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財務省の裏金の原資は、戦後GHQが戦犯から接収し、スイスの銀行で簿外管理されてきた隠し資産か!? 〜「特別会計の闇」の真相に辿り着いたがゆえに殺された可能性のある石井紘基氏

竹下雅敏氏からの情報です。
 「財務省解体デモ」に関して2月28日の記事で、どらえもん氏と思われる人物が、“私が民主党にいた間に、特別会計と特殊法人を全部洗い直して全部やろうというんで、チームを作りました。…キャップが石井紘基さんという方でした。全部調べ上げて一番酷かったのが財務省の特別会計「外為特会」。…やっぱりスイスに特別口座があって、そこに日本の隠し資産があったということが分かってきました。…マッカーサーの時代に…日本で華族だとか貴族だとか言われた人たちの資産を没収しちゃうんです。それをアメリカに持って行かずに、スイスの銀行で運用してたんです。CIAの裏金なんです、もともと。それをマッカーサーのMをとってM資金と呼んできました。国会でもだいぶ議論になりました。しかし、それはもう1952年独立と同時に、日本の所管になってますという答弁をしている。日本が自由に使えるのかって、そうなってないんです。そこからお金を引き出そうと思ったら必ずCIAの了解がいるんです。”と話していたことをお伝えしました。
 また、この件について、どらえもん氏は「財務省の裏金の原資は、戦後GHQが戦犯から接収し、スイスの銀行で簿外管理されてきた隠し資産800兆ユーロ」とツイートしています。
 石井紘基氏は、2002年10月25日に世田谷区の自宅駐車場で迎えの車に乗ろうとしたところを、右翼団体『守皇塾』代表の伊藤白水によって刺殺されたのですが、どらえもん氏の言うとおりなら石井紘基氏は「特別会計の闇」の真相に辿り着いたがゆえに殺されたと見るのが自然だと思います。
 伊藤白水は獄中インタビューで、「殺害動機は金銭トラブルではなく、殺害依頼に基づいて行われた」と言っています。
 3月14日の記事で紹介したこちらのツイートの動画では、“ターニャさんから凄い話を聞いてるんですね。…ターニャさんのところに実行犯の仲間が来たんです。…こういう暗殺は建設業と同じで、発注元、元受け、下請けがある訳ですよ。…発注元と元受けは誰か? そこはベンジャミン・フルフォード氏が暴露している話とほぼ同じと考えていいと思います。…『メルトダウンする世界経済』というこの本に書いてあって、ちょっと読みますね。「彼を暗殺した命令系統はハッキリしている。殺害命令を下した大元はロスチャイルドだったという。そして、その日本における手先がマイケル・グリーンという闇の支配者の日本担当エージェントだ。石井は長年の調査の末に、売国奴ネットワークが日本の富や国民の貯金を外国勢力に流しているという確実な証拠をつかんでいた。しかし、石井はそれを2002年10月28日に予定されていた国会質問で明らかにしようとした矢先に殺害されてしまった。彼が集めた証拠資料の一部は事件現場から鞄ごと持ち去られたままだが、その他に残された膨大な資料はいまも数カ所に分散して厳重に保管されている。最終的に殺害の下請けをしたのは、日本の某ヤクザ組織だった。石井を刃物で刺殺した実行犯である伊藤白水が、ある人物に宛てた手紙には、彼に殺害命令を直接下したのは、民主党の人気女性議員などの裏の仕事をしている世田谷区在住のXだったことが実名を挙げて記されている」。たぶんこれが真実だと、私は聞いた話から、充分に推測されます。”と言っています。
 三橋貴明氏は、“特別会計、闇なんかない”と話していますが、それは表の数字を見ているだけならその通りだという話です。
 2016年10月8日の記事『金塊の歴史年表2』には、“1921年に日本の昭和天皇はイギリスのジョージ五世国王やウォレン・ハーディング米国大統領、フランスのジョルジュ・クレマンソー首相(全員がフリーメーソン)と会うためにロンドンへ飛んだ。目的は彼らの「第二次世界大戦」を造り出し、それを資金援助するため。連邦準備制度も戦争の間ずっとドイツのナチスを資金援助することとなった。日本は「1921年国家間条約」で昭和天皇が当初合意した内容に沿って、金塊の大半を1924年から1945年の間に日本が建設したインドネシア(当時はオランダ植民地)やフィリピン諸島(当時はアメリカ植民地)の秘密の掩蔽壕の中へと運び込んだ。”とありました。
 冒頭の内藤晴輔氏の動画は先月、偶然見つけたのですが、“1921年に昭和天皇がイギリスに行ったときに敗戦を約束した”と言っています。この話が本当であれば、財務省は本丸ではないということになります。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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内藤晴輔 お話会 その①
配信元)


