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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第36話 ― 明治時代の終わり

 1910(明治43)年の韓国併合の二年後、1912(明治45)年に明治時代はその幕を引き、大正時代の幕が開きました。奇しくも辛亥革命による清国の終焉と、中華民国の誕生と重なっています。
 明治が終わり大正が始まったということは、当然ながら明治天皇が崩御し、大正天皇が即位したことを示します。
 明治天皇、この明治編においては、「英領日本」に伴い“表”の政体天皇に立てられたのが、睦仁親王とすり替わった長州田布施村の大室寅之祐であり、睦仁親王は“裏”に回り、國體天皇の孝明天皇のあとを引き継いだと記してきました。大室寅之祐と睦仁親王が、同時に一緒に大嘗祭を執行し、天皇の座を践祚したことも。更に「もう一人の明治天皇」“影天皇”の箕作奎吾がいたことも。明治時代に“表” “裏” “影”の3名、三つ巴の天皇体制が敷かれていたわけです。
 大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏の『朝鮮半島から「万人幸福の世界作り」を目指した明治天皇』p35では、「1912(明治45)年に睦仁さんが亡くなった。これで明治時代が終わり、大正時代が始まった。」とあります。同頁には明治時代天皇に“影武者”がいたとも記しています。そして同著には、大室・明治天皇は1910年の韓国併合に伴い朝鮮半島に移住したとも記してあります。
 睦仁親王の死去、明治天皇の朝鮮移住、これらは驚きの情報ではありますが、同時にこういった事柄は、ウソをつける性格のものでもありませんので事実と見て良いでしょう。明治“裏”天皇、國體天皇の睦仁親王が死去し、明治“表”天皇、政体天皇の大室寅之祐が日本を去ったことで明治時代が終焉を迎えたことになります。
 明治時代の後半からは日清戦争を皮切りに、日本は海外拡張路線を進みました。これは睦仁親王とその周辺の八咫烏の意図でもありますが、大室・明治天皇の意図でもありました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第36話 ― 明治時代の終わり

韓国併合は明治天皇の意図 〜八咫烏、大室家は共に海外拡張路線


韓国の民族衣装を着た韓国統監時代の伊藤博文
Wikimedia Commons [Public Domain]

このところ第32話から連続して1909年の伊藤博文暗殺の背後には、武力を持ってしても積極的に海外に勢力拡大を図る勢力があったこと、その勢力の動きが韓国併合、満洲国設立の動きに繋がっていたことを見てきました。

ロシアとの協商路線を志向した伊藤博文は海外勢力拡大派と対立する立場にあって、「韓国は自立独立すべき」「満州は清国の領土であって満州の経営、植民地化などもってのほか」との表明をしていました。伊藤は日本が中国、そして英米と関係を悪化させ深刻な闘争になることを憂慮懸念していたのです。

こういった伊藤博文の姿勢と真っ向対立していたのが陸軍の児玉源太郎であり、桂内閣でもありましたが、その背後にはロシアとの早期開戦を唱えていた杉山茂丸、頭山満、内田良平、山座円次郎などを擁する玄洋社があったのでした。

玄洋社社主 杉山茂丸
JapaneseClass.jp
[Public Domain]
頭山満
呉竹会_頭山満
[Public Domain]
内田良平
Wikimedia Commons
[Public Domain]

玄洋社とはいかなる組織か? 睦仁親王のあとを継いだ2代目裏天皇が堀川辰吉郎であり、堀川辰吉郎に仕え保護養育したのが杉山茂丸、頭山満とされています。そして堀川辰吉郎が総裁を勤める八咫烏直属の五龍会の白龍会の総裁が、玄洋社の実質社主であったとされる杉山茂丸でした。つまり白龍会=玄洋社と見なせます。


