ウォーレン委員会の設置
1963年11月22日 |
11:30 |
ケネディ大統領狙撃される。 |
13:20 |
ケネディ大統領の死亡確認。 |
13:40 |
ケネディ暗殺犯とされるオズワルドが逮捕。 |
14:38 |
リンドン・ベインズ・ジョンソン、第36代アメリカ合衆国大統領として宣誓。 |
同年11月24日 |
ダラス刑務所の地下駐車場にてオズワルドはジャック・ルピーに射殺される。 |
同年11月29日 |
ジョンソン大統領の命によってウォーレン委員会が設置。 |
上がケネディ大統領狙撃からウォーレン委員会の設置までの流れです。
リンドン・B・ジョンソンとジョン・F・ケネディ
ケネディ大統領の死亡から間髪を入れずに、リンドン・ジョンソン副大統領の大統領就任の儀式が始まっています。大統領に就任したリンドン・ジョンソンは即座に、ケネディ大統領が進めていた業務を覆していきました。
全米犯罪シンジケート撲滅キャンペーン、共産中国の核施設への攻撃、イスラエルと中東諸国の和平路線、米ソの和平路線、ベトナム派兵の撤退、政府紙幣の発行、ET情報公開、これらが全て覆させられて、犯罪シンジケートは生き延びてイスラエルは安泰、イスラエルと共産中国は核兵器開発に成功、ベトナム戦争の拡大の派兵により軍産複合体は大収益、米国政府紙幣の発行は頓挫しFRBの金融支配の再拡大、秘密の宇宙プログラムの大進捗、以上のような結果を生んでいきました。
平たく言えば、リンドン・ジョンソンは300人委員会の手駒であって、300人委員会によってケネディ暗殺とリンドン・ジョンソンの即座の大統領就任は予め仕組まれていたでしょう。
このリンドン・ジョンソンの大統領就任の儀式には、ケネディ夫人のジャクリーンも参列して重要な役割を果たしているので、ジャクリーン夫人も300人委員会側の人間だったのかな?と思わされます。
ダラスを出発しようとするエアフォース・ワンの中で大統領宣誓をするリンドン・B・ジョンソンとそれを見守るジャクリーン夫人。
ケネディ大統領の公開処刑とその処理は、300人委員会の命によって立てられたMI6・イギリス情報局のシナリオ通りに概ね進められたのです。
しかし、シナリオに狂いが生じたのがオズワルドの逃亡だったようです。CIAの末端手駒であるオズワルドは、狙撃犯の「身代わり」として「ハメるべく」選出された人物です。オズワルドはケネディ大統領を狙撃し、現場でその狙撃した銃で自分も自殺、シナリオではこのようなオズワルドによる身代わりの偽装でケネディ狙撃の処理は終えるはずでした。しかし、自分がハメられて身代わりに射殺されるのを察知したオズワルドが現場から逃走したので、事件2日後にダラス刑務所の地下駐車場の銃殺という無理筋の「口封じ」を行わなくていけなくなったのです。
オズワルドがジャック・ルビーに射殺される瞬間
既にシナリオに齟齬は生じていたのですが、元の本来のシナリオ、
つまり大統領の狙撃犯がその銃で狙撃後すぐに自殺、これに準じて射殺された「オズワルド単独犯」という噴飯もののケネディ暗殺の“真相”を確定させたのがウォーレン委員会です。
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