2019年12月15日 の記事

世界発展のために使われることはなく、IMFによる国家の破壊と略奪、そして戦争経済を回すことに用いられた「M資金」

竹下雅敏氏からの情報です。
 Yutikaさんが翻訳した「金塊の歴史年表」から記事を編集しました。冒頭の記事によると、“日本とナチスが掠奪した財宝は、42か国の172の影の口座に振り分けられ…これらの中で一番大きな口座の1つが、「M資金」と呼ばれたもの”だということです。こうした「国際担保口座群」を監視し運用する任に就いたのが、インドネシアのスカルノ大統領だということです。
 スカルノ大統領は、デヴィ夫人とセットで覚えてください。 Wikipediaによると、1959年、デヴィ夫人が19歳の時に「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれたとのことです。この一件に児玉誉士夫が関わっていたということなので、日本の裏社会から、秘密の簿外資金の口座管財人(M1)であるスカルノ大統領へのプレゼントだと考えたらよいのでしょうか。デヴィ夫人の経歴を見る限り、スパイとは考えにくいからです。
 この「国際担保口座群」は、“世界発展のために資金を使用”するはずだったのですが、連邦準備制度を支配する者たちは、この約束を守らなかったようです。
 1963年、ケネディ大統領とスカルノ大統領は、アメリカ財務省が金に裏付けられた政府紙幣を発行するために、59,000トンの金塊を提供する「グリーンヒルトン協定」を結びます。この合意により、ケネディ大統領は暗殺(1963年11月22日)され、スカルノ大統領もその後クーデターを仕掛けられ、スハルト将軍に実権を奪われてしまいます。
 連邦準備制度の支配者たちは、1966年に、フィリピンのマルコス大統領を違法な手続きで口座管財人(M1)に任命し、マルコス大統領はその地位を、1986年まで占めたと書かれています。
 11日の記事で、“中曽根元首相とその指名者らが(M資金の)管理権を握った”のが、1986年以降でした。時期の一致は偶然なのでしょうか。
 いずれにせよ、世界発展のためにこの秘密資金が使われることはなく、IMFによる国家の破壊と略奪、そして戦争経済を回すことに用いられたようです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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[Kグループ社]複数の国際担保口座と、それを解放しようとするキーナン氏の活動に関する簡単なまとめ 【第一弾・前編】
転載元)
(前略)
Kグループ社 13/6/8
マイケル・ヘンリー・ダン
2013年6月8日 
(中略)
黄金の百合作戦とは、明確に文書化されていることだが、アジア(主に中国)に溜め込まれた何千何万トンもの黄金を掠奪するという目的に特化し、中国や他の国々に軍事侵攻する以前からそれら黄金を保有する主要な国家へと潜入して行った日本人の黄金探索集団の話だ。ナチスの黄金探索活動はよく知られているが、欧洲の銀行家利権による協力と情報提供によって、日本がかき集めた量はそれを遥かに凌ぐものだった。

【現在も東南アジアに眠る金塊の一例】



【現在も東南アジアに眠る金塊の一例】

(中略)
いわゆる公式発表においては、人類がこれまでに掘り出した黄金は全部で約16万トンだと言われている。しかし今分っているところでは、200万トンを余裕で超えると見るのが正しいようだ。第二次世界大戦中、日本は東南アジアのあちこち、特にインドネシアとタイとフィリピン諸島にトンネルや地下壕を掘っては黄金を埋蔵して行った。
(中略)
戦後になると、連合国側によってこれらの黄金が探し当てられ、まさしくこの目的のために戦前から欧洲の中央銀行の銀行家たちが練り上げていたシステムの中に組み込まれて行った。(中略)… 1944年のブレトン・ウッズ協定において、勝利目前の連合国は新たな国際金融体制を構築するため、国際通貨基金を立ち上げた。
(中略)
訳者解説
日本とナチスが掠奪した財宝は、42か国の172の影の口座に振り分けられ、その内の大半は、連邦準備制度理事会と国際決済銀行の複数の口座に運び入れられた。これらの中で一番大きな口座の1つが、「M資金」と呼ばれたもの(こちらのMは戦後日本の経済統制を指揮したGHQのマーカット局長の頭文字)。

(資産の大半がインドネシアの地下壕に隠されていたことから)インドネシアのスカルノ大統領【国連決議により1945年に】Monetary Controller of the Accounts(=口座管財人)つまり通称M1に任命されていた。
(以下略)
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デヴィ・スカルノ
デヴィ・スカルノ
Dewi Sukarno

デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、1940年昭和15年)2月6日 - )は、日本生まれでインドネシア国籍のタレントYouTuberインドネシアスカルノ元大統領第3夫人NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)、旧名・日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)、通称はデヴィ夫人。
 
生い立ち
東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)に父・兵七郎と母・政子(福島県双葉郡浪江町出身)の間に生まれる。父は麻布区霞町界隈の大工棟梁であり、弟が1人いた(八曾男)。太平洋戦争中は、母・弟の3人で福島県浪江疎開していた。家庭は裕福ではなかった。
 
無名エキストラ女優~高級クラブ
1955年昭和30年)、15歳の時、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(白黒映画)にエキストラ出演。
中学卒業後は、東京都立三田高等学校定時制部に進学すると同時に、150倍の難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社したが、昼休みや休日にも貧しい家計を維持するため、喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちする日々を送った。
1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く。
1959年(昭和34年)、19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。この一件に当時「昭和フィクサー」と呼ばれた暴力団関係者の児玉誉士夫が関わっていたとされる。
 
スカルノ大統領夫人

Wikimedia_Commons[Public Domain]
スカルノ

独立後間もない上に、東西冷戦下にあったインドネシアにおいて、当時スカルノ大統領は日本外交や資金援助の取り付け等を非常に重要視していた。インドネシアに渡って数年は愛人の1人であったが、1962年昭和37年)にスカルノと正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人になる。 
(以下略)
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配信元)

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安倍スキャンダルはこれからが「満開」! ~「障害者雇用をめぐる安倍首相の失言」など海外メディアでも大きく取り上げられる

竹下雅敏氏からの情報です。
 消費増税で個人消費が落ち込み、日銀短観も4期連続の悪化ということで、“景気悪化が本格化”してきたのですが、なぜか平均株価は今年の最高値更新です。
 国民を犠牲にして、株価だけ釣り上げているということでしょう。そうした中で、あべぴょんは、“年末に向けてどんどん財布の紐をぐっと開いていただきたい”と、年末エコノミスト懇親会で挨拶をしたのだとか。
 ツイートでは、財布のひもは“緩める”ものではないか。しかも、これを「グッと」手を握り締めて言うなよという意見。国民の首を絞めるポーズではないかという見解もありました。
 “続きはこちらから”は、安倍スキャンダルはこれからが「満開」だとして、海外メディアも大きく取り上げているということです。
 時事ブログでは、セントラルサンからの光が今後ますます強くなってくるので、善人と悪人が二極化し、悪人は鬱病を始めとして、最悪の場合、精神破綻に追い込まれる人も増えてくると説明しました。
 今の菅官房長官のグダグダ会見や官僚の支離滅裂答弁を見ていると、半分当たっているように見えます。半分というのは、あべぴょんや阿呆大魔神などは、初めからこうだったからです。皆さんが、安倍政権が実は反社会的勢力であり、アホだったのだと気づいただけです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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年末に向け、どんどん財布の紐開いてと安倍総理
引用元)
 安倍晋三総理は11日、都内で開かれた年末エコノミスト懇親会で「デフレマインドを払拭していただいて、今日この後から、もう一杯飲みに行こうという感じで、年末に向けてどんどん財布の紐をぐっと開いていただきたい」とあいさつ。消費税引き上げの影響からGDPの6割を占める「個人消費」が大きく落ち込んでいることや所得格差が拡大し続ける問題には触れなかった。
 
 消費支出(2人以上の世帯)は10月、27万96721円と変動調整値で前年同月比、名目「4.8%減少」実質では「5.1%減少」していた。前月に比べると実質「11.5%減少」しており、消費の大きな落ち込みが明らかになった。一方、実収入は勤労者世帯の場合(2人以上の世帯)で1世帯当たり53万6075円となり、変動調整値で前年同月比、名目「0.2%減」、実質「0.5%減少」していた。
(以下略)
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配信元)
 
 
 
 

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[Twitter]自由な時間がある時はヘビの面倒をみている消防士

竹下雅敏氏からの情報です。
1 分 38 秒~1 分 56 秒の所をみると、多くの人が蛇を恐れるのが
不思議に思えてきます。
(竹下雅敏)
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配信元)

