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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第3話 ― 明治維新の実働隊形成

 先ず気をつけるべき点を。
 善悪などの相対論で事物を括ると実態が見えなくなります。日米修好通商条約の1858年からわずか10年後の1868年に明治政府が樹立しています。この10年間を切り取るだけでも、大激動の大動乱で様々な出来事が目まぐるしく起きました。
 「倒幕だ」「いや幕府を助ける佐幕が本来だ」「尊皇だ」「攘夷だ」「いや開国だ」と、公家から幕臣、大名、商人そして若者たちが激しく動きました。
 そのそれぞれを大別して「尊皇攘夷」と「佐幕開国」としましょう。このどちらかが例えば「尊皇攘夷」が善で「佐幕開国」が悪とも、逆に「尊皇攘夷」が悪で「佐幕開国」が善であったなどとは括れないのです。
 「倒幕」を主張し行動する人間には、本当にこの国の将来を憂いて自身を犠牲にしてでも道を開かんとした人々もいれば、自身の野心や野望を遂げるのが主目的で「倒幕」を主張した者もいたでしょう。これは「佐幕」を主張する人々も同様です。
 それぞれ見えている風景や考え方や立場の相違で主張とその行動は別となりますが、「倒幕」「佐幕」いずれもがその動機が純粋できれいな心からのものもあれば、どす汚れた野心からのものもあるのです。
 ただ日本全体を巻き込んだ激しい動乱の底流にあったのは、外国勢力からの侵略計画でしょう。結果として見れば維新の志士たちは外国勢力の手駒として実働した人々との見方は成立します。しかしその志士たちが「売国」の徒であったか?と言えばその見方は成立しないのです。
 さて、全体を見通す力があり、外国勢力の動向や動機に気づいた上で、それを利用して自身の野望を遂行しようとした者もいたでしょう。そして同じく外国勢力の動向や動機に気づきそれに乗っかりながらも、その力を取り込み、日本の自立と将来のために役立てようと動いた人々もいたでしょう。
 勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛は一本の線として繋がります。現時点での私の見方では彼ら3名は後者の部類に、日本の将来のため動いていた3名だと現時点では見ています。 
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第3話 ― 明治維新の実働隊形成

朝敵になっていた長州 〜「尊皇」「勤王」の意味


帝国憲法は主に伊藤博文によって作成され、そこでは天皇について「御一身は神聖にして侵すべからず」とあります。尊皇攘夷を叫び、勤王の志士として明治維新を成し遂げた伊藤博文たち長州の志士たち、彼らが天皇を「万世一系にしてこの上なく神聖」と規定したのです。

しかし、逆に彼らほど天皇に対する崇敬の念を持たない日本人はいなかったのでは?とも思えます。幕末期、尊皇攘夷を叫び暴れまわる吉田松陰の弟子たちなどの長州勢は京都を席巻していました。しかし逆に孝明天皇に疎まれ、京都を追放された彼らは遂には実力行使の暴力クーデターを起こします。

それはなんと孝明天皇の長州への拉致等を計画したものからで、これが1864年の「禁門の変(蛤御門の変)」です。京都でのこの戦闘の中で、長州勢は孝明天皇、睦仁親王が住む皇居へ砲弾を撃ち込むという前代未聞の行動を起こしているのです。


結果長州勢は敗退し、孝明天皇から「朝敵」とされ討伐の命がくだされます。孝明天皇の命は当然でしょう。ところが紆余曲折はあったのですが、その明らかな「朝敵」長州が、明治天皇を前面に押し出して新政府を樹立して運営していくことになったのです。彼らは担ぎ上げた天皇を「神聖にして侵すべからず」と最大の崇拝姿勢を見せつけ、それを日本全国民に強制させました。

しかしその崇拝の言動は表に見せる部分であって、内心はどうだったのでしょうか? 彼らのもともとの「尊皇」だとか「勤王」だとかは、天皇を拉致して自分たちに都合よく利用しようとすることで、それがうまくいかないとなれば公然と天皇に刃を向いて孝明天皇、睦仁親王の住居に砲弾を打ち込んでいるのです。

