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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝66 ― ケネディ大統領暗殺の背景

 ETや宇宙テクノロジーなどの情報は、一般民衆には秘匿されたまま現在に至っています。秘匿の方針が決まったのは第2次世界大戦後すぐのことでしょう。この情報開示に関する記事を竹下さんはしばしばあげられています。6/6の記事では「ロシアは地球同盟の情報の全面開示派」、6/7記事では「『Qグループ』は情報の部分開示派」との指摘がされ、なぜ「部分開示」なのか?は、ことの真相が民衆に知られるとマズイことが説明されています。
 約60年前、米国で情報が開示されるチャンスがありました。1961年1月のジョン・F・ケネディの米国大統領就任がそれです。これにはその前段があり、一つは前回見た1952年の「ワシントンUFO乱舞事件」で、これでブラック・ロッジの宇宙人をバックとしカバールに属するナチスドイツと米国政府は協定を結びます。
 他方、1957年春に一応はカバールと敵対する「相対的な光」の宇宙人グループのヴァリアント・ソーたちが来訪、時のアイゼンハワー大統領と会見し3年間ペンタゴンに滞在、米国政府はヴァリアント・ソーから提案は受けていたのです。ただし、その提案をアイゼンハワーは受け入れできませんでした。この2つが前段です。
 ケネディ大統領はヴァリアント・ソーの提案を実行しようとした思えます。ただ、そのケネディは1963年に凶弾に斃れるのです。今回はそういったケネディ大統領就任までの部分を『大統領に会った宇宙人』を通して見ていきます。
 ところで…『大統領に会った宇宙人』p64に次の記述があります。
アメリカ政府の指導者たちは、夜遅くまで議論をつづけた。ヴァルの提案を知ったら、アメリカ国民は自分たちではなく彼にしたがうのではないか、と彼らは怖れた。平穏な生活を脅かされたとき、人はいつも、すみやかに自己を保存しようとする。
 Qグループの誕生の原点はケネディ大統領暗殺だったはずだと思うのですが、その彼らも60年前の米国指導者と変わらないようです。自己保存が第一義の…。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝66 ― ケネディ大統領暗殺の背景

米国大統領暗と「ポジティブET」の会見


『大統領に会った宇宙人』は以下の内容が記載されています。

  • 1957年春に、異星人ヴァリアント・ソーが異星人グループの仲間と共に地球に訪問。
  • ヴァリアント・ソーは当時の米国大統領ドワイト・アイゼンハワーとホワイトハウスで会見。
  • 大統領との会見後、ヴァリアント・ソーは3年間ペンタゴンの中に滞在していた。

一番右側の人物がヴァリアント・ソー
para.wiki [CC BY-SA]

ヴァリアント・ソー(著者はヴァルと呼称)は、地球人類に対する助言と助力を目的に地球に訪問していたようですが、その目的は不調に終わったと記されています。

また、ヴァルは例の“天空の爆弾”、いわゆるスターウォーズ計画に助言することを拒みつづけた。」(P48)ともあり、秘密宇宙プログラム進捗への協力を拒否しているのです。

前回、コーリー・グッド氏からの情報としては以下のような内容を見ました。

  • 米国はETや宇宙テクノロジーなどの情報をトップ・シークレットに。1952年、ドイツ離脱文明グループはその米国の方針を利用し、米国中枢部にUFO群を飛来させ、自分たちと協定を組むよう脅した。
  • アイゼンハワーとトルーマンが、このグループとの協定に合意した。
  • ドイツ離脱文明グループは、軍事産業複合体に完全侵入、次いで諜報機関を、ついには政府も乗っ取る。
  • このようにして米国では秘密宇宙プログラムの本格的な構築に着手、大規模なインフラも構築していった。

他方、コブラ情報として以下のような内容も見ました。

  • 1950年代には、秘密宇宙プログラムが拡張され、月と火星での基地構築が計画された。
  • アイゼンハワーはネガティブ・ミリタリーの圧力で、ポジティブETとの協約を断念。
  • 1960年代初頭 秘密宇宙プログラムの本格始動。キメラグループは、米国、ヨーロッパ諸国、ソ連、中国のネガティブ・ミリタリーに、月と火星の限られた地域での共同秘密基地建設を許可。
  • 1961年、アイゼンハワーが演説で軍産複合体についてアメリカ市民に警告。

