です。…
なにか国民に返ってきた良き成果はありましたか?
国民は激痛だけを押し付けられ、徹底的に毟り取られて貧困が進行、国家は衰亡の道をひた進んでいます。構造改革は「米百俵」ではなく「国家衰亡の道」だったのです。
 すでに結果はでており、そんなことは始めから分かりきっていたことでした。特に当時郵政民営化を担当した大臣の竹中平蔵氏は、どんな結果になるかはよく分かった上で政策という名の窃盗を進めてきたのです。新聞「農民」2001.5.21付のように、即座に小泉所信の詐術を喝破していた人たちもいましたが、多く日本国民は騙されました。小泉首相はペテン詐術の天才ではあるなと思います。背後にはメディアの全面バックアップがありはしましたが…。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第7話 ― 郵政解散

詐術の「イラク特措法」


「法律上、自衛隊が派遣されるのは非戦闘地域となっている。だから自衛隊が活動している地域は非戦闘地域…」
このようなふざけた答弁を小泉首相がしていたのが今更ながらに思い出されます。

この答弁は2004年(平成16年)11月の国会での党首討論においてのもので、2003年3月に始められたイラク戦争へ派遣された自衛隊の活動をめぐる質疑に対するものでした。小泉首相は「どこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域か、私に聞かれたって分かるわけがない」とも答弁していました。極めて不誠実で無責任な答弁を平気で繰り返したのです。


2001年(平成13年)9月11日の「911テロ」を受けたブッシュJr. 政権の「対テロ戦争」をいち早く支持した小泉内閣は、米軍のアフガン侵攻が始まると、兵站分野で自衛隊が作戦協力するため、2001年11月にテロ対策特別措置法を公布し、主に給油活動を行うとしてインド洋に自衛隊を派遣していたのでした。次いで2003年7月には、米国や英国のイラク戦争に協力するためにいわゆるイラク特措法を成立させ、同年12月からイラクに自衛隊を派遣していたのです。

イラク特措法はで、積極的に人道復興支援活動・安全確保支援活動を行うことを目的とする日本の法律(ウィキペディア記事)と建前上はなっています。しかし実際には、この法律は現実と全く乖離しています。まず法律では「イラク戦争後」となっていますが、イラク戦争は全く終わっているどころか自衛隊派遣時には戦闘は激しくなっていたのです。外伝88で見た『長周新聞』の「アメリカ軍、イラクで大量虐殺 住民880人殺害、1800人負傷 「虐殺支援」の自衛隊」という見出し通りが現実でした。

2004年4月の米軍によるファルージャでの住民大虐殺、それに憤怒したイラク人がイラク全土で「占領軍撤退」を求め、武力闘争がまき起こされていたのです。イラク全土が戦闘中で、「非戦闘地域」などはありません。ましてや、自衛隊派遣の目的がイラク人民に対する「積極的に人道復興支援」などチャンチャラおかしいフレーズです。ブッシュJr. 政権に付き従い、米軍の住民虐殺に加担したのが自衛隊派遣、しかも自衛隊員を心身ともに極めて危険な状態に、これが現実です。イラク特措法など嘘とペテン詐術の塊です。

アフガン侵攻への協力もそうですが、もちろんイラクへの自衛隊派遣などは、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を3原則とする日本国憲法に著しく違反しているのは明瞭です。小泉首相はそんなことは承知の上(解ってもいなかった可能性もありですが)で、憲法違反などはせせら笑って国会でペテン答弁を繰り返していたのです。彼の眼には、日本国民も自衛隊員もイラク民衆の姿も入っていなかったでしょう。彼にはパワー・エリートの代理人からの脅しと、ワイロ懐柔が全てだったはずです。彼は鞭と飴に踊らされた役者、というのが公平な見方でしょう。

Wikimedia Commons [Public Domain]


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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第6話 ― 小泉政権の誕生