天皇を利用しようとしてそれが叶わないとなれば砲弾を撃ち込むこのメンタリティ、これは危険なテロリストもしくはストーカーのそれでしょう。

「朝敵」の烙印が押されたのが1864年、大政奉還が1867年です。「禁門の変」から見るならば、彼ら長州の勤王の志士にとっての天皇は、担ぎ上げることで都合よく利用できれば「誰だって」「何だって」良かったのではないか? そう思えてしまいます。

尊皇の志士たちにとってまことに都合よく、「孝明天皇は1867年1月崩御」と記録されます。壮健だったはずの満35歳で逝去でした。孝明天皇は最後まで長州に嫌悪を示された様子です。

そして孝明天皇は都合よく崩御されたとはいえ、長州に対する嫌悪は睦仁親王も同様、それ以上の嫌悪感・不信感を持っていた可能性は高いです。幼い時分に受けた精神的な傷は成人になってからのもの以上に大きいですから。伊藤博文たちにとっては睦仁親王もまた邪魔な存在であったのは確かでしょう。

五姓田義松による「御物 孝明天皇御肖像」
編集者註:1900年に描かれた肖像画とは明らかに雰囲気が異なりますが、皇室と密接な関係があり、孝明天皇陵のある泉涌寺の肖像画や、桓武天皇と孝明天皇をご祭神としている平安神宮の肖像画とは似ています。

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第2話 ― 明治の逆転劇、北朝天皇はありえない

 平気で嘘をつき続る人たちがいます。彼らの特徴は言葉と思いが全く別、おまけに言っていることと実際の行動がアベコベで、支離滅裂なことです。
 彼らのその主張は整合性が全くなく論理破綻していて、それを指摘されたところで平気であって、恥というものを知りません。ビョーキなのです。もちろん安倍一派がこれなのですが、彼らのビョーキは遺伝なのだろうなと感じます。
 明治天皇を担ぎ上げることで明治政府は成立して稼働していきました。明治天皇の前の天皇、壮健だったはずが満35歳の若さで崩御したと記録される孝明天皇は北朝の天皇です。南北朝の争いを経て室町時代中期以降、天皇は代々北朝の天皇なのです。
 ウィキペディアによると明治22年『(旧)皇室典範』制定に当たった伊藤博文は、皇位継承をできるのは父親である天皇の胤を受けた男子とします。その上で大日本帝国憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とします。
 こうなると明治天皇は孝明天皇の胤を受けた息子のはずです。でなければ「万世一系」でも「之ヲ統治ス」も成立しません。睦仁親王が孝明天皇の胤を受けた皇太子ならば、この条件をクリアし「万世一系ノ天皇」となります。そしてこの天皇は当然ながら北朝の天皇となるのです。
 しかし明治天皇は、前回見た「招魂社」の件から見て、そもそも天皇としてあまりにも異質で代々天皇とは乖離しています。その上ましてや北朝の天皇としては全く「ありえない」のです。実際に明治政府が日本国民を統治するために行ってきた数々の事柄は、北朝天皇の日本統治としては完全に矛盾するのです。辻褄が全く合わないのです。
 ある事柄同士が相矛盾し、辻褄が合わない、これは虚偽の特徴です。田布施出身の伊藤博文はその理由までは分かりませんが、意図的に数々の虚偽を押し通してきたのは明瞭です。血縁があるかは不明ですが、安倍晋三氏は伊藤博文と同じく田布施の系統です。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第2話 ― 明治の逆転劇、北朝天皇はありえない

200年間の「朝敵」が神に 〜建武中興十五社の怪


神戸市中央区に湊川神社があります。明治2年にその場所は確保され、社殿は明治5年に完成。明治期最初から全国に設立されていった招魂社と同時並行的に湊川神社は設立されたのが分かるのですが、湊川神社は最初から“神社”として創建されました。この神社の祭神は「楠木正成」です。


