落合氏のサンカ分類 〜サンカの主力はタカス族?
『
國體忍者となったタカス族とアヤタチ』214頁で
落合莞爾氏は「(京都皇統からの)伝聞の順に従い」と前置きし、「厳密に分類したわけでなく重なっているものもある」として詳しい考察は今後の課題と断りながらも、サンカを以下のように分類しています。
❶上田サンカ … 丹波亀岡の上田氏で渡来イスラエル支族から選ばれたアヤタチと自称する。
❷朝鮮サンカ … 古墳時代に朝鮮半島から渡来したツングースを主力とする族種をサンクァと呼ぶ。
❸小目名サンカ … 林業に携わる「ヤマゴ」で東南アジア山岳民を比喩的にサンクァと呼ぶ。
❹地サンカ … 稲作地帯で農業補助作業を行う「箕作」を意図的に山窩と呼んだ。
❺山渡りサンカ … ステップ・ロードやシルク・ロードを経由して羅津(らじん)から渡来したタカス族を主力とする民族。
❻海渡りサンカ … 南島を経由して薩摩に渡来したタカス族。
❼タカス … 古代エジプトのミイラ職人の末裔で外科医、桶屋、臓器製薬業者。
以上を見ると
❺❻❼ともタカス、もしくはタカスを主力とする集団になりますが、続いて落合氏は次のように記しています。
私見ではこの❼の「タカス」がサンクァ概念の中心と考える。
古代エジプトのミイラ職人から発祥したタカスが、古くから全世界に拡散したのは、言うまでもなく広範な科学知識と精密な技術を体得していたからである。
古墳時代に日本に渡来したタカスが、大和朝廷のために基本設計をしたのが巨大古墳で、その築造に当たったのが『土師氏集団』である。また現場の土木作業員として働いたのは朝鮮半島の東岸から渡来したいわゆる“新羅人”である。
タカス族が古代エジプトのミイラ職人の発祥で、古墳時代に日本に渡来してきて、巨大古墳の基本設計をしたとの主張です。
また同書では、古墳の築造に当たった「土師氏集団」は
❸小目名サンカ、土木作業員の“新羅人”は
❷朝鮮サンカに当たるとしています。更には同書の225〜226頁に「造り酒屋にサンクァが多い」
「上原勇作ら薩摩武士までも山窩と呼んでいた」ともあります。
これらの分析は今回は置いておきますが、ただ全体としてこの
落合氏の説ならば、
サンカとはもとを糺せば外国からの渡来集団がそのほとんどとなります。
更には市街に定住していた数多くのサンカもいたことにもなります。
このサンカの見方は、
“定住せず自然と一体になって山を川を移住する漂泊の民”との一般的なサンカのイメージとはかけ離れています。
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盆と正月がいっぺんに来るような、てんこ盛りに冷静に対応できるかな?