 昔、ハマコーこと浜田幸一というヤクザ上がりの国会議員の名物男がいました。そのハマコーが小泉純一郎元首相に「この芸者殺し野郎!」と名指したのは有名です。特に下ネタが絡む裏情報は、ヤクザ業界ではあっという間に広まるのはある種の常識です。ヤクザと政治家は切っても切れない仲ですから、「小泉氏の芸者殺し」は政治業界界隈でも有名だったでしょう。
 これは小泉氏の「小はん殺し」、小泉氏の愛人だった新橋芸者小はんが突然変死した事件として、ネットには多くの情報が出ています。小泉氏には妙な性癖があり、「女性との最中に首を絞めて楽しむ」というもので、それが行き過ぎて小はんを死に至らしめ、その後始末に狂奔したというのが事件の概要です。
 この事件発生は1992年5月、すでに小泉氏はこの当時YKKの一角として政治家として名を売っていました。事件が事実であり発覚すれば、小泉氏は政治家どころか社会人生命は破滅です。果たしてこの事件は事実だったのか?
 …引用の記事(編集者註:アーカイブはこちらはもう見られませんが、2013/08/25の竹下さんの記事を見れば、事件になるような事実はあり、最中に首を絞められた小はんは気絶、ただし命はとりとめていたようです。
 しかし「女性を絞め殺した」とされた小泉氏は恐喝されていったようです。小泉氏自体は多分「とうとうやってしまったか…」の思いだったでしょう。何故か?
 彼は若い頃から同じようなことを繰り返していたからです。小泉氏は真正のサディストだったはずです。その彼が長く日本の総理大臣を勤めるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第6話 ― 小泉政権の誕生

ロシアと日本、真逆の道に


ロシアでは、政治家となったウラジーミル・プーチンが1996年にボリス・エリツィン政権に参加。連邦保安庁長官、連邦安全保障会議事務局長を経て、1999年8月に首相に就任。同年12月にエリツィンが辞任、プーチンが大統領代行に指名され、2000年にはロシア大統領選挙を制して大統領に初当選しました。

大統領就任式典で就任宣誓を行うプーチン(2000年)
Author:Kremlin [CC-BY]

同時期の日本では、1998年夏に橋本内閣から小渕内閣が政権を引き継ぎましたが、小渕総理が2000年(平成12年)早々に突如として病に倒れます。小渕総理はそのまま不可解な死去となり、2000年4月に密室の談合から森喜朗内閣が発足。


2000年にロシアはプーチンが大統領に、日本は清和会の森内閣に。ここでロシアと日本は真反対の道を歩んでいくことになります。

1991年末にソ連が解体されて成立したエリツィン大統領のロシアは、基本がハザール・ユダヤの勢力であるオリガルヒたちに、その国富が散々に食い荒らされてボロボロの状態になっていきます。

その中で、出世街道を歩んでいたプーチンはエリツィンの忠実な部下と見られ、プーチン大統領は引き続いてオリガルヒに有利な政権運営を行うと見られていました。しかし、その見方は完全に覆されていきます。大統領となったプーチンはロシアからオリガルヒを追放し、オリガルヒに繋がっていた政治家や政商も放逐していきます。

プーチン大統領と後に投獄されるオリガルヒの代表格ミハイル・ホドルコフスキー(2001年)
Author:Kremlin [CC-BY]
ホドルコフスキー(2001年)

1993年(平成5年)夏に来日され、その講演録『元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌』にて、アレキサンドル・イワノフ氏が最後部分で語っていた内容、「ユダヤ人たちは再びロシアの権力を握ったと思っているだろうが、しかしそれは続かないだろう、やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう。私(イワノフ)は固く信じている」。その予言が、プーチン大統領の登場によって事実となっていくのです。

ボロボロになっていたロシアはプーチン政権下のもと復活していき、旧来以上の発展を遂げ、いまや地上世界の光となっています。しかし日本は、そのロシアとは真逆のコースを辿っていくことになります。

すでに日本は、90年代に長引く不況から「日本の市場の明け渡し(市場開放)」「構造改革」路線に乗せられ、経済的に疲弊しました。ただここまでは日銀とメディアは別として、日本国内の勢力による目立った「日本売り」の動きは見られませんでした。

ところが2000年の森喜朗内閣以降は、日本ではアメリカ側と結託していたであろう売国奴たちが白昼堂々と跋扈するようになり、日本を更にボロボロにしていきます。アメリカ側から逐次命令されるわけでもなく、自らが進んでアメリカ側に隷従して積極的に日本を破壊していくのです。

それは経済だけでなく、法を捻じ曲げて破壊し、何よりも日本のリーダーたちからその倫理観を奪っていくのです。いわゆる「今だけ、金だけ、自分だけ」の世界です。

この日本破壊の流れを確定させたのが、2001年4月の自民党総裁選でした。


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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第5話 ― 裏切られた総理大臣

 近頃は高市大臣の振る舞いに見られるように、安倍政権以降は見るに耐えない光景が連続するようになりました。
即ち、
  • 「ウソしか言わない。」
  • 「ウソがバレて明々白々となってもどこまでも白を切る。」
  • 「(意図的な)あやまちをすべて有耶無耶にして決して責任を取らない。」
こういった振る舞いです。
これが日本のトップたちです。「恥ずかしい」という概念を全く置き忘れてしまった連中の醜悪さです。

