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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第2話 ― 満洲国設立へ

日本は今もなお「満洲」の呪縛に囚われたままであるように私には見えるのです。
 その著書『満洲暴走 隠された構造』のプロローグの中でこう語られているのが安冨歩氏です。この呪縛とは日本に植え込まれた「植民地根性」であり、「立場主義」であるとの見解です。
 またこの呪縛とは、満洲を植民地化、つまり都合で支配したことを意識化せず眼をつむっているうちに自分が「被植民地化」している事実、支配されてしまった不自然な状態にあることに気づかず、その被植民地の状態で与えられた「立場」のみを重視し、本来の自分とは遠く隔絶した状態に縛られている事実、こういう言い方もできるでしょうか。

 安冨歩氏はこの著書の中で語ります。
この植民地化された魂は、日本を、特に支配的な地位にいる政治家・官僚・大企業の経営陣などなどを、覆い尽くしています。
 現在の日本、まさにこの安冨歩氏の指摘どおりです。現在開かれている国会中継を視聴すれば、「植民地化された魂」が、そして支配された立場からその立場を死守しようとする「立場主義」が、続々と延々と登場しているのに気づくでしょう。
 話の論点をすり替えて誤魔化して事実を隠蔽しようとし、事実が表に現れていないうちは平気でウソを通し、事実が表に出てきてもなお誤魔化し隠蔽しようとする…。
 彼らが必死で守ろうとしているのはいかに大きな既得権益があるかは知りませんが、支配される中で与えられた小さな部所であり、立場に過ぎません。
 そして、そうやって彼らが本来の自身の生命を削りながら奴隷根性で立場を死守しようとする行為は、法治国家や民主主義を破壊していく暴走でもあるわけです。
 こういった現在の日本の姿は満洲支配呪縛の継続でもあったようです。

追記:石原莞爾のドイツ留学の年号(正しくは1922年)とそれに続く一文を訂正させていただきました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第2話 ― 満洲国設立へ

満洲支配への背景


満洲、その地域についてはウィキペディア記事では以下のようにしています。

おおむね北辺はスタノヴォイ山脈、南辺は長城、西辺は大興安嶺、東辺は鴨緑江・図們江 (豆満江) の内側を想定している。しかしながら、マンチュリアの範囲は歴史的変化に伴い、その範囲は伸縮していた。

日本で満洲と呼ばれる地域は、満洲国の建国時の地域全体を意識することが多く、おおよそ、中華人民共和国の「東北部」と呼ばれる、現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を範囲とする。

満洲(マンチュリア)の範囲
Wikimedia_Commons [Public Domain]

日本から言えば、いわば満洲とは満洲と蒙古、つまり「満蒙」とういうことになります。この地域に流れる中心河川がアムール川です。このアムール川(黒竜江)にちなんで玄洋社(=白龍会)の内田良平が中心となって黒龍会を組織したのが思い出されます。

要するに、八咫烏並びにその政治組織である五龍会は、早くからアムール川(黒竜江)の流域地域を掌握していくことを見越して行動していたということでしょう。

また、明治天皇(大室寅之祐)の曾孫を自認・自称する張勝植氏が主張する“高句麗”は、地域としてはその範囲は更に大きく拡大しますがこの満洲、満蒙の地のことも指しています。

張勝植氏のその著書のP32~33にて“高句麗”は中国(清国)を含み、ユーラシア大陸の大半、南はコーカサス山脈から北はウラル山脈、その一帯より東側は全て“高句麗”の版図だとしています。

また、蒙古のチンギス・カンも高句麗家そのもので、その象徴が八咫烏だと語っています。

チンギス・カン時代のモンゴル帝国最大版図
Wikimedia_Commons [Public Domain]

張勝植氏が奉じていて、明治天皇(大室寅之祐)も奉じていたとされる「教旨」とは、神ではなくハイアラーキーの計画書でした。また一方、八咫烏の背後にはハイアラーキー、銀河連合、星の教団がありました。

要は、日本が朝鮮半島から満蒙の地を併合していくのはハイアラーキーや銀河連合の計画であり、八咫烏にしても明治天皇(大室寅之祐)もその司令に順じていたということになるでしょう。

