大室寅之祐の母がハプスブルク家? 〜スエは大谷家か?
張勝植氏の『
朝鮮名は張基元 朝鮮半島から[万人幸福の世界作り]を目指した明治天皇』
によると明治天皇の大室寅之祐、朝鮮名は張基元は張勝植氏の家系の4代目とのこと。
その家系の
初代と2代目は欧州に渡り「教旨」に従い、ハプスブルク家を支援し、
皇帝フェルディナント1世の隠し子の娘を保護。
その後2代目は3代目の正烈と保護した隠し子とその母親一家
を伴って渡米し、アメリカ独立運動に携わったとあります。
そして「朝鮮名は張基元 朝鮮半島から[万人幸福の世界作り]を目指した明治天皇」の28、9頁に次のようにあります。
「2代目が保護してアメリカに亡命したフェルディナント1世の隠し子の娘が3代目の正烈と結婚し、生まれた息子が基元、つまり、長州・田布施の大室寅之祐であり、本当の明治天皇です。だから大室寅之祐は金髪気味なのです。」
この本では「正統な南朝の天皇家に、カール6世のハプスブルク家の直系の血が入って、明治天皇が生まれたのです。」(29頁)と主張しています。
しかしここらの記述はぐちゃぐちゃのデタラメです。この本では
2代目は皇帝フェルディナント1世の隠し子の娘を保護して渡米し、ボストン茶会事件を主導したように記しています。
しかしフェルディナント1世は1793年生まれとこの本では記しており、
ボストン茶会事件の1773年には、隠し子の父さえ誕生もしていないことになります。
本当に大室寅之祐の父が3代目の張正烈で、母がフェルディナント1世の隠し子の娘と主張するならば、2代目と3代目が渡米し、アメリカ独立運動に携わったのは誤りになるでしょう。
大室寅之祐が誕生したのは1850年、ボストン茶会事件の1773年から77年も経っています。
前回見たように
大室寅之祐の実の父が地家(李・岸)作蔵、母が谷口(大谷)スエと見るほうがずっと説得力はあります。
前回の家系図に従えば地家(李・岸)作蔵が3代目の張正烈で、谷口(大谷)スエがフェルディナント1世の隠し子の娘とはなりますが、どうなのでしょうか?
いずれにしても気になるのが
大室寅之祐の実の母であろう谷口(大谷)スエです。
前回見たように、
スエは父の谷口(大谷)昭顕と共に西円寺に入寺しているとあります。そしてネットでは、
谷口(大谷)昭顕は本願寺の大谷家の血族であるような情報もあります。そうだとすればフェルディナント1世の隠し子の娘が大谷家に隠されたのか?ともなります。
また、
スエが隠し子の娘ではなく本当に大谷家の血族ならば、その実子の大室寅之祐に皇統の血はいくらかは入っている公算が高いです。ウィキペディアの「大谷家」には次の記述があります。
「もともと公家の日野有範の子息である親鸞と、日野広綱(覚恵の父)の血統を引く東西両大谷家当主は、代々有力公家の猶子になる慣習があり、また、代々公家と通婚を続けており母系によっても公家化が進んでいった。このような経緯から明治維新後、両大谷家は華族に列し、ともに伯爵を授けられた。」
更に、記事では続いて大谷家の「
近代以降の大谷家と皇室、華族(公家)間の通婚の例」も記されてあります。最初がいつかは不明ですが大谷家には皇統の血が入ってはいるのです。
ただし、
スエが本当に大谷家の血族だったかどうかも判然としません。大室寅之祐の血統には情報が錯綜していて判断に苦しむのです。
» 続きはこちらから
そして、2014年のSTAP細胞もまた、千島学説の抹殺を再現するできごとでした。
しかし、アーユルベーダという古典に照らせば、学者たちに刷り込まれた常識がウソであって、抹殺された方が真実であることが、よくわかります。