満鉄を用いて満洲の経営、植民地化の絵図を描いたのが杉山茂丸であり、韓国併合の最重要人物の一人が内田良平でした。伊藤博文暗殺には玄洋社の面々の関与が、少なくとも伊藤暗殺の背後には玄洋社の意思が働いていたと見るのが自然です。そしてその伊藤暗殺は韓国併合に直結していました。

こうやって見ていくと、後の泥沼の日中戦争、悲惨な太平洋戦争に繋がる韓国併合や満洲国設立に、その背後から深く大きく関与していたのが裏天皇の八咫烏勢力であったことが浮き彫りになってきます。

…しかし、こういった海外拡大路線を動かしていったのは裏天皇グループだけではありません。まず間違いなく満洲の植民地化の動きもそうでしょうが、特に韓国併合に関しては、玄洋社の内田良平以上の最重要人物がいます。誰あろう明治天皇です。

明治天皇とは長州田布施村出身の大室寅之祐であり、その大室寅之祐を奇兵隊に誘い込み、保護指導してきたのが同じ田布施村出身の伊藤博文だと記してきました。大室・明治天皇にとって伊藤博文は親族以上の深い関係であり恩人でもあります。

その伊藤博文暗殺に大室・明治天皇が関与したか否かは全く不明です。しかし、明治天皇が伊藤博文暗殺を利したのは間違いない事実と見受けられます。2019/09/04の竹下さんの記事にあるように韓国併合は明治天皇の意図でもあったようです。大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏の次の主張をご覧ください。

「教旨」によって、ひいおじいさんの基元は、影武者(Comprodor)を代わりの明治天皇として立てて、自分は、息子・仁錫と一緒に帳家の戸籍に変えて朝鮮に入りました。それが1910年の韓国併合の少し前。朝鮮半島に新しい国づくりをするためです。(『朝鮮半島から「万人幸福の世界作り」を目指した明治天皇』p24)

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ままぴよ日記 57 「コロナ禍での子育て、頼りは除菌グッズとネット情報?」

 30代後半、40代の新米ママが増えました。出産前まで仕事をバリバリしていたママ達です。
 「コロナ禍でできることは、ネットで情報を集めて発達や学力に効果があるという知育玩具を与えること。そして積極的に効率よくトレーニングしてより良い子に育てようと思います」と話してくれました。

 「なぜ?どんな人になってほしいの?」と聞いたら「自分の考えをはっきり言える人になってほしいから」と答えてくれました。「え?じゃあ、知育玩具を与えてトレーニングしたらそうなるの?」と聞いてしまいました。

 意地悪な言い方をしたなあ~と反省したのですが「赤ちゃんは何をしたいのかな?赤ちゃんの言いたいことを探ろう」というワークをしたばかりだったので思わず聞いてしまったのです。他のママ達も「そんな事、深く考えたことなかった」と不安げです。

 「答えはすぐには出ないよ。子どもに合わせて考え続けよう。一人ひとり違うから」と言ったら安心してくれました。
 そして、みんなで赤ちゃんに「ママはわからない事ばかりです。どうぞよろしくお願いします」と言って笑いました。

追伸:スーパー台風10号が我が家に向かって近づいています。これを書きながらも落ち着きません。最大瞬間風速80メートル?もうどこに逃げてもお手上げです。ブルーシート、養生テープ、ベニヤ板、水を買い求めて量販店は大渋滞。この記事が掲載される頃には覚悟を決めていると思います。4日の時事ブログに掲載された自分の体に聞く検知方法とぺりどっとさんが以前の記事で書いてくださっていた三脈の法で24時間の生存を確認しながら、神様に祈り続けます。皆様のご無事も祈ります。
(かんなまま)
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新生児を持つママ達のセミナーの開催


新型コロナウイルスの感染を避けるために子育て広場の行事もキャンセル続きでしたが、子育て中のママ達に支援の手が全く届かなくなるのも問題なので少しずつ再開することにしました。