さてこの満洲ですが、安冨歩氏は満洲地域には、その経済社会形態が他の中国の各地域のそれとは大きく異なった特徴があると指摘されています。

安冨歩氏は『満洲暴走 隠された構造』の中で満洲の経済社会構造の研究をされた石田興平教授と米国の地理学者・人類学者・歴史学者G.W.スキナーが、第2次世界大戦直後に四川省で行ったフィールドワークに基づいて提唱した「定期市ネットワーク」を比較します。

そのことによって満洲と華北などの他地域での中国地域の経済社会形態の相違と満洲の特殊性を明かしています。


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メキシコ便り(85):新世代18歳の学生が、80歳の元大物政治家に宛てたメッセージ動画は、眩しい✨

 メキシコに新星登場✨さらにメキシコ眩しくなってきました。今回は、朝の大統領プレス・コンファレンスで質問された内容をもとに、メキシコの脱皮をお伝えします。
 長年、ネオリベラリズムの政権とズブズブな関係を持っていた元大物政治家ディエゴ・フェルナンデス・デ・セヴァジョス氏(80歳)が、なぜか突如ソーシャル・メディア・デビュー。久々に注目を浴びたディエゴ氏は、ネット動画のインタビューで豪語。ほとんどのメキシコ国民はこっそり「ばかじゃない?!」と思うだけのところ、新世代18歳の学生は、ディエゴ氏へのメッセージ動画を堂々配信❗️このことが大統領プレス・コンファレンスでも触れられたため、一気に広まることに。そのメッセージ内容がまたすばらしい。気持ちいい。そして、眩しい✨メキシコは完全に脱皮をした!と思った出来事でした。
 若者が多いメキシコでは、もう二度と大勢の人たちを犠牲にし、少数派だけが甘い汁を吸うことは、きっと許されないでしょう。だって若者の覚醒がすごいんだもん!日本でも、もしかしたら、こんな若者がいるかもしれない、いやいてほしいと切に思ったpopoちゃんでした。
 大統領プレス・コンファレンスでの質問に対する回答として、ロペス・オブラドール大統領はご自身の20年前の動画を流して去りました。言っていることは、今も変わらず全く同じ!昔から大統領が大切にしているのは「メキシコ」、「メキシコ国民」、そして「ヤマ・ニヤマ」❗️ 本物でっす!そして、この大統領の精神は、すでに新世代に引き継がれているのかも。。。
(popoちゃん)
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メキシコ便り(85):新世代18歳の学生が、80歳の元大物政治家に宛てたメッセージ動画は、眩しい✨

3月5日大統領プレス・コンファレンスでの質問


3月5日(金)の大統領プレス・コンファレンスでの最後の質問。大統領の回答は、粋だと思いました。ざっくりまとめてみました。

ハンサラサール記者:「Diego Fernandez de cevallos (ディエゴ・フェルナンデス・デ・セヴァジョス)氏が、「大統領は、毎日、汚職をしている。」と言っています。」

ハンサラサール記者 (1時間35分あたり)
3月5日(金)の大統領プレス・コンファレンスより)


AMLO大統領:「えっ?何?」

ハンサラサール記者:「大統領は、毎日、汚職をしていると。。。なので、いつでも大統領を起訴できると。。。」

AMLO大統領:「それは、頭にくるなぁ。」

全く怒りの感情なしに、ニヤリとしながらそう答えました。

ハンサラサール記者:「大統領は、ディエゴ・フェルナンデス・デ・セヴァジョス氏について、どんなお考えをお持ちですか?」

AMLO大統領:「私は今から飛行機に乗らないといけません。」

そして、端っこでいつも待機している大統領のアシスタントらにこう質問。

「あのディベートの動画をここでシェアしましょう。20年前のあのディベート動画あるかな?私がメキシコ市長候補者時代だったときの。。。」

AMLO大統領:「あのディベートは、現在でも同じです。ここでシェアしましょう。」

20年前の自身のディベート動画を見せているオブラドール大統領

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ぴょんぴょんの「あれから10年」 〜311を振り返る

忘れようったって忘れられない311から、10年。
主犯者たちはいつ罰せられるのでしょうか?
はあ〜〜〜〜😥
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「あれから10年」 〜311を振り返る


東日本大震災直後の記録「すべてを変えた あの日…」


こないだ、ある人の書いた東日本大震災直後の記録「すべてを変えた あの日…」に心を打たれたよ。

Wikimedia_Commons[Public Domain]

ふうん。

書いたのは、フリーランス写真家を主人にもつ、詩人の妻。
ご夫婦は、埼玉の自宅で311の地震の直後、いても立ってもいられなくなり、現地へ飛んでったそうだ。
それから、何回か被災地を往復したときの記録が、ここに公開されている。

どれどれ?

