アーカイブ: 哲学・宗教

各段階の「悟り」に対応する進化段階1.0〜5.0とは 〜 肉体(広義)、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体まで心が拡大したことを示す進化段階

竹下雅敏氏からの情報です。
 これは良い文章ですね。これまでに記事にしてきましたが、現在の多くの地球人にとって、とても重要な肉体(広義)のレベルでの「悟り」について、うまく表現していると思います。この段階の「悟り」は、進化段階で言えば1.0に相当します。
 仏教では、この段階を預流(流れに入った者)と称します。以降の段階は、一来、不還、阿羅漢で、各段階の「悟り」に対応する進化段階は、それぞれ、2.0、3.0、4.0です。
 釈迦牟尼(ガウタマ・シッダールタ)が得た「悟り」の段階を考慮すると、仏陀とは、進化段階5.0に対応する「悟り」を得た者に与えられる称号だと考えられます。
 これらの進化の段階は、それぞれ肉体(広義)、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体まで心が拡大したことを示します。
 “続きはこちらから”の図は、これをわかりやすく示したものです。神智学の「太陽系の7界と49亜界」の物質界は、下の図の3.3~3.0次元に対応しています。図には、それぞれの次元と各身体の対応が記されています。平均的な地球人は、狭義の肉体に心が閉じ込められています。しかし、進化段階が0.6段階に達すると、プラズマ体まで心が拡がります。これが、進化段階1.0に達すると、肉体(広義)の全体まで心が拡がります。以下同様に、2.0はエーテル体全体、3.0はアストラル体全体、4.0はメンタル体全体、5.0はコーザル体全体まで心が拡がります。
 さて、通信を送ってきたこのアルクトゥルス・カウンシルを名乗る宇宙人は、9次元と言っています。これは、肉体(狭義)を3.0次元、プラズマ体を4.0次元、ライトボディーを5.0次元、エーテル体を6.0次元、アストラル体を7.0次元、メンタル体を8.0次元、コーザル体を9.0次元に対応させたものです。なので、この人物はコーザル体まで心が拡大していることになり、進化段階は5.0以上だということがわかります。
 彼らは、かつてのシリウス・ハイアラーキーのメンバーですが、現在は本物の「銀河連邦」に従っています。しかし、本来なら彼らは第1システム国津神第3レベル(所属次元6次元)に属しているはずなのですが、そうなっていません。
 所属次元に関しては、天界の秩序1をご覧ください。ハイアラーキーに属していた者は、過去の過ちにより、魂(プルシャ)などが動物システムに転落しており、今のままでは、彼らは第1システム国津神第3レベルに所属することができないのです。
 第1システム国津神第3レベルの最高神は、フカキモリノミヤヒメミコ様(勝鬘夫人)なのですが、彼らは繋がっていないと思います。
 彼らが、第1システム国津神第3レベルに復帰すれば、彼らのコーザル体は3.5次元の1~4層ではなく、5.3次元に上昇するはずです。彼らにとって、驚くべき意識の拡大を経験することになります。次元に関しては、天界の秩序5をご覧ください。
 この地球上の大変革を地球人と共に乗り越えれば、彼らも神々に受け入れられるようになると思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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2019年アセンション予報 6月1日付 9次元のアルクトゥルス・カウンシル "ハイヤーセルフになる方法"
by metaphysicstsushin
引用元)
自分の真実に忠実になると言うこと
こんにちは。私たちはアルクトゥルス・カウンシルです。あなたたちとつながれて、うれしいです。
あなたたちがスピリチュアルの道のりで遂げている進歩を、私たちは把握することができます。最近のあなたたちの進歩は、何かを達成した結果と言うよりは、何かを手放したことによってなされたものです。あなたたちは、誰かを喜ばさなくてはいけないとか、自分が正しいことを主張したいとか、すべての答えが欲しいなど、そのような要求を手放し、未知のものは未知のまま、自分自身でいることを心地よく感じるようになっていますね。
そのようにしてあなたたちは、調和のとれた健全な全体に近づいていきます。自分の真実に忠実になるということは、あなたではないレイヤーを剥ぎ取り、自分に課した制限を外していくということだからです。

