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*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護10(最終回)

 あい∞んさんは介護の日々を終えられました。生前のお父様と話し合われた通り、3日間ご自宅に安置して、その翌日に火葬、そして骨葬を無事済まされたそうです。あい∞んさんはサラッと言われましたが、これを実行するのはやはり信念の要ることだと思いました。
 お見送りからすでに数年を経た、あい∞んさんの今のお気持ちを伺いました。在宅介護を選ぶということ、病院で最期を見守ること、あるいはそれ以外の事情であっても、大切なことは同じかもしれないな、と思えてきました。多くの支え、祈り、自身の心を見つめること。その中からタイトルの言葉を確信されたのかもしれません。
(まのじ)
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あい∞ん在宅看取り介護10(最終回)

Q.あい∞んさんの介護体験、当時を思い返していかがですか。

全てが終わって振り返ってみると、やってみて良かったと想う事ばかりだなぁ…と感じます。「気づきと学びの宝庫」でした。神様が与えて下さった「今までの宿題保留を解消する機会だよ~☆スパルタ式だよ~(笑)」

命に向き合って、感じて、相手を観察しつつ、今はこれが必要かな…と直感的に感じたことを実践していくような…貴重な日々を神様が下さったように感じています。

ずっとありのままの父を受け入れられなかったけれど、最後に父に色々なお世話をさせていただけて、今までのことも謝れて、父が自慢に思っていたお家を(見えるとこだけ(笑))片付け、きれいにして、お別れに来て下さった方々にお抹茶をお出ししたり、おもてなしをさせていただけて、あぁ良かったなぁ…と安心しております。

「今まで色々沢山ありがとうございました。
そして色々ごめんなさいでした…。
今世の人生、本当に本当にお疲れ様でした!!」


Q.私があい∞んさんのお話の中で一番好きなエピソードは、お抹茶とお花のところでした。お父様も喜んで聞いておられるような気がするのですよ。あい∞んさんが丁寧にお茶を点てる姿を見るのもお好きだったのではないかしら。

父は寂しがり屋で人好きな人だったので、家に様々な方々、…看護婦さんや先生や訪問入浴の皆様が訪ねてきて下さるのは嬉しいことだったかもしれません。毎回の様に「金魚が大きくて立派で凄いですねぇ!」と皆様が言って下さると、嬉しそうな顔をしていました!

♪コイじゃない~♪
金魚ぎょっっ♪


丁度季節が春だったので、近所の桜の花が咲いたことや、庭にある花が咲いたら見える場所に活けたりなど、季節の移ろいを伝えてあげたりすると良い反応を返してくれました。

春爛漫の頃には、桜やチューリップ、水仙、シャガ、鈴蘭みたいなお花などを、里山暮らしの友人が父に届けて下さって…。部屋に居ながらのお花見と素晴らしい香りに、父も「おぉ~すごい」と、とっても喜んでいてお花ちゃん達から元気を頂いている様子でした!父に「ほんとに有り難いね」と言うと「うん」と素直に返事してくれました。

父は家のお花を活ける担当だったので、父が出歩ける時には母と二人で花を買いに行っていましたが、外出しなくなってからも母が花を買ってきて、父がお仏壇・お地蔵様・玄関などの花を活けていました。父は茶道の先生をしていた時期もあり、字も上手だったし、浪曲とかも好きで風流なことが好きでした。そしてお花を活けるのも、育てるのも本当に上手だったのです。

クリスマスローズ


幾つものお花を組み合わせてセンス良く上手に活けるのって難しかったりしますが、父の活けたお花は本当に毎回美しかったです。心根が優しいから、お花の気持ちが解るのかな…。


Q.とても優しい情景ですね。

やりきった…からでしょうか、悲しい想いは無くて(^o^;) お父さん無事に解放されて良かったな~と。そして、あんなに「嫌だー!」と想っていたいろいろなお世話を乗り越えられた…と安堵の気持ち…なのかな。尿も便も、出てくれて(毒素を身体から出してくれて)ありがとう~と感謝できた自分にも驚き&ちょっと嬉しくなりました。身体さんは本当に素晴らしく素直で、学ぶことが沢山でした。

