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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第9話 ― 暴力支配

 満洲国設立の頃、日本中のあらゆるところで紛争が起きていたのでは?とも思える状況でした。その争いは、例えば内閣と軍部の争い、軍部間でも帝国陸軍と海軍の諍いと争い、または、同じ陸軍や海軍でもあっても、その中での派閥争いなどなどです。
 これらの争い抗争は、単なる議論や誹謗中傷などでの攻撃ではすまず、実力行使の暴力による流血の抗争が多くあったのです。多くの人物がその抗争によって殺傷されています。この具現化された日本社会での争いには、いくつもの要因はあったでしょう。
 ただ、その争いの最上部、そして種々の日本での抗争の元にあったと思えるのが、禁裡内、皇室の争いだったでしょう。幕末期から明治維新にその原点が生じていたものです。
 幕末、日本は英領(正確にはイギリス東インド会社、後の300人員会のシマ)となり、國體天皇である孝明天皇は薨去を偽装し裏に回り、英国女王の下に政体天皇として明治天皇がたてられました。
 明治維新は「南朝革命」とも言われます。明治期の早々に、それまで天皇が禁じていた「鬼神祭り」を専らとする「招魂社」(靖国神社など後の護国神社)が日本各地に創建されました。また、湊川神社を始め、南朝に貢献した楠正成などを英雄や神と祀る神社群も創建されていきます。南朝勢力が日本を牛耳っていったと言えるでしょう。
 しかし、北朝勢力も座視していたわけでもないのでしょう。竹下さんは2014/10/25記事にて、
明治天皇・大正天皇は、本来の意味で天皇になる資格の無い人たちですが、昭和天皇以降、元の北朝の天皇の血筋に戻っているように思います。
と語られています。
 こうだとすると、北朝勢力の巻き返しがあったと見られます。ただし、勢力が強大で強力な暴力装置を有していたのは、やはり南朝勢力(裏天皇側)。当時の状況を検証すれば「喉元に匕首を突きつけられた」ような難しい状態にあったのが昭和天皇だったように見受けられます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第9話 ― 暴力支配

右翼思想の謎 〜天皇が抹殺対象に


孫崎享氏は『日米開戦の正体』p486にて、天皇を巡る戦前史の見方について以下のように投げかけています。

日米開戦へ向かう道で、日本の向かう方向の最終決断を握っていたのは天皇です。この天皇が、自分は軍部や、右翼に暗殺される危機を感じていたとすれば、戦前史の見方が大きく変わります。

この上で続いて孫崎氏は、新右翼団体「一水会」の最高顧問鈴木邦男氏との対談の様子を記載し、右翼の天皇に対する態度について驚くべき、そして決定的な言質を引き出してもいます。以下のとおりです。

孫崎:...(中略)右翼思想の根本は天皇陛下を重視することでしょう?
鈴木:確かにそうなのですが、実は右翼の思想上、それが難しい。例えば2.26事件で蹶起した将校たちは、昭和天皇の決断で処刑されました。(中略)...さらには、戦後に人間宣言をしたのも間違いだと思っている右翼はいるわけです。そうすると天皇のすべてが偉いのではなく、天皇の理念こそが正しいという考え方が出てくる。だからゾルレン(あるべし)としての天皇と、ザイン(ある)としての二つの天皇が存在するというわけです。これが極端にすすむと、ゾルレンの天皇を守るためには、ザインの天皇を殺してもいいとの暴論まで吐く人もいました。
(『いま語らねばならない 戦後史の真相』)

右翼の鈴木氏が、「ゾルレンの天皇を守るためには、ザインの天皇を殺してもいいとの暴論まで吐く人もいました。」と指摘しました。満洲事変の頃から、軍部には、この考により、自分達の政策を支持しない天皇は排除すべき、という動きが見られます。
(『日米開戦の正体』p487)

この孫崎氏と鈴木氏の対談は、平成の後期、現在の明仁上皇が憲法を遵守し、日本の民主主義を大切にしようとの姿勢を明瞭にされたのに対し、時の安倍政権、そしてそれと与する右翼を名乗る人物たちが、天皇のこの姿勢に抗する動きを見せたことが発端になっています。


