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ぺりどっと通信36 防寒あれこれ

「冬はつとめて」
清少納言は枕草子の中で、冬は早朝(つとめて)が趣きあるよねって言ってますけど、ぺりどっと的には、
「冬はよは」
"よは"は古語でいう夜中のこと。
冬の夜空は1年の中で最も空気が澄み、星が綺麗に輝いて見えるからです。

そんな冬ももうすぐ終わりです。
(ぺりどっと)
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冬が終わっちゃうということで、今しか書くチャンスがないと思って、急遽この記事を書きました。

一年ほど前の記事でも触れましたが、山口のこちらの山奥では、最低気温-16℃と聞きましたので、いろいろな対策を立てて、寒い冬に備えておりました。

しかし、拍子抜けするほど暖かく感じるのです。それでも今冬の最低気温は-6℃ほどでしたので、気温は大崎上島よりずっと低いのですが、ことのほか温かく過ごせてしまいました。プチプチハウスの功績ももちろんありますが、隙間の無い家というのは、本当に素晴らしいものだと感慨深く感じております。

プチプチハウス


また、外出するとき以外は、靴下を履かず、ずっと裸足で生活しています。昨年のムートンブーツやレッグウォーマーはいったい何だったのかと思うほど。白湯飲みや水浴び、ビワの葉酒などのお陰かもしれません。とにかく、足先が冷えなくなったのです。

というわけで、試すはずだった更なる防寒対策を試すことが出来ずに、今まさに冬が終わろうとしているわけです。そこで、本記事では-10℃以下になるような厳寒期に、ぺりどっとが本来考えていた防寒対策や参考になる方法などをつれづれなるままに書き綴ってまいりたいと思います。


まずは胴体部分について。

一年前の冬は、ぺりどっと通信1でも書いた通り、重防寒着などで寒さをやり過ごしてきました。

ぺりどっとの重防寒着


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ままぴよ日記 20

 社会の中で生きていると自分一人ではどうにもならない問題がたくさん出てきます。特に子どもの育つ環境は子ども達が異議を申し立てないことをいいことに、大人にとって都合のいい環境に塗り替えられてしまいました。

 そして親の意識までも大人社会のルールに支配されてしまいました。まさに今日の出来事です。「新米ママのためのセミナー」に参加している3か月の赤ちゃんがいるママが遅刻して駆け込んできました。息を整えながら「遅刻してすみません!!」と謝りました。そして、「いいわけですが・・・、遅刻しないように早くから出かける用意をしていたのに、行く直前になって赤ちゃんが大泣きしておっぱいをやったり、おむつを替えたりしていたらこんなに遅くなって・・・」と涙が出てきました。きっと思うようにならない苛立ちと焦りと、赤ちゃんのせいではないという、どこにもぶつけられない感情が交差したのでしょう。

 それを聞いていたほかのママも「私も眠っているのを起こしてきたから車の中で大泣きでした」ともらい泣きしました。ママ達は社会の歯車に合わせることが一番大切なことだと刷り込まれています。社会人として遅刻は厳禁です!でも子育ては子どもの時計で動かなければうまくいきません。赤ちゃんは容赦なく泣きます。社会のルールに合わせようと頑張れば頑張るほど苦しくなります。

 「このセミナーは我が子の心地いいとは何か?に気づいて大切にするセミナーですよ。赤ちゃんを尊重しようねと言いながら時間を設定しているのは矛盾だよね。いい機会だから確認しましょうね。優先順位の一番は赤ちゃん。赤ちゃんにとっていいことを堂々としてください。時には子どものために腹をくくる必要があります。だから赤ちゃんの都合で遅れたり休んだりすることはOKです。ただし連絡はしてください。でも、ママが自分のために参加したいと思ったら前の日から赤ちゃんにお願いしておいてね。そして赤ちゃんにとっても無理がないように準備をしてね」と言いました。

 大人の都合に合わせて子どもを振り回して、泣かれてもガマンさせてしまうことに胸を痛めていたママ達。社会のルールとのはざまで目に見えないストレスを溜めても誰も気づきません。だからこそ現場にいる私たちが子どもの育つ環境を大切にする社会になるように発信したいと思っています。ましてや、それを社会の施策にするのはもっと難しいことです。

 私は、ぜーんぶ保留にして釣り糸を垂れています。その中の一つがこれです。
(かんなまま)
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老朽化した子育て広場


12年前に私たちの働きかけで立ち上げた子育て広場が老朽化しているために移転する話が持ち上がりました。築50年の平屋建ての家で、隙間風が入り、雨漏りもします。でもそこにはちょうどいい広さの庭があり、柵を抜けると隣に小さな森のような公園があります。私たちがここを選んだ理由はその森でした。


古い家屋で準備資金もなかったので家具はすべて夫が作りました。赤ちゃんスペースの畳は畳屋さんが寄付してくれました。庭の砂場と東屋は「広場を見守る会」を立ち上げてみんなで作りました。

スタッフは立ち上げの時から関わっていた先輩ママ達で私はその代表をしています。当初からの思いは全ての親子を受け入れること、子どもが育つための良質な環境を提供すること、共に育ち合うことで、今も変わっていません。

子ども達は暑い時も寒い時も外遊びをします。四季折々の風情が子ども達を迎えてくれます。誰かがイモを持ってくれば落ち葉を集めてその場で焼き芋が始まります。この場所でよかったと何度思ったことでしょう!