そして、あぁ…私3種―9種で良かったなぁ(*^^*)と、体癖が役立っていて感謝です!9種強めが幸いしたのか…介護の職人技を自分なりに追求(追究?)しようとした事が、色々な閃きに繋がって大変助けられた様な気がします。今まで気付けていなかった事が『あ!』と解ったりすると喜びに感じてしまい、更にマニアックに探求(探究?)したくなります(笑)

そして、感情が表に出やすい3種なので…、疑問点不安点などの気持ちも包み隠さずに看護・介護士さん方々に伝えてしまった事が幸いして、お互いに信頼感が増した事は何より嬉しい事でした!
父の好みの食べ物も、すぐにピンっと解る~(笑)



Q.おお!体癖ですか。確かに2種の私には「とてもとてもムリムリ!」と思えるお世話を心を込めてされる様子は頭が下がりました。
看護師さんのアドバイスを参考にされたり、見よう見まねでされていましたね。

看護のお仕事の大変さ、有り難さが、とっても身に沁みました!!看護師さんの言葉かけの優しさも、見習うことが沢山でした!!介護の終盤、私の限界を超えた時の自分の心は優しくないことも…(>_< ) 父のお陰で良く理解できました。

そして父が身をもって、死の過程までの身体と心の変化の過程を教えてくれたような気がします。亡くなった父に「本当にありがとうね!!」と身体をなでてあげたりお礼を伝えたりしてから、病院に電話をしました。


Q.家で介護ができてよかったですか?

もしも病院と良いご縁を頂けたなら、病院ではいつも優しい対応で接していただけて、プロの方々に安心してお任せできて、家族も心身に余裕がうまれて、いつも優しくすることに専心できるので、居心地良く旅立てるかもしれない!?と感じました。

でも私の在宅介護の場合は、後半はすったもんだ有り…家族それぞれの問題点が色々浮き彫りになってしまいましたが…、きっとそれも必要な事だったのかもしれません。

余談ですが、父の場合は、在宅介護でかかった料金も在宅入浴の料金も、「え…計算間違えてない?」って言うくらいにお安かったです。介護内容で様々に料金が決まっていますが、本人さんの負担割合の違いや、私がほとんどのお世話を自分で行ったから、というのもあるのかも知れませんが、、、本当にビックリでした!! 病院も在宅も、それぞれにメリットやデメリットがあるでしょうし、人それぞれの事情や身体の状況が異なるので…為るようになる!のだと思いました。

父の自慢だった家で、質素ではあるけれど、静かで、あたたかな、穏やかなお別れの時を過ごさせていただけたのではなかしら…。父も嬉しく感じてくれたかしら…。


Q.今は、あい∞んさんの介護をされた時期とは異なり、コロナへの対策もあって本当に大変だと思われます。あい∞んさんの体験談の中でも「祈りと全託」は、今も大事かもしれませんね。
あい∞んさんは覚えておられるかしら、ごく初期に、在宅介護を振り返って書いておられた詩があります。読者の方にもご紹介して、あい∞んさんの在宅介護体験記をお仕舞いにしようと思います。

お家で亡くなるのっていいな♪
いつものベッド、いつものお布団、いつもの見慣れたお部屋だもの。
とっても落ち着くと思うもの。

死へと向かう身体さんは、身体の中を軽く、きれいにするために、
♪おそうじ!おそうじ!大掃除!!!大忙し!!

あの手この手で、徹底的に身体の中から『出す』んだね!
そりゃあ、もう、プロフェッショナルなお仕事だったなぁ

身体さんは、すごい。
身体さんは、すなお。
身体さんは、けなげ。
身体さんは、優しい。
とっても不思議で、神秘的。。。。

あんなに痛かったところ、『痛みが無くなりますように…』
心からお願いして信じたなら、
ちゃんとその願いを聴きとどけ治まってくれたよ。

身体さんありがとう!
お願い聴いて下さって本当にありがとう!!

お願いしたら、やっぱり御礼が大事だよね♪
『ありがとう』の言の葉は、
言うのも言われるのも、いっぱいなのが嬉しくて、幸せだもの。

幸せの潤滑油なんだな~と想ったもの。

神様も、いつも見守って下さり、助けて下さるよ!!