安倍政権は一貫して憲法の改正を、より具体的には「緊急事態条項」の憲法への埋め込みを窺う姿勢を見せてきました。これは現憲法を戦前の帝国憲法に戻す動きと言えます。(この帝国憲法回帰の動きは現在も同様です。先日令和3年5月3日には菅首相が憲法改正と「緊急事態条項」への言及があった通りです。)

帝国憲法は国家元首を天皇と定め、「神聖にして侵すべからざる」現人神の天皇は、皇軍を統帥する定まりになっています。帝国憲法では絶対権限を有していると言っても過言でもない天皇、この天皇をひたすらに敬重し、おしいただくのが右翼思想のハズ。

旭日旗の小旗を持つ幼少期の昭和天皇(1902年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

ところが、現実には右翼を名乗る人物たちは、天皇が自分たちの思い描く姿と異なる姿勢を、つまり現憲法を遵守し、日本の民主主義を大切にする姿勢を見せれば、これを排撃する動きをとります。

天皇を敬重するはずが、天皇の思いや姿勢が気に入らなければこれを無視したり攻撃対象とする、この右翼のどう見ても矛盾したあり方と言動を「なぜなのか?」と孫崎氏は鈴木氏に問うたのです。

この孫崎氏の問に鈴木氏は決定的なことをコメントしたわけです。すなわち、右翼には「自分たちの理想の天皇を守るためには、その理想と外れた現実の天皇は殺しても良い」と主張する人間がいると言明したのでした。そして問題は、「理想のためには現実の天皇を殺しても良い」と暴論を吐く右翼は、現在のごく一部の「はねっかえり」だけではないということです。

この「理想のためには天皇も排除すべき」との動きや考え方は、既に満州事変の頃の軍部に浸透していたもので、それが連綿として現在まで続いているというのが孫崎氏の見解なのです。

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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第8話 ― 実験国家・満洲国の建国

 京都とは秦氏が作った都であり、京都=平安京=エルサレムです。
 さて、満洲建国の首都は「新京」と名付けられました。私などは字を見れば「新“京”?」「ああ、京か、新エルサレムだな」と、こうすぐに思ってしまいます。ただし「新京」と言っても「新しい京都(平安京=エルサレム)」とは限らないのでは?」との疑問があっても当然ではあります。
 ところが、“京”特産、“京”名物、“京”織物、“京”料理、“京”野菜、“京”間…等々、“京”の一文字がそのまま京都を示す事例は多いのです。新たな国の新たな首都を意味するだけならば「新都」でもいいのでしょうが、これだと都の個性が出ません。わざわざ「新“京”」としたのは、名付けた主体者が「京都」を意識し、その名称に触れた者に「京都」を連想させる意図があったように見受けられます。新たな“人造国家”満洲建国に求められる役割は、新首都「新京」の名称に込められていただろうと思う次第です。
 満洲国創設の動きは1904年に勃発した日露戦争、もしくはどう遡っても、1894年に勃発の日清戦争がその始まりと見るのが普通で、それは正しいでしょう。
 しかし、あえて言えばこういった数十年単位の構想のみで、満洲の建国が果たされていったわけでもないと思えます。満洲建国は世界統一国家のモデルとしてなされたと受け止めています。中国大陸にて世界統一国家建設に向けた「破壊と構築」のモデル実験は、満洲建国の数百年前からなされていたはずだからです。
 ミトラ・マイトレーヤのホワイト・ロッジの中国大陸への介入がそれであり、その具体例としては「1351年の紅巾の乱」まで遡れるでしょう。
 こういった数百年単位の動きの底流があって「新エルサレム」の実験を行うべく満洲建国がなされたと思えるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第8話 ― 実験国家・満洲国の建国

満洲皇族と八咫烏の関わり 〜「嵯峨浩」の出自


満洲国とは関東軍の傀儡国とも言えるのですが、それでもやはり、その国家元首は当然ながら重要です。清朝は満洲族が創建した国家でした。その清朝最後の皇帝が愛新覚羅溥儀であり、その溥儀が満洲国の元首として選定されたのです。