楠木正成は朝廷が南北に別れ争った南北朝時代の武将で、後醍醐天皇に仕えた南朝側の武将です。楠木正成は「日本史上最大の軍事的天才」として高名ですが、1336年の湊川の戦いで北朝側となった足利尊氏によって自刃に追い込まれました。その後に南北朝の争いは北朝側の勝利となります。

その結果、楠木正成はどのような扱いとなったかは彼のウィキペディア記事に次にある通りです。

南北朝の争いが北朝側の勝利に終わると、南朝側に尽くして死んだ正成は朝敵とされてしまった。だが、永禄2年(1559年)11月20日、正成の子孫と称した楠木正虎が朝敵の赦免を嘆願し、正親町天皇の勅免を受けて正成と楠木氏は朝敵でなくなった。ただし、この時点では『先祖である朝敵・正成の非を子孫が深く悔いたから』許されたという形式になっており、正成に非があるとする汚名の返上にまでは至らなかった。」

いつの時代でもそうですが、その人物の評価は時の為政者で権力を握った側の都合で決められます。「勝てば官軍、負ければ賊軍」です。朝廷への子孫の嘆願と献金によって正成は約200年間の「朝敵」とのレッテルは外されました。しかし北朝側からすればやはり正成は大悪人です。そして室町時代中期以降の天皇は代々北朝の血統子孫なので、基本的に正成は幕末までは大悪人の扱いのはずだったのです。

ところがそれが明治になると、その元は朝敵であった悪人が一転して大忠臣の大英雄で神として奉られるのです。実は明治の世におけるこの逆転劇は正成だけではありませんでした。湊川神社は明治に次々と建設された建武中興十五社の一つで、ウィキペディアによると「建武中興十五社(けんむちゅうこうじゅうごしゃ)とは、建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社である。」とのことです。

要は明治になると、楠木正成をトップとしてそれまで北朝側にすれば大悪人であったはずの南朝側の皇族や武将を神として奉るようにしたのです。これは政府による国民統治のための施策です。

しかし明治天皇は北朝の天皇のはずで統治権を有していますが、本当に北朝の天皇ならば、国民統治のために敵方であった南朝の皇族や武将を神として奉る神社を創設していくでしょうか?


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その起源がハイアラーキーでも悪魔でもなく、本当の神々で、しかも天津神が根源であるというのは、極めて珍しい例であるホピの神話

