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ぴょんぴょんの「牙を向いた中国」 〜三つ巴の戦いのただ中で

 もしも、トランプが大統領になっていなかったら。
 暴走するディープ・ステートに、歯止めがかからず、今ごろNWOの勝利宣言で、私たちは奴隷にされていたでしょう。
 第三の男トランプに、神のご加護がありますように。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「牙を向いた中国」 〜三つ巴の戦いのただ中で


本気で香港を押さえ込むつもりの中国


6月30日、中国はとうとう、香港国家安全維持法(国安法)を施行したね。

ついに、本気で香港を押さえ込むつもりらしいな。

香港で「民主の女神」と呼ばれた周庭(アグネス・チョウ)さんも、自らが中心メンバーだった、政治団体「デモシスト」を解散したって。

なぬなぬ?  香港国家安全維持法では、
国家からの離脱、転覆行為、テロリズム、香港に介入する外国勢力との結託といった犯罪を犯した場合、最低3年、最高で無期懲役が科される」だけじゃねえ、中国が「非常に深刻」とみなした事件の裁判は、非公開らしいぞ。(BBC NEWS JAPAN

コワ〜! 無期懲役〜! 裁判、非公開!

こうなると、逃げるが勝ちだな。


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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第27話 ― 国立銀行条例

 結局は人次第なのでしょう。
 いかに優れた法を整備したところが、その法を運用する人間が邪悪で愚かならば、優れたはずの法が民衆を苦しめます。逆にその法が邪悪な意思に基づいた危険な法であっても、その法を運用する人間が誠実で賢明ならば、危険な法のはずが、民衆を豊かにも幸福にも導けます。
 次の1万円札の肖像となる渋沢栄一翁は、「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。」という言葉に表れるように、道徳と経済を合一した思想を実践した人物だったようです。
 米国では、民衆を借金奴隷から解放させられる政府紙幣・グリーンバックスが発行された翌年に、逆に米国民を永遠の借金奴隷に仕上げる「国立銀行法」が調印されます。
 日本でも三岡八郎(由利公正)の奮闘によって、明治初年(1868年)に政府紙幣「太政官札」が発行されます。ところが明治5年(1872年)末には、米国の国立銀行法を雛形にした国立銀行条例が制定されたのです。猛毒が仕込まれた危険な法が制定されたといえるでしょう。
 …しかしその猛毒は作用せず、逆に日本の殖産興業は活気づいていきます。なぜか?
 …猛毒が仕込まれた国立銀行条例を実地で運用したのが、渋沢栄一翁だったからです。結局はやはり人次第なのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第27話 ― 国立銀行条例


日本通貨の背後にはロスチャイルドが 〜早々に政府から退去に至った三岡八郎


三岡八郎(由利公正)
第4代東京府知事
Wikimedia Commons [Public Domain]

日本最初の「政府紙幣」の発行、「太政官札(だじょうかんさつ)(小額紙幣として「民部省札」も後に発行されます。)の発行は、三岡八郎(由利公正)が政府内の多くの反対を押し切って断行されたものです。故丹羽春喜教授の論文を参照されれば、明治新政府を滑り出させ、“明治維新”を成功させた“切り札”となったのが「太政官札」だと言って間違いないでしょう。金銀の担保も不要、「何ら費用を負担することなく資金を供給できる」日本通貨が発行されたのです。

明治初年の発行当時は、明治政府は極めて脆弱で不安定な状態でした。内戦である戊辰戦争を戦っていたのですから当然です。しかし明治政府がやがて安定し軌道に乗り、その安定した状態で政府紙幣が発行され続けたならば、明治政府下の日本も、やがて世界で最も裕福で、強大な独立国家として世界に認識される位置に立てたでしょう。活発な商取引が行われ、日本の民衆の潜在的な生産能力はフルに稼働され、それがさらなる生産能力の向上となっていったはずです。

