国民の生と死まで支配管理する国家神道 〜実験カルト国家皇国日本
改めて、の内容をしばし記します。
「
死して護国の鬼と誓いし…」、このフレーズが入った軍歌「元寇」は
1894年から始まった日清戦争の少し前に作られ、戦意向上のため戦時中に盛んに歌われたとされます。
「死して護国の鬼となる」。これは皇国日本における美しいフレーズとして日本国民に刷り込まれたものですが、美しいどころか非常に恐ろしいフレーズです。
「護国の鬼」とは辞書に「国をまもるために命をすてた人。戦死した人」とあります。国のため戦死することを「自ら誓う」という形にして、国民に戦死という最大限の犠牲を強いる歌詞なのです。
それだけではなく「鬼」とは「鬼神」のことです。
日本 明治編第1話に記しましたが、
鬼神とは成仏させてもらえない「荒御魂」で招魂祭と一体です。
非業の戦死をした「荒ぶる魂」を招魂 し、「護国の鬼神」となすのがこの歌詞の意味です。
日本国民に生前はその生命を「お国のため」として戦死の犠牲を強いる。しかも死後も鬼神として自らの都合の良いように利用するのです。
この国民犠牲からの利益を得るのは国家を管理する支配者達です。
国家の支配層が日本の国民を生きている時のみならず、死んでからも永遠に支配管理する、これが皇国日本の思想だったのです。
明治早々に建設されていった東京招魂社(後の靖国神社)を代表とする「護国神社」群、これによって成立した国家神道と皇国日本、それに軍国主義日本帝国は一体のものです。
靖国神社など招魂社をもとにする護国神社は、それまでの伝統的神道の神社とは全く異質なものです。
国家神道とは新興宗教であり、カルトといって差し支えないでしょう。
日本国民の生と死までも支配管理するのです。日本国家そのものがカルトに嵌まり込んだのです。
事実として、日本ほど
自国兵士の生命を極端に軽視して、使い捨ての消耗品とした国は無いでしょう。そうやって国民の生命とその死さえも利用管理しようとしてきたこの国家姿勢、並びに日本支配層の本音は、決して単に過去のものではないことは多くの方が気づいてきている通りです。
近・現代編の
第3話、
第4話、
第5話で、
ナチス・ファシズム、ソ連革命共産主義、イスラエル建国のそれぞれが、世界統一政府樹立に向けた実験だったと記しました。この実験によって無数の悲惨な犠牲者が生まれました。
しかしその凄惨な犠牲者たちであってさえも、死後までは支配管理の檻の中に閉じ込められはしなかったでしょう。
ところが日本は違っていたのです。明治以降の日本も世界統一政府樹立に向けた実験国家であった点は同じでしょうが、
日本の場合は悲惨な犠牲者を出しただけでなく、その死さえも管理・利用したのです。
日清戦争の日本兵(1895年)
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第66楽章は、世界は主観でできている!?(カントの哲学より)です。