満洲地域の植民地経営機関
この数回、裏天皇の実働部隊だと見なせる特務機関について、そして特務機関の中でも民間人による阿片取引の主役であった甘粕正彦と里見甫にスポットを当ててみました。
阿片売買事業は関東軍の傀儡国家であった満洲国の国策であり、その阿片売買事業の収益は関東軍に流れていたのです。ただし、阿片はその性格上、国や軍を表に出した事業展開はできないので、民間人である甘粕正彦や里見甫などが阿片事業を担当していたのでした。
甘粕も里見も同じ経緯を経て阿片事業を担当しています。即ち、中国大陸に渡った後に満鉄に勤め、その後に関東軍の要請によって阿片事業を展開しているのです。そして彼らの阿片事業の莫大な収益は関東軍に、また満洲国の行政を司っていた岸信介などにも渡っています。
満洲国設立後にこれを実質支配したのは関東軍ですが、関東軍はその傀儡国家である満洲国政府はもちろんですが、満鉄とは分かちがたい関係にありました。関東軍のウィキペディア記事に次のようにある通りです。
また関東軍のもとになった「関東総督府」とは、ウィキペディアで次のようなっています。
先に南満州鉄道(満鉄)の存在があり、それを防衛するために関東都督府、そしてその陸軍部(関東軍の前身)が設置されているのです。満鉄が優先上位的な位置づけで、それに付随して関東総督府そして関東軍が設置されているので、元来は満鉄と関東総督府、そして関東軍はひと塊のものともいえるのです。
1905年9月5日に、ロシア相手にこの満鉄の利権を得ることになるポーツマス条約調印に漕ぎつけたのが、当時の外務大臣の小村壽太郎であり、この小村外交の中心を担ったのが玄洋社(白龍会)の山座円次郎でした。
ポーツマス条約の前に、既に南満州鉄道利権をもとにした満洲植民地経営の絵図を描いていたのが、白龍会初代総裁の杉山茂丸であったことは、明治編 第33話で見た通りです。
ポーツマス条約調印の僅か3週間後に満鉄の利権を防衛するため「天皇直属の機関である関東総督府が設置された。」のです。杉山茂丸たちは日露戦争前から半官半民の巨大鉄道会社による満洲地域の植民地経営の構想を練っていたのは間違いないでしょう。
明治編 第32話でも見たように、この杉山茂丸と盟友関係にあったのが桂太郎であり、児玉源太郎でした。
一方で、この海外軍事進出による植民地拡大路線に真っ向から反対していたのが伊藤博文であり、その伊藤博文は1909年に暗殺されます。この伊藤博文暗殺の背後には杉山茂丸たちの関与が強く疑われるのです。
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ただし、関東軍の活動資金は、この阿片事業の収益以外の主力となる資金がありました。かつてNHKスペシャル「圓の戦争」などで「関東軍は朝鮮銀行に通貨を発行させて軍資金を賄っていた」と指摘されています。
関東軍が独自に朝鮮銀行から資金調達していた、これは大変なことで、実質的に関東軍は「通貨発行権」を駆使していたことになります。日本帝国陸軍の一部門に過ぎないはずの関東軍が、なぜこのような超国家的な権限を駆使できたのか? 関東軍単独で眺めたならばありえないことです。
しかし、関東軍を含め、そのルーツとも言える満鉄などもひと塊のものとして見たならば、様相が変わります。満洲地域を植民地経営する目的で設立の満鉄が範としたのが、麻薬貿易独占と外国との宣戦布告・交戦権の他に通貨発行権も有していたイギリス東インド会社でした。イギリス東インド会社に倣って、満洲を植民地経営する満鉄や関東軍などの一つの塊としてのグループが、外国へ軍事攻撃を仕掛け、阿片事業を展開し、通貨発行権を駆使していたと見れば、関東軍の振る舞いなどに合点がいきます。
言うまでもありません、この一つの塊グループは裏天皇グループです。彼らは満洲だけではなく満洲に先立って日本領となっていた台湾、そして韓国(朝鮮)の植民地経営も担っていたのでしょう。だからこそ朝鮮銀行が同じグループの関東軍に資金調達できたのです。
今回は整理の意味もあってある程度の歴史も踏まえて、「鳥の目」的に日中戦争あたりまでの流れを見ていきます。