色んなご配慮で、救いの手を優しく差し伸べて下さるから、
ちゃんと最後はお家で亡くなることが叶いました。
感謝いっぱい申し上げます。



お家で看取り!?お家で介護…ハードル高そう!?

初めてでも、きっと大丈夫。
自分自身が『大丈夫だ~ぁ♪』と想ったなら、何とかなる! なるようになる!

解らないこと色々は、
ちゃあんとプロフェッショナルな方達が優しく丁寧に教えて下さるし、
助けて下さるから大安心!

だけど、先に学んで知っておかないといけないことがあります。

知っておかないと、身体さんの大掃除が上手く出来ないことが起こるかも…しれないから。。。。
世間一般の常識は、身体さんからしてみたら『それ非常識だよ~』ってなることを、
先に皆様方々から色々学ばせていただいていたから…、

大安心で、
ありのままを受け入れられて、
なるようになり、

すったもんだ色々反省することが沢山あったとしても、

結果『あぁ良かったなぁ…』と。

みんな『死』を素直に迎え入れられて、
ほっとした空気の中を過ごさせていただけたのだと…ただ感謝の想いです。


看取り介護は学びと気付きの宝庫なのでした。
そして総合芸術だなぁと想ったし、身体は命は美しかった。。。。


今まで見えていなかったことに、光があたったんだね。

自分自身の限界を超えた時、今の本当の自分の内面を知る。

あぁ…だめだめだなぁ…と、良く解ったからこそ、
浄化の大切さがより納得できて身に沁みる。

自分の中の大きな囚われ、ずっとずっと手放したかった想い、
命と命で向き合う貴重な機会を頂いた
から…

やっと水に流すことができたんじゃないかなぁ…と思う。

いっぱいの気付き
いっぱいの学び
いっぱいの貴重な経験


最後にちゃんと向き合えて、良かったなぁ!

本当にありがとうございました。
本当におつかれさまでした。

感謝しないといけないこと、
当たり前じゃないこと、
大切なことを沢山沢山教えていただきました。

人生のご卒業に敬愛と感謝を込めて。
あい∞ん


「なんくるないさー」は、挫けずに正しく歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る、という意味だそうです。生きている中で沢山の色々な事が起こるし、沢山挫折もするけど、「まるっ」と今を受け入れて、「なんくるないさぁ~」を心の杖にして生きれたなら良いな~♪
(あい∞ん)


メキシコ便り(83):バイデン政権とメキシコの関係

 2月8日(月)ロペス・オブラドール大統領、朝のプレス・コンファレンスに復活!PCR検査で陰性になったということで2週間ぶりの登場。まだ鼻声で病み上がりのお顔つきで100%回復はしてないご様子。それでも2時間のプレス・コンファレンスをこなしました。肺までウイルスに感染され、本当にコロナ感染していたよう。ちょっと気になるのが、コンファレンスでの質問に対して「治療法として抗ウイルス薬と抗炎症薬を飲んで、あとは大統領の医師団が勧めた栄養協会の食事療法にハーブ薬も摂り、彼らの実験台になった。」と答えていました。抗ウイルス薬と抗炎症薬はカファを助長するお薬では?!と思っていたら、ぺりどっと編集者が竹下先生の「薬品のドーシャ」表を見つけてくださいました。表には、抗炎症薬はカファ、抗ウイルス薬はアビガンだとピッタ、レムデシヒルだとカファと同じ抗ウイルス薬でもドーシャが違うようです。竹下先生によると「新型コロナウイルスはカファ・ドーシャを憎悪させる病気」と言われていたので、太陽のヴァータのお薬だとカファが減らせるので理想かな?!大統領は薬の詳細は言いませんでしたが、カファのお薬でなく後遺症がないことを願います。🙏ちなみに大統領は2013年に心臓発作をし、高血圧でもあるそうです。

 朝のプレス・コンファレンスで火曜日は毎週、コロナの状況報告がコロナ対策チームリーダーによって行われます。2月2日(火)すごい質問がありました。「ワクチン接種に胎児の細胞が入っていると言われているがどうなのか?」という質問に、ロペス・ガテル氏は、「そんな非科学的で現実離れしたことを聞いたことがない。」ばかばかしいと言わんばかりに完全否定しました。HCQもイベルメクチンも十分な研究結果がないと認めないお方なので、信頼度イマイチですが、変なものが入っていないことを祈ります。🙏