 今更ながら、小出裕章氏の語ったことが思い出されます。東日本大震災の数カ月後、「日本の未来を開くには?」との設問にこう答えたのです。
  • 「まっとうな生き方の尊さ」
  • 「まっとうな生き方とはウソをつかないこと。そして人間はどうしても過ちを犯してしまうもの、その時気づけばその過ちを認めて謝ること。これができている人はどんな人でも職業や性別・年齢関係なくまっとうな生き方をされていて、これが尊い。」
今でも本当にこの通りだと思います。
 現在の日本のトップたちは、醜悪な行動で「日本の未来を閉じている。」のです。しかし、経済悪化の苦境にあった90年代の日本のトップたちは、小泉政権や安倍政権から現在までのトップたちとは異なっていました。今に比べればずっと「まとも」だったのです。
 その一人となるのが橋本龍太郎首相です。彼は誤った政策を実行し、国民を大いに苦しめてしまいました。しかし、それは「良かれと思ってやったことが逆だった」のたぐいだったのです。そして、彼は率直にその過ちを認めて国民に謝罪もしています。今では決して見ることができなくなった光景です。
 ただし、こういった「まっとうな人」は邪魔者として消されていったのも事実です。そして愚かにも、それに加担していってしまったのは…。そうとは知らなかったでしょうが…。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第5話 ― 裏切られた総理大臣

デフレ化での緊縮財政の結末


現在にまで続く平成大不況が続いていた1990年代の日本、それまでどうにか持ちこたえていたのに、とうとう堰が切れたようになったのが1997年(平成9年)から1998年にかけての日本でした。日本の自殺者数が 1997年から1998年にかけ急増し、それまで2万人台であった自殺者が、1998年には3万人を大きく超えたのです。この当時、倒産・自殺の山が築かれました。


また、1997年11月に北海道拓殖銀行と山一證券破綻、1998年10月には日本長期信用銀行が破綻、1998年12月には日本債券信用銀行破綻、このように大手金融機関が破綻、それに失業率も大きく上がったのです。



この1997年頃に何があったのか?
日本では緊縮財政がひかれ、「消費税3%から5%へ引き上げ」「公共投資の削減開始」「新規国債発行停止」などが実行されました。当時1996年11月から1998年7月は橋本龍太郎首相の橋本内閣でした。橋本内閣は1997年1月に「行政、財政、社会保障、経済、金融システムに教育を加えた六つの改革」を掲げ、緊縮財政の実施に走ったのでした。「六つの改革」とは要するに「日本の構造改革」です。アメリカ側が欲求してきた「構造改革」に橋本内閣は舵を切ってしまったのです。



見たようにその結果は惨憺たるものでした。すでに日本はデフレ期に入っていました。その状況での「消費増税」「公共投資削減」「新規国債発行停止」この実行などはいずれも狂気の沙汰です。

まず①「消費増税」ですが、増税は経済活況で景気が加熱した状態であればクールダウンの効果はありますが、不況時の増税などはお金の動きを止めて、いよいよ経済状況を悪化させます。

次の②「公共投資削減」、確かに第2話で見たように、当時のブッシュ大統領の脅迫の「日米構造協議」から、日本は全く無意味無駄なものにGDPの10%以上を公共投資に費やされました。浪費の公共投資は悪ですが、しかし公共投資そのものを無くせば、それでもなくても民間事業は大停滞しているのに、日本から仕事そのものがなくなってしまいます。失業率が大きく上がった一大要因です。

そして③「新規国債発行停止」、たしかに「国債発行」そのものは国家をゆっくりと破綻させるものです。しかし根本のお金の発行の仕組みが銀行の貸し出し、つまりほぼすべてのお金が債務以外には作れない仕組みである以上は、国債をなくすとこの日本の市場からお金そのものが消失することを意味していました。当時において民間への銀行の貸し出しは絞りに絞られていたのですから。

デフレ下で実行された橋本内閣による緊縮財政は、
  • ① 日本国内におけるお金の動き回転を大きく停滞させ、
  • ② 仕事をなくさせ失業者を大量に生み出し、
  • ③ 日本の市場からお金そのものを消失させる、
こういうものだったわけです。

橋本内閣は、日本民衆を地獄に突き落とすような政策を実行してしまった。では、橋本首相が意図的に国民を苦しめるための政策を選択したのか?といえば、全く違って逆だったようです。


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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第4話 ― 大激震の背後で

