牛サマディー君の読書レビュー④:<対論>緊急事態条項のために憲法を変えるのか (上)

 竹下氏によると、憲法学者の小林節氏は"身体から美しい光が出ている"そうですが、今回紹介する書籍の中に、彼の誠実さが良く分かるエピソードが載っていました。私が以前授業を受けた女性の憲法学研究者も良い人であるように感じたのですが、憲法学者の中には良識のある方が多いのではないでしょうか。
 権力者は平気で嘘八百をほざくサイコパスなので、彼らの表面だけを見ていたら見事に騙されてしまいます。自民党はもっともらしい理由をつけて緊急事態条項を創設しようとしていますが、多くの方が彼らの本当の意図を見破る必要があります。
(牛サマディー)
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<対論>緊急事態条項のために憲法を変えるのか

あたらしい憲法の話 三原則
Author 文部省(1947年8月2日当時)



世に倦む日日氏が、以前Twitterで”日本の憲法学者達は信頼できる”という趣旨の発言をされていたように記憶しています。私もこれには深く共感します。彼ら憲法学者達は、健全な倫理観と高い知性を有する者達であり、彼らは日本の良識であると言えます。

憲法とは、いかなる存在なのでしょうか。憲法は国家に対する命令文であり、国家権力の暴走を防ぐ為のものです。そのことにより、国民の自由や権利が守られるのです。この立憲主義という考え方は、絶対王政に対する深い反省から生まれたものであると言われています。“国家権力の暴走”と聞くと、すぐさま安倍首相の顔が思い浮かぶでしょう。彼のような邪悪な権力者の横暴から国民を守ること、それが憲法の存在意義なのです。私が数年前に憲法学を学び立憲主義を知った時、深く感銘を受けたことを覚えています。憲法学は、誇り高き学問なのです。そのような学問に魅せられて研究者としての道を歩んでいる者の中に、誠実な人物が多いのは当然であると言えるでしょう。

私たちは、彼らのメッセージに耳を傾けるべきなのです。

小林節氏 本書 p15より




上の写真の人物をご存知でしょうか。素晴らしい知性を持つ憲法学者、小林節名誉教授です。

私は彼のことが大好きであり、小林節を深く尊敬する者のうちの一人です。今から一年前、彼は新党「国民怒りの声」を立ち上げ、参院選の比例区に出馬しました。私は党が設立された当初からその活動を熱心に見守っていましたが、記者会見における彼の発言は非常に頼もしく説得力に満ち満ちたものであり、個人的に大いに期待を寄せていました。非常に残念ながら彼らは落選してしまいましたが、先の参院選ではいつもの如く不正選挙が行われていたことが明らかになっており、実際には当選していた可能性があると考えています。

前置きが長くなってしまいましたが、今回紹介させて頂く書籍は『<対論>緊急事態条項のために憲法を変えるのか(小林節、永井幸寿)(かもがわ出版) 』です。本書は、緊急事態条項に賛成派の小林教授と、反対派の永井弁護士との意見交換会の模様が書籍化されたものです。実はこの本の中に興味深いエピソードが記されており、それを読むと、小林節氏の人間としての懐の深さを窺い知ることができるのです。時事ブログ読者の多くは、自民党が憲法に入れようとしている緊急事態条項が非常に危険であることをご存知のことと思います。小林節氏は当初、「災害対策のために、改憲して緊急事態条項を追加する必要がある」という持論を展開します。しかし反対派の意見を聞いた後、彼は自身の勘違いに気付き、自説を撤回して反対派の立場に立ったのです。その時の事を、対談相手の永井弁護士が次のように回想しています。


これは正直言って大変な驚きでした。言うまでもなく、高名な学者である小林節名誉教授が「災害族」という憲法の素人の意見を聞いて、しかも公の場で改説するということは、通常あり得ないことであり、反対説を受け入れる度量の広さと、大変な勇気がいることだと思います。現政権によって憲法が危機的状態にあるとの認識によるものとは思いますが、学者としての良心に心を打たれるものでした。意見交換会終了後、「大変楽しかったです」とのお言葉をいただき、まるで、フェアプレーのスポーツをした後のような爽快さがありました。  
本書p4,5より

