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[第32回] 地球の鼓動・野草便り
「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話」を読んでーその(3)


「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話」を読んでーその(3)

▶︎ 前回からの続きです。


アマゾンのシャーマン(呪医)の病気の治療はとても興味深いものです。 『シャーマンの弟子になった民族植物学者の話』には、実際に病気を治す場面が3度出てきます。

1度は著者のプロトキン博士自身の治療でした。フットボールで痛めた昔の古傷が痛み出し、シャーマンに治してもらったのです。 以下はその時の具体的な体験談です。

どこかの畑から摘んできたばかりの綿花をもっていた。いろいろな精油の混ざったえも言われぬ香りがしている。綿花に浸した精油を痛む部分に塗りつけ、親指でよくすりこんだ。(中略)
シャーマンは乾いた煙草の葉を丸め、茶色いポノの木の実で作ったパイプに詰めた。(中略)
煙草の上に、砕いた薬草を散らす。以前ぼくが贈った箱マッチの1本を擦り、シャーマンはぼくの傍に腰掛けて煙草を吸いつけた。煙草のかび臭い臭いと、薬草の豊かな香りが小屋に漂った。
シャーマンは右手でそっとぼくのまぶたを閉ざし、精霊を呼び起こす呪いを唱えはじめた。(中略)
小屋の壁の一面が激しく揺れだした。まるで誰かが、あるいは何かが壁を通り抜けようとしているみたいだ。シャーマンは低くうめき、自分と、自分の身体を使って語りかけてくる何者かとで対話を始めた。(中略)
不意に壁がもう一度揺れた。われらが精霊が帰っていくのだ。ぼくたちは静寂に包まれた。マッチを擦る音がして、シャーマンは再びパイプに火を点けた。彼は優しくぼくの左手首をとり、腕を持ち上げて怪しい煙を肘に吹きかけ、親指で痛む箇所をさすった。それが三回繰り返され、さらにもう一度、綿の布でもこすった。
 また祈禱が始まり、ぼくは秋の風にとらえられた枯葉のように、下へ下へと漂い落ちた。とうとうぼくの身体は、苔の柔らかなしとねに落ち着いた。すると今度は小屋のてっぺんまで持ち上がり、自分のだらんとした身体に煙草の煙を吹きかけているシャーマンの姿を上から見ていた。
 シャーマンは呪いを口ずさんでいて、ぼくの身体はだんだんに床へ降りていく。(下巻107、108p)

この後、数日で肘の痛みが引き、7ヶ月は再発しなかったそうなのですが、シャーマンに儀式の解説や使った植物を問うても教えてもらえませんでした。それは、プロトキン博士がいくら勉強しても、この奥深い力に近づくことはできないと、言いたかったのだろうとプロトキン博士は書いています。


また、プロトキン博士は、アマゾン北部の奥地にいるヤノマモ族が使う、鼻薬は究極の薬品で、あらゆる癒しの出発点である精霊の世界と直に往来できるといい、実際に体験しています。

二種類の薬草の粉を鼻から吹き込むと、最初は頭痛や息苦しさを感じるのですが、五感が激変して、聴覚は鋭くなり、視界は広がり広角レンズで見ているみたいで、視界の隅では森の精霊が見え、更には遠くのワニが魚を求めてゆっくりと巨体を水に沈め、東の山々のイワドリの雄がミューミューと雌を呼び、オオギワシが樹冠をくぐってノドジロオマキザルを探し、豹が低く長く唸り声を発し、北の方では川の早瀬の白波、南の方では山々を覆った森に優しく雨が降り注いでいるなど、肉体を超えて超感覚になっています。
この鼻薬はナツメグの一種のニャクワナの樹液とマメ科の一種のヒシオミの種から作られています。

ユーラシアでは、トランス状態に入るためにベニテングタケを、メキシコのウイチョール族はサボテンの一種のペヨーテを食べていて、幻覚作用のある植物が使われています。また、中世ヨーロッパにおけるシャーマンと言える魔女が、戯曲「マクベス」で使った毒ガエルの足や毒ニンジンの根も毒性と幻覚性があるのだとか。