竹下雅敏氏からの情報です。
 ホピの神話では、第1の世界は火(火山の爆発)、第2の世界は氷(ポールシフト)、第3の世界は水(大洪水)で滅ぼされました。いずれの世界の終焉でも、“創造主の歌をうたい続ける僅かな数の人々”が救い出されました。神話では、コクヤングティ(蜘蛛女)に導かれ、蟻人間の住む地下に隠まわれたとあります。
 実は、ホピの神話は、例えば「ノアの洪水伝説」の様に、一部似ているところがありますが、他の神話とは決定的に違う要素があるのです。シュメール神話では、アヌンナキと称するシュメールの神々の集団が出てきますが、彼らは実は神々ではなく、ブラックロッジの大主たちで、一言で言えば、地獄の悪魔たちが神々の名を騙っているのです。
 もう一つは、旧約聖書に出てくるエロヒム(エルたち)や絶対神YHWH(ヤハウェ)で、彼らも神々や神ではありません。彼らはハイアラーキーの代表で、実際には、神々から追放された者たちの集団です。
 もう一つ、ギリシャ神話の神々は、確かに神々ですが、彼らは第1システム国津神第三レベルに属していました。しかし、BC 332年の天界のクーデターで、彼らは権力の座から追われてしまいました。不法な手段で権力を収奪したのが、シリウス・ハイアラーキーのラーとホルスを中心とする者たちです。彼らもまた神々の名を騙っていますが、神々ではなく、ハイアラーキーに属しています。
 ところが、ホピの神話の創造主タイオワは、第1システム天津神第五レベルに属する神なのです。創造主タイオワの名代ソツクナングと彼の助手のコクヤングティ(蜘蛛女)は、第1システム国津神第五レベルに所属しています。
 このように、神話の起源がハイアラーキーでも悪魔でもなく、本当の神々で、しかも天津神が根源であるというのは、極めて珍しいことなのです。
 ホピの神話で興味深いのは、“モクニと呼ばれる鳥の形をとったラバイホヤ(お喋り)が現れた”というところです。これは、コーリー・グッド氏が言及しているブルー・エイビアンズのことです。
 また、“カトヤという美青年が大きな頭をもつ蛇の姿をして現われた”と書かれています。この青年は、コブラがキメラグループと呼んでいるキメラです。神話ではブルー・エイビアンズもキメラも、共に人々を創造主から引き離す悪しき存在として描かれているのがわかると思います。
 このカトヤですが、今朝ヴィジョンで見ました。白人の青年なのですが、目が異様でした。目を大きく見せるために目の上下にアイシャドーを入れる人がいますが、そのアイシャドーが目の上下に3本ずつ入っているのです。おそらく、アイシャドーではなく入れ墨だと思いますが、非常に気持ち悪く、見た目の印象はまさしく「蛇」でした。
 5月11日の朝には、コクヤングティ(蜘蛛女)が現れました。アイドル系の女子アナのような雰囲気で、日本人のように見えました。20歳くらいで、とてもピュア(清楚)な感じの透明感のある女の子でした。精霊と呼ばれているのは、肉体を持っていないからだと思います。
 今朝、カトヤを見た後に、蟻人間の姿も見ることができました。私が見たのはポッチャリとして肉付きがよく、非常に張りがある浅黒い肌をした女の子でした。姿形が蟻に似ているのではなくて、単に地下に住んでいることからついた名前だと思いました。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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第2章 第1世界の終焉
(前略)
創造主を敬えというソツクナングとクモ女の命令を忘れる者たちが、徐々に現われてきた。(中略)… その頃、彼らの間にラバイホヤ【お喋り】が現われた。彼はモクニ【ツグミに似た烏】と呼ばれる鳥の形をとって現われ、喋れば喋るほど、人々は自分たちの違いを確信するようになった。
(中略)
彼らの間に、カトヤという美青年が大きな頭をもつ蛇の姿をして現われた。彼はさらに人々を互いに引き離し、原初の知恵から遠ざけた。
(中略)
タイオワソツクナングに世界を滅ぼすよう命じた。(中略)… 彼は世界に火の雨を降らせた。すなわち、火山の口を開いたのだ。
(中略)
地の子宮の中で安全に生きている人々以外は何も残らなくなった。
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第2章 第2世界 火と氷による大浄化
(前略)
必要なものは、全て第二の世界にあった。しかし、人々はそれ以上のものを求め始めた。(中略)… それでも、どの村にも創造主の歌をうたい続ける僅かな数の人々がいた。だが、悪しき人々はこの人たちを笑い者にしたので、彼らは心の中で歌うようになった。
(中略)
あなた方の糸がこの世界の上で切れかかっている、とクモ女が訴えてきた。(中略)… あなた方を安全な場所に移してすぐに、第二の世界を滅ぼすことにする」
(中略)
第一の世界のときと同じく、ソツクナング蟻人間に命じて人々を地下に避難させた。人々が安全に避難すると、ソツクナングは南極と北極をそれぞれ守っている双児のポカングホヤとパロンガウホヤに持ち場を離れるように命じた。(中略)… 第二の世界はこうして終わりを告げた。
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第3章② 第3世界 大洪水による滅亡
(前略)
ソツクナングがクモ女のところにきてこう告げた。
「今度は、最後まで待つ必要はない。今すぐ手を打たないと、心の中に讃歌をうたい続けている者たちさえ汚されて、滅びてしまうだろう。(中略)… 私が世界を水で滅ぼすときに、あなたは彼らを助けよ」
(中略)
クモ女は指示どおりにした。葦を切り、その中の空間に人々を入れ、少量の水と食糧としてトウモロコシの粉【フルスキ】も詰めて、封印をした。(中略)…
こうして、ソツクナングは地上の水の力を解いた。すると、山々よりも高い波が陸地を襲い、陸という陸は破壊されて海中深く沈んだ。
(以下略)

