seiryuu氏の執筆記事第2弾です。
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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭 〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』4月号を題材に (上)〜
特集記事 「道しるべをさがして・・・1」 2001年4月号掲載 上
倫理は人間が集って、生活を営んでいく上での基盤であり、これがなければ、社会生活は成り立たないものです。ところが昨今、新聞や雑誌だけではなく、テレビにおいても、現代文明と遺伝子に関わる最先端医学等の特集番組を通じて、倫理や、人間存在そのものを根本的に問い直す試みが、多くなされていることに、お気づきではないでしょうか。これらのことは何を意味するのでしょうか。
・現代の姿
現在、先進国と称される私たち日本の社会状況は、自由主義のもと、物質的に豊かで便利な生活を謳歌しているといえると思います。しかし、本当に私たちが、安心して、いきいきと充足した生活を送っているのかと問えば、どうでしょうか。
私たちをとりまく状況は、自然環境面では温暖化現象、ダイオキシン、環境ホルモン等の問題。社会環境では、未成年者の凶悪犯罪、麻薬等の薬物の氾濫、年間数万人の自殺者の輩出、政治腐敗、そして天文学的な国家の負債といった問題等々、数え切れないほどの病理的な現象をあらわしていることも否めない事実であり、これらの病理的な現象を生み出してきたのは、私たちの生活スタイルにあることも忘れてはならないことだと思います。
そして何よりも大きな問題は、社会の閉塞状況という言葉でよく表現されていますが、私たちが来るべき未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況にあるのではないかということです。私たちにとって、夢や希望とは、充実した生を営んでいく原動力となるものであるといえます。
ところが、未成年者の凶悪犯罪、麻薬等の薬物の氾濫、年間数万人の自殺者の輩出といった問題は、私たちの社会が未来に対して、夢や希望を持ちずらい状況にあることを、端的に表現している現象だと思います。未成年者の凶悪犯罪等、これらは、いわば現実否定や現実逃避の行為です。
現在から未来へかけて、明るく豊かな展望が開けていれば、物質や経済的なものが、現在たとえ苦しい状況下にあったとしても、こういった現象は起こりにくいものだからです。精神的な空白感、もしくは飢餓感と表現すべきものをここに感じます。
倫理は人間が集って、生活を営んでいく上での基盤であり、これがなければ、社会生活は成り立たないものです。ところが昨今、新聞や雑誌だけではなく、テレビにおいても、現代文明と遺伝子に関わる最先端医学等の特集番組を通じて、倫理や、人間存在そのものを根本的に問い直す試みが、多くなされていることに、お気づきではないでしょうか。これらのことは何を意味するのでしょうか。
・現代の姿
現在、先進国と称される私たち日本の社会状況は、自由主義のもと、物質的に豊かで便利な生活を謳歌しているといえると思います。しかし、本当に私たちが、安心して、いきいきと充足した生活を送っているのかと問えば、どうでしょうか。
私たちをとりまく状況は、自然環境面では温暖化現象、ダイオキシン、環境ホルモン等の問題。社会環境では、未成年者の凶悪犯罪、麻薬等の薬物の氾濫、年間数万人の自殺者の輩出、政治腐敗、そして天文学的な国家の負債といった問題等々、数え切れないほどの病理的な現象をあらわしていることも否めない事実であり、これらの病理的な現象を生み出してきたのは、私たちの生活スタイルにあることも忘れてはならないことだと思います。
そして何よりも大きな問題は、社会の閉塞状況という言葉でよく表現されていますが、私たちが来るべき未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況にあるのではないかということです。私たちにとって、夢や希望とは、充実した生を営んでいく原動力となるものであるといえます。
ところが、未成年者の凶悪犯罪、麻薬等の薬物の氾濫、年間数万人の自殺者の輩出といった問題は、私たちの社会が未来に対して、夢や希望を持ちずらい状況にあることを、端的に表現している現象だと思います。未成年者の凶悪犯罪等、これらは、いわば現実否定や現実逃避の行為です。
現在から未来へかけて、明るく豊かな展望が開けていれば、物質や経済的なものが、現在たとえ苦しい状況下にあったとしても、こういった現象は起こりにくいものだからです。精神的な空白感、もしくは飢餓感と表現すべきものをここに感じます。
この部分に関することですが、知人が面白いことを言っていました。「私たち現代人はまるで幽霊みたいになっているね。と。ご存知の通り日本の幽霊には足が描かれていません。このことは「不足」即ち「足ることを知らず、感謝できず、心身の置き場がない状態」を表現しているそうです。物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱えながら過ごしている、現代社会の状況を巧みに表現した言葉であると感じました。
物質世界と精神世界
振り返るとこの時代までマスメディアでよく踊っていた言葉が「こころの時代」です。「物質的には豊かになり便利になった。しかし、精神的には・・・」というフレーズが頻繁に使われていたのです。「こころの時代」をテーマとしたテレビ番組が多くありました。「物質的には豊かになったのだから、後は精神が豊かになるように。そのためには何が大事でしょうか。」といった内容で、物質世界と精神世界を分けて精神世界の大切さ優位性を訴える番組構成が主だったよう記憶します。そして当時私自身これにうなずいていたものでした。
・・・ところが、この頃は「こころの時代」、「物質的には豊かになり便利になった。しかし、精神的には・・・」というようなフレーズはさっぱり耳にしなくなりました。なぜって?「物質的にも貧しくなった(させられた)」からです。日本ではこの頃から構造改革が本格的にスタートしたのです。
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ごめんなさい、読者の皆様に最初にお断りしておきます。4月号は倫理全般を取り上げた回です。冒頭の「倫理は人間が集って、生活を営んでいく上での基盤であり、これがなければ、社会生活は成り立たないものです。」これはこれで本当にその通りだと思います。
しかし今見れば三回の中の2回分上と中、この部分は実体験が薄い者(当時の私)が記しているので仕方の無いところではありますが、文章が拙いというか中身が薄いのです。別段、間違っていることを記しているわけではありません。ただし「倫理が崩れて大変」と新聞や雑誌、誰かが皆言っているようなことをなぞっているのに近い内容です。(勿論、倫理の崩壊は当時より今のほうがひどくこれはこれで大問題なのは間違いないのですが。)
そしてすごく読みにくい(臭い?)ところがあります。今回掲載文書の最後のところ□で囲った文です。全体を大幅カットしようかとも考えたのですが、あえて掲載させて頂きました。ここから見えてくるものがあるからです。現代社会というより私の抱えている問題です。