こうした『自然物を崇拝し助けを借りる非キリスト教的習慣』は西洋宗教には脅威で、 魔女たちは異端審判の犠牲になり、シャーマンやシャーマニズムに対する攻撃を世界中で繰り広げてきたのがわかります。

南米では金鉱堀り、植民地、伝道団、持ち込んだ病気などで、森の生態系を上手に維持しながら暮らすたくさんの少数先住民の村や人が姿を消し、プロトキン博士を治療したシャーマンも伝統や卓越した知識とともに、森に消えてしまいました。


知り合いが、先日キノコ狩り教室に参加した時、麻薬性のあるキノコで所持しているだけで法律違反になるものがあったといいます。
この法律違反、大麻取締法なども、異端審判の流れと繋がっているのではないかと思えてきます。


植物の幻覚作用って本当に幻覚なのでしょうか?
もしかしたら、心の綺麗な人なら超感覚になり、
世界の嘘がわかるのかもしれません。ありのままの姿や真実が見えるのかも。

まだまだ未知の植物の世界がありそうですが、植物の力を借りなくても、シャンティ・フーラの東洋医学セミナーの復習を積み重ねることで感覚を磨けるのを竹下先生が教えてくださっていますね。


ヤノマモ族は、植物の薬効をあまり知らないといいます。それは薬のいらない病気の治し方をしているからではないかと、プロトキン博士は考えています。他のインディオが薬として使う代表的なものでも、ヤノマモ族ではただの食べ物なのです。医食同源的でもあるのかもしれません。

そういえば、シャンティ・フーラの東洋医学セミナーでも薬など使わず、病気治療できますね。野口晴哉氏もそうでしょうか。

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私の結論的な感想としては、わざわざ遠く離れた人様(インディオ達)の生活領域にまで踏み込まなくても、自分の生活圏内で足元をよく観察して、大切に生きていれば必要な恵みはいただけるのではないかと思いました。

身近な自然をないがしろにして、自然に背く暮らし方をして、難病を作り出しているのではないのか、まずは自分たちの足元から見直さなければ・・・と思います。
この本のお陰で、インディオ達の暮らしや、アマゾンの自然や植物を知って、改めて原点に戻れたような気がします。また、世界の状況の歴史的な経緯を多少理解でき、これからを考える助けにもなるような気がします。

日本でも植物を生かす伝統的な知恵がもっとあり、すでに失われているのかもしれません。それは西欧も同じなのでしょう。自分たちが無くしたものを、遠くのインディオの生活文化やアマゾンの自然に求めているのです。

生きる知恵を取り戻す手助けや参考にするだけならまだいいのですが、相変わらず、破壊して奪い取ろうとする人間たちもいます。プロトキン博士はそういったインディオや自然を顧みない製薬会社は相手にしていません。それに対抗し、先住民に利益を還元する製薬会社や非営利団体の設立に寄与し、アマゾンの環境問題に関心を持つ流れを生んでおられます。

1992年の国連環境会議において、天然資源の商業化による利益の一部を原産国と最初の発見者に還元すべく法的な枠組み作りに、ほとんどの出席者が合意したのです。ただし、例外はアメリカ合衆国元大統領ジョージ・ブッシュと彼の率いる代表団です。


その後、プロトキン博士は調べた植物を本に纏めてインディオに渡し、インディオ自身が伝統的慣習の価値に気づきはじめ、シャーマンの弟子プロジェクトを推進するまでになっているそうです。

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自然賛歌


アマヅル・・・ブドウ属で甘酸っぱい

柿の葉


ヌカキビ



チカラシバ(白毛)




イヌタデ


ラッキョウの花



ヨメナ



コスモス



クスサン(ヤママユガ科)



