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まみむのメモ(32)〈沖縄辺野古の新たな展開〉


 東京オリンピック事業の頓挫の記事が時事ブログで紹介されていましたが、もう一つ大きな頓挫事業が原発です。日本の海外での原発建設事業キャンペーン総崩れ。それ以前に、東芝がアメリカから買った原子力メーカーの巨額な負債(賠償責任も一緒に買収した形)。日立もドイツの原発会社を買ってイギリスでの原発建設事業の失敗の大損失。同じく三菱のフランスの原子力会社との協定で損害を受け負わされた巨額な負債。今やこれら原発開発に奔走してきた大企業が傾いているらしい。(【山田厚史の闇と死角】死屍累々 原発ルネッサンス~アベ政権の落日20200728
 そして今、もう一つの巨額事業、沖縄辺野古新基地建設を頓挫させることができるかもしれない状況にきているようなのです。辺野古の現在の動画を見ると、大型トラックが次々に土砂を運んでくるのが見えてつらくなります。沖縄県民が貴重な海の自然を守ろうと辺野古新基地建設をどんなに反対しても、日本政府は民意をふみにじって埋め立てを推進してきています。
 そんな中、コロナの急激な感染拡大によって、辺野古での抗議行動を中止せざるを得なくなってしまったそうなのですが、防衛局はさらに土砂搬入を加速させようとベルトコンベアーの設置を含む、埋め立て計画変更承認申請を沖縄県知事宛てに提出しています。
 この変更承認申請を承認するか否かが、辺野古の新基地建設工事を止めるか否かの大きなポイントになります。(記事中の動画 3:00〜4:10)
 そのために国民からの意見書をできるだけたくさん送ることが必要なのですが、コロナ禍が落ち着いた後、変更承認申請の内容の「告示縦覧」が始まってから3週間が提出期間だそうです。

 これらの事業に共通しているのは、天につばするような、金儲け優先で自然破壊や健康被害軽視。天につばした当然の結果として、白日のもとに晒され、ボロボロと崩れ堕ちていくのを目の当たりにしているのかもしれません。もしかしたら、日本国内の裁きはこんな形で起きていて、日本や世界や地球を食い物にしてきた連中も決して、裁きは免れないのだろうと思います。
 私たちみんな例外ではなく、自分が裁きの対象ではないか、悪に加担していないか、良心に従って清らかさに心安らいで生きているか、よくよく反省していく必要がありそうです。
(まみむ)
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まみむのメモ(32)〈沖縄辺野古の新たな展開〉
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まぁ

まず、沖縄の埋め立て現場から送られてきた動画を一部書き出したよ。


辺野古新基地建設の設計変更を認めない!デニー県政を支える意見書を全国から送ってください。現地から山城博治さん、福元勇司さん、北上田毅さんが訴えを! 2020.8.5 塩川港にて

4月21日にコロナ禍の真っ最中に防衛局が変更申請書を提出。
これは公有水面法に基づいた手続きで、当初の埋め立て申請の内容から設計の内容を変える場合には、再度沖縄県知事の承認が必要。

変更内容は大きく2つ。1つは地盤改良工事が必要になった。大浦湾にとんでもないマヨネーズのような軟弱地盤が存在していることが見つかって、このままでは工事ができない。そのために大浦湾の施工区域の約7割ほどを全面的に地盤改良をせざるを得なくなった。
防衛局は70メートルまでの地盤改良工事で済ますと言っているけれども、軟弱地盤は90メートルまで続いていて、70メートルまでの地盤改良工事では護岸の安定は保たれない。
そういったことがこの間、地質学、さらには土木工学の専門家グループの指摘等々により、ますます明らかになってきている。
防衛局は今回変更承認申請で地盤改良工事について一定の計画を出してきているけども、その内容では全く大浦湾の護岸の安定性は保てない。護岸はいずれ全面的に崩壊する。そこまで指摘をされている。

・埋め立て変更承認申請の承認の基準というのは、公有水面埋め立て法の第4条1項で、災害発生の恐れがないこと。更には、環境保全に影響がないこと。この2点で知事は変更承認を審査する。
だからまず、地盤改良工事でこの軟弱地盤が改良できないというのが、最初の災害発生の恐れにつながるから、その面からも知事は今回の変更承認を不承認にする。そういったことは明らか。


