月別アーカイブ: 9月, 2020

[Twitter]ハシビロコウが動いた‼️

ライターからの情報です。
うぉー
ハシビロコウ先輩が動くうごーく
(メリはち)
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配信元)

ロシア公共放送がビル・ゲイツの実像と人口削減計画を番組で紹介「決して、自分が知らないものを注射させることを許さないで下さい」

読者の方、ライターからの情報です。
 内容はシャンティ・フーラの読者さんはすでにご存知のもの。でも、popoちゃんもロシアの公共放送が流したところにすごくビックリしました!
ロシア政府の意識の高さを感じたのと、世界は着実に目覚めていると感じました。
(popoちゃん)
 読者さんやpopoちゃんからも情報提供いただきました。
4月にロシアの公共放送「人と法律」という番組で、ビル・ゲイツの実像を暴く内容が放送されたそうです。日本では未だにそうしたことが陰謀論として扱われ、ビル・ゲイツのワクチンへの取り組みを評価する知識人も多いです。しかしロシア公共放送の記者たちは、果敢にビル・ゲイツとワクチンの関わりを取材しています。日本語字幕の要約を付しました。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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【コロナ騒動】ロシア公共放送局が ついに真実を放送!コロナと人口削減 字幕付き
配信元)


[字幕の要約]
 WHOへの最大の出資者はこれまではアメリカでしたが、現在、トランプ大統領は、コロナウイルスの感染を拡大させたとしてWHOへの資金提供の停止を宣言しています。ビル・ゲイツはアメリカに次いで2番目にWHOへの資金提供をしており、さらに3番目の資金提供の主体もビル・ゲイツが設立、所有しているGAVIという組織です。ビル・ゲイツは積極的にWHOを援助し、とりわけ2000年以降はゲイツ財団が24億ドルも提供しています
 
 ゲイツの出資によりインドでポリオワクチンが実施され、WHOはその成果を評価していますが、インドの医師たちは、50万人もの子ども達が副作用で体が麻痺してしまったことを告発しています。通常ポリオは5種類の混合ワクチンですが、ビル・ゲイツはインドの国立諮問機関に圧力をかけて、インドの5歳以下の子ども達になんと50種類ものポリオの混合ワクチンを受けさせたのでした。インドの医師達はビル・ゲイツの会社を訴え、2017年にはインド政府はビル・ゲイツのワクチンを使用中止し、国立諮問機関のメンバーからも関係者を追放しました。

 一方で、コンゴ、アフガニスタン、ナイジェリア、パキスタンなどではワクチン接種が続き、子ども達はワクチンによってポリオ感染をしていたことをWHOが報告しました。もともとポリオ感染のなかった国でも、ワクチン接種によって感染患者が発生しました

 番組では、デビッド・ロックフェラーが設立した「ローマ・クラブ」について言及し、このクラブの課題の1つが地球人口の減少で、理想的には10億人まで減らすことを目論んでいること、さらに「ジョージアガイドストーン」も取り上げ、地球人口は5億人を超えてはならないと記されていることを伝えました。そしてビル・ゲイツが「新しいワクチンと医療・出産システムにより、人口増加を抑えられる」と発言したことをあわせて紹介しています。
ビル・ゲイツは「1000万人以上の人間を削減することができるとするなら、それは戦争ではなくウイルスだ」と発言し、ビル・メリンダ・ゲイツ財団がスポンサーとなった研究所で2018年から積極的にコロナウイルスを研究し、ワクチン開発にも莫大な資金を投入しています。ワクチンを早急に完成させ、最終的には700万人に接種させ、さらにそのワクチンにはデジタル証明を添加するとも述べています。デジタルタトゥーです。ビルゲイツは、ワクチンを接種していない人間を特定する目的で開発を進めています。

 2019年11月、武漢での感染が始まる2ヶ月前、ネット上で「イベント201」というドキュメンタリーが公開されました。その内容は、この世の終わりのリハーサルとして、大規模なコロナウイルス感染症のシミュレーションをしました。主催はジョンホプキンス大学、世界経済フォーラム、ビル・メリンダ・ゲイツ財団などでした。番組では、今進行している事態を極端な形で先取りしているようにも見えます。ロシア公共放送の記者は「ビル・ゲイツがこのパンデミックが広がることで利益を受ける人間のうちの一人である可能性が極めて高い」と結論しています。この放送があったことで、ロシアの人々は「武装できる」「決して、自分が知らないものを注射させることを許さないで下さい」「文明的な西側で政治家や医師を買収した上で(中略)我々を助けたいと言ってくるものは警戒して下さい」と締めくくっていました。

ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第35話 ― 内田良平の日韓合邦運動

 子どもに対して「あなたが私の意のままになる“良い子”でいたなら愛してあげる」としたならば…これは愛とは言えないでしょう。子どもを所有物扱いし調教・管理の対象にした態度と言えそうです。
 家族や友人に対する愛は「隣人愛」だと教えられています。そして隣人愛を阻む“野心”が「所有欲」だとも。
 日本の隣国韓国に対する姿勢は「隣人愛」よりも「所有物」扱い的な姿勢を強く感じてしまいます。日本と隣国の韓国とは摩擦が絶えず、ネトウヨと称される人々などから「嫌韓」の姿勢が打ち出されています。これは「生意気な韓国に鉄槌を加え思い知らせてやれ」といった姿勢で、昨年の日本政府による韓国のホワイト国排除などはその「嫌韓」の象徴でもあるでしょう。
 要は、韓国は調教・管理の対象という姿勢です。こういった姿勢は日韓両国に決して幸せな結果をもたらしはしないのですが、ではこういった姿勢はどこから生じたのか? 110年前の日韓併合がやはり大きな影響を与えていると思います。
 当時の日韓関係の最重要人物の一人が玄洋社の内田良平です。1901年、黒竜江省にちなんで内田良平によって「黒龍会」が創設されました。黒龍会は玄洋社の海外工作センターと称されます。黒龍会は日本の右翼の源流でもあるでしょう。
 ところが、当時右翼の源流になる玄洋社や黒龍会は、「嫌韓」どころか日本と韓国の対等平等の合一である「日韓合邦」を掲げて運動をしていたのです。当時の右翼源流の「日韓合邦」の姿勢からすれば、現在の「嫌韓」とは相容れないものでしょう。
 なぜ右翼の対韓国の姿勢がこうも変質したのか? …いや、よく見れば変質したと言うより、当時の玄洋社・黒龍会の姿勢が現在まで遺伝子として受け継がれていると見るほうが良さそうです。現に玄洋社・黒龍会の流れを汲む組織であろう「国民同志会」の昨年の活動報告として、日本政府に韓国をホワイト国の指定から早急に外すよう建白したとしています。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第35話 ― 内田良平の日韓合邦運動

内田良平と李容九の「日韓合邦」運動 〜韓国併合で憤死した李容九


1909年10月26日、韓国前統監伊藤博文が暗殺されるや、日本は「前統監の暗殺を機に、朝鮮の抗日運動を抑えることを口実に」(世界史の窓「安重根/伊藤博文暗殺事件」)その翌年1910年8月29日、韓国併合条約を締結し韓国を併合し、植民地としました。この日韓併合の重要人物として“いの一番”に揚げられるのが内田良平です。

黒龍会主幹 内田良平(右側)
Wikimedia Commons [Public Domain]
編集者註:写真左の人物は大本教主輔 出口王仁三郎、中央は玄洋社の総帥 頭山満。

内田良平については、「明治34年(1901黒竜会を創立、大陸進出を唱えた。韓国併合の黒幕として活躍、のちに満蒙(まんもう)独立運動を推進。」 (デジタル大辞泉)とある通りです。

先に八咫烏直属の五龍会の黒龍会と混同されることの多い内田良平が創設した黒龍会について。

黒龍会を英語で「ブラックドラゴン」と表記されるのには内田良平は不満があったようです。『歴史が眠る多磨霊園』の「内田良平」記事では黒龍会は「黒龍江を前に、雲を呼び風を望む高大な志をこめて命名した」とありますよう、黒竜江省のアムール川が黒龍会命名の基にあります。

黒竜江省とロシアとの国境を流れるアムール川(黒竜江)
Author:Kmusser [CC BY-SA]
Wikimedia_Commons [Public Domain]

さて、内田良平は杉山茂丸の口利きによって1906年に伊藤博文が韓国統監として渡韓の際に韓国統監府嘱託となり、伊藤博文に随行します。

その韓国内での内田良平の活動は、「明治40年(1907年には、一進会会長の李容九と日韓の合邦運動を盟約し、その顧問となった」(ウィキペディア「内田良平」)とある通りです。ただし内田良平の韓国との関わりはその以前からもあったのです。

『歴史が眠る多磨霊園』の「内田良平」記事で「1894(M27)朝鮮半島で政府打倒に立ち上がった東学党支援のため、玄洋社から朝鮮に派遣された。そこで『天佑侠』を組織、革命戦線に加わる。」とある具合にです。

再渡韓した内田良平と「一進会」会長の李容九が共に進めていた日韓の合邦運動ですが、これは日本と韓国が対等平等の立場で合邦して、一つの大帝国とするというものです。

編集者註:ツイートに添付されていた資料画像は、口語訳の箇所を拡大表示で確認しやすいように、シャンティ・フーラが差し替えました。
この資料は、アジア歴史資料センターで公開されているもので、国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所から提供を受けた歴史資料(近現代における日本とアジア近隣諸国等との関係に関わる日本の歴史的な文書)ということです。

この日韓合邦運動が大きな働きとなったのが、1909年12月、内田などが李容九とともに『一進会会長李容九および百万会員』の名で『韓日合邦建議書(韓日合邦を要求する声明書)』を、韓国皇帝純宗、曾禰荒助韓国統監、首相李完用に提出した」(ウィキペディア「内田良平」)ことです。

編集者註;このツイート主は、一進会とは日本人が「操縦」していた団体であり、一進会の声明文は、実際は内田良平らが日本国内で作成し、発表直前に韓国に持ち込んだ自演である、と主張しています。(ekesete1のブログ

この「韓日合邦建議書」は「我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」との文言で閉められており、日本が韓国併合を正当化する文書として利用されることになるのです。

つまり日韓併合は、「自発的に朝鮮を併合してくれと申し出たのを、日本はそれを受けたものであって侵略でも強制でもなかったとする証拠として利用された」(歴史が眠る多磨霊園「内田良平」)わけです。

そして実際に行われたのは日韓対等の日韓合邦ではなく併合であったため次の結果になっています。

李容九は「売国奴」と呼ばれ1912年に憤死、「内田は日韓併合後の政府の対韓政策には批判的で、後に『同光会』を結成して韓国内政の独立を主張している。」(ウィキペディア「内田良平」)

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