アーカイブ: 生き方

かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(9)独立要求

かんなままさんの執筆記事第9弾です。 
————————————————————————
独立要求
「子どもがどんなことを要求しているのか、何がしたいのか、ということによく気づいていくことが大切です。

独立の要求で急所になるのは「待つ」ことです。子どもの成長に合わせていくのです。人によって成長の速度が違います。独立期の躾に関して言えば、人間に対する理解が一層要求されます。
その要点は、何度言っても言い過ぎではありませんが、十分に「待つ」ことです。」

出典:「ぴ・よ・こ・と」竹下雅敏(著)


子どもの行動を見て愛情要求なのか?独立要求なのか判断するのは難しいです。
子どもの年齢、体癖や状況によっても変わります。総合判断して感じとるしかありません。(子どもの気に同調して感じられたら簡単だと思います)

愛情要求は待ったなし。でも独立要求は待つ・・・まあ、愛情要求だと思って抱きしめて、拒否されたら待つことにしましょうか(笑)
どちらにしても愛が必要です。

ところで、これは我が家で最近あった出来事です。


イラストAC


家族だけで「うんこ通信」(私はうんこの母)をしているのですが、息子が思い余って自分の息子の動画を載せました。「いつもの発狂」と書いて6歳のK君の泣き叫ぶ姿が映っていました。息子の話によると、最近、いきなりわけのわからないことを言い出して暴れるとか。始めは抱きしめて諭すのですが益々悪化する。何をしても収まらないので大声で叱ってしまい、最後は泣き寝入り。

私はこの動画を見て胸が締め付けられました。
思い出したのです。昔、息子が同じことをしていたのを・・・。決まって夕方でした。日頃お利口さんなのに、突然わけのわからない事を言い始めて手が付けられなくなるのです。幼い3人の子どもがいて余裕のない私は息子を玄関から追い出して「こんな子いらない!」とお仕置きしたことも・・・。その情景が孫と重なって涙が出てきました。

そして息子に「ごめんなさい!私もあなたに同じことをしたよ。なぜいきなり駄々をこねるのか解らなくて結局怒ってばかりだった。今ならあの時のあなたの気持ちがわかるよ。無条件に見守って!」と書き込みました。

その書き込みに反応したのが3人の子どもがいる娘です。「うちの場合もTちゃんがイライラしてるよ。いきなり弟にあたって、最後にはベランダの葉っぱに話しかけて落ち着くみたい」と。

「私も思いだした!子どもの頃なぜかイライラして、飼っていた鳥(かんな)や、学校の帰り道に道草しながら、犬や猫、田んぼのカエルたちに相談してたもん」と、オーストラリアの娘が書き込みました。

「何でイライラしていたのか思いだせんけど、それを諭されたら余計に腹が立っていた」「そう、自分でもわかっているのに言われると余計に腹が立つのよね」「うん、だからそんな時は構わないでほしい」「そんな時は、ペットのように何をしても判断しない存在って大事!」

「Kちゃんは自分ではどうにもならない自分の感情と葛藤してるんだよ」「黙って見守って、落ち着いたら認めて、後は知らん顔してたらいいよ」と、それぞれが自分の体験談を書きこみました。

そんな子ども達のやり取りを見て、成長って自分との戦いなんだと再認識しました。そしてやっぱり「無条件に見守り、待つこと」が肝心だと思いました。

それに、道草ばかりして遊び呆けていると思っていた娘は道端の虫や動物たちに相談していたのか!私が育てたなんておこがましい!周りの自然や動物たちが無償の愛で助けてくれていた事にも、あらためて感謝の気持ちでいっぱいになりました。その娘は今、動物保護の仕事をしているのも納得です。

観察していると、2歳の孫は「イヤ!」を誇らしげに連発しています。なあんてかわいいんでしょう!自分の気持ちをはっきり言えるようになってやる気満々です。これは人生で初めての自立心の芽生え。うまくできるはずもありませんが、何度でもやらせて達成感を味あわせてあげたいものです。そのくらい初めての自立体験は特別なのです。それが達成できたのか・・・。親の余裕は必須です。

それにしてもイライラするのは捻じれさんが多いような気がします。我が家の場合はそうでした。自分でやりたいのにうまく表現できない、反抗したくなる、まだ小さいうちはそれが鬱滞すると、泣いて暴れてエネルギーを爆発させてしまうのです。疲れが溜まる夕方に多いのも頷けます。