ハイヤーセルフになるということ
これはクンダリーニエネルギーを上昇させたり、サードアイを開いたりすることとは、あまり関係がありません。クレアオーディエンスであるとか、チャネリングができるかどうかも、ほとんど関係ありません。これはたとえば、暑い夏の日に静かに座って涼やかな風を楽しみながら、その瞬間の自分や抱えている感情、周りにいる人たちを、あるがままに受け止めている、そのようなことに近いです。悟りの瞬間とはそのような時であり、そのようにして5次元のハイヤーセルフをいつでも経験することができます。

とても高い山に登って、その山頂に永久に佇むようなこととも違います。あなたたちは、これからも困難に直面するでしょう。見たくなかった自分の一面を知ることにもなるでしょう。けれども固定観念や価値観、プログラミングを手放すことで、悟りの瞬間を経験します。今いる場所以外どこにも行く必要がないと気付き、自分以外の誰にもなる必要がないと気付く。その時あなたは、なりたかった自分になり、欲しいものを創り出す力を持つのです。

時には、床の上に丸くなって泣いている自分を発見することだってあるでしょう。でもいいのです。それで完璧なのです。それが人間であるということで、今ここにいるという感覚なのです。その場所に永遠にいる訳ではありません。だからこそ、その瞬間をより完全に経験し、その瞬間の自分を愛してほしいのです。なぜならあなたたちは、常に「より自分自身になる」という状態だからです。そしてその旅路は、決して終わりません。

私たちはアルクトゥルス・カウンシルです。あなたたちとつながれて、楽しかったです。

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進化段階に応じた「悟り」を得ると、人によっては、他の人にない才能が開花する ~人々の才能は、クンダリニーの覚醒と深く結びついている 

竹下雅敏氏からの情報です。
 昨日の記事で、“クンダリニー・ヨーガで得られる達成は、別の方法でも容易に得られる”とコメントしました。その具体的な方法はすでに、シャンティ・フーラのブログで公開しているのですが、ほとんど目に触れることがないものなので、再掲します。
 記事をご覧になるとわかるように、中西征子さんに、当時匿名でクンダリニー上昇の体験記を書いてもらいました。その体験記に、私がコメントをする形になっています。
 体験記をご覧になると、中西征子さんは「チャクラを覚醒させるムドラー(手印)」「ガヤトリー・マントラの除霊と浄化の祈り」、そして「ガヤトリー・マントラ」を毎日欠かさず行ったようです。
 精進の結果、約3年でクンダリニー・ヨーガに相当する「解脱」を達成しています。ここでの「解脱」は、厳密な意味での「解脱」ではなく、進化段階に応じた「悟り」を得たという意味です。
 中西征子さんは、様々な才能が開花しましたが、その中でも神々からの通信を正確に聴き取る能力は、大変に優れたものです。また、神々のイラストで、中西征子さんが描いたイラストは、波動まで正確に写し取った見事なもので、これまでこのような例はありません。このように、進化段階に応じた「悟り」を得ると、人によっては、他の人にない才能が開花することがあります。実は、人々の才能は、クンダリニーの覚醒と深く結びついているのです。
 中西征子さんが本当に大変だったのは、クンダリニーの覚醒体験以降のことです。当時、私は、神々と通信が取れる者を必要としていて、その役割を中西征子さんに頼むことにしました。ところが、彼女はすでに、彼女を騙すタチの悪い霊に憑りつかれていたのです。この時以降の、中西征子さんと霊との戦いは、彼女自身が思い出すのも辛いものだと思います。
 中西征子さんが体験したように、クンダリニー・ヨーガ、あるいはそれに類する手法で「悟り」を得たとしても、本来の意味で内面は浄化されていないのです。幽体、原因体を浄化するのは、クンダリニー・ヨーガの成就に要した努力以上の戦いになります。
 日本でも、自称クンダリニー・ヨーガの成就者は沢山いますが、彼らは、自分自身が何処にいるのかを全く理解していません。彼らは、未だに霊的なレベルでは初心者なのですが、最終解脱をしたという大いなる妄想に取り憑かれてしまう者までいます。彼らが、こうした妄想に陥るのは、地球上の宗教のレベルが著しく低いことに加え、この手の連中は基本的にハイアラーキーと繋がっており、神々とは繋がっていないからです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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「ある受講生の体験」東洋医学セミナー
転載元)

下記の文章は、2006年3月に東洋医学セミナー受講生の体験記として
竹下氏のコメントとともに公開された文章です。
最近の方の中には、ご存知でない方も多いと思いますので再度ご紹介いたします。

実はこちらの体験記を書いてくださった匿名の女性のお名前は、中西征子さんです。

現在、「神々のイラスト」コーナーで才能を発揮して活躍していらっしゃいますが、東洋医学セミナーの実習に非常に熱心に取り組まれ、才能と感覚を信じられないほどに開花されたことが背景にあります。

東洋医学セミナーの目的のひとつは、潜在能力と才能の開花です。その目的を達成された、最も素晴らしい受講例のひとつといえます!
 