この意見交換会の後、きっと二人の間には友情が芽生えたのではないかと想像します。小林節氏が本当に信頼できる人物であるということが、非常に良く分かるエピソードでした。
一方で、国会議事堂の中でこのような素晴らしい場面が存在するのだろうかと考えた時、一種の絶望感を覚えてしまいます。永井氏の感じた“フェアプレーのスポーツをした後のような爽快さ”など国会の中では皆無であり、特に自民党などは“アンフェアプレー”のオンパレード、真面目に議論を行う気は最初からさらさらありません。人間の屑としか言いようがない連中の相手をしなければならない山本太郎氏が、かわいそうに思えて仕方がありません。

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日本がいかに危険な方向に向かっているかを示す一連の事実 〜政治的な無知、無関心がもたらす恐怖政治〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 下から順にご覧ください。気分が悪くなるほどの安倍友と加計学園の癒着があります。前川元事務次官は、「総理のご意向」文書は本物と証言。官邸の意向で加計学園に利益誘導が行われたことが、この証言ではっきりとしてきました。
 しかし、官邸側は前川氏のスキャンダルを読売新聞にリーク、前川氏の人格攻撃を行います。ツイートには、“怖いのは読売新聞の記事…違法でもないしプライベートで…こういうことをしたときに洩らされる怖さ…書かせている誰かがいる?”とあります。書かせているのはどうやら、官邸のアイヒマンこと北村滋内閣情報官らしい。準強姦被害で訴えられたジャーナリストの山口敬之が、メールを北村滋内閣情報官に送信しようとして、週刊新潮に誤送信したことを、先の記事で紹介しました。
 こうした状況を考慮すると、安倍政権が共謀罪を手にすればどうなるかは、容易に想像出来ます。山口敬之の準強姦もみ消し指示を出した中村格刑事部長は、“現在、共謀罪摘発を統括する警察庁組織犯罪対策部長”とのことです。
 弁護士の今泉氏によると、共謀罪は、“事件をもみ消す目的で…乱用される危険”があると言っています。要するに、“捜査機関の見立てと異なる証言をしようとする者とその支援者(弁護士含む)を…逮捕すること”も可能だというのです。
 こうした一連の事実は、日本がいかに危険な方向に向かっているかを示すものです。政治的な無知、無関心は、近い将来、恐怖政治をもたらします。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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「犯罪のもみ消し」の親和性~権力犯罪の隠蔽も容易となる共謀罪~
引用元)
弁護士の今泉義竜です。

著名ジャーナリスト・山口敬之氏の不起訴に対し、被害者である女性が検察審査会に不服申立をしたという記事がありました。
「私はレイプされた」。著名ジャーナリストからの被害を、女性が実名で告白

(中略) 

この準強姦罪もみ消しの疑惑がもたれているのが中村格氏という方で、
共謀罪摘発を統括する予定の警察庁組織犯罪対策部長とのことです。

(中略) 

共謀罪(テロ等準備罪)法案には、「偽証の共謀罪」も含まれています。
捜査機関の見立てと異なる証言をしようとする者とその支援者(弁護士含む)を
「偽証の共謀容疑」で逮捕とすることも不可能ではありません。


(中略) 

実際、真実を述べようとする第三者に対する捜査機関による圧力はこれまでにも多く報告されています。

(中略) 

事件をもみ消す目的でこの偽証の共謀罪が濫用される危険は非常に高いと思われます。

(以下略) 

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配信元)



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安倍御用記者・山口敬之による準強姦被害を訴えている女性が実名・顔出しで記者会見