満洲帝国軍大元帥服で皇帝に即位する溥儀
Wikimedia Commons [Public Domain]

さて、満洲皇族たちの代々の居城が言うまでもなく紫禁城でした。清朝崩壊後もしばらくは満洲皇族たちは紫禁城にありました。この紫禁城に裏天皇・堀川辰吉郎の居住場所があったことは、大正編 第11話で見たとおりです。

落合莞爾氏によれば溥儀の摂政を勤め、清朝末期の満洲皇族の中心だったのが醇親王、この醇親王のはからいによって、満洲皇族との対応を担当した堀川辰吉郎が紫禁城内に居住場所を構えることになったようです。

この事実にたてば、満洲国設立にあたり清朝最後の皇帝溥儀が満洲国元首になったこと、これに堀川辰吉郎・八咫烏が関わっていないはずなどないのは全く明白です。

そして満洲皇族では、溥儀の弟の愛新覚羅溥傑も八咫烏絡みであるのが見て取れて興味深いです。愛新覚羅溥傑本人そのものよりも、その妻の出自に目を引かれるのです。

溥傑の妻が嵯峨浩」です。自伝『流転の王妃』を著した女性で、侯爵嵯峨家(公家華族)の長女とウィキペディアの「嵯峨浩」記事にあります。

ただし、嵯峨浩は嵯峨家の娘ではありますが、この記事の系図をみれば分るように、嵯峨浩は同時に中山忠光の忘れ形見の中山南加の孫娘でもあることが分かります。

中山家、嵯峨家、満洲皇族の系図
Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [Public Domain]

中山忠光とはいかなる人物であったか?

倒幕、そして明治維新を導いた中核組織が、八咫烏の政治組織として結成された「天忠党」でした。この天忠党の下部組織に「天誅組」があり天誅組の主将が中山忠光だったのです。

幕末期、中山忠光は天忠党総督・中山忠伊(光格天皇の皇子)の采配の元に決起挙兵、「大和天誅組の変」を起こします。しかし敗走し、長州に逃れ潜伏。ところが、そこで中山忠光は斬殺され、非業の死を遂げたのでした。

中山忠光は、五龍会の中心・黄龍会の初代総裁でもある中山忠能の息子でもあります。忠光は長州の地にて非業の死を遂げますが忘れ形見、中山南加を遺していたのでした。

この中山忠光の遺児である中山南加の孫娘が嵯峨浩だったのです。八咫烏の政治組織の重要人物で、かつ非業の死を遂げた人物の血流を引く女性が、愛新覚羅溥傑の妻となっているのです。

八咫烏は本来政治活動を行わず、それで八咫烏の政治組織として江戸期に結成されたのが「天忠党」でした。同様に五龍会も八咫烏の政治組織であり、五龍会とは「天忠党」の後継組織とも見なせます。

中華民国初代大統領の孫文も五龍会、とりわけ黄龍会の中山家とは深い関わりがありましたが、満洲皇族たちとも五龍会が深く絡んでいたのは明白でしょう。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第7話 ― 日本中心のNWO計画

