オスマン帝国スルタンとテオドール・ヘルツルの交渉
圧倒的な戦闘力の高さを背景に巨大な帝国を築いていた
オスマン帝国。しかしこのイスラム大帝国も欧州側の種々の工作もあったのでしょう、17世紀頃から徐々に衰退し、
19世紀終わり頃には莫大な借金が膨らむなど
「不治の病人」と揶揄される状態になっていました。
その当時からロスチャイルド家を筆頭とする偽ユダヤが、世界統一政府樹立のために欠かせないとして狙っていたのがパレスチナにおけるユダヤ国家の建設です。しかし
その実現にあたり絶対に必要なのが、当然ながら
パレスチナを領地として統治していたオスマン帝国のスルタンの了承です。
そこで
当時のスルタンのアブデュル・ハミド2世を説得する任についたのがテオドール・ヘルツルです。ヘルツルとは、彼の呼びかけで1897年に世界シオニスト会議が開催され、一般的には
「近代シオニズムの父」とされている人物です。「ユダヤ国家の建設」を夢見た男です。
19世紀末、ヘルツルがオスマン帝国の重臣を仲介とした形ですが、
アブデュル・ハミド2世に打診をします。
「多額の借款の棒引きと引き替えとしたパレスチナの地の割譲」を、です。
オスマン帝国に対する莫大な借款を有していたのはやはり当然ながら
ロスチャイルド家です。ヘルツルはロスチャイルド家の代理人として交渉に当たったわけです。
これに対する
アブデュル・ハミド2世の返答は次のようなものでした。「
パレスチナの地は私の所有するものではない。血を流した人民が手にしたものであり、彼らが所有する。私は自分が所有していないものをどうして売ることできようか。そして
もしそのようなユダヤ国家ができるとしたならば、それは我々の死体の上に建てられるだろう。我々は生きている体をナイフで割譲することを許さない。」。売国を拒む印象深い返答です。
その後もヘルツルは交渉に当たり、最終的には1901年に謁見を許され、ヘルツルはアブデュル・ハミド2世と直接交渉の機会を得ます。出合ったヘルツルとアブデュル・ハミド2世は互いに好印象を持ったようでした。しかしパレスチナの地の割譲は最初から答えが出ていたとおりでした。パレスチナでのユダヤ国家建設が暗礁に打ち上げられたヘルツルは焦燥にかられます。「ユダヤ国家の建設」を夢見る彼は、世界シオニスト会議で
パレスチナ以外の地でのユダヤ国家建設案を出します。ユダヤ国家建設そのものが目的ならばパレスチナ以外でも良いはずなので、彼にすれば当然の提案です。
しかしこれは当然ロスチャイルド家には最初からの目的が異なっているため、シオニストたちから総スカンでした。ヘルツルは疎まれ失意の内に死去します。
世界支配を狙うロスチャイルド家など偽ユダヤたちにとって、ユダヤ国家建設はパレスチナ以外認められるはずがなかったのです。
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そのお返しに、人間は彼らにどんなひどいことをしているのでしょうか。
本来あるべき彼らの人権、いやペット権が守られる世界になってほしい。
お金優先の世界が壊れて、新しい世界に切り替わる時、真っ先にその恩恵に預かるのは、心のきれいな彼らでしょう。
その日が来るのを、期待とともに持ちわびています。