ご主人は本職の写真を撮る。
奥さんは現地の様子や、被災した人々との会話を、こと細かにメモしている。
奥さんの文章は、現地の状況がありありと目に浮かぶような文章なんだよ。
たとえば、被災直後の宮古、山田町の様子、
「戦場だ…。爆弾が落とされたようだ…。ここは日本なのか…。」note

うん、わかるぞ・・見てないけど、感じるぞ。

陸前高田では消毒液の臭い、土の上にポツンと立つ線香、疲れ切った警察官たちの姿。そして、山のふもとにあった高田高校は波に飲まれ、山の上の高田小学校は避難所として残っている。
「この数メートルの差の光景はまるで天からカーテンを降ろされたように天国と地獄を見たようだった。」
note

Author:Mitsukuni Sato[CC BY]

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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第1話 ― 闇から始まった昭和期

 テレビで流れてくる映像では、くたびれた背広をまとったちょび髭の老人、ぼやっとしたような風情で、他者とのやり取りでは「あっ、そう」と短く答え、決して自分の意志ではなく、周囲の求めに応じて物事に対処してきたと思わされる人物、その人が昭和天皇でした。現実のドロドロの人間関係とは全く隔離した、清浄な温室育ちで野心のかけらもないというイメージです。
 しかし本来の昭和天皇の実像は、テレビ映像でイメージ付けされた像とは異なっていたことが分かってきています。非常に鋭い知性の持ち主で、几帳面かつ神経質、そして野心家、これが本来の昭和天皇の実像に近いでしょう。
 昭和天皇の上位には堀川辰吉郎があったのは間違いないところで、彼は世界天皇となるべく動いていたことが見て取れます。
 しかし、昭和天皇もやはり大きな野心を有していた模様です。朝鮮半島に引き続いて満洲・蒙古を併合し、世界に君臨する大日本帝国の統治者としての天皇を昭和天皇は見越していたようです。内閣や軍部からあげられてくる計画や素案に、単にメクラバンを押して「おまかせ」にしていたわけでは決してないのです。
 背後には堀川辰吉郎がいてその代役としてですが、日本と英国、米国は裏で手を結ぶことになる第2次世界大戦の内容に合意する「1921年国家間条約」を調印したのは当時の裕仁親王です。極秘事項を所持している昭和天皇が、内閣や軍部に種々の指示を出すなど強い影響を与えていたのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第1話 ― 闇から始まった昭和期

歪な形で始まった昭和期 〜暴力テロを闇に葬る意味と影響


1926年12月25日、大正期は終焉し昭和期が始まりましたが、それは大正天皇の崩御によるものではありませんでした。このあたりについては「歴史の襞の中から」シリーズで見てきたところですが、改めまして。

ガーター騎士団の正装をした大正天皇
Wikimedia_Commons [Public Domain]

時期としては1922年以降でしょう、大正天皇が行方不明となります。徳川慶喜たちの拉致・軟禁によるものでしたが、宮中では大正天皇が行方不明となり、その対応に苦慮していたと思えます。

ところがその大正天皇の消息が明らかになります。大正天皇の拉致・軟禁を実行した側である徳川慶喜の下にいた瀧山一族が不満を抱き、昭和天皇宛に脅迫?の手紙を届けたのです。

これで宮中は状況を把握し、大正天皇が帰城することはなく大丈夫との判断を下し、大正期を終焉させ、昭和期を始動させたと考えられます。決して正式な形での大正期の終焉と昭和期の始まりではなく、非常にいびつな形での昭和期のスタートだったのです。これが昭和に常に黒い影を落とさせていたように感じます。

大正天皇が崩御したのではなく、何らかのアクシデントによって行方不明になっていたことぐらいは、宮中のものの全員は無論のこと、政府高官や宮内庁職員などは皆知っていたでしょう。