カヤネズミの巣





■ 参考文献

シャーマンの弟子になった民族植物学者の話 マーク・プロトキン/著、屋代通子/訳 築地書館
イー薬草・ドット・コム
「大地の薬箱 食べる薬草事典」 村上光太郎/著 農文協
「カラダ改善研究所 自然のチカラいただきます」中村臣市郎/監修 西日本新聞社



ライター

ニャンニャン母さんプロフィール

ニャンニャン母さん

プロフィール:1955年魚座生まれ、広島の県北 中山間地域在住、
体癖はおそらく2ー3種

20代の頃「複合汚染」有吉佐和子/著 を読んで、食の環境悪化を考えた時、野草を食べることを思いつき、食料としての野草研究を始める。
全くの素人ながら、健康住宅の設計事務所に入社し、健康住宅を学ぶ。
残された人生と限られた時間について気付かされ、仕事を辞め、自給自足を目指す。
平成22年頃、古民家を借り、Iターン。野草教室を開催。
「古民家カフェ・むす日」「山のくらしえん・わはは」「クリエイティブ・アロマ」等にて野草教室。

現在、野草好きになった87歳の母と、無関心な33歳の長男と猫3匹と暮らしています。

かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(27)本当は反抗期はない

かんなままさんの執筆記事第27弾です。 
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本当は反抗期はない
 子どものやっていることをよく見ていて、それがとても面白いこと、素晴らしいことだと分かると、本当に楽しいのです。
 いたる所によろこびがあるのに、自らそれを放棄する生き方をする人が多いですね。もったいないと思います。
 よく観察をして、子どものいいところを見つけ、認めて育てていくと何も問題がないのです

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)



幼稚園の運動会の日の出来事


先日、孫の運動会がありました。幼稚園の年少組です。捻じれのかわいい孫は、本当は歌や踊りが好きなくせに、大好きなママやパパが見ていると目をそらし、笑いもしないでつまらなそうに踊ります。予想通りの展開で笑ってしまいました。

ママは朝早くからお弁当を作り、パパも朝方から場所を確保。まだ1歳のチョロチョロさんを連れて定刻に行くのも大変です。小学1年生のお兄ちゃんも急かされてついて行きました。自分が通った幼稚園ではないのでテンションが上がりません。ほかの人のテリトリーに侵入した気分です。園庭は写真を撮るのに夢中になっている保護者で溢れ、座る場所は畳一畳くらいしかありません。それでも木陰が多かったのでホッとしました。

そんな場所で1年生のお兄ちゃんは退屈でたまりません。することがないので足元の土で遊び始めました。でも、みんなが通るところなので、早速パパから怒られました。もうすっかりいじけてしまいました。
お兄ちゃんの立場になってみると、「つまらなあーーーい!」の一言です。これで1日中じっとしていなければいけないのですから。

pixabay [CC0]


1年生のお兄ちゃんの本当の喜び


「さあ!冒険の旅に出ようぜ!」と誘いました。「?」としながらも私についてきました。「ねえ、今日は運動会だから、その邪魔はしちゃいけないよね。でも、きっとおもしろいところがあるよ!」と言って探したのですが、落ち葉、木の実、石ころ1つ落ちていません。きっとこの日のためにお掃除したのでしょう。「砂遊びする?」「怒られたもん」「皆の通らないところなら大丈夫だよ」と言って砂を集めることにしました。幸い道具置き場の小屋の隅が空いています。クツで砂を掃きよせて集めました。

もうその頃から孫の目がキラリン!と光って「山つくる!トンネル掘れるかなあ?」とやる気が出てきました。まず、山を作りました。でもサラサラでトンネルを掘れません。「どうしたら掘れるかなあ?」すかさず私は「雨だあ~!」と言ってペットボトルの水を降らせました。そのことに気づいた孫は自分で水を汲んできて、土を固めて慎重に両側から手で掘っていきました。崩れたりしながらも貫通しました!その手で鼻水も拭いたので顔まで泥だらけです。でも嬉しそうな顔!