(20分5秒~24分)
これは1952年に昭和天皇がイギリスに行って、エリザベス女王とロスチャイルドからこれを受けているんです。このMSAというプラットフォームを受けるわけです。そうすると天皇が置いているお金があるんです。それが毎月毎月10%戻ってくるんですよ、金利で。金利で10%毎月戻ってくるのよ。ですから莫大なお金が貯まっているわけです。

その莫大なお金を引き出すときには、人道支援という形で引き出すんです。ですから人道支援という形で引き出すので、この資金はどういうふうに使うかというと、日本の企業の発展のために、企業に渡すお金。だからたくさんの大手はこの資金をもらって、それで自分たちのいわゆる収入にしたわけ。それで研究開発などをやりながら、どんどん会社が発展していくということを、これが高度成長です。この資金なかったらできなかったわけ。

この資金をどうやって、なんで昭和天皇がもらえるのかということになるわけです。そうしたら、この資金は昭和21年【1921年】に昭和天皇がイギリスに行ったときに、イギリスの王室、イギリスの首相、それからフランスの首相、アメリカの大統領と会議があるんです。1921年に。その時に敗戦を約束するんです。その見返りがこれなんです。1952年、MSA資金という。これがM資金と言われたお金です。

それで天皇は何をしたかというと、このお金がどんどん貯まるわけじゃないですか。それでODAというのを仕組むんです。知ってますか、ODA。国際援助資金というのが、開発援助資金というのがあるわけです。これ80ヶ国にある。日本にある80ヶ国の大使館が、自分の国で橋が欲しいとか焼却炉が欲しいとか、要請を出すわけです。その要請書類ってここに全部ありますから、後で見ていただくと分かりますけど。その書類を出すと審議があるんです。これが皇居で毎週金曜日の11時に御前会議というのがあるんです。みんな知らないですけどね。17華族が集まって決めるんです。そこで、これでいいんじゃないかと決まると、それを草場【草場良八、元最高裁長官】さんが天皇に説明して、天皇がいいですよと言うと、そのお金が出てくるという。そこまではいいんですよ。そういうODAの資金。

ある国が100億欲しいと言うじゃないですか。そうすると天皇はどうするかと、1000億出せと言うんです。1000億出して、その1000億を名目上、送るんです。スイフトというんで。ワイヤーで。そうするとそのワイヤーの行き先が、まずはFRBを通るんです。アメリカの中央銀行を通るんです。その時にそのコンピューターにセットされてて、9割がキックバックで戻ってくることになってます。それで1割だけがその国に行くんです。9割戻ってきた中の5%が日本の首相にいくんです。

(27分8秒~28分34秒)
天皇の裏資金として、さっき90%戻ってきますよとあったでしょ。あのお金がどこにあったかというと、三菱UFJ銀行に口座名は「赤十字」だったんです。…赤十字の名前で裏口座を作って、無税でお金を貯めてたという。それが8888兆円ありました。それは凍結されたんです。…皇居にご挨拶に行かれる方、みんなお金貰いに来てる人たちです。…渡せるのがないから。だからだんだん皇居に要人がいかなくなるでしょ。どうなったんですか。これ以上隠すことはできないというんで、上皇さんに降りられるわけです。

(28分43秒~30分40秒)
もう一つ秘密口座があった。それがスイスにあった。これは昭和天皇の奥様の名前の口座だった。「りょうこ」と言うんですかね。「良子」と書いてね。それでこの口座は金を預けてたんです。昭和天皇以来、ずっとアジアで盗んだ金とか、そういうものが全部日本に来てたんですね。

それを横浜正金銀行というのを作って、今の横浜銀行を作ってそこからBIS【国際決済銀行、中央銀行相互の決済を行う組織】。…そこに横浜正金銀行から金を送って、そこの銀行からスイス銀行の12箇所に、皇后陛下の名前で金の口座があったんです。それが戦争に負けるとやばいねということで、これを隠そうとするんですよ。…それでスイスに置いてる金の名前が日赤というんです。

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連合軍が押収したヒトラー財宝を基に創設し、その後GHQが日本国内で接収した金塊財宝の一部とフィリピン山中の「天皇の金塊(黄金の百合)」を合体させた「ブラック・イーグル・トラスト(黒鷲信託基金)」