 「満洲だ。満洲のことが分からないと日本のことは分かりはしない。」、いつしかこのように思うようになっていました。それは「日本を中心としたNWO計画があった。」、竹下さんのこの言葉に衝撃と驚愕を覚えてしばらくしてからの頃だったでしょうか。
 10年前、日本で福島原発を中心とした311テロが発生した時、すぐに人工地震と核テロを疑いはしました。「犯人はおそらくデイヴィッド・ロックフェラーたちか?」とも考えました。当時の私は、日本にも311テロのその協力者は当然いただろうが、それは命令を受けていただけで、日本は受け身の立場で犠牲を払わされたと考えていたのです。その後、竹下さんから前田ゴロウなる人物の存在と「日本を中心としたNWO計画」のことを知らされ、驚愕したのでした。
 それまでにも〈古代イスラエルの失われた十氏族が日本に到来。秦氏が古代イスラエル末裔。八咫烏=ハタ(秦)ガラス。京都=エルサレム。祇園祭=シオン祭り〉、こういったことは認識はしてはいました。それでも古代から地球全体を覆う陰謀、その一つの核に日本があったなどとのことは露にも思ってもいなかったのです。
 「日本を中心としたNWO計画? 日本中心のハルマゲドン…、ということは、京都が改めて世界の中心のエルサレムになる? うーん、どうも違う気がする、どこがエルサレムに?」、そうこう思いを巡らしているうちにふっと思い浮かんだのが満洲だったのです。
 満洲を新エルサレムとする「日本を中心としたNWO計画」が進行していたのでは?という考えは、私の中では徐々に強く揺るがなくなっていきました。別の言い方をすれば、約80年前の満洲国の設立とは、古代イスラエルの血流を引く裏天皇と八咫烏たちの計画と意図が潜んでいたと見受けられるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第7話 ― 日本中心のNWO計画

満洲国設立の背景 〜海外侵略路線は誰の意による?


1932(昭和7)3月1日に「満洲国」が設立されました。満洲国は第2話で見たように石原莞爾(第2話での石原莞爾に関する記述に誤りがあり訂正しています。)が主導したと見られる柳条湖事件を発端とした満洲事変からの設立となったのです。ウィキペディアの「満州事変」記事に、

1932年(昭和7年)2月初め頃には、関東軍は満洲全土をほぼ占領した。3月1日、満洲国の建国が宣言された。国家元首にあたる「執政」には、清朝の廃帝愛新覚羅溥儀が就いた。

とあるとおりです。

1931年9月の柳条湖事件後の約半年足らずで、関東軍は全満洲地域を占領し、満洲国が設立されたのです。関東軍は独自の判断でこの満洲事変を引き起こしています。この意味で、満洲国とは関東軍によって作られた国家(傀儡国)だとも言えます。

それでは改めて、その関東軍とはどういう性格の軍隊かと言えば、「デジタル大辞泉の解説」で次のようにされています。

満州に駐屯していた日本陸軍部隊。日露戦争後、関東州と南満州鉄道の権益を保護するために設置された関東都督府を前身とし、大正8年(1919)独立。

要は関東軍とは、南満洲鉄道(満鉄)のための軍隊と表現しても間違いがなく、それぐらいに南満洲鉄道(満鉄)と一体のものだったのです。

1945年における満洲国の鉄道路線図(赤-社線緑-北鮮線青-国線
Author:碧城 [CC BY-SA]
Wikimedia Commons [Public Domain]

大正編 第12話で見たように、満洲事変までには(張作霖爆殺を含む)それに先立つ満洲地域における関東軍の独走暴走がありました。そしてそういった関東軍の行動の裏には満鉄があったのです。

満鉄は、半官半民の形態を取った超巨大国策会社であり、明治の終わりから大正、昭和にかけて大日本帝国が海外進出に動き、侵略主義路線を具現化させていったこと、その中心たる企業体だったのでした。

満鉄は「中国東北部」を侵略・支配してきた大日本帝国の満洲地域における基幹部であり、中国支配のための橋頭堡でもありました。

そして明治編 第33話にて見たとおり、この大日本帝国の海外侵略路線の基幹部となる巨大国策会社の満鉄を、そして満鉄を用いての満洲の経営・植民地化の絵図を描いたのが杉山茂丸でした。

杉山茂丸は、落合莞爾氏によれば玄洋社の実質の社主であり、八咫烏直属の五龍会の一角である白龍会の初代総裁です。

つまり大雑把には、満洲国設立とは関東軍・満鉄の動きによるものであり、その背後には裏天皇・八咫烏の存在が非常に色濃くがあったということです。

また、玄洋社について付け加えると、玄洋社は満洲の地に「満洲義軍」を組織し、日露戦争の際には後方支援部隊としてロシア軍に打撃を与えています。日露戦争を終結させたのも玄洋社の明石元二郎の諜報工作が大でもありました。

