注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

68年には、「水俣病対策市民会議」の設立に参加。原因企業チッソに対する患者らの闘争を支援した。
水俣病患者の心の声に耳をすませてつづった69年の「苦海浄土 わが水俣病」は高い評価を受け、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、「いまなお苦しんでいる患者のことを考えるともらう気になれない」と辞退した。
(以下略)
手足が縄のようによじれて、
我が身を縛っておりましたが、
見るのも辛うして。
それがあなた、
死にました年でしたが、
桜の花の散ります頃に、
私がちょっと留守をしとりましたら、
縁側にころげ出て、縁から落ちて、
地面に這うとりましたですよ。
たまがって駆け寄りましたら、
かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。
曲った指で地面ににじりつけて、肘(ひじ)から血ぃ出して。
「おかしゃん、花ば」ちゆうて
花びらば指すとですもんね。
花もあなた、かわいそうに、
地面ににじりつけられて、
何の恨みも言わじゃった
嫁入り前の娘が、
たった一枚の桜の花びらば拾うのが望みでした。
それであなたにお願いですが、
文(ふみ)ばチッソの方々に書いて下さいませんか。
いや、世間の方々に
桜の時期に、花びらば一枚、
きよ子の代わりに拾うてやっては
下さいませんでしょうか。
花の供養に
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311の後、再び「苦海浄土」が多く読まれたと聞きます。
痛めつけられてもなお、深い悲しみの中から美しく蘇る自然、地球が見えてくるのでしょう。
ご冥福をお祈りします。