竹下雅敏氏からの情報です。
 先の記事で「ブラック・イーグル・トラスト(黒鷲信託基金)」について触れました。この信託基金は、第二次世界大戦終結一年前に、連合軍が押収したヒトラー財宝を基に創設した信託基金で、黒鷲はナチスのシンボルであることから名づけられたもので、その後GHQが日本国内で接収した金塊財宝の一部とフィリピン山中の「天皇の金塊(黄金の百合)」を合体させた基金だということでした。
 記事によると「天皇の金塊」は、“天皇の名のもとに、陸軍と日本から呼び寄せた愛国者団体の黒龍会や玄洋社のリーダーや手下の荒くれ者達が中国の地下組織と組んで、アジア12カ国から略奪”したものだとあります。
 天皇の名のもとに裏天皇・堀川辰吉郎の指示で略奪したということだと思います。
 引用元には、“太平洋戦争は開戦2年後から劣勢を強いられ、1943年頃からフィリピンと日本を結ぶ洋上航路は連合軍の潜水艦に封鎖された。そのため海上移送は困難となり、やむなくフィリピン各地の地下に退蔵”したということです。
 「天皇の金塊」とは、フィリピン山中に隠された膨大な量の略奪金塊のことで、14万1千トンあり、そのうち日本皇室名義分は2万4千トンだということです。略奪金塊なのに、日本皇室名義分が2万4千トンも存在するのはなぜなのか。この情報の元である高橋五郎著「天皇の金塊」を読んでいないので分かりません。
 “続きはこちらから”の記事には、ブラック・イーグル・トラストを創設したのは、ロバート・ B・アンダーソン海軍長官、ヘンリー・L・スティムソン陸軍長官とともにジョン・J・マクロイ陸軍次官補であったということです。
 ロバート・ B・アンダーソンは1957年から1961年まで財務長官を務め、その後投資業、銀行業務に携わり、1987年に銀行法違反と脱税の罪で禁固刑を宣告されています。
 ジョン・J・マクロイは戦後、世界銀行総裁、チェース・マンハッタン銀行会長、外交問題評議会議長、ウォーレン委員会委員、フランクリン・ルーズベルトからロナルド・レーガンまでの歴代大統領の顧問を務めています。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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フィリピンに眠る・・・総額600兆円!、旧日本軍の隠し財宝
配信元)
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ゴールドの真相に迫る16〜「天皇の金塊」とは?(1)
(前略)
● 天皇の金塊とは

その情報によると、天皇の金塊とはフィリピン山中に隠された膨大な量の略奪金塊のこと。
 
どれぐらいあるのか?:14万1千トン。
うちバチカン名義分1万4千トン、日本皇室名義分2万4千トン。
残り10万トン強は名義不明(強奪先が不明という意味)。
(14万1千トンは、金の地上在庫の9割に相当する膨大な量である。)
 
誰がどこの金を略奪したのか?:

満州事変から太平洋戦争敗戦まで、天皇の名のもとに、陸軍と日本から呼び寄せた愛国者団体の黒龍会や玄洋社のリーダーや手下の荒くれ者達が中国の地下組織と組んで、アジア12カ国から略奪。その略奪先は、政府の金庫や民族の祖先を祭る募所、銀行、博物館、華僑の会社金庫、個人住宅の裏庭など、ありとあらゆる場所に及んだ。彼らは朝鮮半島から満州、中国、インドシナ半島から南下してインドネシアさらにフィリピンへと場所を移していった。当初集めた金塊財宝類は朝鮮半島から船と飛行機で日本へ運び込み、うまく隠しこんでいた。

日本軍のアジア侵略範囲    
(以下略)

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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第42話 ― 東京裁判をめぐって2

 現在、マスコミで大きく騒がれているウクライナ騒動、この戦闘の中で、ウクライナの治安部隊が慌てて証拠書類を焼却している様子が、先日の3/1の竹下さんの記事で紹介されており、「ウクライナ領土にある軍事用バイオ研究所と米国国防総省(DoD)の関係や、そこで何が行われていたのかを示す証拠書類を慌てて焼却しているのでしょうか。」とのコメントがありました。
 日本でも敗戦時に多くの証拠書類が焼却され、それが東京裁判にも大きな影響を与えた模様でした。日本もウクライナも同じようなことをするものだと思い、3/1の記事を読ませてもらいましたが、日本が行った最大の証拠隠滅(現在も行っている)が、満洲での731部隊の施設、軍事用バイオ研究所の爆破焼却でしょう。悪魔でも目を背けそうな数々の残酷な殺人生体人体実験の証拠を、完全に消し去ろうとしたものです。
 731部隊関係者は戦犯として軍事裁判にかけられて、厳しい尋問を受けて、事実を明らかにしなければなりませんでした。しかし、裏天皇グループの主力たちと同様に、731部隊関係者が訴追されることはありませんでした。アメリカ側と密約が結ばれて訴追を免れていたのです。
 731部隊とアメリカ側の密約、このことのその後への影響はまことに甚大なもので、それによる様々な影響はそのまま現在の日本、そして世界にも直結してもいるのです。その具体例の一つはコロナワクチンであります。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第42話 ― 東京裁判をめぐって2