 さて、今回は、あのバイデン大統領(とりあえず大統領と書いておきます。)とメキシコの関係を取り上げてみました。バイデン大統領とロペス・オブラドール大統領の9年前の果たされていない約束にはじまり、バイデン大統領は、就任直後のロペス・オブラドール大統領との電話会談でまたまた重大な約束をしたよう。バイデン政権、未だに謎の政権ですが、個人的に面白いなと思ったのは、バイデン政権はロペス・オブラドール政権の政策をほぼ真似している?!らしい。とりあえず、バイデン政権が存在するうちに、急いでメキシコとの関係を記事にしてみました。😆
(popoちゃん)
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メキシコ便り(83):バイデン政権とメキシコの関係

9年前の約束


1月20日、アメリカ大統領就任式の日、メキシコでは朝の大統領プレス・コンファレンスでロペス・オブラドール大統領はこんな話しをしていました。

2012年ロペス・オブラドール大統領が大統領候補者時代、当時のオバマ政権のバイデン副大統領がメキシコにやってきた際に、あることを約束したらしい。それは、やむをえずアメリカに不法移民として行き、長年アメリカで住んでいるメキシコ人不法移民らに市民権を与えること。が、未だそれは果たされていないらしい。バイデン大統領は、今度こそ実行してくれることを期待しますというメッセージをアメリカの就任式の日に発信していました。

あの約束を交わした2012年3月の2人

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ぴょんぴょんの「異端者と呼ばれ」 〜新聞・テレビ人との葛藤

 「カナダ人ニュース」さんの動画では、現実に起きていることを、身近な人に説明するむづかしさが語られています。
 テレビに洗脳された人たちと、どうつき合って行くのか。
 それが家族なら、どうすればいいのか。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「異端者と呼ばれ」 〜新聞・テレビ人との葛藤


いつのまにか広がっていた情報格差


しろ、おめえ、いつになくやつれた顔して、どうしたんだ?

くろちゃん、聞いてよ〜 もう〜 やんなっちゃった。

何が、やんなっちゃったって?

実家の両親だよ。
こないだ、久しぶりに両親と会って、団らんを楽しむはずだったのに、アメリカ大統領選の話になってさ。トランプさんのこと悪く言うから、「実は、ホントに勝ったのはトランプさんなんだよ」って言ったら、そこから「お前はだれだ?」みたいになっちゃって。


あるある。

でも、ぼくなりに、事情を説明したつもりだけど、聞く耳もたないって言うか。
「お前、いったいどういうヤツとつき合ってるんだ?」って言われちゃった。

なになに? おれの顔、にらんで、どうした?
そっか、おやっさんはおれに会いたがってるのか。
「おたくのご子息とつき合ってるのは、わたしめでございます」って行ってやろうか。

うわあ! やめて!
くろちゃんのコワモテじゃ、ますます状況が悪化しちゃうよ。

失礼な!
しかし、おめえの両親、別にふつーじゃね?

ふつーなの?

「カナダ人ニュース 」が言ってたぞ。

大統領選挙のこと、わかりやすく解説してくれる人気ユーチューバー「カナダ人ニュース」さん?

彼いわく「大統領選挙のこと話してもなかなか信じてもらえないとか、ちょっと仲が悪くなってしまったというようなコメントが散見されるんですよね。」(YouTube)

やっぱ、ぼくみたいな人、いるんだ。

「カナダ人ニュース」自身も、友人に、自分のユーチューブ動画の説明をしたら、「何いってんの?」みたいなこと言われたらしい。

やっぱ、そういう反応?

