竹下雅敏氏からの情報です。
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配信元)
『地獄への道はなぜ善意で舗装されているのか』を訳してみた。善意を持っていればあなたは善人なのだろうか? 多くの人はそう考える。しかし、この考え方にはさまざまな問題がある。実際には、それこそがこの世界の多くの悪の源なのだ。デニス・プレーガーが解説します。https://t.co/WzYyNz2vQz pic.twitter.com/XgJHqOOxRN— tarafuku10 (@tarafuku10) August 8, 2022
「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉を聞いたことがあるだろうか? この言葉は正しい。そして、世界にこれほどの悪がなぜはびこっているのかを説明してくれる。
記録に残る中で最も血塗られた世紀である20世紀を見てみよう。約1億人の非戦闘員が独裁政権に殺された。こうした政権の… pic.twitter.com/YnWKYf9Pyw— tarafuku10 (@tarafuku10) August 8, 2022
…ほとんどは共産主義だった。共産主義国家の中でも外でも、共産主義を支持した人の多くは、良いことをしていると考えていた。自分が善意で動いていると疑いもしなかった。こうした人々のほとんどは感じのいい人だった。子供をかわいがり、隣人を思いやり、見知らぬ人にも礼儀正しい人々だった。 pic.twitter.com/AH9YBlmMST— tarafuku10 (@tarafuku10) August 8, 2022
ソビエトの共産党は2,000万人から4,000万人を殺した。カンボジアの共産主義政府はカンボジアの人口の約4分の1を虐殺した。中国の共産主義政権は国民の6,000万人以上を殺した。こうした地獄への道は、善意にあふれた多くの人々(または善意だと信じていた人々)によって舗装された。 pic.twitter.com/mk25wI6Nra— tarafuku10 (@tarafuku10) August 8, 2022
共産主義を信じる善意の人々がいなければ、こうした大量殺戮を行った真に邪悪な人間が権力の座に就くことはなかったかもしれない。1つ例をあげよう。ソ連の大量殺戮者であるスターリンに原爆の作り方の機密情報を教えた米国人や英国人の多くも善意でそうしたのだ。おそらく彼らも感じのいい人だった。 pic.twitter.com/4sJt2R04MF— tarafuku10 (@tarafuku10) August 8, 2022
もちろん、現在のアメリカにおいて大規模殺戮を推進する動きはない。しかし、この国におけるより小さな地獄への道も、善意を持つと信じる感じのいいたくさんの人々によって舗装されている。 pic.twitter.com/X47VIZbAy6— tarafuku10 (@tarafuku10) August 8, 2022
子供たちから性的な純真さを奪うトピックを授業で取り上げる教師の多くは、善意に基づいてそうしている。警察予算の削減は、殺人、レイプ、暴力事件の増加に間違いなくつながるが、それを支持する政治家に投票するアメリカ人の多くも、善意に基づいていると考えている。”ヘイトスピーチ”を… pic.twitter.com/Q1qv5FnWEr— tarafuku10 (@tarafuku10) August 8, 2022
…撲滅しようとする人々も同じだ。実際にはそれは言論の自由に対するアメリカ史上初めての深刻な脅威であるのだが。
地獄への道は善意で舗装されている。なぜなら、悪い目的を支持する多くの人だけでなく、実際に邪悪なことをする多くの人すらも、善意に基づいてそうしていると信じているからだ。 pic.twitter.com/ZUXNYk6B7f— tarafuku10 (@tarafuku10) August 8, 2022
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非常に問題のある宗教団体の信者のほとんどは、とても善意に満ちていて、「子供をかわいがり、隣人を思いやり、見知らぬ人にも礼儀正しい人々」なのです。私は学生時代にエホバの証人や統一教会を含むいくつかの宗教団体の人と話をしたことがあるので、こうした事を理解しているつもりです。
ただ、彼らは善良であるがゆえに非常に騙されやすい人たちでした。彼らがその宗教にのめり込んでいるのは、それが初めて接した宗教で、聖典の解釈を教えられたままに信じているからです。
彼らは、私たちの世界が「サタンに支配されている」と信じているため、一人でも多くの人を救い出そうと伝道活動をします。伝道活動の結果として、家庭が崩壊することも良くありますが、それはサタンの支配する世界から抜けだすためには必要な事であり、そうした苦しみを乗り越えなければ天国に至る本当の信仰を持ちえないと思っています。
彼らにとって、お金はサタンに属するものなので、全てを差し出すくらいの信仰が善だと考えているのでしょう。お布施を何度も要求されます。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」という聖書の言葉がよく引用されます。
清貧が善なので当然生活は苦しいものとなり、苦しみから逃れるためにも更なる善行を積もうと努力し、信仰心を高めようとします。自分自身を教義でがんじがらめにしているのですから、自由に気ままに生きている世俗の人達を軽蔑し敵視するようになります。こうした人々のほとんどが、世の終りが来て、自分と自分たちの仲間だけが生き残ると信じています。あるいは、天国に入れるのは自分達だけだと思っているのです。
彼らは、他の宗教団体の人達も同じように考えていることには、思いが至らないようです。自分達だけが聖典の教えを忠実に実践しており、他の団体はそうではないと考えているのです。
こうした頑迷さは、教義に縛られた不自由さから来るものなので、逆に自分たちの価値観に反する行動を取る一般の人たちに対しては、彼らは潜在的に憎しみを持っています。ちょうど、ロックダウンに素直に従い、マスクをずっとつけていた人たちが、マスクを着けずに歩いている人を見ると怒りを感じるのに似ています。
結論に入ります。自分が善意で動いていると疑いもしない人たちというのは、しばしば非常に残酷なのです。それは作られた善意だからです。本当の善意はいかなる束縛もなしに、自分の内側の価値観から来るものであり、与えられた教義に基づくものではありません。
こうした偽りの信仰によって、多くの人たちは逆に、「心の美しさ」を失ってゆくのです。