『大統領に会った宇宙人』で、ヴァリアント・ソーはイエス覚者(イエス・キリスト)から地球訪問宇宙船団の司令官に任命されたとあります。つまり、彼らはホワイト・ロッジの銀河連合に所属していたわけで、コブラ情報では「ポジティブET」となります。

一方、それに対する秘密宇宙プログラム(SSP)グループはカバール・グループに所属しています。この点を踏まえると『大統領に会った宇宙人』、コーリー・グッド氏、コブラ、この三者が出している情報はぴったり整合し、以下の内容が事実であることが改めて確認できます。

  • 米国はETや宇宙テクノロジーなどの情報をトップ・シークレットにする方針をたてた。
  • 米国政府はドイツ離脱文明(ナチスドイツ)と協定を結ぶ。ドイツ離脱文明はカバール・グループに所属。
  • その協定もあり、米国政府は銀河連合(ポジティブET)側との協約を断念した。
  • カバール・グループとの協定のもと、秘密宇宙プログラムが本格的に構築されていった。



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ままぴよ日記 99 「母の入所を前に思う事」

 今の社会の目指すものは、個人の幸せではなく、生産性の向上です。手のかかる子ども、高齢者、障がい者は施設や園に預けて、働きなさいという制度ばかり作られています。

 そして、子育ても介護も家で看ようとしたら個人の負担が増すばかりです。結果的に、子どもは愛情要求が満たされず、高齢者も長生きすればするほど社会のお荷物になります。

 長生きって何だろう。

 動物の世界を見たら、子どもが親を介護している動物を見たことがありません。そんなものなのでしょうか?
(かんなまま)
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母の入所についての話し合い


涙が止まりません。
こうなることはわかっていたのに、いざ母が入所すると決まってから私の決心とは裏腹に涙が出てくるのです。

常々、身口意が一致する生き方をしたいと思っているのですが、私の感情が置いて行かれています。多分、溢れる思いとは裏腹に何もできない事が悲しいのでしょう。

今の世の中、そんなことばかりです。ワクチンにしてもウクライナとロシアの戦争や参議院選挙の事も、私の思いは世の中の流れと逆行しています。私個人がどれだけ心を痛めても、できる事が少なすぎて、どこから始めたらいいのかわかりません。でも、目の前の仕事や日常の暮らしだけは良心に沿って生きて行きたいと思っています。

でも、母の介護のように私一人で決められない場合は歩み寄らなければいけません。

母は、兄たちの疲れが出てきたので、2週間前から週に4泊5日のショートステイを利用する事になりました。兄たちが楽になったので、これでよかったと納得したのもつかの間、施設の方から「介護5なので優先的に入所しましょう。来週から大丈夫ですよ」と言われたのです。

「えっ?そんなに早く?」と言うのが正直な気持ちでした。やっと愛犬が元気になったので、私も週末は泊まって介護ができると思っていた矢先でした。

「すぐに返事を下さい」との事。兄が即答しそうになっていたのを待ってもらって、義姉が知らせてくれました。

実は前回のショートステイの時、夜中に「ここはどこ?」「家に帰る」とベッドの柵を掴んで起き上がり、床に落ちてしまった母。


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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第114楽章 ギランバレー症候群の体験談(後半)

 本日6月19日はドイツのベルリンは36度の猛暑日でした。日本の気温はどうかな?と調べようと思って、そうです、そうです・・Yahoo Japanは、4月から欧州から見ることができなくなったのです。時事ブログでも時々Yahoo Japanの記事引用がありますが、見ることができなくなってしまいました・・。また、ドイツでは、6月から8月まで、電車代がどこまで行っても1ヶ月9ユーロ(ドイツの特急電車ICE以外)になりましたので、多くの方がバルト海までレッツゴー!という感じで、レギオナルバーン(地方普通列車)は満員御礼。まるで通勤ラッシュ時間の東京・新宿駅のようになっていて、みんな考えること同じで、あら大変! ある日は、ベルリン発の電車が混雑のために動かなくなったそうで、笑いました。もっともっと旅をしたい・・という欲望が多すぎるドイツ人であることがわかります・・。