まず第一子の新生児を持つママ達のセミナーを始めました。参加人数を半分にして時間も短縮しました。マスク着用、お互いの距離を取り、換気をしながらの開催です。こんな時期だからこそママ同士で話したいことがあるだろうし、私達も伝えたいことがあるのでプログラムの内容も吟味しました。口コミの勧誘が難しく、申し込んでも赤ちゃんを外出させることをためらって断念するケースも見られましたが、すぐに定員が埋まってキャンセル待ちも出ました。

今回のセミナーは緊急事態宣言の頃に出産した人が対象で、お産の時はもちろん、パートナーの面会も制限されていたママ達です。退院しても移動の制限があったので里帰りもできず、実家のお母さんも手伝いに来られなくて孤立無援で頑張っています。

「他の赤ちゃんに初めて出会えました」と嬉しそうなママ。でも、「最近寝返りができるようになったのですが、夜中に寝返りされたら心配なので寝返り防止のために2リットル入りのペットボトルに水を入れて赤ちゃんの両側を囲っています。それでも乗り越えるようになったのでどうしたらいいですか?」と心配顔です。「赤ちゃんが自力で寝てくれるようにネントレ(ほっといて眠るトレーニング)しているのですが、うまくいきません」と、赤ちゃんにはトレーニングが必要だと思っているようです。


なぜそう思うのか聞いてみると、どちらもネットに書いてあったとの事。「うつぶせになったら窒息する」「目を離せない。心配で眠れない、家事ができない」などなど赤ちゃんがどんな存在なのかも知らずに孤軍奮闘しているのです。

特に第1子を出産したばかりのママ達は人との交流が閉ざされて頼りはネットです。子育てが激変しているのを感じます。母乳をやってもすぐに泣くし、体重がどのくらい増えているのか不安だから母乳を断念するケースも増えました。

抱き方もあっという間に縦抱きが主流になりました。首の座っていない赤ちゃんにとって頭を支えるのはとても負担です。でもおしゃれな縦抱き用の抱っこベルト発売されるようになって、自分の手で横抱きにしているママを見なくなりました。


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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第69楽章 サステナブルなドイツのVIVANI 100%プラスのカカオチョコレート

 ベルリンの我が家の横の大きな栗の木はもう紅葉しています。秋らしくなりました。8月29日のベルリンでのデモは約3万人が大集合して逮捕者も出た様相でかなりひどいものだったようです。ベルリンの中心部では極右政党や陰謀論者などに扇動されて大勢の人がコロナの規制反対、ヒトラー時代を彷彿とさせる全体主義に反対を唱えて集まったようです。我が家は危ない混雑したところには近づかないようにということで、ベルリンの南方面だけで動くことにしました。政府に反対の表明を掲げながら、多くの人がマスクをしないで集まっていたようです。
 また、こちらの記事によると、ドイツでは、実験的に3年間、月額14万円くらい(1,200ユーロ)の無条件のベーシックインカムの計画が発表されました。実験の目標は、無条件のベーシックインカムが人々の行動や感情にどの程度影響を与えるかを調べることだそうです。ベルリンやドイツの最新情報はこのような感じです。
 本日は、美味しい?ちょっと苦い話題です!

 第69楽章は、サステナブルなドイツのVIVANI 100%プラスのカカオチョコレートです。
(ユリシス)
サステナブル(Sustainable)とは、本来は「維持できる」「耐えうる」「持ちこたえられる」を意味する形容詞ですが、近年は、地球環境の持続可能性、人間社会の文明・経済システムの持続可能性の意味や概念として一般的に用いられています。(編集部)
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ちょっと気になるツイッターなどから・・


ベルリンのデモでのことのようですが、全く、幼稚園生のお砂場での出来事のようになっています。娘さんのことを考えて・・


今までグレタ少女と書いていましたが、少年のようですね・・。竹下先生がご教示されていた男性、女性を見分ける方法でも試してみました!