アトランティスの2度目の崩壊である”ホピの「第1世界の終焉」の伝説”は、巨大な想像を絶する火山の爆発によってBC31,018年に起き、アトランティス大陸は5つの島に割れてしまった

竹下雅敏氏からの情報です。
 今日は、ホピの「第1世界の終焉」の伝説についてです。実は、これはすでに指摘しています。5月9日の記事をご覧ください。エドガー・ケイシー氏のリーディングで、アトランティスの2度目の崩壊が、巨大な想像を絶する爆発によって起き、アトランティス大陸は5つの島に割れてしまったということでした。私はこの日時を、BC31,018年と指摘しました。ホピの伝説を見ると、この時の“想像を絶する爆発”とは、火山の爆発であったことがわかります。
 実は、昨日の記事をよくご覧になると、コーリー・グッド氏は、プリ・アダマイトが“天変地異の後に南極に不時着した”と言っています。この記述は正しく、しかも、コーリー・グッド氏は、プリ・アダマイトが南極に不時着した時期を、約6万年前としています。時事ブログでは、この日時を、第4回のアトランティス文明が始まった時期から、 4月4日の記事で、BC58,290年だと指摘しました。
 コーリー・グッド氏が、“天変地異の後に南極に不時着した”と言っているように、アトランティス大陸の第1の崩壊は、その前年であるBC58,291年となります。
 このことと、今回のホピ族の神話の第1世界が火によって滅ぼされたこと、第2世界が氷(ポールシフト)によって滅ぼされたこと、そして第3世界が水(大洪水)によって滅ぼされたことなど、これまでにお伝えした様々な伝説を一覧表にしました。“続きはこちらから”をご覧ください。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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第2章 第1世界の終焉
(前略)
創造主を敬えというソツクナングとクモ女の命令を忘れる者たちが、徐々に現われてきた。(中略)… その頃、彼らの間にラバイホヤ【お喋り】が現われた。彼はモクニ【ツグミに似た烏】と呼ばれる鳥の形をとって現われ、喋れば喋るほど、人々は自分たちの違いを確信するようになった。人と動物の違い、また肌の色や言葉、創造主の計画に対する信仰の違いなど。
(中略)
 彼らの間に、カトヤという美青年が大きな頭をもつ蛇の姿をして現われた。彼はさらに人々を互いに引き離し、原初の知恵から遠ざけた。人々は互いを疑い、非難し合って、ついに暴力に訴えて戦い始めた。
(中略)
 だが、どの民族、どの言語の人々の中にも、創造主の法則を守って生き続ける僅かな数の人たちがいた。彼らのもとにソツクナングはやってきた。(中略)… 人々は、注意深くその指示に耳を傾けた。
(中略)
これら選ばれた人々は世界の各所で突然姿を消し、昼は雲、夜は星に導かれて旅をした。(中略)… 最後の一団が到着したとき、ソツクナングが現われた。「全員揃ったか。あなた方は、世界を破滅から救うために私が選んだ者たちだ。私についてきなさい」
 彼は「蟻人間」の住む大きな塚のところにまで人々を導くと、その屋根を踏みならして、蟻人間たちに入口を開けるよう命じた。(中略)… 人々は地下に下り、蟻人間とともに生きた。彼らが皆安全でいる間に、タイオワはソツクナングに世界を滅ぼすよう命じた。(中略)… 彼は世界に火の雨を降らせた。すなわち、火山の口を開いたのだ。火は下からも上からも噴き出て、地も水も風も全て火の元素一色と化し、地の子宮の中で安全に生きている人々以外は何も残らなくなった。

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南極は当時、現在の位置よりもずっと暖かいところにあり、氷に覆われていなかったが、ポールシフトによって地軸がずれ、現在の位置に移ったため、巨大な津波が起こり、瞬間凍結された