「思い起こせば、約3年前平成17年3月から竹下先生の東洋医学セミナーを受講した事が、 すべての出来事の始まりでした。

 まず取り組んだのは、手のムドラーで、チャクラを活性化させるという方法でした。毎日練習するうちに体が勝手に動き出すという信じられない変化が起きて来ました。

 自分の体の中にひっそりと何十年間もの間、自分にさえも気付かれる事なくその扉の開かれる時を今か今かと待ち続けていた “チャクラ”という宇宙からのエネルギーの変換システム——。そのシステムがムドラーによって開かれ、 活動し始めたという驚きと喜び——。この驚きと喜びが原動力となって、次の行動へとかり立てられて行きました。

 心身の浄化法についても、正直なところ、 始めは半信半疑少し面倒くささも感じていましたが、やがてその実際的効果に驚き、そして次第に深みにはまり、 疑いの余地もないほどの体感の表出となって現れた事によって、先生の教えに対する確信はますます強まっていきました。

 やがて各チャクラの位置がはっきりとわかるようになると次に額と頭頂部への異常な感覚が日毎に強くなり毎日除霊と浄化の祈りと、 ガヤトリー・マントラ3マラを続けはじめて約4ヶ月後の、平成19年9月にはじめての光をいただく事が出来ました。

 その後も日毎にエネルギーが強く入ってくるようになりました。 頭の中には縦横無尽に走るエネルギーのバイパスがはりめぐらされているかのようにエネルギーが流れ込むと、 その強い波動はある時は風のように通り抜けたり、グルグル回転して脳全体をしめつけたかと思うと、 赤と金色の光の点滅で目もくらむ様な空間に包み込み、 その次にはドキっとする程の鋭利な感覚で体表・神経叢・脊髄のアージュナー・チャクラをさし貫き…様々な方法で私をエネルギーの渦の中に巻き込みながら、 延髄から背骨へと下って行き、尾底骨でヘアピンカーブを描く様に上昇を始めます。 背骨を押し広げながらS字状に湾曲しながら登る様は、まさに蛇の上昇するクンダリニーを思い起こさせます。 サハスラーラ・チャクラ迄昇りきると、マグマが湧き上がる様に頭頂部が何度も下から押し上げられ、光が中心から湧き出る様な異次元の空間の中で、 日常的な自分の思考も欲望も消え去り、3マラを唱え終わるとしばしば放心状態となってしまうほどです。

 この様に次々と変化しながら強くなっていく不思議な現象についてセミナーや講演会の都度、竹下先生にお尋ねして、適切なアドバイスをいただき、 不安と驚きに満ちた未知なる経験に対処していく上でとても力強い導きをいただけた事をとても感謝しています。」

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ダンテス・ダイジの言う解脱は、実は「悟り」のこと! ~名だたる聖者も、単にある段階の「悟り」を得たに過ぎず、「解脱」は、このような「悟り」の遥か彼方にある