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ぴょんぴょんの「お母さん、家にいて」 〜家庭の崩壊が国家の崩壊に

なんか、今日はぴょんぴょんのヤツが飛び入りするらしいぞ。
へえ、なにかよっぽど言いたいことでもあるのかなあ。
(クロ&シロ)
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ぴょんぴょんの「お母さん、家にいて」 〜家庭の崩壊が国家の崩壊に


世界の出生率が、驚異的に低下してる


世界の出生率が、驚異的に低下してるんだってね。

だって、一人の女性が二人生まないと、人口は減るんだぞ。


安倍政権下じゃ、結婚するのもタイヘン。

子どもができたら、共働きしてもやっとこさ。

少子化で、困ったフリして何も手をうたない安倍政権も悪いけど、出生率低下は世界的な現象なんだよ。

となると、やはり、人類の生殖機能はおかしくされちまってるのか?
環境ホルモン、電磁波、放射能、添加物、化学薬品、ワクチン・・・切りがねえ。

でも、若い世代はちゃんと妊娠してるよ。
新型コロナの自粛中に、中高生の妊娠相談が増えたというし。
JIJI.COM

中高生はなんも考えずに子どもができるのに、いざ結婚したら、子どもができねえヤツらの多いこと。

若い頃に中絶したら、妊娠しにくくなるのかな?

それとも、晩婚が原因かあ?


代理出産が盛んになったウクライナ


ところで、新型コロナで、今まで見えなかったことが見えてきたよね。
ウクライナで、代理出産が盛んだって知ってた?
6月頃、ニュースでやってたんだけど、新型コロナで国境が封鎖されて、ウクライナで、代理出産で生まれた約100名の赤ん坊が足止めされたって。
AFP


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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第35話 ― 内田良平の日韓合邦運動

 子どもに対して「あなたが私の意のままになる“良い子”でいたなら愛してあげる」としたならば…これは愛とは言えないでしょう。子どもを所有物扱いし調教・管理の対象にした態度と言えそうです。
 家族や友人に対する愛は「隣人愛」だと教えられています。そして隣人愛を阻む“野心”が「所有欲」だとも。
 日本の隣国韓国に対する姿勢は「隣人愛」よりも「所有物」扱い的な姿勢を強く感じてしまいます。日本と隣国の韓国とは摩擦が絶えず、ネトウヨと称される人々などから「嫌韓」の姿勢が打ち出されています。これは「生意気な韓国に鉄槌を加え思い知らせてやれ」といった姿勢で、昨年の日本政府による韓国のホワイト国排除などはその「嫌韓」の象徴でもあるでしょう。
 要は、韓国は調教・管理の対象という姿勢です。こういった姿勢は日韓両国に決して幸せな結果をもたらしはしないのですが、ではこういった姿勢はどこから生じたのか? 110年前の日韓併合がやはり大きな影響を与えていると思います。
 当時の日韓関係の最重要人物の一人が玄洋社の内田良平です。1901年、黒竜江省にちなんで内田良平によって「黒龍会」が創設されました。黒龍会は玄洋社の海外工作センターと称されます。黒龍会は日本の右翼の源流でもあるでしょう。
 ところが、当時右翼の源流になる玄洋社や黒龍会は、「嫌韓」どころか日本と韓国の対等平等の合一である「日韓合邦」を掲げて運動をしていたのです。当時の右翼源流の「日韓合邦」の姿勢からすれば、現在の「嫌韓」とは相容れないものでしょう。
 なぜ右翼の対韓国の姿勢がこうも変質したのか? …いや、よく見れば変質したと言うより、当時の玄洋社・黒龍会の姿勢が現在まで遺伝子として受け継がれていると見るほうが良さそうです。現に玄洋社・黒龍会の流れを汲む組織であろう「国民同志会」の昨年の活動報告として、日本政府に韓国をホワイト国の指定から早急に外すよう建白したとしています。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第35話 ― 内田良平の日韓合邦運動