竹下雅敏氏からの情報です。
 安倍御用記者・山口敬之による準強姦被害を訴えている女性が、実名・顔出しで記者会見を行ったようです。動画にその詩織さんの映像がありますが、大変美しく、強い女性だと思います。
 彼女は、当時TBSワシントン支局長だった山口と食事をし、そこで記憶を失います。彼女は酒豪だということで、アルコールで気を失うということはないそうです。彼女は薬を盛られたと考えています。ホテルの防犯カメラ、ベルボーイ、タクシー運転手の証言などを基に、準強姦容疑で山口を逮捕するために空港で待ち構えていた複数の捜査員に、不可解にも「逮捕取りやめ」の指示が出ます。この指示を出したのは、当時の警視庁刑事部長の中村格氏で、彼は「菅官房長官の片腕」として有名な警察官僚だということです。
 さらに山口は、“北村さま、週刊新潮より質問状が来ました…取り急ぎ転送します”とのメールを、なんと週刊新潮に誤送信してしまいます。このメールにある北村とは、北村滋内閣情報官で、安倍首相の片腕です。
 これらの事実は、逮捕取りやめの指示を出したのが官邸であることを強く疑わせるものです。もはや、日本は法治国家とは言えない状況になっています。
 詩織さんは“今回、この件について取り上げてくださったメディアはどのくらいありますでしょうか?…この国の言論の自由とは何でしょうか?法律やメディアは何から何を守ろうとしているのか、と私は問いたいです”と言っています。マスメディアが、この国の破壊に大きな役割を果たしているのは明らかです。彼らは元々、CIA ・電通の支配下にあり、権力者の道具です。マスメディアは、国民世論を特定の方向に誘導するために存在しています。なので、権力側の組織なのです。彼らに正義を求めるのは、もともと無理なのかも知れません。
 識者が、“真実を知りたければテレビの電源を切れ”と言っているのはその通りだといえます。何事も、自分で調べなければ、真相は明らかになりません。ところが、愚民を作り出すことに最大の貢献をしているのが、教育関係者であるように見えます。愚民の典型である教師たちが子供たちを教育し、子どもたちの考える能力、見出す能力を失わせているのです。
 その教育行政の事務方トップであった前川喜平氏が反乱を起こしたことは、ある意味で象徴的なことと言えるでしょう。将来歴史は、“前川喜平の乱”としてこの事件を扱うようになるのでしょうか。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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日本で準強姦被害者、実名を隠さず会見
転載元)
29日、TBS の有名なジャーナリスト山口敬之氏からの準強姦被害を訴えた28歳の詩織さんは、東京・霞が関の司法クラブで記者会見を行った。日本では、性的暴力の被害者が実名・顔出しで被害を語ったことはあまりない。多数の日本メディアが報道した。

2015年3月、詩織さんは当時TBSワシントン支局長だった山口氏に食事に誘われた。4月3日に一緒に寿司屋に入ったが、そこで彼女は記憶を失った。そして、痛みで目覚めた際、レイプされていることに気付いたという。Buzz Feed Japanが報じた。

29日の会見で詩織さんは、詩織さんが暴行を受けたとされる2015年4月4日の都内ホテルの防犯カメラ画像には、山口氏に抱えられてホテルへ入っていく様子が映っていたと語った。詩織さんは「私の意識が戻ったのは翌朝の午前5時ごろ。ホテルのベッドの上でした。私は裸にされており、山口氏が仰向けの私の上に跨っている状態でした。詳細については差し控えますが、はっきり言えることは、私はその時、私の意思とは無関係に、そして私の意思に反して性行為を行われていたということです」と述べた。

ホテルの防犯カメラ、ベルボーイ、タクシー運転手の証言などをもとに高輪警察署は、準強姦容疑で山口氏を逮捕した。しかし、不明な理由で逮捕は中止し、山口氏は不起訴になった。


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安倍御用記者・山口敬之のレイプ被害女性が会見で語った捜査への圧力とマスコミ批判!「この国の言論の自由とはなんでしょうか」
引用元)
(前略) 

“安倍官邸御用達”ジャーナリスト・山口敬之氏の「準強姦疑惑」。本日夕方、そのレイプ被害を「週刊新潮」(新潮社)で告発した女性が、霞が関の司法記者クラブで会見を行なった。

(中略) 

2015年6月8日、複数の捜査員が、アメリカから成田空港に帰国する山口氏を準強姦罪容疑で逮捕するため、空港で待ち構えていた。ところが、不可解にも山口氏は逮捕を免れた。