もちろん、性のエネルギーが爆発する思春期(自立期)は誰にでも訪れます。それは新しい自分への脱皮の時期であり、独立要求強化月間なのだと思います。親は目の前の暴言や反抗に振り回されますが、逆に、何かにチャレンジさせて成長を促すチャンスなのかもしれません。(小さい頃から子どもの小さな脱皮に気がついて尊重できていれば反抗する必要はありません)

一方で、現代は時間に追われる親の余裕のなさが問題を深刻にしています。「よく見て、待つ」というのはゆとりがないとできません。この現状を早く見直さないと子どもの悲鳴が聞こえてきそうです。

» 続きはこちらから

青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』10月号を題材に(前)〜

 特集記事作成当時では聞くこともなかった日本での餓死、それが最近では相当数が報告されるようになっています。現在の世界の飢餓、これは自然に起きたことではありません。
 「ありあまるごちそう」という映画、この冒頭は大量の作りたてのパンを廃棄するシーンから始まり、生き物が人工的に残酷劣悪な状態で機械的に食品にさせられていく様子が収録されています。この映画に登場するジャン・ジグレール博士は「餓死は殺人」と指摘します。映画の内容とそこでの博士の言葉そして博士の著書「世界の半分が飢えるのはなぜ?」を読むと分かります。世界における飢餓の元凶それは穀物メジャー等による「市場操作」、グローバル経済による搾取強奪であることに。べつの言い方をしますと飢餓を作る主犯は911テロの首謀者たちに他ならないということです。
 今国会で「種子法廃止の法案(モンサント法と称される)」が既に成立させられました。外資による「食の支配」が一層進みそうです。身を守るためにも各地域そして各家庭がそれぞれ自立し、速やかに可能な限りの「自給自足」「地産地消」を実現する取り組みが必要となっているのです。
(seiryuu)
————————————————————————

福岡正信氏
Author:naturalfarming.org



特集記事 「道しるべを探して・・・3」 2001年10月号掲載 前 

 年間1千万人の子ども達が餓死し、飢餓人口は8億4千万人。年間2千万トンの食料をゴミにしている飽食日本の私達にはピンときませんが、世界の食料事情です。私達がゴミにしてしまっている食料を、飢餓に苦しむ人達にうまく振り分けることが出来れば、餓死する子どもが、一人も無くてすむのはいうまでもありません。ただし、近い将来世界的な食料危機が訪れるのは確実だともいわれています。その時においても、私達は飽食の上に座していられるのでしょうか。

・・・・(略)・・・・
 

地上全ての生命体そして人間が、生きていくために絶対必要な3つの要素、それは空気、水、食料です。この3つの生産維持に大きく関わっているのが、土と緑(特に森林)です。平成13年環境白書によると、世界の森林の減少は年間1130万ha。特に多様な生物の共生の場であり、酸素供給の場でもある熱帯雨林の減少は深刻であるとの報告がされています。

また、平成2年の白書では、生物にとって不毛の地である砂漠地の増加は年間600万haとのこと・・・。実に九州と四国の合計面積にあたります。このままいくと2025年には、世界中の3分の2の人が水難民になるとの報告もされています。私達を取り巻く環境は深刻な段階を迎えているのです。

そして、それらの原因に私達の価値観、生活スタイルが大きく関わっていることも知りました。つまり、物質経済に価値の重きをおき、万物を自らの要求を満足させるための利用物とみなし、大量生産大量破棄し、経済力の優れたものが支配していくスタイルです。

この弊害を知るにつけ、私達はある人物とその活動に注目しました。福岡正信氏と福岡氏が提唱実践されている自然農法です。「人間の力など小さいもので、草一本人間が作っているのではない、・・・人間の知恵はまったく役に立っていない。」福岡氏の思想、それは、成熟したとされる社会を生きる私達には、少し遠い昔の考え方のような気もしました。しかし、なぜか福岡氏の問いかけに何か新鮮さを感じ、切迫感を持たずにもおられませんでした。

・福岡正信氏と自然農法
  

「自然の力を信じなさい、人間の力なんて本当に小さなものだから。」福岡氏は、そう訴えておられるように感じます。

「私の自然農法は、約百種の種子を混ぜた粘土団子を野山や田畑に蒔くだけです。砂漠やサバンナでも3年から5年でバオパブ、アカシヤの巨木が、その下にパパイヤ、バナナ、グアバが実り、その下でタピオカなどの小潅木、その下に野菜や緑肥、穀物もできる。」
 