で、友人に説明するときに一番困ったのが、話すべきことが多すぎること。
「どっから手つけりゃいいのかわかんね」ってことで、結果、失敗に終わったという。

「カナダ人ニュース」さんでも?!
そうなんだよ、何から何まで、全く知らないからね。
アメリカの選挙制度のしくみから、説明しないといけないんだよ。


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歴史の襞の中から3 ―「掌中の珠」より ―

 張勝植氏はその著書『朝鮮名は張基元…』のp67に、「徳川さんというのは、今の天皇家のこと」と記し、2019/04/01の記事で竹下さんは「皇太子は徳川の血筋」と指摘されています。
 現在の今上天皇が徳川の血筋ということであり、徳川の積年の願望が成就したというところでしょうか。徳川が「自分の血筋を天皇に」と動いたのは徳川慶喜の時からです。
 これは滝山氏の指摘ですが、慶喜は水戸の徳川斉昭と有栖川宮家の娘との子で「初めから皇族宮家の範疇」とのことでした。皇族宮家の人間でもある慶喜は「自分の血筋を天皇に」とする動機は最初から十分あったわけです。
 その動機に基づき、邪魔者になっていた大正天皇を拉致・軟禁したのでしょう。これで慶喜は玉(ぎょく)を手中にしたわけです。「自分の血筋を天皇に」の願望の成就にこれで近づいたことになります。
 しかし、ことはその慶喜の計算通りには行かなかった部分もあったのでした。
(seiryuu)
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歴史の襞の中から3 ―「掌中の珠」より ―



基本情報1 〜徳川慶喜に軟禁された大正天皇


  • 大正天皇がテロ襲撃によって頭に重症を負い記憶喪失に。その時期は1925年前後と思われる。
  • 襲撃され、負傷した大正天皇を匿ったのが西郷隆盛の家系の末裔。彼らは治療療養のため、同族の住む村に大正天皇を移送した(移送先の村の同族の名字は西郷と異なり瀧山姓)。
  • 西郷隆盛の同族の瀧山一族が住んでいて、大正天皇が移送されたのが富山県のある村。この村のとある寺に西郷隆盛は自分の子どもたちを預けていた。西郷一族の隠れ里であった様子。
  • ところが、この村に15代将軍徳川慶喜が既に移住していた。徳川慶喜は1913年11月22日に死去となっているがこれは偽装。この村に移住した慶喜一族は中田姓を名乗るようになり、慶喜の息子の徳川五郎右衛門は中田久松を名乗った。
  • 西郷隆盛の子どもたちが預けられた寺と目と鼻の先の近所に住んでいた徳川(中田)一族は移送されてきた大正天皇をすぐに発見。自分の屋敷に拉致・軟禁した。この間に昭和天皇が即位。
  • 大正天皇を軟禁した慶喜は昭和天皇に手紙を出し脅す。「自分の孫娘を嫁にしてくれ。さもないとお前の親の大正天皇はどうなるかわからんぞ」と。
  • 昭和10年(1935年)頃、大正天皇の病が癒えて記憶を回復。大正天皇は帰城を希望するが、部下の「殺される」との説得で断念。
  • 大正天皇はこの頃、長年の体調悪化もかなり回復。体調悪化の原因は、天皇時代12番目の若い側室が鉛を入れた飲み物を飲ませていたため、この鉛毒による可能性がある。
  • 一方、この頃に徳川慶喜は1935年(昭和10年)1月25日に死去。享年99歳。
  • 大正天皇は慶喜の息子・徳川五郎右衛門こと中田久松の弟として戸籍を作られ、この村に居住。
  • 大正天皇はこの村で妻子を得るが、その妻子もテロで死去。大正天皇家族の家屋に工作がされていて、住居が台風の際に崩壊しその下敷きとなって妻子が死去した。
  • 大正天皇は納屋の土間での藁ぶとんでの寝起き。口の聞けないのふりをさせられ、野良仕事などでの生活。
  • 大正天皇は中田久松たちと奇妙な共同生活をするが、中田久松死去後も存命。しかし中田久松死去後は、久松の息子にいびられ殴られの生活。
  • 中田久松には息子と娘の兄弟がいた。息子の名前は不明。娘の名前は中田志げ。志げさんが大正天皇の世話をしていた。
  • 大正天皇は久松の弟として、90歳の長寿の祝いを地元市長から授与されるが、その後1977年2月27日に、死体になって発見された。

滝山善一氏からの情報提供をもとに作成した系図
参考:時事ブログ 2015/12/2411/1311/15
Wikimedia Commons [Public Domain]
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ままぴよ日記 66 「ママ退院。私は右手に大根、左手に鍋をもって出動です」

