湾岸戦争での世界大勢の心理状態
“皆が寄ってたかって一人の人間に石を投げつけ、周りも囃し立て、とうとう石を投げつけられた人間は致命傷まで負ってしまう。
ところが石を投げつけた者たち、そして周囲の者たちも、自分たちが正義漢のつもりでいて揚々として暴力行為を行い、それに加担していた。”
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ウルトラリンチ (日本語公開版)
「このウルトラ組に相当するのが欧米の指導者たち、いじめられているゴモラは...」
今思えば、まるでこのような状況が現出していたのが「湾岸戦争」でした。
クウェートに侵攻したサダム・フセインのイラクに対し、国際社会は多国籍軍を編成し、イラクを 屠って いったのが湾岸戦争 だったのです。一方的な展開であり、
この湾岸戦争は戦争というよりは、イラクに対する国際社会の苛烈な制裁でした。
もっといえば湾岸戦争後もイラクへの苛烈な制裁が継続、国際社会はそれが当然だとばかりに容認していたのです。イラクには人権など認められないというのが世界の大勢であり、これは異様な事態のはずです。しかし当時は世界の大勢にはそれが当然であって、何らの違和感もない状況だったのです。
思い起こせば私自身も湾岸戦争の時、自分の内部に全く違和感がなかったか?といえば微かにあったのですが本当に微かなもので、私も世界の大勢側にいたのです。そして、もし当時の誰かがイラクに擁護までもいかない同情的な態度を見せただけだとしても、その人物は最低限でも強い
白眼視 にさらされたでしょう。
編集者註:1991年に撮影された湾岸戦争中のクウェート人少女。その背後では油井が燃え、イラク軍戦車の隣で子羊を抱えている。【という設定(実は⬇︎)】
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嘘から始まった湾岸戦争!自作自演の議会証言とPR操作!
事実は これまでにも触れてきたように 、
イラクのクウェート侵攻はアメリカ側の 唆し の罠に嵌ったもの です。それにイラクの「クウェートは本来は自領だ。」との主張も一定の理はあるものなのです。
しかし、イラク側の言い分は全く国際社会に聞き入られることはなかった のです。
なぜこのようなことになったのか? いくつかの要因はあります。その一つがクウェート侵攻のイラク、そして湾岸戦争に対する国連の態度だったはずです。
まずは国連の見解を見てみましょう。
国際連合広報センターの発表 は以下の通りです。
1990年8月、安全保障理事会は、クウェートからイラクの撤退を要求し、貿易と石油の禁輸を含む制裁をイラクに科した。1991年1月16日、多国籍軍はイラクに対して攻撃を開始した。多国籍軍の行動は、理事会から権限を与えられたものであったが、国連の指揮もしくは管理のもとにおかれたものではなかった。イラク軍がクウェートから撤退し、2月に戦争は終わった。
国連側の言い分では、「国連は確かにクウェート侵攻のイラクに対しすぐさま制裁措置をとった。しかし編成された多国籍軍に関しては国連の指揮もしくは管理のもとにおかれたものではなかった。」と、国連と多国籍軍はまるで一線を画していたとの責任逃れのような発言です。
しかし、当時の私を含む世界民衆の認識は、このような国連の発言内容とは異なっていました。「アメリカの強いプッシュはあったが、多国籍軍の編成は国連が主導して行われた。」、これが当時の私達一般民衆の認識だったのです。
国連が多国籍軍を編成し武力行使したのだから、その行動は支持されるものだと私達は思っていた 面が強いのです。
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