それを見ていたヒマな子たちが集まってきて、砂を集め思い思いに何かを作り始めました。
その一角は砂のアート展みたいでした。でも、一向に固まらないのでイライラしたお兄ちゃんたちが孫の所にやってきて「なんでお前だけ作れるんだよ。できるわけねえじゃん!」と腕を組んで威嚇してきました。ああイライラエネルギーをぶつけて来たなと思いました。それが子どもの世界です。孫は下を向いて無心に作っています。

エネルギーを切り替えるために「あのさ、考えて御覧、雨が降ったらどうなる?」と言いました。すると、ハッとしたようで走って水場に行きました。嬉しそうに隣で作り始めました。山城に堀まで作っていました。見ると泥団子を作っている子もいます。全然知らない子同士で「あ!いいこと思いついた!」「踏まれないようにこっちに持って行こう」「こうしたらいいんじゃない?」など、いつの間にか子ども達の遊び場になっていました。

今度は孫がどこからか幅のあるゴムを拾ってきました。それで砂を引っぱってゴールさせる遊びを始めました。アリの巣はちゃんと避けてルートを作っていました。それが飽きたらゴム鉄砲です。1回して見せただけでマスターしました。道具小屋の金網にはっぱを入れて当てるゲームが始まりました。なかなかうまいもんです。そのゴムは宝物になって、孫のポケットにしまわれました。

とうとう運動会が終わるまで夢中で遊んでいました。仲間もできました。運動場の片隅で泥団子が山のようにできていました。女の子たちが並べたのです。そのまわりにはゲームしている子はいませんでした。でも、汚いからやめさせようと子どもを引っ張っていく大人は何人もいました。

pixabay [CC0]


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Mr.Xの電話 〜 心の中を見てやろう

 医療の現場から、あるいはご自身の介護の経験から、はたまた、意外や同級生あべぴょんのエピソードまで、興味深いお話を繰り出される、ぴょんぴょん先生。なんと今回は、誰も知らない胸の内を明かして下さいました。
 暖かく見守る大きな存在と、一途な少女との対話にも見える、朝のひととき。その先に見えたものは、、、?
(まのじ)
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Mr.Xの電話 

pixabay[CC0]


 電話大ッキライの私が、携帯の着信に気づいたのは雨の朝であった。誰からだろうと思ってみると、登録されていない人からだ。留守電が入っていたので、何気なく聞くとMr.Xだった。

「体のことでご相談があるので、お電話ください」と蚊のなくような声で録音されていた。
それを聞いた瞬間、わたしの体は硬直して金縛りのようになった。

昨日おとといと風邪気味で、寝られるだけ寝て、今朝はやっと爽快な朝を迎えたというのに、この電話のせいで不快感100%にされてしまったのだ。

この人はもと患者さんだけど、別に教えたくて携帯の番号を教えたわけでもない。しかも親しいわけでもないのに、ときどき忘れた頃に相談の電話がある。それも体のことだ。
前回は1年以上前だったが、一応相談にのった。ただし、「お金も払わずに、タダで相談してくるのは困る」と突っ込んだのにもう忘れたのか、よほどの鈍感なのか。
まあ小心の人ではあるが、自分の小心のせいで他人の平和な朝をぶち壊すとは。

ネコと遊びながら、ムシャクシャを振り払おうとしたがそれは無理だ。
それなら、自分の心の中を見てやろう。



怒り、罪悪感、恐怖


何がある?

う〜ん・・まずは怒りだ。
あいつのせいで、静かな朝が台無しになったという怒り。
ムラムラしている。あいつの鈍感さに怒りを感じている。

その次は?

う〜んと・・罪悪感かな?
返事の電話はしないと決めたけど、
相手を傷つけるのではないかという罪悪感。
けっこう、わたしも人に気を遣っているんだわ。

それだけ?

うん、それだけだと思う。
怒りと罪悪感に気づいただけで、ずいぶん心が軽くなってるよ。
でもまだ、なにかわだかまっている。 何だろう?