市は財政難のため新しく建て替えることは不可能だと言います。保健センターの建物の中の一室を考えているようです。利用しているママ達がこの場所がどんなに大切かを市長に話に行こうということになり懇談を申し込みました。でも返事がありません。議員も一般質問で取り上げてくれました。でも、何も変わりません。

そんな時、産前産後の支援も含めた子育て世代包括支援センターをどの市町村も作らなければいけないという通達が厚生労働省からありました。私たちの市も例外ではありません。ただ、どんなセンターを作るのかは市町村に任されています。受付に電話を置いて対処していますということもできるのです。

pixabay[CC0]


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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第30楽章 ドイツの高校生の実態と、争わないこと

先日、こちらの記事を見て、思い出したのですが、
我が家が2011年にオーストラリアに行った時には
多くの母子の方が来られていました。
たぶん、東京の江戸川区あたりからの方だったと思われますが、
2歳のお子さんの足にあざがたくさんできたので、びっくりして、
こちらに来たといっていました。
また、川崎や鎌倉からの方でしたが、子供さんの鼻血がとまらないので、
こちらに来たといっていた方もいました。
オーストラリアで単身留学していた子供さんのお兄さんが、福島で受験勉強をして、東京の大学に行ったのですが、甲状腺に嚢胞があると聞きました。
2012年に福島からオーストラリアに行った弟さんは、嚢胞がなかったのです。
いつも実際に見た、聞いた、感じたことから書くことで、何かがわかるかなといつもと思っています。

第30楽章は、ドイツの高校生の実態と、争わないことです。
(ユリシス)
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今どきのベルリンの高校生


息子が通学する学校の様子から見てみると、
ドイツ・ベルリンの高校生くらいになると、ビールを飲みますし、
タバコもクラスの半分くらい吸っていますし、高校生なのに、フィットネス
クラブに通うのが人気
になっています。

pixabay[CC0]


みなさん普通で、フィットネスも1か月20ユーロくらいの
ものらしいです。ドイツは子ども手当がひとり1か月194ユーロ
支給され
ますし、学費も無料で、塾制度などもないので、
普通にできるようです。

日本の高校のようにクラブ活動が盛んではなく、
2つくらいのクラブしかない
ですし、ほとんどの生徒が参加しません。
生徒たちは、自分の好きな活動をします。
習い事で人気なものは、男子でサッカー、バスケット、ホッケーなどです。
女子でダンス、乗馬、テニスなどになっています。

pixabay[CC0]


やはり全世界的にスマホを使用して、インスタグラム、スナップチャット
などが流行
しています。高校生は、やはり、ファッションと音楽に夢中
なるようです。

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ぴょんぴょんの「竜宮からのメッセージ」

また、3.11の日が巡ってくるなあと思っていたら、
南海トラフはどうなったんだろ? と気になり始めました。
収まるはずはなく、確実に来ると言われているのに、
経済危機は頭にあっても、地震のことは想定外。
いつでも起こりうること、自分に言いきかせるため、調べてみました。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「竜宮からのメッセージ」


地震の前に起こる海の異変


なんか最近、海からのメッセージが多くない?

海からメールでも届くんか?

じゃなくて・・たとえば1月31日、「大阪湾で、約30頭のイルカが泳いでいるのが観察された」とか言うし。(毎日新聞

大阪湾でイルカの群れか? チョー珍しいな。

だってさ、3.11の1週間前、茨城・鹿嶋市の海岸に、52頭ものイルカが打ち上げられたことがあるんだよ。(OFT STORE

1月31日の1週間後? 地震、来てねえぞ。

じゃあ、今年の1月だけで、すでに 6匹のリュウグウノツカイが、富山湾で打ち上げられたってのは?

リュウグウノツカイ Wikimedia Commons[Public Domain]


リュウグウノツカイ? 深海魚だろ? 竜宮のメールでも届けに来たんか?

もう、真剣に考えてよ!
「他にも、日本沿岸のあちこちでリュウグウノツカイが打ち上げられていて、数えてみると、 1月だけで、十数匹が確認されている。」(In Deep

ちと・・・多すぎやしねえか?

でしょ??
お魚たちの世界に、何か異変が起きているという知らせじゃないかな?
だって、阪神淡路大震災の前もおかしかったんだよ。
地震の何日か前、明石海峡ではマダイ(真鯛)が不漁になったのに、
淡路島南部では、マダイがいつもの30倍の大漁だった。(ホーホーナルホド

よっしゃ〜! タイの刺身、食べ放題だ!