竹下雅敏氏からの情報です。
 「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」の著者であるダンテス・ダイジに会ったことがあるという方が、興味深いエピソードをまとめていました。引用元では、出来る限り、ダンテス・ダイジを美化せず、見たままの印象を描こうと努めています。大変興味深いものなので、クンダリニー・ヨーガの方面に関心のある方は、全文をご覧ください。
 ダンテス・ダイジ自身が、「解脱と人格の完成は全く関係がない」と言っています。昨日の記事で、「悟り」を得ると「自我」がなくなり、本当の自分(エス)が露わになるため、人によっては「問題児」になると説明しました。こうした例として、バクワン・シュリ・ラジニーシを挙げ、5月30日の記事では、実は彼は衆合地獄からの転生者であり、悟りを得た後の問題行動でさらなるカルマを積み、死後、大叫喚地獄へと堕ちたことをお伝えしました。
 記事をご覧になると、このダンテス・ダイジという人物も 「問題児」であり、バグワン・シュリ・ラジニーシとよく似ていると感じられるでしょう。
 実際に、進化段階もその境遇もとてもよく似ています。記事の中で“某教祖”とあるのは、オウム真理教の麻原彰晃のことです。麻原彰晃が「問題児」であることは、誰もが認めるでしょう。
 さて、宗教に関しては多くの人が様々な誤解をしているので、いくつかの基本的なことを押さえておきたいと思います。記事の黒字(太字)部分は問題があるところです。ダンテス・ダイジは、“解脱というのは、今ここにいることだ”と言っていることから、彼の言う解脱は、実は「悟り」のことだとわかります。
 クンダリニーが、肉体(広義)のレベルでサハスラーラ・チャクラまで上昇すると、進化段階が1.0となり、このレベルでの「悟り」が得られます。日常生活のふとした気づきで得られる「悟り」は、この段階であることがほとんどです。
 クンダリニー・ヨーガというのは、進化段階が1.0から2.0に到るルートです。クンダリニー・ヨーガで解脱したと自称する人たちの進化段階が、軒並み2.0であることから、こう見るのが正しいと思います。バグワン・シュリ・ラジニーシは進化段階が2.3で生涯を終えていますが、彼が「悟り」を得た時の進化段階は2.0でした。
 このように、「悟り」は進化のどのレベルでも、クンダリニーをサハスラーラ・チャクラに持ち上げると得られるのです。しかし、「解脱」とは異なります。
 たかだか進化段階が2.0で、最終解脱という言葉を用いる人がいるのには驚きます。そもそも、「解脱」の本来の意味は、“二度と肉体に生まれ変わる必要のない状態”のはずです。ところが、厳密な意味で、「解脱」をこのように定義すると、実は、釈迦牟尼(ガウタマ・シッダールタ)、マハー・アバター・ババジ、シャンカラ、ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカナンダ、ラマナ・マハリシ等々といった名だたる聖者の誰一人として、「解脱」してはいないのです。彼らは、単にある段階の「悟り」を得たに過ぎません。実は、「解脱」は、このような「悟り」の遥か彼方にあるのです。
 私が知る限り、最も偉大な聖者と言えるのは、ラーマリンガ・スワーミハルで、彼は、第1システムから第2システムへと昇進しました。他に彼のような例を見たことがないので、彼の達成は偉業だと思いますが、その彼ですら、厳密な意味で、「解脱」には達していないのです。
 このように、宗教の用語には混乱が多く、その言葉をどういう意味で使っているかは、きちんと吟味しなければなりません。クンダリニー・ヨーガで得られる達成は、別の方法でも容易に得られるものです。あえて危険なルートを選ぶ必要はないと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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ぼくの見たダンテス・ダイジ
引用元)
第1章
(前略)
ダイジは背が高かった。180以上あると思う。身体は細身でひきしまっていた。
(中略)
和尚(ラジニーシ)は解脱している。でも、無師独悟だから、とても苦しんだ。
クリシュナムルティーも解脱している。でも、あの人は禅でいう「身心脱落」と一緒と言っていたっけ? 某教祖も指導を受けた、インドのパイロット・ババという行者も、解脱している。某教祖はババに「お金だけ取られて何も教えてもらえなかった」というようなことを書いていた記憶があるが、ババは非常に、のんびりとした性格だから、そんなにさっさと指導を始めたりは、しないそうだ。功をあせったのが良くなかったのだろう。
「君なら3年で解脱できる」と言われたが、ぼくは就職した。
「解脱したら、もう生まれてこないんですよね」と聞いた。
いや。何回も生まれてくる人もいるし、別のところに肉体だけ、置いておく人もいる」
(中略)
解脱と人格の完成は全く関係がない。道元は悟りが深まれば深まるほど、きつい性格になっていった。」
(中略)
第2章
(中略)
ダイジはよく、在留米軍の基地内にあるディスコへ踊りにいき、酒を飲んでは米兵とケンカをしていたらしい。(中略)…  一度ダイジに、「先生は、本当に解脱したんですか? 自分でそう思い込んでるだけじゃないんですか?」と、聞いたことがある。ダイジの答えは、「誰がどう思おうとかまわない。キチガイだと思うんなら、それでもいい。」

「解脱っていうのは、この世界からの逃避なんじゃないんですか?」と聞くと、
「オレが現実から逃げてるって言うのか? 解脱というのは、今ここにいることだ。」と言った。
(中略)
ダンテス・ダイジの存在は、伝統的な禅宗の組織の中では、「問題児」として、議論の対象となっていたそうだ。ダイジの師でもある、ある老師のもとを訪れたときも、「来るのは構わないから、変なもの(ヨーガ)をぶらさげてくるな。」
と言われたらしい。そして、その老師自身も、「何故、あんなもの(ダイジ)の見性を認めたのか。」と責められていたそうだ。
(以下略)