 先日、息子はドイツの最終試験アビトウアの最終合格を確認して、やっと落ち着きました。これを主人に伝えたところ、こちらの記事がリンクされ、返信が来たのです。「筆記試験5時間!ドイツのエリート教育の中身」というタイトルは、いかにも日本人が興味を持つ表現。ベルリンで見ている限り、生徒のほとんどはエリートという感覚を持っていないと思いますし、(ある一部の医学部、法学部狙いの方はいると思いますが・・)日本人の価値観から見るとそうなっているだけだと思ってしまいます。エリートとか、才能とか・・など、パワー志向の言葉が日本ではやたらと使う傾向があります。
 本日もそういえばまだ視聴していなかったな・・と2006年の映像配信を拝見していて、竹下先生はもうこの時代からパワーを求めてはいけない、思い通りに生きるや願望成就、チャネリングなどの間違いを指摘されているのですね・・。2022年の食糧難目前の時代になっても、日本ではまだまだ多くの方がパワーや才能を求めているようです・・

 2011年の311をきっかけに、私は首都圏の被曝を避けるために、息子を連れて海外に出たのですが、最初にアメリカのシアトルに行ったことがよくなかったのでしょうか?福島の風は、太平洋からシアトル方面に流れたと当時ツイッターでも騒いでいました。シアトルでは、9000キロも離れているので、日本にいるよりはずっとマシよ・・という話もしていたのですが・・。シアトルといえば、スターバックスの発祥地。映像配信で学んだ悪霊セイレーンのことも知らずに、海沿いのスターバックス1号店に行き、緑色ではなく、オリジナルのえんじ色のマグカップをお土産に購入して喜んでいた時代・・・あれから10年以上経過して・・

 第113楽章では、ギランバレーの体験談の前半を書きました。今回は、後半です。
(ユリシス)
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リハビリがはじまりました


さてさて、息子は2021年3月22日(月曜日)が医科大学病院最後の日となりました。ここから次はリハビリ病院に移動です。19日金曜日は、雪の降る寒い日でしたが、事前にリハビリ病院のチェックをしに見に行きました。森の中にある素敵な病院でした。事前チェックでは、遠回りしてバスで行ったのですが、なんと、ここは船でも行くことができることがわかったのです。(なんと、この場所は、私が以前から何度でも行きたいな・・と思っていた場所でもありました。この場所は、ベルリンの南仏カンヌ・・・と私が勝手に名付けちゃっている場所で、小さなヨットハーバーがあり素敵なんですよ・・実際に、ベルリン統治下時代は、イギリス統治下の場所でした。)

Author:onnola[CC BY-SA]

22日の月曜日には、息子からたぶん朝食後ぐらいに出発だから・・と聞いていましたので、私は病棟の下で待ち構えていました。医者に一緒に移動できますか?なんて聞くのも野暮なものです。しれっと乗り込めばいいのです!配送車の方が乗ってはいけないなどと言うはずがありません! もちろん、乗ってもいいよ・・と言われて、乗り込みました。

そうそう、日本では退院する時に、お世話になった医師やスタッフの方々にちょっとしたお菓子を配るという習慣もあるかと思いますが、事前に息子にみんなどうしているかな?と尋ねて、チョコレートとか渡しているかも・・と言っていたので、お世話になったスタッフのためにと思い、受付にチョコレート詰め合わせを渡しました。コロナ禍で面会ができないところを見て見ないふりをしてくれていたことに感謝して・・♡

配送車でリバビリ病院に到着! もう、受付などは、息子自身でできますので、私は待っていました。しかし、この時期はまだ、ロラートアーに支えられてしか、歩くことができなかったのです。いつになったら、自力で歩けるようになるのでしょうか・・。

さて、森の中のリハビリ病院での生活がはじまりました。空いている時期だったのか、4階のV I Pルームになったと、息子が喜んで写真を送って来ました。コロナ期で旅行も行けない時期、木製の落ち着いたペントハウスのようなお部屋でいいじゃない・・と言っていました。私は、最初は着替えとお弁当を持って毎日届けることにしました。部屋まで入ることはできませんでしたが、1階の受付付近で荷物を交換していいとのことでしたので、顔を見ることができましたし、少しだけ話をすることもできました。リハビリ生活では、毎日リハビリのスケージュールが決まっていて、朝から夕方まで最初は結構大変だったようです。体力を戻すために必要なのでしょうね・・。

Wikipedia[Public Domain]

また、我が家は前回の引っ越し時にテレビを捨ててしまいましたので、家にテレビがない状態。息子はリハビリ中にテレビを見ることができると・・夜遅くまで楽しんだようですよ・・

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ぴょんぴょんの「日本人コワい」 ~世間体、村社会、思考停止の日本人はいつ目覚める?

