
王さんのインドライフ
Q. 今日は、王さんの日常に迫ってみたいと思います。
これまでのお話を伺っただけでもかなり強烈で、こじかさんは「ピッタ体質の私は、毎日 感情が爆発して生きていけないだろうと思いました。インドには住めない…。」と怖気づいておられましたよ。
インドには住めないとのお言葉をいただきましたが…………。
こじかさま、それでは、こちらのインドライフはいかがでしょうか?
日本のせせこましい家でなく、天井の高い、格式あるブリティッシュコロニアル様式の家にアンティーク家具、庭は限りなく広く、木々が生い茂り、プールもスパもサウナもあります。
コック、運転手、メイド、子守、庭師、門番に月約3万円ほど渡し、専属の美容師とアーユルヴェーダマッサージ師とヨガコーチ。
空気清浄機付き高級車で移動すれば、雑踏に揉まれる事もありません。
ご宿泊は、旧藩王マハラジャ宮殿跡地のホテル。夏はヒマラヤの麓の高原へ、冬は南国のココナツの樹の森でハンモックに揺られ、中東のお金持ち国や、エスニックアジアの国にも、ヨーロッパにも、直ぐに飛んでいけるちょうど良い距離感。
財界と政界にお友達ができれば法律なんてなんのその。お金でほぼ解決解決。
メイドインインディア物なんて使わずに、輸入物で身の周りを揃えて完璧。
こんなパラダイスライフ?を謳歌している方々、実は、大量に! 存在しています。
デリーにも通称「ファームハウス」と呼ばれる富裕層エリアがあり、
知り合いのファームハウス住人家族は常に海外旅行をしています。インドの人は、「親戚も家族」の強固な大家族意識があるため、家族行事がある毎に世界に散らばる親戚家族のところに出掛けていきます。(インド国内人口は約13億人で、世界には約3000万人のインド人が住んでいます。)
富裕層のぶっちぎりトップは、今や中国人富豪を抜きアジアナンバーワンの大富豪、インド最大企業、石油精製・化学「リライアンス・インダストリーズ」のオーナー、ムケーシュ・アンバニー氏です。(彼は、ほとんどのメディアも保有していると言われています。)全インド13億人の医療福祉代1年分以上に相当するとも言われる約5兆円の資産。総工費個人宅世界1という840億円のご自宅もムンバイに持たれています。
天井の高い27階建て(高さ174メートル、通常この高さのビルでは60階立て、内部面積はベルサイユ宮殿より広いそう)、3つのヘリポート付き、エレベーターは9つ、吊り庭、ダンスルーム、映画館、寺院、体育館、図書館、6階建て駐車場、そして使用人は600人! で、お住まいになられていますのは、ご家族6人。とのこと。
昨年12月のお嬢様の100億円ご結婚式では、あのヒラリー様も踊っていらっしゃいます。
Hillary Clinton and John Kerry dancing in Isha Ambani’s wedding. Those Americans who were wondering how rich one had to be to have Beyoncé dance in wedding would go in depression seeing this 😂 pic.twitter.com/F33TIsONHC
— नम्रता (@_Namrataa) 2018年12月12日
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動画の20秒辺りをご覧になると、小さなヤツが何匹も出てきます。しかし、彼らは、原初の巨大なヤツと細い糸で“繋がっている”のです。単に繋がっているだけではなく、数学的には「単連結」であることが知られています。要するに、非常に複雑な形をしていても、円盤が変形しているに過ぎないというわけです。
“続きはこちらから”をご覧ください。これは、別班マンさんのツイートにリンクされていた記事です。「悟り」を非常に見事に表現した文章で、これほど見事なものは、そうそう見られるものではありません。
「永遠の一者」=「神」=「それ」は、“永遠に知られざるもの”であることを多くの人が認めると思いますが、実は、「それ」=「自己」なのだということを、わかりやすく説明しています。
私の家、私の服、私の財布という言い方をした場合、「私」と家、服、財布は別であることを意味します。同様に、私の体と言った場合、「私」と体は別であることを意味します。ならば、その「私は誰か?」
「私」は、自身の想念に気づくことができ、心を見つめることができます。なので、想念や心は「私」ではありません。だとすれば、「私は誰か?」
このように、私でないものを次々に否定すれば、最後に残るのが、“純粋な観照者”である「私」です。要するに、「私」とは、純粋な観照者である「自己」のことなのです。
冒頭の動画の小さな「ヤツ」が、あなたの「自己(ジヴァ・アートマン/モナド)」です。それは、他のあらゆる存在の「自己」と繋がっており、宇宙の自己(パラマ・アートマン)と相似形なのです。
現れとしての私、すなわち姿形は様々でも、「内在する自己」は「神」と自己相似形であり、「神」そのものなのです。このことを完全に体得した状態を、「悟り」と言います。
私たちは、日常生活で「私」という言葉を使う時、以上に述べた「自己」としての私ではなく、「私」の所有物と混同して使っています。「偽りの私」を次々に排除して、「真の私」=「自己」=「神」を認識することが、「悟り」なのです。
インドの聖者ラマナ・マハリシは、 「私は誰か?」と問いかけます。答えは、「私は私」です。
以上の哲学問答がすんなりとわかる人は、「悟り」を得ていると言えるでしょう。知的に理解することは、少しも難しいことではありません。しかし、知的に理解することと、それが腑に落ちていることは違います。まったく疑問の余地なく、“マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人間)は相似形”だと納得している状態が、「悟り」なのです。東洋の哲学では、これを実に簡潔な言葉で表現します。「汝それなり」。