(中略) 

 逮捕状まで持って捜査員が空港で待機していたにもかかわらず、直前で、上から「逮捕取りやめ」の号令がかかった。

(中略) 

 その後、山口氏は準強姦罪で書類送検こそされたものの、16年7月に不起訴処分にされた。

(中略) 

 このあまりに不自然な捜査当局の動きのなかで、疑われているのが安倍官邸による介入だ。

「週刊新潮」の直撃取材で、このとき山口氏の逮捕取りやめを指示したのは、当時の警視庁刑事部長の中村格氏であることがわかっている。(中略)…いまも「菅官房長官の片腕」として有名な警察官僚だ。

 さらに「週刊新潮」の第二弾記事では、山口氏が首相官邸、内閣情報調査室幹部に事後対応について直接相談までしていた可能性が浮上。山口氏が「新潮」からの取材メールに対して誤送信したメールには、〈北村さま、週刊新潮より質問状が来ました。〇〇の件です。取り急ぎ転送します。〉(〇〇は詩織さんの苗字)と記載されていたのだ。「週刊新潮」はこの「北村さま」が、“官邸のアインヒマン”の異名をもつ安倍首相の片腕、北村滋内閣情報官のことだと指摘している(山口氏は否定)。

(以下略) 

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配信元)

[情報速報ドットコム]【騒然】岸信介元首相を描写した漫画「疾風の勇人」、突然に連載終了へ!安倍政権からの圧力疑惑も

 日本の戦後史を描写したフィクション漫画とのこと。多くのファンのいた作品の連載中止は、突然に決定されたようです。
 戦後史のタブーに注目が集まると、今後の思惑に差し障るとした誰ぞかが、やはり圧力をかけたのでしょうか。「昭和の妖怪」に触れて欲しくない!と。
 漫画では「魑魅魍魎が動き出す!」とありますが、魑魅魍魎の世界観がバレてしまうと非常に困る魑魅魍魎が今だに蠢めいているということですね。
 世界平和への思惑に豹変してもらいたいものです。
 「あったものをなかったものにできない。」のですから!
(しんしん丸)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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【騒然】岸信介元首相を描写した漫画「疾風の勇人」、突然に連載終了へ!安倍政権からの圧力疑惑も
転載元)

週刊モーニングで連載されていた漫画「疾風の勇人」(しっぷうのはやと)が連載中止となることが決まりました。この連載中止は突然に決定されたようで、作者の大和田秀樹さんもツイッターで「突然ですが疾風の勇人は次週でおしまいですなう」とコメントしています。

多くのファンが居た作品だけに、ネット上では驚きの声が殺到。漫画では安倍晋三首相の恩師(祖父)である岸信介首相に触れている場面だったことから、「出版社の上層部に何らかの圧力があったのでは?」との疑惑が浮上しています。

岸信介氏は安倍晋三氏が最も信頼した人で、「昭和の妖怪」と呼ばれた権力者です。

漫画「疾風の勇人」は戦後の日本を描写するために作られた物語で、2008年頃から構想を練り始めていたことが発表されています。それだけに、今回の中止発表は予想外だったと言え、最終回がどのような形になるのか注目を集めているところです





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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』7月号を題材に(中)〜

 1997年に臓器移植法が成立施行、1999年2月臓器移植手術。移植法施行後の日本で初めてのつまり公的合法とされる移植手術の実施です。その後、移植法は2009年に改正されます。理由は臓器提供者数が少ないからその対処のためで、その施行後、移植実施数は5倍以上に増え15歳未満からの脳死臓器提供も可能になり現在に至っています。
 臓器移植は脳死移植が主ではありません。世界全体での臓器売買の実態はすさまじく、日本でも闇に隠れ実数は表に上がりませんが、臓器売買施術が相当に実施されているのは想像できます。公的合法的に、そして秘密裡に医師が執刀し、その臓器移植手術を待ち望む夥しい人々の群れ。私にすれば昔それを見るのがいやだった「光景」です。
 日本社会ではメディア中心に人類の不老長寿の願望を成就すること、そのためには「どういうことであっても」賛美される傾向は今も顕著にあります。不老長寿への試みを私は否定しません。しかし安易に医療の発展だとか人類の進歩とかの言葉が、疑いなき至高の善でまるで錦の御旗として、無批判に検証なしに受け入れる体質、日本社会にそれが確かに機能しているように見受けられ、それが本当に問題だと見えるのです。この見方は特集記事作成当時も現在の私も同じです。
(seiryuu)
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pixabay[CC0]