東京裁判時の「キーナン資金」


戦後の日本を大きく騒がせ、揺り動かしたのが「M資金」でした。「M資金」は「黄金の百合」が原資となっており、これまで時事ブロクでも多く取り上げられてきたものです。

「M資金」のMとは、戦後日本の経済統制を指揮したGHQのマーカット局長の頭文字のようです。このマーカット局長の部下が、GHQ冶金部で「黄金の百合」の捜査回収の実務を担当し、買収で裏天皇側に取り込まれたジョージ・パーディでした。

マーカット局長
Wikimedia Commons [Public Domain]
ジョセフ・キーナン
Wikimedia Commons [Public Domain]

この「M資金」を構成する一部に「キーナン資金」があったようです。「キーナン資金」のキーナンとは東京裁判のキーマン、主席検察官のジョセフ・キーナンの名から名付けられたとのことです。2019/12/10の竹下さんの記事の引文に次のようにあります。

M資金はいくつかの資金が組み合わされて生まれたものである。まず「四谷資金」は軍情報部および対敵諜報部隊のウィロビー少将によって闇市の活動から集められたもので、反共計画に使われた。2つ目の「キーナン資金」は、東京裁判の首席検察官ジョセフ・B・キーナンの名にちなんだ資金で、元は没収財産である。そしてマーカットが管理していたのがM資金で、工業用ダイヤモンド、プラチナ、金、銀など、旧日本軍が占領地から奪った物資をGHQが接収して売却した資金や、財閥解体後の株式の売却益、さらにはガリオアまたは「見返り資金」と呼ばれる、米国からの援助物資および石油などの認可輸入品の売却益(ドルに交換できない円)がそれに加えられた。占領が終わった時、この3つの資金がM資金に統合された。

裁判は基本的に、被告人、弁護人、検察官、裁判官の4者の登場人物によって進められます。まず、検察官が被告人を選定し、起訴しないと裁判は成立しません。東京裁判のキーマンが主席検察官のジョセフ・キーナンだとはこの意味で、ジョセフ・キーナンが誰を被告人として選定するかが東京裁判では決定的に重要だったのです。

「M資金」の一部が、なぜそのジョセフ・キーナンにちなんだ「キーナン資金」と名付けられたのかは不明ですが、興味深いことがあります。ジョセフ・キーナンの甥がニール・キーナン氏だったのです。「M資金」を含む莫大な金塊と口座の管理者、今後の人類救済のための新金融システム起動のキーマンになるとも目されてきたニール・キーナン氏。

そのニール・キーナン氏が率いるKグループ社の情報を翻訳し作成されたYukitaさんの2015/12/31記事コメントで、東京裁判や戦後日本の行方に関することで以下の記述がありました。

黄金の百合作戦…(中略)...それが東京裁判時にはキーナン資金となり、最終的にはM資金となり、戦後日本の(宗主国アメリカによる)自民党支配や元731部隊の医学界支配などに使われていくと。

上のような情報を鑑みると、東京裁判主席検察官のジョセフ・キーナンが直接的に買収されたかは不明ではありますが、東京裁判に関し裏天皇の主力たちが、自分たちが東京裁判の被告人とならないように「黄金の百合」の一部が買収に使われ、アメリカ側と結託していたような気がします。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第39話 ― 黄金をめぐる攻防戦

