大本教事件 〜北朝勢力の攻撃
満洲国設立の頃は、暴力支配と大混乱の時代であり、
この背景には禁裡内における北朝勢力と南朝勢力の争いがあったであろうことを
前回に見ました。
南朝勢力は「いわゆる右翼」という強力な暴力装置を有しており、それで
北朝勢力がたてたであろう昭和天皇が重大な危惧に縛られていた模様を確認もしました。
しかし一方では、基本的には北朝勢力からの南朝勢力への攻撃と見るのが自然な大事件も当時に発生してもいます。
大本教事件です。
南朝勢力となる裏天皇(八咫烏)直属の五龍会、その五龍会
の中の緑龍会の主たる大組織である宗教団体が大本教です。
大本教の創始者は出口ナオ、そして出口ナオの養子に入った出口王仁三郎によって教団は大拡大しています。
「上田家系図」を見れば、出口ナオは緑龍会初代総裁・上田音吉(吉松)の愛人であり、出口王仁三郎はもとの名は上田鬼三郎で緑龍会初代総裁・上田音吉(吉松)の孫です。また出口王仁三郎は有栖川熾仁親王の息子でもあるようです。
大本教は大正編 第4話で見たように、
堀川辰吉郎が総裁となった世界紅卍字会と実質は同一団体でもあります。
そして大本教には、陸・海軍の大物たちが多く入信してもいましたし、
何よりも玄洋社(白龍会)の頭山満や内田良平たちとは密接な関係を結んでいました。大本教関係者たちが玄洋社(白龍会)関係者と協力して大陸に進出もしていました。
左側から大本教主輔 出口王仁三郎、玄洋社総帥 頭山満、
黒龍会主幹 内田良平。
この大本教が、日本政府・内務省から1921年の第1次大本教事件の弾圧に引き続き、1935年には不敬罪・治安維持法違反にて徹底的な弾圧攻撃を受け、本部教団施設などは完全な破壊が実行されてもいます。第2次大本教事件です。
この第2次大本教事件では、出口王仁三郎自身も6年余の獄中生活を送ることになりました。
南朝勢力である裏天皇直属の五龍会の主要組織とも言えるであろう
大本教が、徹底的な弾圧からの破壊攻撃を受けた。これは基本的には北朝勢力による南朝勢力への攻撃と見るのが妥当と思えます。
他方、当時の
1932年には三井財団総帥の團琢磨が殺害される事件が発生しています。
同年には犬養首相が殺害された5.15事件と、民政党幹事長の井上準之助射殺(血盟団事件)も発生していました。
「
ミレニアム」からのこの情報を見れば、五龍会の下には秦氏系の企業群があり、その企業群のトップは三井氏であることは明瞭です。その三井財団総帥の團琢磨が殺害されたのです。
また、同年の5.15事件で殺害された犬養首相は陸軍(関東軍)の暴走を危惧しこれを止めようとはしていましたが、裏天皇グループと近い関係にあった人物でもあったのです。
頭山満(左)、犬養毅(中央)、蒋介石(右から2人目)
「昭和4年 蒋介石氏が頭山満、犬養毅両翁を訪れる」
南朝勢力のはずの三井財団総帥の團琢磨を殺害したのは、(井上準之助を射殺した)1931年に創設された血盟団のメンバーでした。
ただし、南朝勢力の人物が(5.15事件を含め)殺害されたといっても、これは北朝勢力からの攻撃であろう大本教事件とは異なります。
これらの殺害テロは当時の大混乱が生み出した事件と見受けられます。
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先日、大阪市保健所の保健師さんが勇敢にも実名で職場の窮状を訴えたことを受け、常勤保健師の数が減らされているかを問うた記者に対し、松井一郎市長は誠実に答えるどころか記者に食ってかかり「不安を煽る」と高圧的に言い放っていました。しかし実際に疫学調査ができる常勤職員は42人から31人に減らされており、しかも23人は前月に新たに配属され、そのうち10名は新規採用だったことも取材で確認されました。現場では「一定の経験と知識を持っている職員の層が必要」と訴えています。こうした明らかな事実があっても、松井市長は「どっちが正しいんやろか?」とまるで首長の責任を感じていない威圧的発言でした。リテラでは「こうした維新的な恫喝によって、大阪のメディアは完全に黙らされている」と述べ、尾辻かな子議員もこの10年のパワハラの結果が職員やメディアを萎縮させたと述べていました。かつて橋下徹氏とのやり取りでネット上で徹底的に誹謗中傷された記者の方は、ひるむことなく調査で切り込んだ結果、それが自動拡散ソフト(bot)によるバッシングだと突き止め、「ネット社会は資金力の強い者が勝つ世界だ」と確信されました。恫喝と資金力でメディアとネットを支配し、事実を捻じ曲げる。なるほど安倍菅政権のひな形でもあり、橋下徹氏が「(竹中平蔵氏と)価値観、哲学がまったく一緒」と言うわけです。そこには市民の安心安全などありません。