注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
弁護士 大前 治
(前略)
救助や避難対応にあたった方々の懸命の努力には頭が下がる。その一方で、体育館などへの避難を余儀なくされた人々の生活環境は劣悪であり、個人の努力では解決が困難である。
そこには、海外の避難所の実態とは大きなギャップがあることをご存知だろうか。
(中略)
日本の避難所は「震災関連死」を生み出す
イタリアの例と比較すると、日本での「体育館での避難生活」には次の問題点がある。
・そもそも災害避難用や宿泊用の施設ではない
・1人あたりの面積が狭い
・大人数のため常に騒音や混雑感があり落ち着かない
・1人用のベッドや布団がない、または不足している
・エアコンや入浴施設がない
・調理施設がなく、温かい料理が供給されない
(中略)
災害援助を「権利」として捉え直す
なぜ日本の避難所は劣悪な環境なのか。そこには、災害対策や復興支援についての日本と諸外国との考え方の違いが表れている。
(中略)
援助を受けることは避難者の「権利」であると位置付けることによって、それに応じることは国家の「義務」であると捉えることが可能になる。
避難所を設置して心身の健康を確保することは、国家が履行するべき義務である。劣悪な避難所をあてがうことは義務の不履行として批判されなければならない。
(中略)
今の政府は、どう考えているだろうか。
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海外の例に上がったイタリア中部地震では63000人が家を失ったそうですが、国の主導で初動48時間以内に、約10畳のエアコン付きテントが行き渡り、それ以外の多くの人にも公費によるホテルの宿泊避難が指示されました。ベッドや寝具、野外キッチンなどの備蓄も生かされたと言います。
国際赤十字では、1人あたり3.5㎡の広さ(約2畳)と覆いのある生活空間、快適温度、20人に1つのトイレなどの最低基準がありますが、日本の避難所の実態はおよそ程遠いもので「地獄のような環境」とも言われました。経済力のある日本が、なぜこの最低基準にすら及ばないのでしょう。
国際赤十字の基準は、「避難者には援助を受ける権利があり、その支援は、国家に役割と責任がある」とされ、もしも被災した国民が劣悪な避難所を強いられるとしたら、国が義務を果たしていないとして批判されます。
しかし日本では、どんなに困っていても自助努力、自己責任が原則となっています。東日本大震災の復興予算のうち、被災者の手に届いた「人へ生活支援」はわずかに3%! ほとんどが復興公共事業、産業振興など「物への支援」だったそうです。さすが、個人の尊厳や人権保障にはなんの興味もない、安倍政権らしい。
あべぴょんが「リーダーになってはいけないおっさん」であることは国の不幸ですが、一方、地方で素晴らしいリーダーシップを発揮されている市長さんがいました。
今回、甚大な被害を受けた岡山県総社市の片岡市長さんは、以前から「障がい者1000人雇用」を実施したり、全国で唯一国に逆らって市職員の給与を下げなかったり、元気のいい地方自治をやっておられます。熊本地震の際も迅速で画期的な援助をして注目を集めましたが、それも、条例を作り、市長の権限で年間1千万円まで、国内どこの災害でも支援活動を可能にしたからでした。今回の被災で各地の自治体が心からの支援を送ったのも、この市長あってこそでしょう。6日の朝には災害対策本部を設置し、以降、市長はずっと陣頭指揮を取っています。想定外のアサヒアルミ工場の爆発事故へも果敢に対策を検討され、市民は本当に頼もしいことと思います。
リーダー、かくあるべし。