英国を攻撃した「黒い貴族」 ~その中心にあったのがオレンジ家
1600年代後半に三次に渡る英蘭戦争を戦った英国とオランダ。この
オランダ王室のオレンジ家のウィリアム3世が名誉革命にて英国王に就き、1600年代末にイングランド銀行が設立されます。「
オランダのオレンジ家が英王室を乗っ取った」。このこと自体は紛れもない事実です。
1649年に英国王チャールズ1世が処刑、
それまでの英王室が転覆されることになったのが清教徒革命です。
その清教徒革命の旗手であるオリーバー・クロムウェルは、マナセ・ベン・イズラエルたちオランダアムステルダムの金融家に買収されていたのが内実です。彼ら「黒い貴族」の要請によって革命と英国王処刑が決行されたのです。
さらに、
それに先立ち清教徒革命の源泉となったのが、英国に入り込んだ清教徒の存在です。清教徒が英国に入り込み、特に下院議会の中に席を占め、発言力を強めたのがベースとなり、清教徒革命と名誉革命へと結びついているのです。
そして
外伝8で見たように、
この清教徒と分かちがたく深く結びついていたのがオレンジ家なのです。
三次に渡る英蘭戦争、それに清教徒革命と名誉革命、これら英国における1600年代中頃から後半にかけて起き上がった非常に重大な出来事、これらは全てが一連の計画に基づいた動きだと見なすべきなのです。
現実にこの一連の動きで生じた結果は、以下の通りです。
①
イギリス東インド会社が改組の上に
超国家的特権を獲得
②(長年追放されていた)
自称ユダヤ人たちの英国への帰還
③
オレンジ家の英王室乗っ取り
④
国家に金を貸し付け通貨発行するイングランド銀行設立
一連の動きによって得られた①から④は、「黒い貴族」が世界を植民地化支配していく計画を立て、その拠点にすべく、英国並びに英王室に狙いを定めた結果だと見えます。事実、
その後大英帝国の看板のもと世界を植民支配するのです。そして、
その世界支配の最重要機関がイギリス東インド会社とイングランド銀行です。
これら
1600年代を通しての「黒い貴族」による英国への総攻撃、この中心の一角にあったのがオレンジ家であったのはどう見ても間違いが無いのです。この総攻撃の仕上げとして亡命に追いやられたのがジェームズ2世です。
ユースタス・マリンズは『カナンの呪い』の中で、ジェームズ2世の重臣側近たちで、アムステルダムの銀行家から賄賂を受け取り寝返った面々を記しています。筆頭はマールバラ公爵ジョン・チャーチル(ウィンストン・チャーチルの先祖)。彼は「35万ポンドの賄賂をメディナ家およびマシャド家から受け取った」とのこと。
その他シュールズベリー卿、シドニー・ゴドルフィン、サンダーランド公爵、ポーツマス公女、ポルワース卿、ハンス・ペンティングなどの名が上がっています。
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また、牛乳にはリンが多く含まれていて、同量のカルシウムと結びついてリン酸カルシウムになって体外に排出されるために、牛乳を飲むほど、カルシウムが減少するのだそうです。
参考:「子どもを病気にする親、健康にする親」内海聡(Tokyo DDclinic院長・内科医) 著 マキノ出版 (ライターによるリンク先が失われたためAmazonの書籍にリンクを変更 - 24.4.16 シャンティ・フーラ)