外国を旅行して、帰りの飛行機に乗ると息苦しく感じるという人がいた。
また、相手が外国人だと素のままで接することができるのに、
日本人が相手だと気を使うという人もいた。
自分の住む国なのに、いつまで経っても日本に馴染めないという人もいた。
個人よりも世間体を優先する日本。
そういう日本の抱える問題が、今、あぶり出されているような気がする。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「日本人コワい」 ~世間体、村社会、思考停止の日本人はいつ目覚める?

今でも村八分が発生する南馬宿村


くろちゃん、おもしろい村があるよ。

ムラ?

村にしちゃりっぱなホームページでしょ。
ここに、こう書いてある。



南馬宿村では今でも毎月数件の村八分が発生しています。南馬宿村に住む以上は濃密な人間関係を避けることは絶対にできません。南馬宿村は表向きには移住大歓迎ですが、住めば地獄にならないよう注意が必要です。」

みなみ・ばしゅくむら?

ううん、みなみ・うまやどむら、だよ。

うまやど? イエス・キリストの生まれた所だな。
「うまやどの皇子」と言えば、聖徳太子。聖徳太子は原始キリスト教徒だったからそう呼ばれたと、たしか映像配信で習ったような。
となるとその村は、隠れキリシタンの村かいな?


なるほど、毎月数件の村八分があるというのも、キリシタン部落だから排他的なのかな。

だが、村八分とか、ふつう隠したいだろ。
それをウリにするとは、ずいぶん大胆な村だな。


日本には地方公共団体に含まれない7つの村があって、そのうちロシアに支配されている6つの村を除いた、残りの1つがこの南馬宿村なんだって。
平成11年4月、「地方交付税交付金が突然打ち切られ・・・日本政府に忘れられた唯一の自治体であるとと共に、どの都道府県にも属さない悲劇の村です。」(南馬宿村)

そんな村が、日本に存在しているとは驚きだな。

なんでもこの村の経済は、おカネじゃなくて、自給自足の物々交換で回ってるそうだよ。

なんだって?! 日本の未来を先取りしてるじゃねえか。

それに、病院も薬局もないから、自分の健康は自分で責任を持たなきゃいけない。

おそらく、村民はみんな元気でピンピンコロリだぜ。

だけど、驚いたのは、オバマ大統領がこの村に来たこと。
「平成29年1月、オバマ大統領、南馬宿村をお忍びで訪問」。(南馬宿村)

ハア? そんな村に、いったい何しに来たんだ?

なんでも、極秘で迎撃ミサイルシステム配備の打診に来たみたいだよ。
(南馬宿村)

はあ? おかしいな・・・アメリカがそんなことするか? 
オバマが行くか、そんな僻地に?
・・・って、おい、ここを見ろよ。
「平成7年1月、寂村5(寂村ファイブ)に認定される。」
(南馬宿村)

それは、過疎の村だから寂村に選ばれたんだよ。

ハッハッハ! 気づかねえか?!!
寂村、じゃくそん・・。

あ! ジャクソン・ファイブ?!
うわ〜ん、これ、ニセのホームページだったの??
だまされた〜!


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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝65 ― ワシントンUFO乱舞事件