それはもしかして、恐怖じゃないのかい?

そうそう、それよ、恐怖! 
平和な時間が一瞬で台無しにされた恐怖。
そして、無視したために相手がどう思うかの恐怖。
Mr.Xそのものにも恐怖を感じでいるわ。
男性だし、うちのありかも知ってるし。コワイ。

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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(26)子育て

かんなままさんの執筆記事第26弾です。 
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子育て
 子育てを本気でやろうと思ったら、徹底的に全身でぶつかるしか方法がありません。片手間に等できません。子育ては二足のわらじは履けません。全身全霊でないと出来ないのです。そうしてはじめて、潜在意識、無意識のレベルから取り組めるのです。そういうものなのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


娘は小児科医〜待望の赤ちゃんTちゃんに起こった悲劇


ずっと気になっていることがありました。孫のTちゃんの事です。
娘の最初の子で、待望の赤ちゃんでした。離れて暮らしていたのでなかなか会いに行けませんでしたが、娘は4人兄弟の中で育ち、小児科医でもあるので子育ての勘が備わっていました。上手に赤ちゃんを感じとり、大切に育てていました。

pixabay[CC0]


Tちゃんは母乳だけで丸々太り、誰に対しても笑いかけてご機嫌でした。泣くという事はあまりなかったように思います。病気もせず、発達も順調で、安心しきっていました。

ところが、1歳のお誕生日の日に、悲劇がやって来ました。
育休は1年。誕生日の日から職場復帰なのです。私も気になっていたので慣れるまで見届けたいと思って、しばらく娘の所に滞在することにしました。慣らし保育というのがあります。娘は仕事復帰したのですが、私が世話をするという事で、保育園の慣らし期間を長くしてもらいました。

まずは2時間、私と一緒に登園して過ごします。まわりの事に興味津々で、お友だちと一緒に何でもやってみます。お歌も、手遊びもまねて楽しそうです。

勤務している病院の院内保育なので、授乳しに行くこともできます。園舎は木造で古いけど、暖かな感じで、優しい色で統一され、小部屋がたくさんあって、担当の先生が少人数で対応しておりました。おもちゃも吟味され、わらべうたを歌いながらの保育でした。慣れている子は楽しそうに過ごしています。木陰があり、外遊びもできそうです。とても質のいい保育園だと思いました。少し安心しました。

でも、次は3時間1人で過ごすことになりました。朝は、きょとんとしていながらもバイバイができました。私も3時間の辛抱です。はやる気持ちを抑えて迎えに行くと、案の定、先生からおんぶされて泣いていました。

やっぱりです。当たり前です。
切なくて、どうにかできないものか・・・知恵はないか、考えました。でも、子育て万華鏡にも書いたように、職場復帰が条件の勤務体制でしたのでどうにもなりませんでした。私がお世話してあげたいのですが、遠いので叶いません。パートナーは別の遠い病院に勤務です。娘1人で頑張るしかありません。作り置きしたおかずをぎっしり冷蔵庫に入れて、後ろ髪を引かれるような気持ちで帰りました。

それから、孫はどんなに泣いても朝8時から夕方5時まで保育園です。毎日泣いて、先生におんぶされて過ごし、娘が迎えに行っては更に泣き、家に帰ってもおっぱいにしがみついて家事もできないという日々でした。土日はご機嫌ですが、又月曜日が始まると泣く。とうとう病気ばかりするようになり、何度肺炎になって入院したことでしょう!