明治維新は英領日本の完成でもあったのですが、こうなってしまえば、政府紙幣の発行の継続は英領日本からの脱却も意味することになります。

しかし残念ながら、元々明治維新はハルマゲドン計画を進めるためのものであり、日本が民衆と共に豊かな独立国家となることをハルマゲドン計画の計画者並びに実行部隊が許す筈がありません。地上勢力でいえば、政府紙幣の発行をロスチャイルド家がただ指をくわえて傍観しているはずはありません。


早稲田ウィークリーの「日本の通貨はなぜ「円」なのか 大隈重信と新1万円札・渋沢栄一【前編】」記事には以下のようにあります。

幕府は1866年、近代的造幣局を翌々年に設置すると約束したが、新政府もまた、新通貨の制定が課題であることを認識していた。約束の1868年には貨幣司が置かれ、閉鎖されたイギリスの香港造幣局の造幣機械を、イギリス人商人のトーマス・ブレーク・グラバーを通じて購入した。同年中に造幣機械が到着し、大阪にて造幣工場の建設が開始された。

グラバーはロスチャイルドの日本の代理人です。グラバーを通じて造幣機械が購入されたということは、要は幕末から明治における日本の通貨の鋳造と流通において、当然ながらその最初からロスチャイルドの意思が関わっていたということです。

一方、太政官札の発行を断行した三岡八郎(由利公正)ですが、これにロスチャイルドが関与していたかは不明ですが、太政官札発行の翌年の明治2年に早々に三岡八郎は政府を去っているのです。ウィキペディアの彼の記事では「太政官札の流通難など政策に対する批判が高まった結果、明治2年(1869年)に辞職するに至った。」 とある通りです。

太政官札の流通難は、当時日本の内戦である戊辰戦争を戦っていた明治政府の脆弱さが原因であることなどは明白であり、三岡八郎にその責任があるわけでないのは当然でしたが、三岡八郎は責任をとって辞職しているのです。その後の三岡八郎ですが、彼は東京知事に就任。また岩倉使節団に同行して渡欧してもいます。

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メキシコ便り(67):植物はどんなに知的で、智恵と愛に溢れているのか科学者らが証明!

 メキシコ、徐々に平常に戻ってきています。ファレスはまだモールがクローズしていますが、他はもうほぼ普通の生活になっています。7月1日にUSMCA(新NAFTA:北米自由貿易協定)がスタートしました!なんとロペス・オブラドール大統領が、7月8〜9日にトランプ大統領との会談のためアメリカ訪問を決定!!!USMCAはメキシコの経済にとって、とても大切なので行くことにしたと言っていました。大統領就任以来、初めての海外。メキシコシティからワシントンDCへの直行便はないので、普通の飛行機で乗り継ぎしながら行くそうです。大統領らしい。国民は軍の飛行機を使っていってはどうかと心配していましたが、それはあくまでも非常事態用で、どこまでも質素でシンプルな政権の見本を貫きたいとのこと。

 さて今回の記事、政治から一旦離れました。偶然、植物の情報(メキシコ以外の国)3回続けて入ってきたので、これはpopoちゃん家が毎朝お世話になっているあの公園の木々さんらからのリクエストと勝手に解釈しメキシコ便りに押し込んじゃいました!植物通の方にはすでにご存知の内容かもしれません。前回の記事でも触れましたが、popoちゃん家、コロナ・パンデミック以来、朝5時ごろ近くの緑豊かな公園に行くのが日課になり、おかげで自然との距離はぐ〜んと縮まり、見えない✨恩恵✨を受けているように感じます♪

 植物は、どんなに知的で、智恵と愛に溢れているのか科学者らが証明しています。
 静かな植物たちですが、こんなに偉大だったとは。。。植物に対する見方がガラリと変わり、もう公園の木々を素通りできなくなったpopoちゃんでした🍀
(popoちゃん)
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メキシコ便り(67):植物は、どんなに知的で、知恵と愛に溢れているのか科学者らが証明!