死後の世界では「自我」が消滅し、「本当のあなた(エス)」がむき出しになる世界に移る

竹下雅敏氏からの情報です。
 以前の記事で、“PNSE(悟り、覚醒)の最終段階になると、自我という感覚は完全に消滅する”とありました。この時のコメントで、“これは、努力して変わらなければならない「理想の自己像」を持っていないことを意味します…自他を区別する概念が無くなったという意味ではありません”と説明しました。
 今回は、心理学では「自我」をどう捉えているかを見てみたいと思います。フロイトは、人の心の構造を外側から内側に向かって、「超自我」、「自我」、「エス」と考えたようです。「超自我」はいわば世間体で、あなたが“こういう場面ではこう振る舞わなければならないと思い込んでいるもの”です。「エス」とは、“本当のあなた”です。記事では、“本能のまま、欲求のままに動く、いのちの衝動”と書かれています。なので、「超自我」と「エス」は通常対立しており、“その間に挟まって調整役になるのが「自我」”だということです。
 フロイトの「自我」の定義は、大変わかりやすい。確かに、こう考えると「自我」の本質がよくわかります。世間体に合わせて被っている仮面が「自我」なのです。
 例えば、酒に酔って“女のいるところに連れていけ~。おっぱい、おっぱい、俺には不逮捕特典がある!”と騒いで、周りの人々に迷惑をかけているのが「エス」です。その後、自身の言動に猛烈なバッシングがあって、神妙な顔をして謝罪をするのが「自我」なのです。
 この意味で、人が大人として振る舞っているのは、世間体や法律があるからで、どんなことをしても許される状態、または法に問われない状態でどういう言動を取るかを想像すると、「エス」は随分と“幼くわがまま”であり、人によっては“犯罪者”でありうるということになります。これは、戦場という無法地帯で、兵士が現地住民にどれほど残酷な行為をするかを想像すれば、よくわかると思います。
 「悟り」を得ると、「超自我」と「エス」、すなわち“世間体”と“本当の自分”の調整役となる「自我」がなくなるわけです。「超自我」と「エス」が対立している時には、緩衝材となる「自我」はないのですから、これはかなり激しい戦いになるわけで、このような例として、バグワン・シュリ・ラジニーシの生涯を挙げることが出来ます。
 また、「超自我」と「エス」の対立がない場合は、孔子の晩年の境地「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」と似たような状況になると思います。すなわち、思うままに振る舞っても、道徳規範を踏み外すことがなくなるのです。
 当然、後者は随分と大人の境地だと言えます。実際に孔子がこのように語っていることから、孔子が「悟り」を得ていたのは明らかです。
 「マイトレーヤの使命第3巻、ベンジャミン・クレーム著 シェア・ジャパン出版」には、孔子の進化段階は5.0と書かれています。彼は、単に「悟り」を得ていただけではなく、覚者(進化段階5.0以上)だったのです。
 私には、ほとんどの地球人は、幼稚園児か小学校低学年の児童のように見えます。私は、その人の「自我」ではなく、「エス」を見ているからです。
 実は、私はできるだけ若いうちに「悟り」を得た方が良いと考えています。そうすることで、“本当の自分”が成長するからです。
 エマニュエル・スウェデンボルグは、「人間は霊界に入って本当の自分になる」と言っています。人は死ぬと肉体の衣を脱ぎ、内側の本質が露わになります。スウェデンボルグは、“人間の本質が肉体などの外面的なものではなく、内面的な心にあることに異論はないだろう。人間が肉体を離脱して、心だけの世界である霊界に行くと、その人間の本質により近い世界になる”と言っています。
 要するに、死後の世界では「自我」が消滅し、「本当のあなた(エス)」がむき出しになる世界に移るのです。心の清らかな人は、内面の本性に従って天国に行き、争いの絶えない心の人は、地獄に堕ちるのです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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自我って何? どう付き合っていけばよいの?
引用元)
フロイトの心的構造論

 精神分析で有名なフロイトは、人の心の構造を「自我」、「超自我」、「エス」という概念を用いて説明しました。超自我は、社会の中で生きていくために必要な価値観のようなもので、子どもの頃からのしつけや教育を受ける中で身につける倫理観や道徳観などから構成されています。