竹下雅敏氏からの情報です。
 ホピ族の神話によると、創造主によって、第1の世界は火によって滅ぼされ、第2の世界は氷によって滅ぼされ、第3の世界は洪水によって滅ぼされました。現在は第4の世界です。
 昨日の記事で、その第3の世界を終わらせた大洪水は、BC9,567年であったことをお伝えしました。今日は、第2の世界の神話を見てみます。
 神話によると、人々は物欲により争い始め、最終的にポールシフトによって滅びたことがわかります。わずかな人々だけが、アリ人間に助けられ、地底に逃れて大災害をやり過ごしたということです。
 “続きはこちらから”のコーリー・グッド氏の一連の情報によると、南極で発見された古代遺跡の遺体を見ると、“明らかに巨大な波に襲われて、それからどういうわけか瞬間凍結された”と書かれています。要するに、南極は当時、現在の位置よりもずっと暖かいところにあり、氷に覆われていなかったわけです。それが、ポールシフトによって地軸がずれ、現在の位置に移ったため、巨大な津波が起こり、瞬間凍結されたと考えられるのです。
 この第2の世界の終りは、BC27,602年のことです。ポールシフトによる地軸のずれで起きた大洪水なので、これは世界的規模のものだということになります。この時、わずかな人々がアリ人間に助けられ、地底に逃れたということですが、その場所が、昨日の記事では、グランド・キャニオンではないかということなのです。
 コーリー・グッド氏は、“1万1千年前にポールシフトが起きている”と言っていますが、これは誤りです。1万1千年前ということは、紀元前9,000年頃です。これだと、アトランティスの最後の破壊を、彼らは紀元前9,600年頃としていることに合致しません。大洪水による破壊の後に、ポールシフトが起こったことになります。最後の記事では、アトランティスを破壊した最後の大洪水が11,900年前と修正しているので、これは紀元前9,900年頃ということになり、最後の大洪水のおよそ900年後にポールシフトが起こったことになってしまい、さらに辻褄が合わなくなってしまいます。
 マイケル・サラ博士が引用している、“科学者達は20万年から30万年毎に地球の物理的な自転軸が大移動する”という説は誤りです。コーリー・グッド氏は古代地球離脱文明の人たちから、これまでの2,000万年の間に4回のポールシフトによる地軸のずれが起こったと聞かされています。
 これは正しい数値です。正確には、これまでの4,000万年の間で、ポールシフトによる地軸のずれは6回起こり、2,000万年では4回起こっているのです。その6回目の最後の地軸のずれが、BC27,602年なのです。その前の5回目は、BC1,005万年です。
 ポールシフトによる地軸のずれというのは、ほとんど起こらないものなのです。 20万年から30万年毎に物理的な自転軸が大移動すれば、この2000万年の間に100回近く地球は破壊されていることになりますが、こんなことはありません。
 コーリー・グッド氏たちは、天変地異が“約12,500年周期とか25,000年周期”で起きていて、その天変地異がポールシフトによる地軸のずれということにしたいようですが、完全に彼らの妄想です。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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ネイティブアメリカン・ホピ族の神話(第一の世界から第3の世界まで)
引用元)
(前略)
【 ホピ族の神話 】
(中略)
「第2の世界」では、頭頂の中枢がまだ開いていたので、互いの心の中を見て話すことができた。
 
次第に村ができ、その間を結ぶ道路もでき、交易が始まり、互いに物を売買するようになっていった。交易が盛んになり、得れば得るほどますます物を欲しくなりだし、創造主への賛美は忘れ、人々の心は、売り買いし蓄えた物に対しての賛美に変わってしまった。
 
その結果、人々は争い始め、村同士の戦いが始まった。創造主は再び、リセットすべく世界を滅ぼすことを決めた。
 
地球が地軸のバランスを失い、回転が狂って二度も引っくり返り、山々は大音響とともに海になだれ込み、海と湖は陸に覆いかぶさった。そして、冷たい生命なき空間を巡る間に、世界は厚い氷に閉ざされた。
  
わずかな人々だけが、精霊のキバ(蟻人間と呼ばれている)に従って、地底に逃れ、幸せに暮らすことができた。
(以下略)

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