バルセロナのオペラハウスで植物を観客にクラシック・コンサート


メキシコは昔スペインの植民地だったということもあり、なにかとスペインのニュースはよく入ってきます。6月末、「え?!斬新!しかも英知を感じる!」とpopoちゃんの気に留まったのはこちら↓。

3ヶ月のロックダウン後、バルセロナのオペラハウス(El Gran Teatre del Liceu)のリオープニングにスペシャルなコンサートで幕開け‼️第1号は、2292鉢の植物を観客にカルテット(四重奏団)がクラシック・コンサートをライブストリーム。このアイデアの発起人、コンセプチュアル・アーティストEugenio Ampudia(エウヘニオ・アムプディア)さんは、ロックダウン中に自宅の庭の植物たちと親しい関係を育み、それがこのアイデアのきっかけになったという。

6階席?!までぎっしり満員!
空気きれいそう〜♪

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ぴょんぴょんの「信じるか信じないかは?」 〜ヘミシンクは信用できるのか

私も、かつては霊能を欲しがった時期があった。
変なカルトに引っかかりかけたり、効かないグッズを買いあさったり。
その当時でもヘミシンクは、さすがに怪しくて、思い留まった記憶がある。
今回、久しぶりにヘミシンクを検索したが、ほとんど怪しい記事が見つからない。
これは、余計に怪しいことになっていると感じた。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「信じるか信じないかは?」 〜ヘミシンクは信用できるのか

臨死体験談いろいろ


ねえねえ!
こんな動画、見つけちゃった。

雷に打たれました!(臨死体験談)☆しもかりがくとチャンネル

臨死体験談??

おもしろそうでしょ?
この人、サーフィン中に落雷に合って、死にかけたんだって。

サーフィン中? コエエ〜〜 無防備だし、隠れるとこもねえし。

でね、雷が落ちた瞬間、テレビのリモコンみたいに、今見てる現実がパチっと一瞬で切り替わって、気づけば、地球じゃなかったんだって。

ほおお!

あわ白い、青、紫、グレーのラッセンの絵みたいな美しい世界。
ずっとここに居たい、でも、戻らなきゃって、動こうとしたら体がしびれてる。
どうしよう?って思っていると、「だいじょうぶかあ〜、だいじょうぶかあ〜」と声がして、頬を叩かれた。
すると、2枚の紙を透かして見るみたいに、ラッセンと現実が重なって、だんだん、コッチの現実が濃くなる、と同時に、激しい雨が振っていることに気づく。
ふと見ると横には、3体の黒焦げの遺体が転がっていて・・一緒に海にいた5名のうち、3名は亡くなってたんだ。

運のええヤッちゃ。

体は、まったく無傷だったけど、精神に変化が起こっててね。
ついに、「DNAレベルで、宇宙も、全宇宙もつながってる」のを悟ったそうだよ。


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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第26話 ― 政府紙幣

 「覆水盆に帰らず」。コロナからの「復興」が盛んに喧伝されています。復興とは以前の状態に戻すこと、しかし時を戻すことは不可能。第一、コロナ前の日本に戻す? 政・官・民・マスコミが完全腐敗し機能不全を起こし、消費増税の大不況でGDPが大きく落ち込んだ日本、既にそうなっていた日本へ復興? 私達は前に向かって進んでいく以外にありません。コロナをくぐり抜けて、まともで豊かな日本を築く方向にです。
 そのための方策はあるか?といえばあります。というか、これ以外にない方策が政府通貨発行権の活用です。
 政府通貨❓ 現在の日本のお金が全て政府通貨だと思いこんでおられる方のほうが大多数に思えます。違います。貨幣、つまり100円玉等のコイン全ては確かに政府通貨です。しかし1000円札など紙幣は全て日本銀行券です。紙幣は政府通貨ではなく、紙幣発行権は実質として政府は日本銀行に奪われているのです。
 根本的には、この政府紙幣発行の権限を取り戻し、活用する以外には現在の日本の窮状脱出の術はないでしょう。山本太郎氏とその周辺はこのことを熟知されているでしょう。
 政府紙幣といえば、米国ではリンカーンのグリーンバックスです。外伝47に記していますが、政府紙幣が発行されると、
「政府は何ら費用を負担することなく資金を供給できることになる。それで負債はきれいさっぱりと完済される。そして商取引を維持するのに必要な金のすべてが確保されるのだ。
そうなれば世界の文明社会の歴史の中で前例がないほど裕福な政府となる」
のです。
 しかし政府紙幣の発行の絶対条件があります。政府への民衆の信用です。それには政府がすべての公的情報を全て透明にオープンに、特に金融経済は完全ガラス張りにするのが絶対条件となります。従って現在のウソと隠蔽しかない政府の退場が、政府紙幣発行への絶対的に必要な道筋になります。
 また、政府紙幣発行の根拠として、実は日本では既に政府紙幣が発行されたことがあるのです。「太政官札(だじょうかんさつ)」といいます。発行した主体者は三岡八郎(由利公正)です。
 彼は画期的な思想を有していて、(政府通貨発行のための)「国富」とは国民の労働力の結集(つまりGDP)であり、経済とは「蓄財」するものではなく「循環」させるものだ、としたのです。
 この思想は映像配信・家族の絆 〜夫婦(90)の中で語られていることと同じなのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第26話 ― 政府紙幣