大正2年生まれの福岡氏は、独自の文明批評を展開しながら、近年は多くの国を訪問して自然農法の種を蒔き続けられており、インドの最高栄誉賞をはじめ、海外で数々の賞を受賞されています。また、これまでに7冊の本を執筆され、初作の「わら一本の革命」は世界10カ国以上で翻訳出版されています。


 福岡氏の主張は、人類のおごりをとがめ、多様な生物それぞれの独自の生態活動を阻むことなく、人類も地球上の生態系の一員として自然と一体となって生きるスタイルにあります。そしてその具体的実践が自然農法となっています。


 自然農法は従来型の農法は勿論、有機農法とも異なります。福岡氏の自然農法は、不起耕、無肥料、無農薬、無除草、つまり、耕さず!肥料を与えず、人為的に、害虫も雑草も排除しないを原則としています。平たく言えば、極力自然に手を加えない農法です。

しかし、当然何もしないで生産を得るためには、自然をよく知ることが必要であり、長年の研究で編み出されたのが、植物の種子を包んだ粘土団子の使用であり、それによって大きな成果をあげられています。


 自然農法の優れたところは、病害虫等に負けないほど、作物自体の生命力が非常に強くなる点。化学肥料や農薬を用いないため、微生物を含む多様な生物の生態活動が活発に循環し、砂漠をも緑化させるほど豊かな土壌を生成する点にあります。

自然農法自体が人の生活を支えながら、多様な生命を育む土と緑を豊かにし、自然回復運動ともなっているのです。


911同時多発テロ(2001年 秋)



Author:Ricopico222



 広報委員会が開かれている中でした。この特集記事10月号のゲラの校正もその委員会で行っていました。アメリカで航空機がビルに激突したとかのニュースが流れていて、「何だろう?」と思っていたところ、そこにニューヨークのツインタワーに航空機が突っ込んでいく映像が飛び込んできたのです。

 一緒にいた広報委員の一人が興奮して言います。「ほらあ!!委員長!言っていたでしょ?いつかアメリカはやられると!バーンと!!」。私はその声を聞きながら、かすかにうなずきつつも、何か耳の奥からアラーム音が鳴り響いているのを聞いていました。「違う!おかしい?何か変だ?!違うぞ?」と。911同時テロ勃発です。

 ブッシュJRはこれを機として「対テロ戦争」を宣言し、直ちにアフガニスタンへの武力攻撃を実施します。その言い分は当時の報道ではオサマ・ビンラディンが911テロの首謀者主犯であり、容疑者のその彼をタリバン政権が匿っているというものでした。

 この言い分自体呆れたものです。「容疑者を匿っていそうだ」でなぜ他国を武力攻撃できるのか?しかもこの時点でオサマ・ビンラディンが911テロの主犯との証拠は無し、ましてやタリバンがビンラディンを匿っている証拠は全く皆無。というかこれらは全くのデマ虚偽でっち上げです。虚偽による一方的武力攻撃です。

 また、米国内においては、どさくさ紛れで「愛国者法」が制定されます。これにて米国憲法は完全に停止し機能しなくなります。まさにショックドクトリンです。ニューワールドオーダーへの野望実現へのあからさまな態度表明です。あの根本教義のカモフラージュすらしない態度です。

 一方日本国内では小泉内閣下にて「対テロ戦争」宣言を受け、やがてテロ対策特措法が成立し自衛隊による米国の後方支援が実施されていきます。この流れが現在の安保法、自衛隊のソマリア派遣駆けつけ警護に繋がります。

 そしてこの特措法成立に大きな役目を果たしたのが、マスコミ報道を駆け巡った「ショー・ザ・フラッグ(旗幟を鮮明にしろ)」です。しかし後にこの言葉は実際には出されたのではなく当時官房副長官だった安倍晋三氏のねつ造リークとの情報があります。

 他方ネット世界(阿修羅掲示板)ではテロの翌日には米国による「自作自演説」が提出され、幾多の疑問が雨後の竹の子のように芽を出していきます。私自身もほぼ即座に「変だ?おかしい」と思っていました。なぜなら無数の監視衛星が作動している中、表報道のような旅客機によるテロが成功するはずがないからです。「少なくともブッシュ政権はテロを予め知っていたはずで阻止しなかった」が私の考えで、ネット情報は私の考えを補完するものでした。ともあれ911テロで米国、日本が、世界が大きく動き出します。

» 続きはこちらから

うつ病への霊的な対応方法(各身体の波動や憑依、カルマ、瞑想の際の意識の焦点)