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ままぴよ日記 56 「社会制度より目の前の子どものSOSが優先!」

 ボストンに暮らす孫が12歳の誕生日を迎えました。今の楽しみは自然豊かなボストンで野生の動物達に出会う事です。
 「誕生プレゼントは何が欲しい?」と聞いたら「海に行きたい」と言って連れて行ってもらったそうです。

ボストンの海


 そして孫は「私は大きくなったらものを言えない動物たちのための仕事がしたい」と言い出しました。

 コロナ騒動で3月から学校に行っていない孫。仕事人間だったパパも家に居て家族団らんができました。自然豊かな環境で遊び、大好きな本やレゴに浸り、ホームスクールで満たされているようです。日本にいた時は兄弟げんかばかりしていたのが嘘みたい。

 娘家族にとって思いもしない不自由な留学体験になりましたが、拾ったものは大きかったと思います。
(かんなまま)
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97歳の母、村に1件の開業医だった祖父


97歳の私の母は大きな家に1人暮らし。父の仏壇と寝室と居間が自分の世界になっています。「どこか痛いのは当たり前」、「神様から与えられた体だから自然体で生きていく」が口癖で誰にも頼ろうとしません。


日常の暮らしの中で腐ったものがわからなくなって食べたり、母のためを思って提案することに聞く耳を持たなかったり、体が動かないのにお盆の行事を自分でやりたがる…などの心配事は発生しますが、ある意味、母らしい生き様を見せてもらっています。

そんな母は一度も働きに出たことがありません。幼児期にお母さんを亡くし、祖父母に育てられました。お父さん、つまり私の祖父は村に1件の開業医。その当時は内科外科からお産まで全てをこなし、家中に患者さんが溢れていたそうです。

そんな働き盛りの祖父のもとに赤紙が来ました。満州事変と第二次世界大戦で2度召集されたそうです。個人の事情など有無を言わさず出征。村で1つの病院はなくなりました。母は学徒動員で役場の出征や戦死などの台帳整理をさせられ、これまた多くの人が出征して亡くなっていったのを見たそうです。時代に翻弄された人々の何と多い事か!

祖父はフィリピンの激戦地で軍医をしていました。大変な思いをしたようですがその時のことは何も語らなかったそうです。その代わり、配給の巻きたばこの紙に日記を付けていて今でも読むことができます。食糧難で現地の人から教えてもらった料理のことや道具が何もないところからいかに料理して飢えをしのいでいくか?などの工夫が詳しく書いてあります。大変な状況の中、自分でできる事をしていたのでしょう。切なくなります。

Wikipedia[Public Domain]

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第68楽章 思い出の南仏の旅、ニーチェの愛したエズ村

 日本では、2020年から山の日となった8月10日、この日からドイツのベルリンの公立校では新学期がはじまりました。感染者が多い場合は、閉鎖になっている学校もいくつかあります。感染者も徐々に増えているようです。秋頃には、また、学校が閉鎖されるのでは・・とも予想されています。旅行をしないではいられない多くのドイツ人がバカンス旅行をして帰ってきていますので、感染が広がっても不思議ではない状態です。クロアチアやスペインへの旅行者に感染者が多いようです。今週末はまたまたいくつかのデモが行われました。
 夏休みの間は、涼しいベルリンでしたが、今週は30度を超える暑さとなりました。ドイツの家は冷房が設置されていないのが普通です。ですので、暑い日には、窓全開にします。また、網戸も自分でつけない限り、大抵はついていません。我が家の近隣を見回しても、網戸など見えません。すると、当然のごとく、蜂がブンブン飛んできます。キャー刺される・・なんて騒がなくても、お花を探して、ないならば帰っていきます。リンゴジュースに寄ってくることが多いです。私のコーヒーカップの中で遊んでいたりもします。
 先日、夜になっても暑いので、窓を全開にしていたら、鳥が窓から飛び込んできました。羽が長い鳥でした。びっくりしましたが、何回か旋回して出て行きました・・。
 不思議なことに、北の国だからなのか、ベルリンではゴキブリを見ないのです。オーストラリアのケアンズ時代は、深夜になると、ゴキブリ大集合だったので、大きな違いです。ケアンズは熱帯地域なので、グリーンスネーク、蛇の赤ちゃんまでが家に遊びにくる状態でした・・。

