米国の闇の金融戦闘史 〜ロスチャイルドと大統領の闘争
1913年のADL創設によって、米国での情報支配は完全になったと
前回指摘しました。そして
1913年に「情報支配」だけでなく「金融支配」による米国の「乗っ取り」支配も完成したといえるでしょう。
1913年末、実質の米国中央銀行であるFRB(連邦準備制度)が創設されたのです。
米国の歴史とはその始まりから通貨発行権をめぐる暗闘、つまり「金融支配」の抗争の歴史でもあったのです。
植民地アメリカは長期に渡り、豊かに活況の様相を見せていました。
その秘訣は独自通貨コロニアル・スクリプ(植民券)の発行にありました。
しかし、そのコロニアル・スクリプ(植民券)の発行権をイギリス東インド会社の所有者たちに奪われ、植民地アメリカは大不況に陥ってしまったのです。
ここでポジティブなテンプル騎士団の流れのフリーメーソンたちが独立の決意を表しました。
通貨発行権を奪われたのが米国独立革命戦争の主因だったのです。
ただし、独立国米国の成立も通貨発行権をめぐる闇の戦闘史の一通過点に過ぎませんでした。
米国の通貨発行権の独占を目論み、侵略攻撃に取り掛かった主力が初代ロスチャイルドを始めとするロスチャイルド一族です。
この侵略攻撃に敢然と立ち向かったのがアメリカン・フリーメーソンの米国歴代大統領たちでした。
この金融戦争、米国初代大統領ジョージ・ワシントンの就任式が行われた
1789年の僅か2年後の
1791年には、工作員アレグサンダー・ハミルトンなどを通じ、
米国中央銀行「第一合衆国銀行」が、初代ロスチャイルドの目論見通りに創設されました。
しかしこの米国中央銀行は、主にトーマス・ジェファーソン大統領によって廃止されました。…と言っても「第一合衆国銀行」廃止も金融闘争史の一頁に過ぎません。
この後ネイサン・ロスチャイルドは、勃発させた米英戦争を利用して 「第二合衆国銀行」を1816年に成立させます。これに対し米国大統領も反撃します。
アンドリュー・ジャクソン大統領は暗殺攻撃を跳ね返し、
1836年にこの中央銀行を米国から締め出すのに成功したのでした。
このように米国では、ロスチャイルドと米国大統領の激しい金融戦争が闇で繰り広げられたのです。この闘争の流れの帰趨がほぼついたのがアブラハム・リンカーン大統領時でしょう。
南北戦争でアブラハム・リンカーン大統領は、画期的な政府通貨グリーン・バックスを発行します。グリーン・バックス、これは銀行家の息の根を止めることのできる超絶ツールです。
しかし反面、グリーン・バックス発行のため、リンカーンは致命的な譲歩を銀行家にせざるを得なくもありました。
1863年の「国立銀行法」の制定がそれで、これによって アメリカの貨幣発行と政府債はセットになり、借金でしかドルは発行できなくなったのです。
更にこの「国立銀行法」を廃止しようとしていたはずの
リンカーンは、1865年に暗殺されてしまったのです。
これで金融戦争の流れはロスチャイルドの勝利でほぼ決まりました。
編集者訳:
☑アメリカ南北戦争(内戦)は、銀行エリート・ロスチャイルドによって仕組まれたものだった。
(中略)
☑エイブラハム・リンカーンは、国際銀行家に対するその防御資金を調達するために「グリーンバック」を発行することによって、アメリカのこの破壊に立ち向かった。
☑無利子で後に金(きん)に償還可能に。政府印刷。
☑銀行家たちはこれに我慢できなかった。 南軍降伏の5日後の1865年4月14日、リンカーンは
ゴールデン・サークル騎士団の一員であるジョン・ウィルクス・ブースに暗殺された。
☑註:「奴隷制」は戦争の背後にある原動力ではなかった。主な問題は、すべての戦争と同様に、誰が銀行と貨幣供給をコントロールしたかということだった。
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いざ取り組んでみると、本当に難しくて、複雑で、想像以上でした。
それでも、これまで日本政府が世界から隠してきたこと、無かったことにしてきたことが、「ウポポイ」をきっかけに、表出されたらいいな、と思いながら書きました。