竹下雅敏氏からの情報です。
 17歳のうつ病の症状が、Facebookにメッセージを投稿。うつ病の真相が明らかにされ、多くの賛同が集まっているようです。
 写真の少女が、投稿した本人だと思いますが、写真を見る限り、かなり深刻なうつ病のようです。うつ病の人は、例外なく波動がムーラーダーラ・チャクラに同調します。彼女の場合は、原因体を除く残りのすべての身体が、ムーラーダーラ・チャクラに同調しています。見たところ、プラズマ体に憑依があるようです。憑依がうつ病の原因か否かは、定かではありませんが、その可能性はかなり高いと思います。
 憑依が原因であれば、現代医学では処置なしです。薬で憑依が解けるはずがないからです。むしろ、神の御名を唱えるなどのマントラ(真言)の方が、はるかに効果が高いでしょう。
 ただ、いくら神の御名やマントラを唱えても、彼女に憑依されている霊との間のカルマがあれば、憑依を取り除くことは出来ません。カルマの方を先に取り除いておかなければならないのです。
 時事ブログでは、うつ病の人に対するアドバイスとして、カルマ軽減の祈り除霊と浄化の祈りをセットにして、何度か唱えてみることを勧めています。この少女の場合、目に輝きがあり、魂が残っているのが見て取れます。なので、彼女に的確なアドバイスが出来る人が傍に居れば、彼女は救済される可能性が高いと思います。
 自分ひとりで道を歩むとすれば、“ずっと天井を見つめ続ける”代わりに、瞑想によって、彼女の意識の焦点であるムーラーダーラ・チャクラに、彼女の意識を完全に同調させる必要があります。これは、あるレベルの三昧(サマーディ)です。気づきと共に、意識の転換が起こります。もしこれが起これば、彼女は自力で覚醒への旅を始めることになります。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
「うつ病は美しくなんかない」ある女性が明かした “うつ病であることの告白” に賛同集まる
引用元)
(前略) うつ病がどんな状態であるかを説明すべく、17歳の女性がメッセージを投稿。約30万のシェア数で話題を集めている。

(中略)...

「1カ月ぶりに髪をとかした。ベトベトしていて、からまって、毛がプチプチ切れた。髪を洗っていたら、長いこと忘れていたその清潔な感触に涙が出た」

(中略)...


(中略)...

うつ病は、美しくなんかない。

うつ病は、不潔な状態。汚れた食器は山積みで、寝すぎて体が痛くなる。

うつ病は、友達がいなくなる。今では優しい3人の友達が残ってくれているだけ。

うつ病は、涙が出なくなるまで泣くこと。吐き気はあるのに何も吐けなくて、うめき声だけ出る。

うつ病は、ずっと天井を見つめ続けること。瞬きすら忘れるから、目も痛くなる。

うつ病は、家族を悲しませること。家族と距離ができ、もう仲良くしたくないと誤解させてしまうから。

うつ病は、虚しさを肉体的に感じられるもの。

(中略)...

この投稿は Facebook 上でたちまち話題となり、「私も全く同じ。こうやって自分の状態を打ち明けあわなくちゃね」「本当にこの通り」などと多くの賛同が集まった。

(以下略)

かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(8)嫁姑

かんなままさんの執筆記事第8弾です。 
————————————————————————
嫁姑
嫁姑の問題が起こるのは、お姑さんが不幸だからです。そのため弱い立場の人に当るのです。もうひとつは、お姑さんの無知、愚かさからきているというのが私の考えです。
もちろん、お嫁さんも無知で愚かです。しかし、嫁と姑が同じくらい愚かなら、年を取っている方が非が大きいのです。長く生きているだけ、もう少し賢明であるべきです。
お姑さんが自分を見つめて人間を理解しない限りこの問題は解決しないのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


この文章を読んだ時、衝撃が走りました。もう一度読んだら涙がぽろぽろ出てきました。私の心の中で姑との問題が一気に解決していくのを感じました。

嫁に課せられた重圧


家と結婚したわけではないのに嫁はその家のしきたりに縛られていきます。はじめから弱い立場なのです。結婚1ヶ月目から毎月「子どもはまだ?」と電話がかかるようになりました。妊娠に焦りました。妊娠して喜んでいたら流産。悲しくて、更に焦りました。やっと妊娠したら「うちは男しか生まれない」と言われました。流産しそうになり安全のために入院を勧められ、生まれる直前に感染症にかかり2%の危険があると言われて帝王切開を選ぶように勧められ、無事に男の子が生まれて祝杯が挙げられました。お世継ぎ55代目が生まれたのです。家に残る家系図には娘や嫁の名前はなく全て「女」と書いてあります。