 第68楽章は、思い出の南仏の旅、ニーチェの愛したエズ村です。
(ユリシス)
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ベルリンの珍事件とベルリンの壁建設




最初はベルリンらしい珍事件からです。ベルリンの高級地区と言われるグリューネバルトにある湖で、野ブタがラップトップ(ノートパソコン)をとって逃げるという珍事件がありました。
そのあとを、裸族のおじさんが急いで追いかけています。
ベルリンでは、日光浴で裸になる方が多いので、このようなことになりがちです。
野ブタも、何か食べ物がたくさん入っていると思ったのだろうな・・。子供の野ブタが2匹が後ろにいるのが可愛い・・。

そして、ベルリンのミニ知識として、8月ということで、1961年の8月13日にベルリンの壁の建設がはじまりました。


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ぴょんぴょんの「限りなく完璧に近い人々」 〜スウェーデンを支配してきた一族

 今回は、スウェーデンにスポットライトを当てました。
 参考書はマイケル・ブース著「限りなく完璧に近い人々」。
 この本をはじめて手にした時は、分厚くて、字ばっかりで、「はじめに」だけ読んでオワリにしようと思いましたが、いざ読み始めたら、おもしろくて止まらなくなりました。
 特に、「スウェーデン」は、著者の住むデンマーク以上に力の入った内容でした。
 この本のおかげで、ちょっぴり、北欧の内情がのぞけた気分です。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「限りなく完璧に近い人々」 〜スウェーデンを支配してきた一族

ロックダウンしなかった骨太な国


今日も暑いから、北欧にひとっ飛びしようぜ。

行こ行こ!

お! スカンジナビア半島が見えてきたぞ! 

Wikipedia[Public Domain]
スカンジナビアの衛星写真

さあ、スウェーデンに着陸だぁ♪

夏のスウェーデンを満喫しながら、郊外のカフェまでドライブだ〜♪

イエ〜イ♪

北欧暮らし🌿スウェーデン・スコーネ伝統菓子でFikaの時間 / 海外生活vlog

うわあ! 癒やされるねえ。
それに、最近の動画なのに、コロナの「コ」の字も感じないよ。

屋外のカフェで、アクリル板もビニールカーテンもない、マスクもない。
開放的でうらやましいなあ。
ところで、スウェーデンと言えば、何が浮かぶ?

そうだね、やっぱ、ロックダウンしなかった骨太な国かな。

たしかに、6月27日の時点で、スウェーデンの新型コロナによる死者は、人口100万当たり523人。ちなみにノルウェー46人、デンマーク104人、フィンランド59人だからダントツトップ。
ニューズウィークに、「地方任せにしてきた政府と、何より、最も脆弱な人々を守るという最大の使命を忘却した社会民主主義体制にある」って叩かれてたな。
NEWSWEEK Japan

市民の生命より経済優先したとか、高齢者や低所得者を犠牲にしたとも言われたね。
ぼくも、「スウェーデン、ほんとに何もしないで大丈夫?」って思ってたよ。

ところが、ジャ〜ン!!
7月17日、ストックホルム住民の17.5%~20%が新型コロナ抗体を獲得し、集団免疫はほぼ達成されたという。(幻冬舎plus

おお! すばらしい!


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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第33話 ― 伊藤博文暗殺の伏線

 前回、白龍会総裁、玄洋社の杉山茂丸と伊藤博文が奇妙で深い因縁の関係にあったことを見ました。また、ハルピン駅での伊藤博文暗殺が日本の韓国併合に繋がっていたのでした。
 杉山茂丸と伊藤博文の海外に対する方針姿勢は相容れないものでした。「日本の(武力行使を含めた)積極的海外進出」を主張していた玄洋社の韓国への主張は「日韓合邦」(日韓併合ではない)でしたが、これにしても元来の伊藤博文の姿勢とは相容れないものでした。
 そして対ロシアの方針は玄洋社と伊藤のそれは全く相容れないものでした。日露開戦を強く訴えていた玄洋社、それに対して伊藤はロシアとの戦争回避の協商路線を模索していたのです。
 更にあります。今回はその詳細を見る余裕はありませんが、日露戦争後の満州に対する方針は、玄洋社の杉山茂丸とその盟友である陸軍の児玉源太郎たちと、伊藤のそれとはこれも完全に相容れないものだったのです。
 日本は日露戦争後のポーツマス講和によって満鉄の権利を得ました。杉山たちはこの満鉄を満州の「植民地経営を具体化」に利用する方針で設立、この姿勢を憂慮した伊藤はこれを真っ向から反対したのでした。
 伊藤博文暗殺は韓国併合に繋がりましたが、それだけではなく満州国設立にも繋がっています。更には伊藤暗殺は日米開戦の遠因との指摘もあるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第33話 ― 伊藤博文暗殺の伏線

