禁酒法が無法時代を到来させた
禁酒法時代、違法となった酒造所に強制捜査が入り、ニューヨーク市警関係者立会いの下、捜査員によって下水道に廃棄される密造酒。
コトバンクの「
禁酒法」では次の記述があります。
1919年には禁酒法(ボルステッド法Volstead Act)が連邦議会を通過した(1920年施行)。しかしアル・カポネをはじめとするギャングによる密輸・密造を招き,それに伴う犯罪も増加し,いわゆる〈ロアリング・トゥウェンティーズroaring twenties〉と呼ばれる無法時代を生んだため1933年廃止。
上にある通り、
1920年台米国では暗黒街のギャングたちが、禁酒法を利してアルコールの密輸・密造などを通して一気に台頭して勢力を大拡大します。
そのギャングたちはシンジゲート化し、米国は無法時代になります。その多くのマフィア・ギャングたちの中で有名になったのがアル・カポネということです。
アル・カポネ
べンジャミン・シーゲル
アル・カポネはイタリア系マフィアでしたが、他に目を引く活躍をしたユダヤ系マフィアがいます。誰でも知る「ラスベガス」、この砂漠の不夜城のギャンブル王国を築いたのがユダヤ系マフィアです。『ヘブライの館2』の
「アメリカの暗黒街のユダヤ紳士」記事に次のようにある通りです。
ユダヤ・ギャングの殺し屋べンジャミン・シーゲル(別名バグジー)は、禁酒法時代にウイスキーの密売と麻薬で稼いだ資金を基にネバダの砂漠の中にギャンブル王国を築いた。組織犯罪全盛期に儲けた資金のその他の部分は、ハリウッドの映画制作会社に注ぎ込まれた。
べンジャミン・シーゲル(別名バグジー)は「ラスベガス」を築いたのですが、同時にハリウッドにも資金を注入したということで、ハリウッドがユダヤ系マフィアとは切っても切れない関係にあることが分かります。
このユダヤ・ギャングの殺し屋べンジャミン・シーゲルとは若い時から親しい関係にあり、かつ禁酒法時代から米国の暗黒街を牛耳っていった人物がいます。
ユダヤ系ギャングのマイヤー・ランスキーです。
マイヤー・ランスキー
マイヤー・ランスキーのウィキペディア記事では、
ユダヤ系ロシア人のギャング
当時ロシア帝国領だったグロドノ(現在のベラルーシ、フロドナ)でポーランド系ユダヤ人の両親の間に生まれる。1911年、一家で渡米し、ニューヨークのブルックリンのブラウンズヴィル、次いでマンハッタンのロウアー・イースト・サイドのグランドストリートに住んだ。
とあります。
気をつけるべき点があります。
マイヤー・ランスキーは「ユダヤ系ロシア人のギャング」と表記されますが不適切な表記です。
彼はロシア人ではなく、ロシア領から米国に移住したハザール・ユダヤ人です。
「(ハザール)ユダヤ・ギャング」と表記すべきです。
同様に「凶悪で知られるロシア・ギャング」といった表記をよく目にもしますが、これも誤解を招く表記です。彼らの多くもロシア人ではありません。
ロシア・ギャングとは、ほとんどがロシアから移住したハザール・ユダヤ人のギャングという意味になります。
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日本人の名前を見つけました。
どうやら、日本の人口削減に尽力したらしい。
「てめえ、どこの裏切りもんだ!」と、熱くなって調べたところ、
「なるほど、そういう方でしたか」という話。