 1989年の「日米構造協議」から数えると「日本の34年」となります。「市場開放」「日本構造改革」が現在まで継続中ともなっています。「市場開放」「構造改革」、言葉だけではピンときません。あえてそういう名称にしているのです。
 その中身は、現在の酪農家への日本政府の仕打ちを見ればわかりやすいのです。政府は酪農家に生乳の増産に踏み切るように促しました。しかし裏切り、現在では生産された生乳は廃棄させ、乳牛を殺傷するのに補助金を出しています。反面外国からの牛乳はどんどん輸入しています。これで日本の「酪農市場は開放された」ことになります。日本の酪農家を潰れさせ、その分以上に外国企業は利益を得る構図です。
 ごく簡単には、「お前の国内の企業は潰して、俺達所有の企業に利益を与えろ。」、これが「市場開放」です。そして「俺達が恒常的にずっと利益を得られるように、そのために邪魔なもの、たとえば法律や文化・伝統も捨てさせ、何もかも作り変えろ。日本を改造しろ。」、これが「日本構造改革」となります。
 こういった「市場開放」「構造改革」は名称はともかく、中身の手口は全く目新しいものではありません。英東インド会社がインドから略奪に略奪し、奴隷支配していった手口と基本的には同じです。彼らは名称だけは綺麗そうなものに付け替えて、同じやり口を繰り返すのです。
 譬えば、日本の酪農家が潰れたら…、そこには広大な農地と施設が残りますが、これは外国企業がタダ同然に入手しそうです。そしてその農地に、外国企業が現地の人を雇い入れて働かせば、植民地プランテーションの完成です。彼らはそうやって世界中に植民地プランテーションを作ったのです。
 さて、こう言った中身の「市場開放」「日本構造改革」を個別具体的に指示したのが「年次改革要望書」です。「年次改革要望書」の最初が出された翌年、日本列島は2つの大激震が走っていました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第4話 ― 大激震の背後で

今、大震災が発生すれば?


1995年(平成7年)1月17日早朝トイレに立っていた私、突然「どーん」という大きい音が響きました。
「何だ?ガス爆発でも起きたか?」
そう思っている間に続いて激しい揺れが大きく強く家屋を揺さぶります。
「ギシギシ、メキメキ、ビキビキ、バキーン!!」
私のところは木造家屋で、その梁などが折れ割れたのでは?
凍りつくような時間が長く続くきます。ようやく揺れが鎮まったあとは、本当に妙な長い静寂です。人の声も犬さえ鳴き声を一切上げないのです。何もかもが息を潜めていたのです。

阪神・淡路大震災の発生でした。幸い私のところは大きな被害にはなりませんでしたが、私の街でも全壊や半壊家屋があちらこちらに。テレビを見て情報を探っていると、やがて神戸の街が炎に包まれていきました。信じがたいような光景が続いていったのでした。


当時の日本の政府は村山内閣でした。今思ってもこの政権であって良かったと思います。大震災は人工地震であり、アメリカ側からの攻撃だった模様です。

神戸を中心とする関西圏の被害は甚大でした。その中でも当時の政府対応は「不幸中の幸い」だったのです。村山内閣は少なくとも被災者の救済に懸命だったのです。

また「不幸中の幸い」は他にもありました。被災者同士での助け合いや連携、そして外部ボランティアの数々…。何とかこの大災害の苦難を乗り越えようとの気概、そして実際の行動が当時に日本にはあったのです。

…しかし、現在の日本で再びあのような大震災が襲ったとすれば…、想像するだけでゾッとします。現在の岸田政権が被災者の救済に向かうでしょうか? 見せかけや言葉ではそのように装うでしょうが、「放ったらかし」で済めば良い方でしょう。

日本国民の救済どころか、安倍政権以降の日本政府は全く逆のベクトルで動いているのです。日本政府自身が日本の経済・産業を破壊し、「法」を「法の精神」を破壊し、「日本国民殺し」を多角的に敢行してきているのです。現在であれば、「被災者の放ったらかし」だけでなく、被災地に敢えて種々の酷い犯行を行わせるようにするのではないでしょうか?

そうやって被害を更に甚大に拡大させ、それでその原因は「法の整備ができていなかったせいだ。」とし、一気に「緊急事態条項」を成立させていくでしょう。大災害という人びとの不幸を利用した、どさくさ紛れの「火事場泥棒」「ショック・ドクトリン」という手口です。

現在において懸念・予想されている大災害は、「鳥インフルエンザ」の「人工パンデミック」のようです。実際にこうなれば、すでに「緊急事態条項」が成立していれば、日本政府は「緊急事態条」を宣言し戒厳令に入るでしょうし、成立していなければ、この災厄を利用して「緊急事態条項」を成立させていくでしょう。全く油断ならない状況にあるのです。



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