 これに対してエスとは本能のまま、欲求のままに動く、いのちの衝動です。エスは創造性の源でもあり、人が生きていく上では非常に重要です。しかしエスと超自我は対立します。その間に挟まって調整役になるのが自我だとフロイトは考えました。

 フロイトの考え方をベースにして、エリック・バーンは、超自我を親、自我を大人、エスを子どもに例えています。例えば誰かと食事に行き相手が話しているときに、早くも目の前においしそうな料理が出てきたとしましょう。いいにおいがするから食べたいと考えるのが自分の中の子どもの部分、つまりエスです。相手がしゃべっているのだから食べては失礼だと考えるのが超自我、エスと超自我を調整するのが自我というわけです。
 
自我は単なる調整役ではなく人生を活性化する

 フロイトは自我を調整役と考えましたが、自我の積極的な役割を認める考え方もあります。例えば超自我が強すぎると、親のしつけにまったく反抗できず、単に親の言いなりになってしまう恐れがあります。自分の本当の欲求を表に出せず、心の中の声に耳を傾けられないわけです。だからといって内なる衝動だけに従っていては社会性のない人間になってしまいます。

 超自我が社会の中で自分に対する期待や求められている役割を内在化する(自分のものとして取り入れる)一方で、自我には自分の本当の欲求を意識し、時と場合を選んで実現していくという機能があります。しっかりとした自我がないと極端な話、自分で判断することのない人間ができてしまいます。自律した人生を送るためには、自我がとても重要なのです。

悟りを得たからといって、叡智が備わるわけではなく、進化段階に応じた智恵があるだけ ~本人の生来の性格(パーソナリティ)が浮き彫りになる

竹下雅敏氏からの情報です。
 冒頭の動画をご覧になると、バグワン・シュリ・ラジニーシ(後にOshoに改名)は、“神はいないし、悪魔もいない”と言っています。これは単に、彼の無知から来るものです。悟りを得たからといって、叡智が備わるわけではありません。進化段階に応じた智恵があるだけです。
 ただ、彼はジャバルプール大学の哲学教授だったので、大変頭が良い人物です。その彼が「悟り」を得て、自分を仏陀と同等の者として自信満々の講話をすれば、彼よりも進化段階も知性も低い者にとっては、彼の誤りや問題点を見抜くことが難しくなります。
 レプティリアンの悟りの記事で説明しましたが、「悟り」を得ても、聖人君子になるわけではありません。むしろ、本人の生来の性格(パーソナリティ)が浮き彫りになるだけです。
 ラジニーシの場合は、Wikipediaに“生来の反逆的な精神の持ち主”とあるように、彼本来のパーソナリティがその生涯で如何なく発揮されたと言えるでしょう。
 彼の指導の下に、「悟り」を得た人は数多くいると思われます。しかし、基本的に似たタイプが集まってくるので、彼のアシュラムに集まった人々が、どういうタイプの人間であるかは、およそ想像がつきます。
 Wikipediaでは、オレゴン州にあった彼のコミューンは、地元住民との折り合いが悪く、暴力行為が絶えなくなり、そのコミューンはアメリカ政府から危険視され、最終的にバグワン・シュリ・ラジニーシは国外追放になったとあります。
 バグワン・シュリ・ラジニーシ自身は関わっていなかったようですが、彼の側近がサルモネラ菌によるバイオテロを意図的に行ったということで、危険なカルト団体として認定されたようです。
 引用したWikipediaのバグワン・シュリ・ラジニーシの発言によれば、彼は無政府主義を支持していたように見えます。まさに、地球原産のレプティリアンのグループと似たような発想を持っていたと思われます。
 “続きはこちらから”は、バグワン・シュリ・ラジニーシのコミューンを危険なカルト団体と見る立場からの記述です。宗教と無関係な一般人であれば、このように受け止めるのが自然だと思います。
 さて、バグワン・シュリ・ラジニーシのようなパーソナリティの人物が「悟り」を得て、なおかつ、中世のように彼が王であったならどうなるかを想像してみると、面白いかも知れません。彼を慕う仲間たちにとって、そこは理想郷です。しかし、そうでない者たちには、地獄がこの世界に現出したように見えるでしょう。
 霊的世界がどのような所かというのは、一般人には想像しがたいのですが、エマニュエル・スウェーデンボルグという霊的巨人がいます。彼が体験し、記述した事がらのほとんどは、正しいものです。
 彼は、「宗教界のリーダーたちは地獄に堕ちていた」と言っていますが、これは頷けます。
 仏教は、八大地獄を上から順に、 等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、無間地獄としています。
 実は、バグワン・シュリ・ラジニーシは、衆合地獄から地上に転生に入った人物なのです。そして地上でさらなるカルマを作り、死後、大叫喚地獄へと転落していきました。
 スウェーデンボルグは、地獄の亡者は、自分たちが地獄にいるとは思っていないと言っています。他人を支配したがるエゴの強い者たちにとって、天国は居心地が悪く、地獄が性に合っているのです。
 冒頭の動画を、今一度ご覧ください。当時の彼の波動を見れば、地獄に堕ちたということがすぐにわかるはずです。彼の波動が闇に落ちていることがわからない人たちが精神世界に惹かれるのは、はなはだ危険です。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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OSHO: There Are No Devils
配信元)
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バグワン・シュリ・ラジニーシ
バグワン・シュリ・ラジニーシ(Bhagwan Shree Rajneesh和尚/オショウ;Osho)、1931年12月11日 - 1990年1月19日)は、インドの宗教家、神秘思想家、20世紀の覚者。 21歳の時、ジャバルプールのバンヴァータル庭園にあるモールシュリの木の下で光明(悟り)を得る。
 