大正期はわずか15年足らずでしたが、大正天皇排除の動きは早くから始まっていました。1921年の裕仁親王の欧州外遊、そして摂政着任など、その大正天皇排除の動きの末の現れです。

1921年、イギリスの首相ロイド・ジョージらと会う皇太子裕仁親王
Wikimedia Commons [Public Domain]

もうこのあたりで既に大正天皇の社会的生命はほぼ失われていたのです。宮中の人間、政府高官、宮内庁の職員、これらの者の中には大正天皇排除に積極的なもの、消極的なもの、排除に反対だがやむを得なくついていったもの、様々だったでしょう。

しかし、事実を知るものは全員が大正天皇排除の共犯者にさせられたことになります。共犯者である以上は、いよいよ沈黙が強いられます。この大きな問題は、都合次第では正式に即位した天皇でさえも首をすげ替えられる力を有するものが存在していたということです。

そして現に、天皇の身近に天皇に暴力を加えられる装置が備えられていたことです。天皇に危害を加えられるのは、天皇の身近なものなのです。

実際には、大正天皇の排除や暗殺命令には昭和天皇その人が関与していたと見るのが自然です。そしてその関与はある部分は成功です。しかしその大正天皇に向けた刃は諸刃の刃です。いつ逆にその刃が昭和天皇に向けられるかも分からないのです。そして実際に昭和天皇の香淳皇后、そして皇太子候補数人にその刃が向いたようです。

裕仁親王と妃良子女王及び照宮成子内親王(1925年)
Wikimedia_Commons [Public Domain]

更にこれが問題なのは、暴力テロの首謀者や実行部隊が何らの咎めを受けず、闇の事件として葬られていることです。こうなってしまった以上、天皇は可能性としては暴力テロの標的になってしまいます。

昭和天皇は外見とは裏腹に野心的な人物のようです。しかし反面こうなると、天皇もどこまで自分の意志で動けるのか?誰かの代弁者のお飾りにならないか?ということが当然ながら問われてきます。

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ままぴよ日記 68 「孫と対等に『自分のこと』を話してみたい」

 前回、日本の若者の自己肯定感が低いことを書きました。その若者が親になり、自分の自己肯定感を見いだせないまま子どもを同じように育ててしまう悪循環を止めるにはどうしたらいいのか?私は無力感にさいなまれながらも模索しているところです。
(かんなまま)
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子どもと共に育ち合う親子関係



子どもは、社会や親から守られ、尊重され、自由を与えられながら自ら成長していくものです。育つ環境も違うし、個性も様々ですが、自分が尊重されて満たされていれば、人との違いを認め、尊重し合える関係が築かれていくものだと思います。

できる事なら全ての子どもを、そんな環境で育ててあげたい!


でも、現実は、親との愛着形成ができないまま、あまりにも早くから親から離れて集団生活を強いられます。親も先生も余裕がなくて、子どもの気持ちを尊重できていません。満たされない悪循環が始まるのです。

どこから解決していいかもわからない問題ですが、かわいい我が子の幸せを願う親心に便乗して、支援するのが一番いいタイミングだと感じています。

そのためには、親自身が子どもの心に敏感になり、愛を持って理解するところから始めるしかありません。

でも、自分が育つ過程で、自分の本当の感情に蓋をしてしまった親にとっては簡単な事ではありません。わかっているけどできない。あるママは「褒められた事がないから、どうやって褒めていいのかわからない」と、混乱していました。

できる事なら、そんな自分の正直な感情を抱きしめながら癒し、子どもと共に育ち合う親子関係が築けたらいいなあと思っています。その過程を丸ごと支援してあげたいのです。

そして、明日の生活を心配しないで、子育てに専念できるゆとりも与えてあげたいと、切に思います。

ああ…気が遠くなりそう。でも、自分の存在を肯定できるようになったら自分が選んだパートナーとの関係も変わるでしょう。子どもとの関係、友人関係も変わります。やってみる価値はありそうです。

ママセミナーでは意識して「なぜそう思うのか?」と問い続けます。安心できる環境で自分の正直な感情に向き合うのですが、ママ達は一番関心のある事に集中できるので、見違えるように変わっていきます。でも、普通の生活では、そのことを話題にする機会すらありません。


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