杉山茂丸の出自 〜符合してくる事柄


杉山茂丸は、ウィキペディアの記事によると「戦国大名・龍造寺隆信の末裔」と記されています。ところが落合莞爾氏は杉山茂丸について、確かに「杉山家の家系は龍造寺氏の男系」としながらも更に次のようにも記述しています。

茂丸の実父が黒田藩主黒田長溥であることは、7歳時に長溥にお目通りして茂丸の名を頂いた話しで十分判ります。したがって茂丸の実の祖父は黒田長溥の実父の薩摩藩主島津重豪なのです。(『ワンワールドと明治日本』p286)

落合氏の説によると杉山茂丸は黒田藩主の息子であり、更に血統的には薩摩島津氏の流れとなります。蘭癖大名で有名だったのが薩摩藩主島津重豪とその息子の黒田藩主黒田長溥であり、杉山茂丸はこの血族だということになります。そして留意点があって、それは薩摩島津氏は秦氏であることです。

落合氏の説に基づく杉山茂丸の系図


この杉山茂丸に対する落合氏の見解は事実と思えます。なぜならば落合氏の説に基づくならば幾つもの事柄が「ああ、なるほど、それで」と符合してくるからです。見ていきましょう。

玄洋社の墓は黒田氏の菩提寺である博多の崇福寺にありました。これは杉山茂丸が玄洋社の実質社主であり、黒田藩主の息子であるなら「ああ、なるほど、それで」となります。

②ウィキペディアの「玄洋社」記事には次の記述があります。

 多くの玄洋社の運動家を輩出した福岡藩の藩校である修猷館

玄洋社の社員で日露戦争の影の立役者であった明石元二郎は修猷館(しゅうゆうかん)の出身でした。

また里見甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965年3月21日)という非常に重要な人物がいました。彼は現在の電通の前身である満州国通信社の社長兼主筆を勤め、更にアヘン貿易の里見機関の主でアヘン王と称された人物です。この里見甫も玄洋社の関係者で修猷館を卒業しています。


このように元々黒田藩の藩校であった修猷館が「多くの玄洋社の運動家を輩出」し、玄洋社と非常に縁が深かったのも、玄洋社の社主杉山茂丸が黒田藩主の息子ならば「ああ、なるほど、それで」となります。

修猷館の徽章:六光星
日清戦争直後の1894年に制定。
Wikimedia Commons [Public Domain]
編集者註:六芒星についてはこちらを参照。

前回、杉山茂丸と伊藤博文が非常に奇妙で深い因縁にあったことを見ました。杉山茂丸が伊藤博文を暗殺しようとしたのが縁の始まりで、杉山は日露関係などを巡り伊藤博文を謀殺しようとしていた模様でした。

こういった背景には何があったのか? 杉山茂丸が血統としては島津氏つまり秦氏の血流だと知れば「ああ、なるほど、それで」の部分もでてきます。

八咫烏は秦氏を中心とする秘密結社です。その八咫烏は明治維新の際には長州の田布施一族と確かに手を組みました。それで薩長を主力とした勢力が成立し明治維新は成功しました。

その後ですが、明治政府は長州田布施出身の大室寅之祐を明治天皇として戴いており、薩長勢力の中でも明治政府の中で実権を握っていったのは伊藤博文を中心にした田布施一族であったといえるでしょう。

さて、明治維新で手を握った秦氏と田布施一族でしたが、しかし元々は秦氏と田布施一族は仇敵の関係にあったはずなのです。杉山茂丸は秦氏の血流であり、伊藤博文は田布施一族であって、秦氏と田布施一族が仇敵の関係にあったことを踏まえれば、伊藤博文に対する杉山茂丸の行動がある程度は理解できるのです。

1858年の日英修好通商条約以降の日本における2つの支配構造

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