産後すぐに夫は外国へ。不安で涙を流して見送る私に「あんたはすぐに行くからいいね」と嫉妬されてびっくり。

子育てしながら引っ越して外国への荷造りをするという超多忙の中「長男の嫁が家にいないでは世間に顔向けできない」と怒られて夫の実家へ。夜中の授乳と家事、荷造りと無理がたたり産後の出血が止まらなくなりました。実家に行かせてくださいと頼んだら「あんたの体はどうでもいい」と言われ、逃げるように外国へ行きました。

2年間の外国の暮らしは夢の様でした。夫婦だけでいられる…それだけで幸せでした。帰国の飛行機の窓から富士山が見えた時、またあの生活になるのかと涙が出ました。

PixelwunderByRebecca


姑は悪い人ではありませんでしたが言いたいことをズバズバ言い、ズカズカ私達の生活に入り込み、夫を溺愛していました。私の息子に無断で自分のおっぱいをやり、子どもの教育に口を出し、息子の成績が悪いと親族会議が開かれ、お叱りを頂きました。子どもを医者にしなければ嫁の役割は果たせないというプレッシャーがかかりました。でも塾に行くのを逃げ出す息子を見て通わせるのを辞めました。

犬を飼いたいと話したら「子どももろくに育てられないくせに犬なんて」と怒られました。その時、我慢の糸がプチンと切れました。「私は期待に沿うような完璧な嫁にはなれません。私は子どもが4人いて、犬もいて、成績よりも、みんなで仲良く暮らす方が大切だと思います」とはっきり言う事が出来たのです。姑は私が口答えしたのでびっくりして何も言いませんでした。その時から私の中で確信が生まれました。もう振り回されないと。

» 続きはこちらから

青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』7月号を題材に(下)〜

 夕刻、近所の居酒屋にいました。隣の知人「このこ、すごい別嬪さんやなー、それで顔出しか、すごい勇気やなー!」との声。顔をあげるとテレビで若く美しい女性が山口元TBS記者によるレイプ被害と警察の事件もみ消しを訴えるニュースが流れていました。「そうですね。」と私がうなずく横から、違う知人男性が「こんなん(無防備な)女も悪いんや。」との声。「それはおかしい、違いますよ」とたしなめましたが、私は帰宅し改めて被害女性の「・・・レイプという行為は私を内側から殺しました」とのコメントを読み、少し考えてしまいました。「もしかしたら、いや多分私も被害女性にも非があるなどとは思わないが、昔ならこのコメントを少し大げさでは?と思ったかもしれない」と。正しい知識を得ていない怖さを改めて思いました。今回の解説文は「精神的な空白感、飢餓感」の正体、教えて頂いた性暴力を中心とする野心に言及しています。
(seiryuu)
————————————————————————

Author:663highland



特集記事 「道しるべを探して・・・2」  2001年7月号掲載  下 

・和の精神 

 人間中心主義の限界、今これを乗り越えていく鍵はどこにあるのでしょうか。

 文化と技術、これは相関関係にあります。文化は長い時間をかけて成り立つものですが、文化とはそれぞれの地域において、その地域の人々がそこで生活しやすくしていくための仕組みです。仕組みはそれを支える技術を生み出します。そしてこの技術は、実際に文化仕組みを稼動させながら、また文化を生成進行させていきます。この全体が社会です。更にこの文化や技術を生み出すのに欠かせない要素が、自然環境であり、人々の精神作用に他なりません。

 さて現代日本、私達は欧米文化を取り入れ、特に戦後、生活スタイルは激変しました。そして、通信、医療、土木建築、農耕・・・ あらゆる分野で技術が進んだと思われています。確かにそうでありましょう。しかし、全ての分野でそうであり、昔のものが劣っていたのかといえばそうでもないようです。法隆寺に代表されるような、数百年単位で維持される木造建造物。日本各地に残る城壁等の自然石を組み合わせただけの、非常に堅牢な石垣。これらのものは現代技術の粋を結集しても、再現は非常に困難なものです。コンピュータも機械も、電力等の動力源もなかった時代、このような優れたものを、生み出せた背景には何があったのでしょうか。

