<柳原敏夫(やなぎはらとしお):弁護士(ふくしま集団疎開裁判・元弁護団長)>
(前略)
《国の基準が20ミリシーベルトという事が出された以上は、 我々日本国民は日本国政府の指示に従う必要がある。
日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、
補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ。》
と発言したのは長崎大学の山下俊一教授です。
この発言に代表されるように、311直後から、財政負担が大変だという理由でチェルノブイリ法の制定を批判する声があがっていました。
しかし、本当に日本という国はお金が足りないのでしょうか。
なぜなら、
日本政府は、他方で、311以後、
1、2012年の
欧州債務危機に際しては、真っ先にIMFに600億ドル(約5兆円)の拠出を表明しました(4月17日、安住財務大臣)。よその国の問題解決のためにそれほどお金を出す用意があるのだから、
自分の国で、放射能汚染の中に住む子どもたちの危機に際して、子どもたちの避難のために出すお金がないなんて言えません。
また、山下氏は《日本という国が崩壊しないよう導きたい。》と言うのなら、安住財務相のこの発言に対してこそ真っ先に異議申立すべきです。しかし、彼はそんな異議申立はしていません。
2、
2013年度の復興予算7兆5089億円のうち、35.3%の2兆6523億円が執行されなかったと復興庁が発表しました(2014年7月31日日経新聞)。なかでも、
福島原発事故からの復興・再生予算は53%が使われませんでした。
3、誰ひとり住まない
無人島(竹島・尖閣諸島)の救済には熱心に取り組むけれど、原発事故に何の責任もない、正真正銘の被害者である子ども達がたくさん住む福島については子どもたちを救おうともしなかった。いったい国を守るって、何なのでしょうか。
つまり、311直後に誰かが言った通り、
日本政府も、
《お金は足りている。足りないのは愛》なのです。
しかも、その「足りない愛」は、ただの愛情ではなく、
人々が被害から自立できるような《連帯の愛》です。
なぜなら、
避難の権利の実現は、お金の給付だけで解決するような単純な取組みではないからです。この救済のプロジェクトは、単に箱物を作るといったハードの問題ではなく、汚染地から避難する人々の、避難先での新しい人間関係、新しい生活、新しい仕事、新しい雇用を作り出していく、そのためには、
避難先の地域創生の取組みとセットとなって初めて、成し遂げることができる、壮大な再生の公共事業だからです。
そのためには、
これまでの行政主導型の公共事業では実現不可能であり、そこに様々な形で住民、市民が協力、支援、応援をするという、
新しいスタイルの市民主導型の公共事業が求められます。
つまり、原発事故という国難に対し、本当の意味で文字通り、オールジャパンで市民が参加して、避難者と一緒になって避難の権利の実現プロジェクトを遂行していく必要があります。
これが「オールジャパン」「公共事業」の再定義です。
これは決して夢物語ではありません。日本でも世界でも既に実例が存在するからです。
(中略)
(以下略)