三岡八郎(由利公正)という人物 〜坂本龍馬の刎頸の友


「箱コネマン」さんのツイートのプロフィールには次のようにあります。

坂本龍馬は由利公正の明治政府紙幣「太政官札」発行の黒幕として、後に民営会社「日本銀行」の大株主となるロスチャイルド家(兵器会社ジャーディンマセソン商会、グラバー商会を傘下)に暗殺されたなど、史実を暴露するぜ!


坂本龍馬は言わずと知れた維新の最英傑ですが、由利公正を知っている方は少ないと思います。ところが、実は坂本龍馬が暗殺される少し前、坂本龍馬が越前藩(福井)の宿で昼夜を問わずに、今後の日本の行方に関して熱心に会話と議論を交わした相手が三岡八郎、後の由利公正なのです。


ウィキペディアの「坂本龍馬」の記事に次のようにある通りです。

後藤象二郎の依頼で、慶応3(1868)年10月24日に山内容堂の書状を持って越前へ出向き、松平春嶽の上京を促して三岡八郎(由利公正)と会談したあと、11月5日に帰京した。帰京直後に三岡の新政府入りを推薦する後藤象二郎宛ての手紙「越行の記」を記し、さらに11月10日には福井藩士・中根雪江宛てに三岡を出仕させるよう懇願する手紙を記している。

龍馬が暗殺されたのは、この「三岡八郎を新政府の要職に!」という懇願の手紙を出した5日後の11月15日(旧暦)のことです。龍馬の懇願もあり、三岡八郎(由利公正)は参与として、つまり官僚のトップとして明治新政府の財政を担当することになります。龍馬が惚れ込んだ三岡八郎(由利公正)は福井藩の財政を興隆させた文武両道の人物のようです。

江戸後期から末期、ほとんどの藩は財政的に激しい疲弊状態にありました。福井藩も同様です。その中で三岡八郎(由利公正)は藩の財政再建をかけて殖産興業を、より具体的には養蚕興業に取り組みます。その絹糸の貿易を外国と行い収益をあげ、福井藩は財政的には最も裕福な藩となります。

実際に勝海舟が神戸海軍操練所を設立する当たっては、「海舟は塾の資金調達のため龍馬を越前(福井)へ派遣、以前から親交のあった越前福井藩主松平春嶽から5千両を借りることに成功しました。」(日本銀行 高知支店HP)とのことです。

また慶応4(1868)年3月14日、天皇が天地の神々に誓うという形式で宣布された明治新政府の基本方針が五箇条の御誓文ですが、この明治新政府を船出させた五箇条の御誓文の原文が三岡八郎(由利公正)が起案した「議事之体大意(ぎじのていたいい)」五箇条です。


更にこの「議事之体大意」五箇条の基にあったのが龍馬の「船中八策」であり、「議事之体大意」は明治新政府を起動させるため、三岡八郎と坂本龍馬で練られた案だったようでもあります。坂本龍馬と三岡八郎は「刎頸の友」とも表現できる関係だったでしょう。

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