特集記事 「道しるべを探して・・・2」  2001年7月号掲載  中 

現代医療から 

 不老長寿、健康で長生き。古から現代にいたるまでわれわれほとんどの人達が望んできたことでありましょう。世界的な視野から見れば、一部の人たちがその恩恵を受けたのだと言わねばならないでしょうが、科学の発展に伴う医療技術の進歩は私達の不老長寿の望みを随分と叶えてきてくれました。(中略)

 しかし、ここにある疑念を持たざるを得ません。それは、「同じ人間でありながら圧倒的大多数の人には関わりなく、ごく少数の人にしか、その恩恵を受けることが出来ないではないか。」といったことより、不老不死の生存要求の充足が、果たして本当に人間の幸福であるとイコールで繋がるのだろうか?ということです。

 生存要求そのものは全ての人が等しく持っており、この人間の自然な要求にもとづいて、その要求を叶えるべく医療技術、そして文明は進歩してきました。その歩み自体は批判や否定できるものではありません。しかし、全てがそれで許され、片付けていってもいいのかとの疑念も残るのです。それは際限のない要求を満たすことが、本当に幸福に繋がっていくのだろうか、むしろ、人間だけのエゴを助長し、かえって自らの首をしめる結果になるのではないか、との疑念です。

 自らの要求充足にあまりにも懸命になる時、見落としやすいことがあります。それは全てのものはそれ一つ単体で成り立っているものはなく、様々な繋がり支えあいで成り立っているあるがままの姿であり、人間もまた様々な繋がり支えあいの、自然の生態系の一員として生かされている事実です。産業革命以降、人間中心主義、正確にはヒトという種の生存要求を、至高のものとして中心に据える動きは、科学技術を進歩させ、20世紀は史上かつてない豊かな物質文明が花開きました。しかし反面、この20世紀は「戦争と火の世紀」であったとも評されてもいます。人間中心主義にもとづく文明、それはまた、繋がりの感覚を失念させ、地球規模での温暖化と砂漠化、そして人々の精神的砂漠化をも進行させたようにも感じるのです。



脳死・移植問題に見られる問題の本当の本質。


 非人間化と表現し、「精神的な空白感、飢餓感」が現代社会の諸問題の背後にあるのでは?と指摘してきました。今回はそれを「際限のない要求」「人間だけのエゴ」「生存要求を、至高のものとして中心に据える動き」と表現しています。違う表現をしましょう。至高で中心とは神として崇める意味です。飢餓感に基づく生存欲求が「科学技術人類の進歩」を顔とする神となっていませんか?

(ここでいう神とは無論神聖の意でなく人間が制御できず縛られ支配される存在の意味です。自らが生みだした欲望に自らが支配されることです。)

 こうなるとそれにまつわる諸々の行為は全て神に仕え神に供物を捧げる行為、いわば無批判でよいとされる神聖行為となりかねません。しかしそれこそが問題の本質で、神聖行為の筈が幸福に繋がるどころか、地球環境の砂漠化、人間の精神の空白・飢餓を精神砂漠にまで進行させ人類を深刻な危機に追いやっているのではないか?との問いかけです。


pixabay[CC0]



 私にはこのエゴ際限なき欲求を「装った顔」に置き換えて、神として崇め供物を捧げる行為、この姿が「脳死・移植問題」の上に端的に見えてしまったのです。「臓器移植は医療進歩(の顔の神)に捧げるための神聖行為」の意味、そしてそれと少し違う意味もあります。

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