 2回目の緊急事態宣言が延長されました。

 巣籠りを強いられる日々です。
 でも、赤ちゃんがいる家庭は昔から巣ごもり状態でした。それは家族からも社会からも守られていたからできたことです。今でも、各家庭が食べ物を得て、子育てや家事を助け合える状態なら、緊急事態でも何ら変わることなく赤ちゃんを育てる事ができたでしょう。
 でも、現実は悲惨です。
 経済中心の合理主義の社会。自分の生活の術を何も学習していない、お金も支援もない弱い立場の親子が追い詰められています。
 そんな家庭への経済補償は叫ばれても子育て補償は後回し。
 支援者として、そんな子育て状況が気になります。
 でも、できない事を世間に向かって嘆くより、今、私にできる事をするしかありません。

 そんな私の胸をガシッと鷲づかみにして、私にできる事を与えてくれた孫達とお嫁ちゃん。気が付いたら手にお鍋を握っていました。ありがたいことに自然は変わらず営みを続けてくれているので、安全な食材が手に入ります。イソイソとお料理を作る日々です。
(かんなまま)
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ママが産婦人科から退院してきました!


子ども達は学校に行っています。私も午前中に子育てセミナーがあったのですぐには行けませんでした。セミナーが終わって一目散に息子の家に向かいました。

トッポンチーノの日本版の赤ちゃん布団にくるまれた赤ちゃん!小さな手、大きなあくび、歯が生えていないお口…なあんてかわいいのでしょう!!手をしっかり洗って抱かせてもらいました。「初めまして!私がばあばですよ。どうぞよろしく。あなたに会えるのをずっと待っていましたよ」と話しかけました。

ママも元気そうです。「家事は私がするから寝てなさい」というのですが、自分の家に帰ればなかなか寝てばかりもいられません。お昼ご飯を食べたら、あっという間に小さいお兄ちゃんが帰ってくる時間になりました。バス停までお迎えに行くと、すぐに「ママは?」と聞いてきます。「おうちにいるよ!赤ちゃんも!」と言うと駆け出しました。


それなのに、玄関でママの靴を発見すると、脱いだ靴をゆっくり揃え、手を洗い、カバンを所定の場所に置いて(日頃はしない)…手を広げて待っていたママのお胸にもじもじしながら飛び込みました。恥ずかしいやら、もったいぶるやら、嬉しいやら…、ママから留守中の我慢をねぎらわれて大満足のお顔。そして、赤ちゃんをちらっと見てチョンと指でつついただけで、お気に入りのおもちゃで遊び始めました。動物のフィギアが大好きで、1人何役もこなしてブツブツつぶやきながら自分の世界に浸っています。

お姉ちゃんが帰ってきました。ずっと頑張って学校に行っていたのでママの顔を見たら涙が出てきました。しっかり抱きしめられてホッとした様子です。そしてすぐに「赤ちゃんを抱っこしたい!」と言いました。まだ首も座っていない赤ちゃんですが、これはお姉ちゃんのためにもいい経験です。

「さあ、ここに座って、クッションを周りに置いて、抱く準備をしようね」と、抱き方を教えました。「赤ちゃんはまだ首がぐらぐらだからしっかり支えて抱かないと危ないのよ。できる?大丈夫?」と聞くと大きく頷きました。

「わあ!うまくできたね。上手だよ。きつくなったら交代するからね」と言いました。8種体癖のねじれちゃんなので、にこりともしないで抱いていますが、赤ちゃんのほっぺや小さな手を触りながら満足そうでした。

こういう場合は「ダメダメ、赤ちゃんがもう少し大きくなってからね」と、やる気にブレーキをかけるよりも、配慮することをきちんと伝え、その環境を整えてあげて、お姉ちゃんになりたい意欲を後押ししてあげる事が大事だと思います。

次はお兄ちゃんが帰ってきました。妹や弟が伝書鳩のように玄関に走っていき、「ママが帰ってきているよ!赤ちゃんも!」と、自分が先に会った事を嬉しそうに話しました。お兄ちゃんは、さすがに「ママ、抱っこ!」とは言いません。むしろママをチラッと見て、赤ちゃんに駆け寄り「ちっちゃあああ~」と叫びながら顔を見たり手を見たり・・・。


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