 「ユダヤ人迫害の狂った独裁者に率いられた悪のファシズム帝国ナチスドイツ。このナチスドイツと戦う自由主義・正義の国家であるアメリカ。水と油の関係にある両国はイデオロギーを含めた激しい争いとなるが、ついにアメリカが勝利を納めた。メデタシメデタシ」
第2次世界大戦後、こういった文脈の映画がハリウッドなどから現在まで、世界に無数なほど配信されてきました。
 近・現代編 第9話で、
1948年にイスラエルが国家となる前に、世界中のユダヤ人社会は、イスラエルが全てのユダヤ人の祖国である、迫害されるユダヤ人にとっての避難所である、真の民主主義国であり聖書の預言の成就であるという、シオニストのプロパガンダに満たされていた。
とのジャック・バーンシュタイン氏の言葉を紹介しましたが、イスラエルの虚像プロパガンダに劣らず、ナチスドイツと米国の関係も、酷いプロパガンダに満たされ続けてきたのです。
 そもそも秘密協定ハーヴァラ協定で、ユダヤ人国家であるはずのイスラエル建国に、非常に大きな役割を果たしたのがナチスドイツです。そして、ナチスと米国を根城とする銀行家・大企業家たちは、親密な関係にずっとあったのです。銀行家たち米国の支配者たちは、第2次世界大戦中でもナチス支援を続けていたのです。そして第2次世界大戦後には、米国はナチスに内部から乗っ取られていったのです。誰の目にも見える形でいうならば、ナチスがネオコンになって米国を牛耳ったのです。
 ペーパークリップ作戦もありますが、戦後にナチスが米国を本格的に乗っ取っていく始まりが 「ワシントンUFO乱舞事件」です。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝65 ― ワシントンUFO乱舞事件

飛来してきたUFOの正体


米国1952年7月、ワシントン上空、ホワイトハウスや連邦議事堂の上空にもUFOが乱舞するという事件が発生しました。ウィキペディアの「ワシントンUFO乱舞事件」記事には次のような記載があります。

7月19日の午後11時40分、ワシントンナショナル空港の管制塔が、不審なレーダーコンタクトを捕捉し、ホワイトハウスや連邦議事堂の上空にあると思われたので、近くのアンドリューズ空軍基地に通報し、不審なレーダーコンタクトが確認された。
(中略)
そして一週間後の7月26日の夜8時頃、ワシントン上空を飛行中の旅客機の複数の乗員が、上下左右に不規則に動き、速度を変化させたり静止したりする「異様な光体」を目撃し、空港のレーダーにもそれらしい反応が現れた。計算上、時速1万キロを超える速度も観察された...(以下略)

このUFO(未確認飛行体)の正体は宇宙人グループのそれではなく、ナチスドイツのUFOだったようです。地球内部に住居する主にブラック・ロッジに所属する宇宙人グループの存在を背景として、ナチスドイツが宇宙船UFO製造などの宇宙テクノロジーを発達させていたことは、日本 昭和編 第26話などで既に見てきたとおりです。

ナチスドイツは第2次世界大戦が始まる頃には、月に、火星にも行っていた模様です。超科学技術駆使の「秘密の宇宙プログラム」をナチスドイツは進捗させていたのです。

第2次世界大戦の末から終了時、米国はこのナチスドイツの超科学技術を入手することを目的として、多くのドイツ人科学者をドイツから自国に引き連れていきました。「ペーパークリップ作戦」です。

ペーパークリップ作戦で渡米したドイツ人科学者達。
Wikimedia Commons [Public Domain]

また、米軍はナチスドイツが生き残っていること、南極に一大基地を構築していることを知り、1946年末から47年にかけてリチャード・バード少将が指揮を取る大艦隊を南極に差し向けました。「ハイジャンプ作戦」です。ウィキペディア記事によれば、この艦隊の規模は「人員規模は4,700名、13隻の艦船と多数の航空機により支援されていた。」とあります。

ハイジャンプ作戦について説明するリチャード・バード少将(中央)。
Wikimedia Commons [Public Domain]

ところが、この米軍が誇る大艦隊は、南極に突如出現したナチスドイツのUFO群によって翻弄され一敗地に塗れました 。この事実は秘密事項ですが、ウィキペディア記事にも、

12月30日にはPBM飛行艇が悪天候により墜落した。3名が死亡し、6名が13日後に救助されている。
1月にも調査隊は、空母と砕氷艦の増援を受けている。...(中略)全調査隊は2月から3月にかけて調査を終了し、帰還している。

とあります。ナチスドイツ製UFOによって散々な目に合ったリチャード・バード少将が指揮を取る米国大艦隊は、敗北して本国に逃げ帰っていたのです。

このナチスドイツのUFO群がいよいよ米国本土へ、その中枢部に飛来してきて米国政府を脅しながら交渉を求めてきたのが1952年7月の「ワシントンUFO乱舞事件」ということのようです。

1952年、ワシントンD.C.の上空を飛行するUFOの大編隊。
ワシントンUFO乱舞事件


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