竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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賀茂別雷神社
転載元より抜粋)
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。
祭神
賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)
賀茂氏の祖神。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。
歴史
創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。
『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。
祭神
賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)
賀茂氏の祖神。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。
歴史
創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。
『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。
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賀茂御祖神社
転載元より抜粋)
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。
賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。
祭神
東殿:玉依姫命 (たまよりひめのみこと) - 賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)の母
西殿:賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) - 玉依姫命の父
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。
賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。
祭神
東殿:玉依姫命 (たまよりひめのみこと) - 賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)の母
西殿:賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) - 玉依姫命の父
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上賀茂神社
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。
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玉依姫と言えば、通常は神武天皇の母を考えます。下賀茂神社の祭神の玉依姫と神武天皇の母である玉依姫は、同一人物なのでしょうか。それとも別の玉依姫なのでしょうか。
ここは大変重要なところで、日ユ同祖論を主張し、日本の霊統を旧約の神に入れ替えたい連中は、二人の玉依姫を同一人物だと暗に主張しているかのようです。なぜならば下賀茂神社の祭神・賀茂建角身命は、下賀茂神社の宮司家の祖であり、彼らは一族がレビ族だと考えているからです。彼らは神武天皇を1世紀前後の人物だと考えている可能性があります。仮に彼らの祖が賀茂建角身命で、しかもレビ族だったとすると、玉依姫から生まれた神武天皇はレビ族で、日本の最初の天皇は渡来したレビ族の王だったことになります。
これは、ホツマツタヱを読むとあり得ないことが直ちにわかるのですが、どうもこの連中は、少しずつ日本人にこうした虚構を信じさせたいのではないかという気がします。次回以降、これらのことを詳しく論じてみたいと考えています。今回は、上賀茂神社に伝わる丹塗矢の伝承を紹介するに留めておきます。