頭山満(前列中央)と満洲義軍の幹部となった玄洋社メンバー(明治37年)
呉竹会_頭山満 [Public Domain]
玄洋社:戦前、戦中期にかけて軍部・官僚・財閥、政界に強大な影響力を持ち、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦そして第二次世界大戦と日本の関わってきた数々の戦争において情報収集や裏工作に関係してきた。(ウィキペディアより)

日本の海外進出・侵略、大東亜共栄圏構想の背後には、裏天皇・八咫烏の計画と意志があり、とりわけ満洲にはそれが大変に強く働いていたと言えるでしょう。

こうした視点に立つと「関東軍の独走暴走」という表現に違った意味も現れても来ます。

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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第6話 ― ヒトラーの背後の存在たち

 『永遠なるヒトラー』の「はじめに」に、ヒトラーが居住し執務をしていた場所が記されています。

彼はベルリンではなくオーバーザルツベルクの山荘にあって、山麓と森に囲まれて執務する。さらにはまた、岩を爆破して作られた山道を登り、エレベーターに乗って、山荘のはるか上に作られた水晶宮とよばれる山頂の家でも...(以下略)

ヒトラーは都会を離れ、山中で居住し執務を取っていたのです。
 なるほど、常人とはかけ離れた発想や思考行動が生み出された秘密の一端がここにもあったのだと知らされます。
 自然に囲まれた山中でインスピレーションを得るためもあったでしょう、ヒトラーは自己と対峙すると同時に、霊存在や宇宙人グループとも交信していたと思われます。ヒトラーは霊媒体質でもあったのです。
 前回の編集者さんの時事ブログからの引用で、
彼に憑依していた霊の集団が、SSP(秘密の宇宙プログラム)を主導してきた
ヒトラーには、ブラック・ロッジ(闇の館)の大主の1人が憑依していたため、ヒトラーの予言は、そのほとんどが実現
と明かされていました。
 ヒトラーにはブラック・ロッジの太守や霊集団(宇宙人グループ)が憑いてもいたわけです。ヒトラーの背後には彼が所属するブラック・ロッジの存在があったわけです。そして、そのヒトラーは第2次世界大戦を勃発させ、SSP(秘密の宇宙プログラム)を進めていったのです。
 ただし、これはヒトラーとナチスその背後のブラック・ロッジのみで発動し、進められたわけでは決してありません。救世主を装うホワイト・ロッジ、そしてそのホワイト・ロッジの宇宙人グループである「銀河連合」なども複雑に絡んでいるのです。
 違う言い方をしましょう。第2次世界大戦を導いたのはホワイト・ロッジもあります。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第6話 ― ヒトラーの背後の存在たち

ヒトラーの師カール・ハウスホーファー 〜「ヴリル・エネルギー」の探求


ヒトラーが見ていたのは、超人や神人とも称される「“新人類”の創造」を主導することでした。そしてそれを実現する鍵となるのが「聖杯」であり、性錬金術でした。

性錬金術によるクンダリニー・エネルギーの上昇がそれとなります。クンダリニーエネルギーを彼らの使う別の言い方をすると「ヴリル・エネルギーです。


地上世界の救世主たる自覚を強く持っていたヒトラー、ヒトラーをこのように師匠として導いたのがカール・ハウスホーファーでした。

カール・ハウスホーファーは地政学者でしたが、それ以上にオカルティストであり、エドワード・ブルワー=リットンの小説『来るべき種族』に傾注していました。小説に登場する地底民族ヴリル・ヤが駆使する「ヴリル・エネルギー」に着目したのです。

ハウスホーファーは1918年に「ヴリル・エネルギー」の獲得を目指しヴリル協会を設立していますが、彼の「ヴリル・エネルギー」の探求はそのずっと以前から始まっていました。チベットを訪問しラマ僧の集団に接触し、また日本の緑龍会にも入会しています。

