竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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Q3 新約聖書と旧約聖書、何が違うの?【3分でわかる聖書】
配信元)
YouTube 13/11/28
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旧約と新約の神
引用元)
ロゴス・ミニストリー 02/7/24
(前略)
「旧約聖書に描かれている神は、新約聖書に描かれている神とは違い、厳しく、復讐をする神のようである。新約聖書の神は、旧約聖書の神と違うのか。」
これはとても良い質問です。というか、頻繁に未信者の人から挙げられる質問です。けれども、聖書をもっと注意深く読むと、そうではないことに気づきます。
(中略)
第一に、旧約聖書には、あわれみ深い神が、たくさん描かれています。(中略)... 実は、あわれみや恵みについて書かれている個所は、新約聖書よりも旧約聖書のほうが多いのです。
そして第二に、新約聖書において、神のさばきや怒りについて書かれている個所は、非常に多いことが挙げられます。(中略)... 旧約の神のほうが新約の神より厳しいというのは、誤解であることが分かります。
(中略)
けれども、それでも旧約時代における神さまの働きと、新約時代のそれとは異なるように見えますね。それはその通りであり(中略)... 旧約に起こった出来事は、人々がどんどん打たれて死んでいくとか、実にリアルであり、とても恐ろしいように感じるでしょうが、それは、神の正しさが目で見えるようなかたちで、現われていたに過ぎません。神の義を受け入れない人は、この新約の時代に、旧約時代にさばかれた人以上に厳しいさばきが、死後、あるいは大患難時代のときに与えられます。
(中略)
多くの人が、神がひどい方であり、不公平であり、理不尽で、ひどく厳しい存在であると見ています。しかし、それは、人間が勝手に描いているイメージを神に押し付けているにしか過ぎません。むしろ、そうした姿は、創世記において、悪魔がエバに植え付けたイメージであり(中略)... 悪魔は躍起になって、人が神に近づくのを妨げようとしているのです。
(以下略)
「旧約聖書に描かれている神は、新約聖書に描かれている神とは違い、厳しく、復讐をする神のようである。新約聖書の神は、旧約聖書の神と違うのか。」
これはとても良い質問です。というか、頻繁に未信者の人から挙げられる質問です。けれども、聖書をもっと注意深く読むと、そうではないことに気づきます。
(中略)
第一に、旧約聖書には、あわれみ深い神が、たくさん描かれています。(中略)... 実は、あわれみや恵みについて書かれている個所は、新約聖書よりも旧約聖書のほうが多いのです。
そして第二に、新約聖書において、神のさばきや怒りについて書かれている個所は、非常に多いことが挙げられます。(中略)... 旧約の神のほうが新約の神より厳しいというのは、誤解であることが分かります。
(中略)
けれども、それでも旧約時代における神さまの働きと、新約時代のそれとは異なるように見えますね。それはその通りであり(中略)... 旧約に起こった出来事は、人々がどんどん打たれて死んでいくとか、実にリアルであり、とても恐ろしいように感じるでしょうが、それは、神の正しさが目で見えるようなかたちで、現われていたに過ぎません。神の義を受け入れない人は、この新約の時代に、旧約時代にさばかれた人以上に厳しいさばきが、死後、あるいは大患難時代のときに与えられます。
(中略)
多くの人が、神がひどい方であり、不公平であり、理不尽で、ひどく厳しい存在であると見ています。しかし、それは、人間が勝手に描いているイメージを神に押し付けているにしか過ぎません。むしろ、そうした姿は、創世記において、悪魔がエバに植え付けたイメージであり(中略)... 悪魔は躍起になって、人が神に近づくのを妨げようとしているのです。
(以下略)
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旧約聖書を所々でも読んだことがある方は、その内容に驚いたはずです。旧約の神は、一言で言えば、神というよりは悪魔の性格に近い。身近にこんなのがいたら最悪で、どう考えてもこのような性格の人物はサイコパスで、絶対に近づいてはならない人物だと言えます。
要するに、新約聖書の神と旧約聖書の神の性格が違いすぎるのです。これが同じ神だと信じているのがキリスト教徒です。もしこれが同じ神なら、神は多重人格であると考えるよりなくなってしまいます。
冒頭の記事は、キリスト教の立場から、新約の神と旧約の神は同一の神であることを伝えています。しかし、“それでも旧約時代における神さまの働きと、新約時代のそれとは異なるように見えますね。それはその通り”と書かざるを得ないぐらい、旧約の神は異常なのです。これが同一だと信じることが信仰なのでしょう。
旧約の神の所業を弁護するとすれば、イスラエルの民を悪魔崇拝から守ろうとしたということだと思います。旧約の神が、“打ち殺せ。容赦してはならない”と命じるのは、悪魔崇拝者について言っているのだと考えるのが自然です。しかし、そうだとしても、“滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ”と命じるところは、狂気を感じます。
このように理解しがたい旧約の神を、グノーシス主義はいとも簡単に解釈します。“世界を創造した旧約の神と、イエス・キリストを通して人々を救おうとする新約の神は別物だ”というのです。グノーシス主義では、旧約の神は劣った神で、悪魔だと考える派もあります。世界はこの邪悪な神が創造したのだから、“世界が悪で充満しているのはむしろ当たり前”なのです。この汚れた世界に、イエスを送り、人々を救おうとしたのが新約の神であるということになります。
神智学ではさらに進んで、旧約の神は悪魔ではないが、下級神であるとします。グノーシスと同様に、下級神は低級本質(各身体)の創造者ではあるが、高級本質(霊)は創造することはできないのです。
神智学徒にとって、イエスを送り出した救済神がルシファー(サナット・クマーラ)です。ルシファー=サナット・クマーラであることは、ブラヴァッキー夫人が著作の中でルシファーを擁護していることや、アリス・ベイリーがルシファー・トラスト(後にルシス・トラストと改名)を設立したことからも明らかだと思います。
記事では、この世界が悪だと信じている者にとって、“グノーシスはとても魅力的”だと言っています。“宗教を立ち上げて一儲けしようと思うなら、ぜひ教義に取り入れるとよい”と書かれていますが、現実問題として、ブラヴァッキー夫人の大著「シークレット・ドクトリン」以降、神智学をベースとしたチャネリング関連のカルト宗教が跋扈しているという実情があります。