内田良平と李容九の「日韓合邦」運動 〜韓国併合で憤死した李容九


1909年10月26日、韓国前統監伊藤博文が暗殺されるや、日本は「前統監の暗殺を機に、朝鮮の抗日運動を抑えることを口実に」(世界史の窓「安重根/伊藤博文暗殺事件」)その翌年1910年8月29日、韓国併合条約を締結し韓国を併合し、植民地としました。この日韓併合の重要人物として“いの一番”に揚げられるのが内田良平です。

黒龍会主幹 内田良平(右側)
Wikimedia Commons [Public Domain]
編集者註:写真左の人物は大本教主輔 出口王仁三郎、中央は玄洋社の総帥 頭山満。

内田良平については、「明治34年(1901黒竜会を創立、大陸進出を唱えた。韓国併合の黒幕として活躍、のちに満蒙(まんもう)独立運動を推進。」 (デジタル大辞泉)とある通りです。

先に八咫烏直属の五龍会の黒龍会と混同されることの多い内田良平が創設した黒龍会について。

黒龍会を英語で「ブラックドラゴン」と表記されるのには内田良平は不満があったようです。『歴史が眠る多磨霊園』の「内田良平」記事では黒龍会は「黒龍江を前に、雲を呼び風を望む高大な志をこめて命名した」とありますよう、黒竜江省のアムール川が黒龍会命名の基にあります。

黒竜江省とロシアとの国境を流れるアムール川(黒竜江)
Author:Kmusser [CC BY-SA]
Wikimedia_Commons [Public Domain]

さて、内田良平は杉山茂丸の口利きによって1906年に伊藤博文が韓国統監として渡韓の際に韓国統監府嘱託となり、伊藤博文に随行します。

その韓国内での内田良平の活動は、「明治40年(1907年には、一進会会長の李容九と日韓の合邦運動を盟約し、その顧問となった」(ウィキペディア「内田良平」)とある通りです。ただし内田良平の韓国との関わりはその以前からもあったのです。

『歴史が眠る多磨霊園』の「内田良平」記事で「1894(M27)朝鮮半島で政府打倒に立ち上がった東学党支援のため、玄洋社から朝鮮に派遣された。そこで『天佑侠』を組織、革命戦線に加わる。」とある具合にです。

再渡韓した内田良平と「一進会」会長の李容九が共に進めていた日韓の合邦運動ですが、これは日本と韓国が対等平等の立場で合邦して、一つの大帝国とするというものです。

編集者註:ツイートに添付されていた資料画像は、口語訳の箇所を拡大表示で確認しやすいように、シャンティ・フーラが差し替えました。
この資料は、アジア歴史資料センターで公開されているもので、国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所から提供を受けた歴史資料(近現代における日本とアジア近隣諸国等との関係に関わる日本の歴史的な文書)ということです。

この日韓合邦運動が大きな働きとなったのが、1909年12月、内田などが李容九とともに『一進会会長李容九および百万会員』の名で『韓日合邦建議書(韓日合邦を要求する声明書)』を、韓国皇帝純宗、曾禰荒助韓国統監、首相李完用に提出した」(ウィキペディア「内田良平」)ことです。

編集者註;このツイート主は、一進会とは日本人が「操縦」していた団体であり、一進会の声明文は、実際は内田良平らが日本国内で作成し、発表直前に韓国に持ち込んだ自演である、と主張しています。(ekesete1のブログ

この「韓日合邦建議書」は「我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」との文言で閉められており、日本が韓国併合を正当化する文書として利用されることになるのです。

つまり日韓併合は、「自発的に朝鮮を併合してくれと申し出たのを、日本はそれを受けたものであって侵略でも強制でもなかったとする証拠として利用された」(歴史が眠る多磨霊園「内田良平」)わけです。

そして実際に行われたのは日韓対等の日韓合邦ではなく併合であったため次の結果になっています。

李容九は「売国奴」と呼ばれ1912年に憤死、「内田は日韓併合後の政府の対韓政策には批判的で、後に『同光会』を結成して韓国内政の独立を主張している。」(ウィキペディア「内田良平」)

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