こういったハウスホーファーの動き、そしてハウスホーファーとヒトラーとの接触、そしてヒトラー政権誕生までの簡単な年表が、大正編 第7話に記した以下のものです。

*1908年直近 カール・ハウスホーファー、ラマ僧から奥義を授かる。
*1908〜10年 カール・ハウスホーファー、日本に駐在し、この期間に緑龍会に入会。
*1918年 トゥーレ協会、ヴリル協会設立される。
*1919年 ヒトラー、トゥーレ協会に潜入。ナチ党結成へ。
*1921年 カール・ハウスホーファー、ヒトラーと出会う。
*1923年 ハウスホーファー、ミュンヘン一揆で収監されたヒトラーと『わが闘争』を共同執筆。
*1926年〜 ナチス、チベット奥地への探検隊派遣開始。
*1933年 ヒトラー政権誕生。

ヒトラーはハウスホーファーと出会う前の青年期からワグナーに傾倒し、食費を削ってまでもワグナー作品の鑑賞にでかけていました。特にヒトラーがワグナー作品の中でも注目したのが「聖杯伝説」でした。

そのヒトラーがハウスホーファーと出会うのは、ヒトラーがトゥーレ協会に軍の命令で潜入し、ナチ党が結成され、その総統(フューラー)になった後間もなくのことでした。

ハウスホーファーがヴリル協会を設立した1918年にはトゥーレ協会も結成されていますが、ハウスホーファーはトゥーレ協会の会員でもあったのです。

ハウスホーファーと出会ったヒトラーは、ハウスホーファーが説く内容「ヴリル・エネルギーを獲得・駆使するものがこの世界を制覇・支配する。そしてヴリル・エネルギーを本来駆使していたのがアーリアン民族。アーリアン民族がこの世界の支配者となる。」を強く確信します。

それで1926年から1942年までナチスはチベットへ毎年調査団を派遣し、チベットのあるラマ僧組織と強固な繋がりを持つようになったのです。

ナチスがチベットに派遣した調査団(1938年)

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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第5話 ― ヒトラーの「聖杯」

 超壮大にして美麗な「聖杯神殿」をヒトラーは設計していました。そしてヒトラーは、その「聖杯神殿」を中心にした世界首都ゲルマニア計画を立てていた、と『ヘブライの館2』「ヒトラーの超人思想」の中で明かされています。そして実際にそのヒトラーが設計した「聖杯神殿」と世界首都ゲルマニアの模型の写真が載せられています。
 ヒトラーはこの「聖杯神殿」と世界首都ゲルマニアのことを、ベルリン陥落の最後の日まで気にかけていたとのことです。ヒトラーの思想と行動、その元には核心部分があり、その核心を理解する鍵となるのが「聖杯」ということです。
ヒトラーの超人思想」の中では続いて次の記述があります。

ヒトラーの死後、側近の一人は次のようなことを語っている。

「ヒトラーの目的は“支配者の種族”の確立でもなければ、世界の征服でもなかった。これはヒトラーが夢見た大事業のための単なる『手段』にすぎなかった。
 ……ヒトラーの真の目的、それは“創造”を行うことである。神の事業を、つまり『生物学的変異』を実現することにあったのである。この結果、人類は天上に昇ることになろう。
いまだかつて前例を見ない半神半人の“英雄現出”こそ、彼の究極の目的だったのである」

超人もしくは神人とも表現される“新人類創造”こそが、ヒトラーの思想理念と行動の核心部分だったと見て間違いないでしょう。そして“新人類創造”の鍵となるのが「聖杯」だったのです。

「聖杯」とは何か?「ヒトラーの超人思想」の中で「聖杯」の一般的であろう認識が次のように示されています。

「聖杯」とはイエス・キリストが最後の晩餐で用いた「聖なる杯(さかずき)」であり、十字架から滴る彼の血を受けたものである。この失われた「聖杯」の伝説は、「アーサー王伝説」の中心的主題の一つとして広まり、イエス・キリストを刺したといわれる「ロンギヌスの槍」と合わせ、ともに失われた2つの秘宝を手にする者は、地上世界の支配者になれるといわれた。