 アメリカによる外国の統治、これが最も理想的にうまくいった事例が日本の統治だと言われています。自国に外国の軍隊が駐留、このことはその国が駐留する外国軍の占領下にあることを意味するのは世界的な常識です。だから、どこの国でも自国に駐留する外国軍を敵視し、一国も早く排除しようと努めるのです。
 ところが、日本では1945年から2022年の現在まで米軍が駐留し続けています。日米地位協定により米軍は治外法権であり、「思いやり予算」が付与もされます。世界的な常識からは「ありえないこと」が長年に渡って成立していること、日本人はよほど特殊なのか? そうではなく、ここには裏天皇グループの存在があったのです。
 “日本を中心としたNWO”を目指す裏天皇グループと、“アメリカを中心としたNWO”を目指すグループとは激しく対立していたとのことでした。特にその戦いは「黄金の百合」という莫大な金塊の所有をめぐる攻防だったはずです。自分たちの目指すNWO成立には莫大な黄金は欠かせないものだからです。
 しかし、アメリカ側は日本を統治するのに戦前から日本を支配してきた裏天皇グループを利用する側面があった模様です。一方の裏天皇グループも、自分たちの秘密の支配権を維持拡大するのにアメリカ側を利用していた側面もあります。両者は激しく対立するとともに、互いを利用するという協力関係も成立していたわけです。また、相手側の手駒を自陣への取り込みも行われていたようです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第39話 ― 黄金をめぐる攻防戦

特捜の背後の存在


1945年から1952年まで、日本は太平洋戦争の敗戦からサンフランシスコ講和条約締結までの約7年間、公式には連合国軍最高司令官総司令部GHQ/SCAP)の占領下に置かれていました。この期間の中で設置され、現在日本にまで多大な影響を、もっといえば日本支配の装置となり、現在まで作動している重要機関の一つが「隠匿退蔵物資事件捜査部」でしょう。

「隠匿退蔵物資事件捜査部」とは1947年(昭和22年)、隠退蔵物資事件を契機にGHQによってに設置されたものです。「隠匿退蔵物資事件捜査部」が後の東京地検特捜部なのです。

東京地検特捜部は「日本最強の捜査機関」とも呼ばれていて、1976年にはロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されています。また、近年では総理目前となっていた民主党の小沢一郎議員が、でっち上げと言って良いであろう陸山会事件で東京地検特捜部(特捜)の強制捜査を受けました。その結果小沢議員の秘書たちが逮捕され、その影響によって小沢総理の誕生は消えました。特捜の動きが日本国に甚大な影響を与えているのです。

編集者註:一覧表の赤字はシャンティーフーラによるもの。
最初のロッキード事件は田中派、最後のIR汚職事件は二階派(二階俊博は元竹下派)、それ以外は竹下派に対する捜査。
(参考:るいネット「清和会に対立した経世会の末路」)

このロッキード事件にしろ陸山会事件にしろ特捜の動きの背後には、アメリカの支配者たちの意志が強く反映されているのは間違いないでしょう。「特別捜査部」のウィキペディア記事では次のように記載されている通りです。

東京地検特捜部に批判的な立場からは、東京地検特捜部が連合国軍による占領下で、旧日本軍が貯蔵していた隠退蔵物資を摘発してGHQの管理下に置くことを目的に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」としてスタートした経緯や特捜部エリートに駐米大使館の一等書記官経験者が多いことから、「アメリカの影響を受けている」とする見方がある。

それと特捜に関して気をつけるべきは、裏天皇のグループの意図も特捜に反映されているであろうという点です。ウィキペディア記事の上の続きが次のようにある通りで、清和会グループは裏天皇の直接の部下であった岸信介にその源流がありますが、その清和会グループと特捜は握っていたと見るのが自然です。アベシがいかなる犯罪行為に手を染めようと不問にされてしまった理由がここにあるでしょう。

また、捜査対象が歴史的に木曜クラブの流れを汲む平成研究会系列(田中派―竹下(登)派―小渕派―橋本派―津島派―額賀派―竹下(亘)派―茂木派)の政治家に集中する一方で、党風刷新連盟を興りとする清和政策研究会系列(福田派―安倍(晋太郎)派―森派―町村派―細田派―安倍(晋三)派)の政治家は多くが免れていることから、「捜査対象が偏っているのではないか?」という主張がある。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第35話 ― 終わらぬ戦争