ぺりどっと通信54 うんこ


毎日のように我々が排泄するうんこ💩
今まで自分の体内のあったものが外に出された瞬間から忌み嫌われるうんこ💩
なのに、みんな大好きなうんこ💩
そんなうんこに関する話題を取り上げてみました。
(ぺりどっと)
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ある日、本屋に立ち寄ってみると、あるコーナーを占めていた一角が目に飛び込んできました。


そう、メリはちさんのデビュー記事を華々しく飾った"うんこ漢字ドリル"シャンティ・フーラのプレゼントになったことも。今や、漢字ドリル以外のラインナップもすこぶる豊富というわけです。

その"うんこ漢字ドリル"が、今年の夏のあの話題をすでに予見してます(2番を見てみて)

漢字学習の本は普通なら「数千部売れればいい」と言われるジャンルで、うんこドリルは今やシリーズ累計500万部も突破しとる大ヒット教材!それにあやかって、ぺりどっとも「うんこ」を取り上げたわけなのさ。

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ままぴよ日記 38

 「きゃーーかわいい!」「癒される~」と、うれしそうに声をあげるのは子育て広場に来た中学生のお兄ちゃんとお姉ちゃん達。

 10年前、中学校に子育て広場を作ってから毎回聞こえてくる言葉です。中学生と赤ちゃん1対1の点と点を繋ぐことしかできませんが、どんな教科書よりも確実にお互いの命が交流し合っています。そして、私はその声を聴きながら「ああ、この広場を作ってよかった!」「続けてきてよかった」と思うのです。
(かんなまま)
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自立できるかどうかの大切な時期


小学校までお利口だった子ども達が中学校になると急に感情を表さなくなってしまいます。わかっているのかわかっていないのか返事もしません。中学校の先生は生徒に諭しても空回りするので次第に注意する声が大きくなっていきます。注意すればするほど逆効果になり、生徒から無視されます。どうやってこの時期の関係を築けばいいのか?悩ましいところです。


では、そんな生徒は中学生になっていきなり無感動、無愛想で挨拶もしない失礼な人になったのでしょうか?いえいえ、そうではありません。むしろ今まで何を言っても聞いてもらえず諦めの境地なのかもしれません。

又、思春期になり、自我が目覚めて考えたり迷ったりすることが増えても自分の気持ちを整理して伝えるのは難しいし、性エネルギーが引き起こす激動の変化に自分自身が一番戸惑っているのかもしれません。多感で誤解されやすい時期なのです。でも、これからの自分の人生にとって、自立できるかどうかの大切な時期でもあります。


私が教育委員長だった頃、学校教育に子育ての視点を入れたくて悩み、模索しました。会議で乳幼児期からの一貫した子どもの育ち支援の観点を取り入れて教育施策を作る提案などもしてきましたが、ほとんどが実現しませんでした。

教育委員長という肩書はあっても元はただの専業主婦。男社会の大きな組織の中で発言を期待されてもいませんでしたし、子どもの育ちの現場にいる母親感覚で発言しても教育指導という立場の教育界との意識の差は大きく理解してもらえませんでした。先生自身も現場の子どもの姿より国で決められた指導要領に従わなければいけません。

私に与えられた役割は用意された代表挨拶の原稿を読むお飾りに過ぎないと痛感しました。それでも自分で作った原稿を読み、意見を言い続けました。おしかりもいただきましたが現場の教師や保護者からは感動したという声も届きました。


中学校で子育て広場を開く


そんな時、県の教育センターで社会教育を学んできた先生が中学校の教頭先生になりました。そして「うちの中学校で子育て関係の事業ができないでしょうか?」と相談に来られました。

一回きりの中学生と赤ちゃんの交流会のようなものを考えていらっしゃったのかもしれませんが、私は中学校で毎月1回継続して子育て広場を開かせてもらえませんか?と提案しました。

子育て広場は、家庭科の授業である保育園訪問と違って普通の親子の様子がわかります。親が我が子を抱っこしたりお世話をしたり、子どもが甘えたりする姿を見て自分がどんな風に育ててもらったのかに思いを馳せることができるし、毎月会うことで子どもの成長もわかります。何より自分が子どもを持った時のモデルになるのです。

当時、こんな形で学校に広場を作っているところはありませんでした。本来学校は部外者に定期的に教室を貸すことはしませんが、この教頭先生の計らいと校長先生の理解でやってみましょうという事になりました。


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