やっと契約の1年が過ぎ、娘達は意を決して我が家の近くの病院に勤務を変えました。今度は夫婦一緒です。でも、専門医になる試験があるので、Tちゃんは別の保育園に預けられました。無事に合格。その直後に2人目を生み、Tちゃんも保育園を辞めました。それからはずっと専業主婦です。3人目が生まれ、来年は下の子も幼稚園に入りますが、まだ子育てに専念したいとのことで復帰の予定はありません。

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[第31回] 地球の鼓動・野草便り
「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話」を読んでーその(2)


「シャーマンの弟子になった民族植物学者の話」を読んでーその(2)

▶︎ 前回からの続きです。


私は自給自足を目指して、自然農法、炭素循環農法、自然栽培・・・いろいろ習うのですが、結局我流になってしまい、最近は果樹と野菜と草を一緒にして、あまり手をかけずにできたらいいなぁなどと考えていました。

すると・・・『シャーマンの弟子になった民族植物学者の話』の中で、インディオの農業についてのくだりがありました。


インディオの農地はいかにも手入れが行き届いていないように見える。マオニクの木の間に、パパイヤや白胡椒、サトウキビ、ヤムイモなどがてんでばらばら入り混じっている。(中略)
あまりにも生い茂った畑を見て、アンダーソンははじめ、放棄された畑だと思った。しかしよくよく調べてみて、この植え方はまさに農業の天才だと彼は悟ったのだった。

「アメリカやヨーロッパの言葉をあてはめれば、その畑は、菜園であり、果樹園であり、薬草園であり、ゴミ捨て場であり、堆肥の山であり、蜜蜂の楽園であった。畑は急峻な斜面の上にあったが、崩れる心配はない。土壌が文字通り全面的に覆われているから、どんな天候にも耐えそうに見えた。乾燥した季節でも湿度は保たれる。同じ種類の植物は離れ離れに植えられているので、害虫や病気が発生してもそう簡単に広がる心配もない。」(下巻97p)
<にゃんにゃん母さん注記> アンダーソン:植物学者のエドガー・アンダーソン


また、インディオが白人の畑を見て幼稚だと感じ、笑ってしまう場面があります。

「マニオクを見てみろ!あんなに間をあけちゃだめだ。おれたちの畑ではくっつけて植えてあるだろ。葉を重ね合わせて森の屋根みたいにするんだ。そうすれば直射日光や雨が地面にじかに当たらない。それにこいつらはひと種類しか植えてない。おれたちの畑には二十種類以上のマニオクを植えてある。種類を違えておくと、害虫が広がらないですむんだ」(下巻54p)
<にゃんにゃん母さん注記>
マニオクの別名:木芋、イモノキ、タピオカ、キャッサバ、カッサバ、マンジョカ・・・木にできる芋で有毒のものとそうでないものがあり、有毒のものはすりおろし水にさらして乾燥させてデンプンの粉にして、パンやビールに。
そういえば我が家にもいただいたタピオカ粉があり、片栗粉と同じように使っています。

また、雑草を綺麗に抜いてあるのを見て、雑草があれば雨季に土が流されないなど、雑草の必要性を指摘しています。


このインディオの畑の作り方を読んで、漠然と考えていたことがわかったような気がします。やってみなきゃわからないのですが、例えば・・・

  • 好きな果物の木を植えて、木の下にミョウガやミツバ、ハーブや薬草を生やす。
  • 日当たりには芋や豆や大根、人参やあれこれを少しずつ植える。
  • 出来るだけ野生種や生でいただけるものを植える。
  • 植えっぱなしで、必要分だけいただきながら、少しずつ手入れできるもの。果樹、ヤマブドウ、アオツヅラフジ、アケビ、マツグイビ、ニラ、ラッキョウ、ニンニク、ネギ、玉ねぎ、キクイモ、ジャガイモ、里芋、こんにゃく、ウコン、イチゴ類、ハーブ類、ミョウガ、ミツバ、薬草、他。
  • 自家採種または種が落ちて自然に生えてくるもの。 オオタカブナ、ニンジン、ダイコン、ゴボウ、トマト、キュウリ、カボチャ、トウガン、スイカ、ウリ類、ピーマン、ナス、トウガラシ、豆類、麦類、他。
  • もし湿地があれば、マコモ、セリ、ハス、クワイ、などを植える。



インディオの農法は自然の性質をありのままに受け入れて生かしているのでしょう。
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