 しかし、この「聖杯」の一般的な認識は皮相部分であり、本質ではないことは過去既に縷縷示してきました。「アーサー王伝説」で騎士たちが探し求める「聖杯」とは、実は「マグダラのマリアだった。」というべきでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第5話 ― ヒトラーの「聖杯」

ヒトラーの天才部分=理解不能の秘密 〜多種万能の才能を示すヒトラー


邦題『永遠なるヒトラー』の原作者ヘルマン・ラウシュニングは、1934年、家族を国外へ逃した後に、自身もゲシュタポからの銃の乱射を受けながら国外逃亡し、イギリスへ亡命。

邦題『永遠なるヒトラー』はアメリカへ落ち着いてから書き始め、1939年末に出版されたものです。

ラウシュニングが国外逃亡したのはヒトラーへの恐怖心からだったのですが、その彼をしても、ヒトラーの抜きん出た万能の才能については次のように記しています。

彼は企画し、改良し、設計図を描く。実際、彼はモデル設計家であった。否定することのできぬ才能をもっていた。賞賛者たちの目には、彼は、どんなこともできるようにみえた。彼は万能の人であった。あらゆる分野に刺激を与えた。建築家・将軍・学者・詩人・政治家・経済学者等、皆が、それぞれの仕事に役立つ決定的なアイディアを、ヒトラーから受け取っていた。ロヤルマール・シャハトが告白しているように、ヒトラーのもとを辞去するときは、だれもが、解放され、元気づけられて仕事にもどることができるのであった。
(『永遠なるヒトラー』p323~324)

ヤルマール・シャハト
Wikimedia Commons [Public Domain]

ここに出てくるヤルマール・シャハトですが、1923年12月からドイツ中央銀行の総裁を勤めた人物です。彼は1930年に一旦はドイツ中央銀行総裁の職から離れ、ナチスと接近。そして1933年のヒトラー政権下で再びドイツ中央銀行の総裁を任じていった人物です。

本籍は国際銀行家の一員と見なせるシャハトもまた、銀行家のシュローダー男爵と同様にヒトラーに魅了された人物の一人だったのです。

様々な方面にも深い造詣と才能を示したヒトラー、その素顔に関してナチス崩壊時にヒトラーと結婚したエヴァ・ブラウンの日記が興味深いです。『ヘブライの館2』の「アメリカの極秘文書が伝えるヒトラーの意外な素顔」に出てくるその日記によると、ヒトラーは女性の美容に関しても達人の域にあったようです。

そしてこの日記によると、ヒトラーは非常に繊細内気で理解不能の秘密を隠し持っていたと記しています。

また、ヒトラーの語ったことはそれがどんな奇天烈に思えようと実現していくという意味のことを記しています。事実ヒトラーの予言はそのほとんどが実現しています。ラウシュニングも次のように記しています。

ヒトラーが、談話の中で、まだ将来の目標、おそらくは、はるか彼方の目標として示唆していたことが、その後、数年たった今、不気味に、目標をあやまたず活動しはじめている
(『永遠なるヒトラー』p321)

ヒトラーには遠い未来のことまでもはっきりと視界に入っていたようです。これが彼の天才部分であり秘密部分でもあったでしょう。これは多分ヒトラーが20歳そこそこから練り上げてきた思想理念であり、その核心部分とは「新たな人類(超人・神人)の到来」になるでしょう。

実は彼(ヒトラー)は予言者だったのです。今の時代に超人が現れること、人類が2分化することを予言していました。これは彼に憑依していた霊の集団が、SSP(秘密の宇宙プログラム)を主導してきたからだと思います。
(中略)
予言が当たるというのではなくて、予言をしたグループがその予言が実現するように自ら行動しているわけで、その計画から彼らの邪悪さが推し量れます。
2017/11/07 時事ブログ)
当時のヒトラーには、ブラックロッジ(闇の館)の大主の1人が憑依していたため、ヒトラーの予言は、そのほとんどが実現しています。予言という形でヒトラーはヴィジョンを見せられたのだと思いますが、これは彼らの計画でもあります。
2021/03/15 時事ブログ)

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