竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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マグダラのマリア
生誕:西暦4年8月4日 エジプト・アレクサンドリア
死没:西暦64年1月30日 ウェールズ・メネビア(現セントデイヴィッズ)
家族:父:アイク(紀元前20年~紀元後44年)
母:サンドラ(紀元前15年~紀元後37年)
姉:セーニャ(紀元後1年8月4日~33年12月11日)
夫:ナザレのイエス(紀元前2年~紀元後32年)
長男:ヨハネ(紀元後24年~78年)
二男:ユダ(紀元後28年~47年)
長女:サラ(紀元後32年~93年)
二番目の夫(事実婚):使徒ヨハネ(紀元後9年~81年)
二女:イヴァンナ(紀元後45年~90年)使徒ヨハネとの間の娘
イエスとは5歳離れていました。
エジプト人です。色黒の方です。
ただ、アセンデッドマスターとして出てくるときは色白にもなります。
マリアが生まれる30年前に滅亡したエジプト王族の生き残りの家柄です。
(以下略)
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マグダラのマリアの洞窟(フランス)
イエスをめぐるもう一人のマリア、マグダラのマリア
(中略)
実は
「マリアがイエス・キリストの子供を産んだ」という“伝説”があるのです。もし、これが本当であれば、神が人間と交わって子をもうけたということになり、「イエスは神の子」とするカトリック教会の教えは否定され、その権威はもろくも崩れてしまうのです。
(中略)
マグダラのマリアが迫害から逃れ、プロヴァンスに流れ着いたとき、「聖杯」(イエス・キリストの最後の晩餐で使われ、十字架にかけられたイエスの血を受けたとされる)
を密かに持っていたと言われている。この聖杯を門外不出の“宝”としていたと言われるのが、異端の一派カタリ派であり、テンプル騎士団である。テンプル騎士団の母体となった
シオン修道会は、フランク王朝メロヴィング家こそがイエスとマグダラのマリアの子孫であると主張し、その復権をもくろんだこともある。
もちろん、「神の子イエスの子」など認めるわけのないカトリック側は、この説を真っ向から否定し、マグダラのマリアの存在を聖書の中からできるだけ排除し、この“事実”を隠そうとしたのである。
(以下略)
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はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビが、島に戻って皆に伝えた、大いなる光のような”気高さと勇気、そして心の輝き”を。
そして、今という”混乱の時代”の真っ只中において、大切な種となる、”正しい価値観と正しいものの考え方”を。
追記:”れいわ新選組のポスター貼りプロジェクト”もまさに”それ”ですね!