ラジニーシは、古来から伝わる瞑想的な技法について紹介および解説するとともに、現代人に向けて新しい瞑想の技法を編み出し、西洋的なセラピーのテクニックも導入した。ラジニーシの周辺には、彼を慕う人たちのコミューン的な状況が生まれ、その状況のなかで、各種の瞑想的な技法、心身統合的セラピー、音楽をはじめとする多彩な芸術活動が営まれた。
 
アメリカ政府の陰謀による逮捕と裁判
 
オレゴン州でのコミューン建設は、1981年の終りごろに始まった。326km2の広さの乾燥した小高い丘陵と谷間の広がる地域にコミューンは建設された。コミューンの運営はシーラの責任のもとで進められ、ラジニーシはコミューンのゲストという扱いであった。
 
1984年10月、ラジニーシは、長い沈黙を破り、みずから声明を発するようになる。1985年7月には毎日の講話を再開し、さらにはシーラの主導権を否定するかたちで、みずから報道陣のインタビューに応えるようになる。

1985年9月、シーラは側近数名とともにコミューンから姿を消し、彼女らはコミューンの多額の資金をスイスの口座に動かしていたことなどが判明した。その数日後、ラジニーシはシーラとその一味を公開の場で糾弾し、当局による捜査を求めた。捜査の結果、シーラとその一味は、1984年以来、ラジニーシの担当医の暗殺未遂、サルモネラ菌による食中毒の意図的な誘発(ラジニーシによるバイオテロ)、ラジニーシの自室を含むコミューン内での盗聴なども犯していたことが明らかにされた。

押収された盗聴テープの解析などから、シーラとその一味の犯罪はラジニーシや他の多数のサニヤシンが関知していないところで犯されたことが確認されたが、この事件を契機として、ラジニーシプーラムを「危険視」する見方が強まった。
 
1985年10月28日、ラジニーシと数名のサニヤシンは、一時的にラジニーシプーラムを離れた際、ノースカロライナ州の空港で搭乗機を武装した警官に包囲され、逮捕状なしに逮捕された。
 
1985年11月、申し立てのあった罪状のうちひとつだけでもそれをめぐる抗弁を放棄したならば5年間の国外追放を言い渡し、裁判を短期で終わらせることにするという検察側からの司法取引を受け、アメリカを退去した。長引く裁判によってラジニーシの健康もしくは生命が脅かされることを懸念した弁護側の判断によるものである。

最終的にラジニーシは総計21の国々によって、国外追放されるか、入国を拒否されることになる。ラジニーシは、
「政府達があのコミューンを恐れるようになったのはあれが、世界の偉大な無政府主義者達、クロポトキン公爵や、他の者達みんなが考えていたこと、どんな政府も必要なくなる日が来るということだったからだ。無政府主義は人がより自由になるのを、より大きな自由を持つのを助ける。最終的にはどんな政府も必要ない。そして私達には政府はなかった。誰もが自分で責任を持っていた。」
と、語った。

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