 それには、もちろん全体的な設計能力が必要です。ただそれ以上に大切なのが、木や石という素材そのもの一つ一つを、敬愛理解し、生かしていこうという精神的な姿勢ではないでしょうか。石垣を例に取れば、一つ一つの石の大きさや形、強度は全て異なります。合理的なスピード重視ならば、石を削ったり切ったりして、石を平均的に均一化して用いるほうが、楽に石垣は仕上がります。

 しかし実際は、その異なったままの一つ一つの素材に、手を加えることなく組み合わせていくことによって、堅牢な石垣が出来上がっているのです。木造建築も同様に一本一本の木の性質、形状を尊重し、様々に組み合わせることで、長期にわたり維持していける調和のとれた、建造物が出来上がるわけです。

 色々なもの、一見役立たずとも見えるようなものでも、その一つ一つを、敬愛理解し、その性質や形状を認め、生かしていこうとする文化、それが実は、脈々と受け継がれてきた日本の文化であり、その底流には、聖徳太子の「和をもって貴しとなす。」の言葉に象徴される和の精神があったと思えます。

 現在の風潮では和の精神といえば、妥協や馴れ合い、もしくは自己犠牲といった感覚で受けとられやすいのですが、本来はそういう意味ではありません。和の精神は、全てのものは繋がっているという、ありのままのことを受け入れるところに発動します。人と人、また他の生き物との間においても、関わりがある以上、そこには協力しあう愛の流れがある反面、必ず悲しいことに、個々の生存要求に基づく、憎しみ争いもついて回ります。

 和の精神とは、単純に憎しみや争いを無くしましょう、妥協し馴れ合っていこうというものではありません。憎しみ争いといった、ある意味では関係を有すことの負の部分も認め踏まえながら、その矛盾を超えて、互いに生かしあい、調和をとっていこうとする精神を指すものです。

・21世紀を創造していくために 

 繋がりを忘れ、自らの要求充足に血眼になることに起因するであろう、深刻な自然環境破壊の進行や、夫婦や親子間でも保険金目当ての殺人が起こるといった、現代社会の殺伐とした側面に触れるに付け、改めて、和の精神を、未来への「道しるべ」として見直していくべきだと感じます。

 私達一人一人の意識精神の働かせ方こそが、文化を、技術を生み出し、それが全体としての社会を生み出し、新たな21世紀を創造していくものだからです


「精神的な空白感、飢餓感」その本当の正体



pixabay[CC0]


特集記事では非人間化に繋がる「精神的な空白感、飢餓感」を問題の本質としてとりあげてきました。ここで当時は全く分からなかったその正体を先に簡単に示しておきます。教えて頂き気づいたものです。

それはまさに驚愕の一言でした。「思想は確かに大事なのです。すごく大事ではあります。しかし思想では人間は救われません。全然救われないのです。」。

直接生で聞いた私は「う!ええ!な?なに?」との反応です。なにしろ既に記しているよう、まだ構築も見つけたわけでないけど私は「素晴らしい思想、これこそが「精神的な空白感、飢餓感を抱える」人間をその社会を「救う」と、当時そしてその後長らくも考えていたのです。」から。たしか岡山講演だったか?記憶は定かではないですが会場で竹下さんがあっさりした感で語られ、耳にしたその言葉は全く何の迷いもてらいもなく確信に満ちていました。

「思想ではない?それでは何が救いになるのだろう?」。やがて私はそれを教わっていきます。まず「子育て講演」にて。男女問わず赤ん坊から老人に至るまで全て人間に共通する基本的欲求、満たされるべき欲求が愛情欲求と独立欲求。この2つが満たされると幸福です。しかし満たされないとこの欲求はどうなるか?化けるのです。深く他者を損ない自己もやがて深く傷つける邪悪な欲望へと。その欲望は決して満たされません。本体ではなく化けた欲望だからです。満たされない貪欲で際限ない欲望は巨大化し自らを、全てを飲み込む制御不能の怪物に化します。

竹下さんは「野心」と呼びます。名誉欲、支配欲、所有欲、権力欲、そしてその中心に位置する性暴力です。そしてやがて愛情欲求と独立欲求を含め欲望の根本にあるもの、それが性欲だと教えられます。

そこで初めて気づいたのでした。実はどうしても分からなかった「精神的な空白感、飢餓感」奥に隠れていたこれの本当の正体が「満たされぬ性欲」であったことに。これは私の視野に全く欠けていたので衝撃でした。しかし振り返り検証し考えてみると確かに「なるほど」だったのです。

» 続きはこちらから