杉山茂丸の出自 〜符合してくる事柄
杉山茂丸は、
ウィキペディアの記事によると「戦国大名・龍造寺隆信の末裔」と記されています。ところが落合莞爾氏は杉山茂丸について、確かに「杉山家の家系は龍造寺氏の男系」としながらも更に次のようにも記述しています。
茂丸の実父が黒田藩主黒田長溥であることは、7歳時に長溥にお目通りして茂丸の名を頂いた話しで十分判ります。したがって茂丸の実の祖父は黒田長溥の実父の薩摩藩主島津重豪なのです。(『ワンワールドと明治日本』p286)
落合氏の説によると杉山茂丸は黒田藩主の息子であり、更に血統的には薩摩島津氏の流れとなります。蘭癖大名で有名だったのが薩摩藩主島津重豪とその息子の黒田藩主黒田長溥であり、杉山茂丸はこの血族だということになります。そして留意点があって、それは
薩摩島津氏は秦氏であることです。
落合氏の説に基づく杉山茂丸の系図
この杉山茂丸に対する落合氏の見解は事実と思えます。なぜならば落合氏の説に基づくならば幾つもの事柄が「ああ、なるほど、それで」と符合してくるからです。見ていきましょう。
①
玄洋社の墓は黒田氏の菩提寺である博多の崇福寺にありました。これは杉山茂丸が玄洋社の実質社主であり、黒田藩主の息子であるなら「ああ、なるほど、それで」となります。
②ウィキペディアの
「玄洋社」記事には次の記述があります。
多くの玄洋社の運動家を輩出した福岡藩の藩校である修猷館
玄洋社の社員で日露戦争の影の立役者であった明石元二郎は修猷館(しゅうゆうかん)
の出身でした。
また里見甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965年3月21日)という非常に重要な人物がいました。彼は現在の電通の前身である満州国通信社の社長兼主筆を勤め、更にアヘン貿易の里見機関の主でアヘン王と称された人物です。この
里見甫も玄洋社の関係者で修猷館を卒業しています。
このように
元々黒田藩の藩校であった修猷館が「多くの玄洋社の運動家を輩出」し、玄洋社と非常に縁が深かったのも、玄洋社の社主杉山茂丸が黒田藩主の息子ならば「ああ、なるほど、それで」となります。
修猷館の徽章:
六光星
日清戦争直後の1894年に制定。
③
前回、杉山茂丸と伊藤博文が非常に奇妙で深い因縁にあったことを見ました。杉山茂丸が伊藤博文を暗殺しようとしたのが縁の始まりで、
杉山は日露関係などを巡り伊藤博文を謀殺しようとしていた模様でした。
こういった背景には何があったのか? 杉山茂丸が血統としては島津氏つまり秦氏の血流だと知れば「ああ、なるほど、それで」の部分もでてきます。
八咫烏は秦氏を中心とする秘密結社です。
その八咫烏は明治維新の際には長州の田布施一族と確かに手を組みました。
それで薩長を主力とした勢力が成立し明治維新は成功しました。
その後ですが、
明治政府は長州田布施出身の大室寅之祐を明治天皇として戴いており、薩長勢力の中でも明治政府の中で実権を握っていったのは伊藤博文を中心にした田布施一族であったといえるでしょう。
さて、
明治維新で手を握った秦氏と田布施一族でしたが、しかし元々は秦氏と田布施一族は仇敵の関係にあったはずなのです。
杉山茂丸は秦氏の血流であり、伊藤博文は田布施一族であって、秦氏と田布施一族が仇敵の関係にあったことを踏まえれば、伊藤博文に対する杉山茂丸の行動がある程度は理解できるのです。
1858年の日英修好通商条約以降の日本における2つの支配構造
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そして今、もう一つの巨額事業、沖縄辺野古新基地建設を頓挫させることができるかもしれない状況にきているようなのです。辺野古の現在の動画を見ると、大型トラックが次々に土砂を運んでくるのが見えてつらくなります。沖縄県民が貴重な海の自然を守ろうと辺野古新基地建設をどんなに反対しても、日本政府は民意をふみにじって埋め立てを推進してきています。
そんな中、コロナの急激な感染拡大によって、辺野古での抗議行動を中止せざるを得なくなってしまったそうなのですが、防衛局はさらに土砂搬入を加速させようとベルトコンベアーの設置を含む、埋め立て計画変更承認申請を沖縄県知事宛てに提出しています。
この変更承認申請を承認するか否かが、辺野古の新基地建設工事を止めるか否かの大きなポイントになります。(記事中の動画 3:00〜4:10)
そのために国民からの意見書をできるだけたくさん送ることが必要なのですが、コロナ禍が落ち着いた後、変更承認申請の内容の「告示縦覧」が始まってから3週間が提出期間だそうです。
これらの事業に共通しているのは、天につばするような、金儲け優先で自然破壊や健康被害軽視。天につばした当然の結果として、白日のもとに晒され、ボロボロと崩れ堕ちていくのを目の当たりにしているのかもしれません。もしかしたら、日本国内の裁きはこんな形で起きていて、日本や世界や地球を食い物にしてきた連中も決して、裁きは免れないのだろうと思います。
私たちみんな例外ではなく、自分が裁きの対象ではないか、悪に加担していないか、良心に従って清らかさに心安らいで生きているか、よくよく反省していく必要がありそうです。