 板垣英憲氏の情報にはしばしば「長老」というワードが出現し、その「長老」たちが重要な働きをしていることが示唆されます。「長老」はどうも日本人のようで、「長老」には国内在住と各国に散らばった「長老」が存在すると見て取れます。
 各国の「長老」とは、第2次世界大戦後に東アジア諸国が独立するのに尽力した人物を指すようです。「残置諜者」という言葉があり、この言葉が正確適用なのかはともかく、終戦後も外地各国に残留して種々の工作を実行し、その国の独立に導いた日本人たちがいるようです。板垣英憲氏は近頃は自らを「八咫烏」と名乗っていますから、その「長老」たちも八咫烏関係者のような気がします。
 この「長老」たちがどういう人物であったのかを知るヒントが、「陸軍中野学校」のウィキペディア記事にあります。記事には太平洋戦争中の南方での中野学校出身者の動向として、インドなどの独立政府樹立のために中野学校出身者が特務機関員として働いていたことが記載されています。そして中野学校閉校後、つまり戦後の中野学校出身者の動向として次のような記述がされてもいます。
また、インドネシア独立戦争や、インドシナ戦争(谷本喜久男少尉など)を始めとする戦後の東南アジアの独立戦争に携わった卒業者も多くいた。
 「長老」には当てはまりませんが、この中野学校の出身者で、戦後も約29年という長期に渡って任務遂行していた小野田少尉を取り上げながら、その背後の関係も見ていきたいと思います。
追記)上記コメントの中で「板垣英憲氏は近頃は自らを「八咫烏」と名乗っています」と記しました。これは、板垣氏が出されている情報の中で「吉備太秦氏からの情報」として以下の文面から判断したものです。
我々「ゴールドマン・ファミリーズ・グループ」の日本組織「チーム八咫烏」…
しかし、この我々は吉備太秦氏たちのことで、「チーム八咫烏」には板垣英憲氏は含まれていないようです。事実誤認していました。

「板垣英憲氏は近頃は自らを「八咫烏」と名乗っています」は誤りですので、お詫びいたします。
(2022/01/19)
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第35話 ― 終わらぬ戦争

特殊任務を命じられていた小野田少尉


1974(昭和49)年、一躍「時の人」になった方がいます。小野田寛郎元少尉です。戦後29年近く経過し、最後には一人となってもフィリピンのルバング島で大東亜戦争の任務を続行した方です。小野田少尉は1974(昭和49)年にその生存が確認され日本で大騒ぎとなり、同年の3月に現地で任務解除されフィリピン軍に投降という経緯を通した後に、日本に帰国されたのでした。1945(昭和20)年8月15日は小野田少尉の終戦ではなく、29年後がその終戦となったのでした。


なぜここまでの長期に渡り、小野田少尉の戦争は続行していたのか?

小野田少尉は陸軍中野学校出身の情報将校でした。そして、小野田寛郎ウィキペディア記事に「残置諜者および遊撃指揮の任務を与えられフィリピンに派遣」とあります。小野田少尉は「残置諜者」と「遊撃指揮」という特殊任務を受けてフィリピンに派遣されていたのです。

「残置諜者」とは「敵の占領地内に残留して 味方の反撃に備え各種の情報を収集しておく情報員」のことで、「遊撃指揮」とは要するにゲリラ戦の指揮です。ウィキペディア記事によると、

師団長横山静雄陸軍中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」と日本軍の戦陣訓を全否定する訓示を受けている。

とあります。

一般的な軍人とは異なり、小野田少尉の場合は直接上官からの命令がないと任務が解除されない状態にあったわけで、小野田少尉の受けた任務の指揮命令系統が、通常の日本軍のそれではない特殊なものであったことが窺えます。

フィリピンのルバング島の山中で、中野学校出身のスパイである小野田少尉は「残置諜者」「遊撃指揮」として何の任務に当たっていたのか?

小野田少尉のキーワードとなっていたのは「フィリピン」「陸軍中野学校」「残置諜者」「遊撃指揮」です。このキーワードから必然的に出てくるワードが「黄金の百合」であり、結論としては、小野田少尉は「黄金の百合(一部)」の監視と守備を命じられていたと見て間違いないでしょう。

日本軍によって、中国を始めアジアから略奪した黄金財宝はフィリピンに集められ、この「黄金の百合」は戦局の悪化でその多くがフィリピンの山中に隠されたのです。

この「黄金の百合」の隠蔽工作に関して2016.07.25の《櫻井ジャーナル》では次のように記しています。

隠匿工作を実行したのは第14軍/第14方面軍で、司令官は1942年8月から43年5月までが田中静壱、43年5月から44年9月までが黒田重徳、そして最後が山下奉文だ。(中略)... 指揮していたのは秩父宮雍仁、その補佐役は竹田宮恒徳だったとされている。

小野田少尉がフィリピンでの任務開始に当たったのは1944年12月、第14方面軍情報部付としてです。

竹田宮恒徳
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秩父宮雍仁
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田中静壱
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山下奉文
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[Public Domain]


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