そして、サケガシラ。
ふだんは年に1、2匹しか釣れない深海魚で、別名「地震魚」。

サケガシラ Author:Picasa 2.6[CC BY-SA]


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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝30 ― ミニットマンたちの戦闘

 現在、アメリカでの革命の進捗状況が暫時伝えられています。悪魔崇拝主義に蹂躙支配された国家を取り戻す闘争です。
 現在のアメリカの革命は成功を収めつつあるようですが、この原点は、1775年に開始されたアメリカの革命戦争に求められるでしょう。この革命戦争も、イギリス東インド会社の所有者相手、つまりこれも悪魔崇拝主義者たちとの闘争でした。
 この時指揮をとったのが、ジャコバイト派とも呼称されたポジティブなテンプル騎士団の流れのフリーメーソンたちです。実際に戦闘に参加したのはミニットマンと呼ばれた民兵たちです。民兵ですからもとを質せば素人軍団です。それが自ら銃を手にして立ち上がり、プロの軍団相手に戦ったのです。
 悪魔崇拝主義の支配からの解放を求める死にものぐるい闘争で、この姿勢が功を奏したのか、フランスの仲間の助力もあり、戦闘に関しては植民地側が勝利を収めます。植民地アメリカの独立成功の勝利です。
 ・・・ただ、しかし、戦闘だけ見れば確かにこの構図となりますが、もう少し長い目で眺めると、このアメリカ独立革命戦争において影に隠れた本当の勝者、最も利益を獲得した男の姿も垣間見えても来るのです。
 この男はこの当時、既にオレンジ家やハノーヴァー朝とも血縁関係の深いヘッセン=カッセル方伯のマネージャーになっていました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝30 ― ミニットマンたちの戦闘

アメリカ植民地側を指揮指導したフリーメーソン ~最高司令官にワシントンが着任


1745年の反乱が鎮圧されて英国内での勢力を失ったジャコバイト派、つまり、シンクレア家が深く関わる悪魔崇拝でないポジティブなテンプル騎士団の流れのフリーメーソンたち、彼らが仲間と英国からアメリカに移住していくのは自然でしょう。もともと14世紀の末からアメリカに最初に移植を開始したのはシンクレア家の一団だったのですから。

北アメリカのスコットランドの植民地
Author:Cene Ketcham [CC-BY-SA]

またシンクレア家の本拠はスコットランドで、シンクレア家がスコットランドの代々フリーメーソンのグランドマスターだったのですが、ウィキペディアの「スコットランドによるアメリカ大陸の植民地化」の記事を読めば、アメリカには、スコットランドからの多くの移住があったことが分かります。彼らポジティブなテンプル騎士団の流れのフリーメーソンたちが、アメリカでの指導層の主流にいたのです。

フリーメーソンがアメリカを指導したことは、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントン(1732―99)がフリーメーソンのメンバーだったことから見て取れます。またその後のアメリカ代々の大統領は、ほとんどがフリーメーソンです。

フリーメーソンの正装をしたジョージ・ワシントン

そのフリーメーソンも、建国当時からしばらくはポジティブなテンプル騎士団の流れのフリーメーソンだったわけです。彼らが革命戦争でイギリス東インド会社のイギリス側と戦ったのです。

革命戦争の引き金となった「ボストン茶会事件」には、ボストンに設立された「聖アンデレ・ロッジ」が大きく関わっている様子を『テンプル騎士団とフリーメーソン』の411~416頁に描かれています。同書によると、「聖アンデレ・ロッジ」はスコットランドのグランド・ロッジの認証を受けています。つまり、ポジティブなテンプル騎士団の流れのフリーメーソングループに属すると見なせます。

聖アンデレ・ロッジのホールの様子

更に同書の419頁には、対イギリス側への全面的な軍事蜂起が許可された1775年5月の第2回大陸会議の議長が、「聖アンデレ・ロッジ」所属のジョン・ハンコックと記しています。この第2回大陸会議でジョージ・ワシントンがアメリカ植民地側の最高司令官に任命されています。

イギリス東インド会社は、黒い貴族のレバント会社とテンプル騎士団のドレーク海賊団が合流して立ち上がっています。ポジティブなテンプル騎士団から転じたアメリカのフリーメーソントップたちは、イギリス東インド会社の所有者とそのやり口は熟知していたでしょう。彼らは十字軍遠征からの関わりで、共に地中海を収め、貿易を取り仕切り、国際金融業を行っていたのですから。

これは想像に過ぎませんが、アメリカフリーメーソントップたちは、イギリス東インド会社のインドや清国などの蹂躙の事実を踏まえ、このまま座して力を見せなければ自分たちも蹂躙されるとして、対決する腹を固めて、ボストン茶会事件に踏み切ったように思えるのです。

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