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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第13話 ― フクシマ事故の発生
「原子力緊急事態宣言」発令
2011年(平成23年)1月の菅首相のTPP参加の発言に、「TPPとは一体なんのことだ?」と日本の中が騒然とし始めていた頃でした。その2011年3月11日14時46分、日本列島に激震が走りました。東日本大震災の発災です。津波が東北地方太平洋沿岸部を襲う中継映像に慄然としながら、私がもう一つどうしても懸念していたのが原発のことでした。
その当時に、以前からよく閲覧させていただいていたのが「東海アマブログ」でした。日本の老朽化した原発、しかもどの原発も複雑な無数の配管が施されているのが日本の原発、その日本の原発が巨大地震に耐えられないことは、このブログで教えられていたのです。
懸念する中、対象になる福島第1、福島第2、女川、東海・東海第2などの各原発は、原子炉の緊急停止には成功したとのニュースがありました。ひとまずは胸をなでおろしながらも「本当に大丈夫なのだろうか?」 そう思っているうちに3月11日19時3分、日本政府から「原子力緊急事態宣言」が出されました。福島第一原発事故による緊急事態宣言でした。
ただし、その時の枝野官房長官の説明では「念の為」というものでした。「本当は一体どうなっているのだろうか?」 不安な眠ることのできない夜をを過ごしながら、私は情報を探してパソコンに釘付けとなっていました。当時のことを、日本 昭和編 第45話の冒頭文で以下に記していました。
2011年3月11日夜、私はパソコンの動画に見入っていました。チェルノブイリ原発事故の取材に幾度も訪れたフォトジャーナリストの広河隆一氏たちがガイガーカウンター搭載の車両で福島入りした実況動画にです。函館村だったでしょうか、ガイガーカウンターの値が跳ね上がり叫び声が上がりました。「とてつもないことが起きている」と実感しました。その後は元東芝、原子炉格納容器設計者、博士の後藤政志氏の実況の解説に聞き入っていました。京都大学の小出裕章氏のことも翌日知りました。原子炉に深刻な非常事態が進行しているのは確実でした。実際には事故の当日に原子炉はメルトダウンしていたのです。
上の文章では一点誤りがあります。3月11日夜からパソコンに釘付けになっていたのはその通りですが、確認し直すと、広河隆一氏たちが車両で福島入りし、後藤政志氏が初めて顔出しの実況をされたのは3月12日の夜だったようです。3月12日の夜に訂正させていただきます。
ともあれ、現実に何が進行しているのか把握できないまま情報を探していて、3月12日の夜にはとんでもないことが福島原発で起きてしまっているであろうことを、現地からの生中継で教えられていたのでした。
当時、東京電力福島第一原発では、6基の原子炉のうち1号機から3号機が運転中で、残りの3基は定期検査のため運転を停止していて、運転中だった3基の原子炉はすべて緊急停止したとされます。
しかし3月11日の夜には、1号機で核燃料が溶け落ちるメルトダウンが発生したようです。そして翌12日の午後3時半ごろには、1号機原子炉建屋で水素爆発が起き、屋根が外壁がすっ飛んだのでした。
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「原子力村」と名付けられたこのムラは、ウィキペディアでは、
産・官・学にメディアも「原子力村」の一員に加えるべきだとは思いますが、ともあれこのムラの住人たちは、自分たちの所持する既得権益のみを優先し、それを守るためには「国家など、国民など、若者の未来などどうでも良い」との態度を続けてきました。自分たちのみの利益のため、その行為が他者の著しい不利益になっても、隠蔽と嘘と排除の姿勢を崩さなかったのです。彼らは日本の悪癖の象徴のような存在なのかもしれません。
日本の村社会は、地域住民が相互扶助のため必要があり、出来上がってきたものです。有用で大切なものを含んでいます、しかし、村社会が「原子力村」のような「共依存」のガンジガラメの状態になると、危険なものになるということでしょう。どのようなものも、常日頃からのきちんとしたチェックとメンテナスが大事だということでもあるでしょう。