息子を守るために私はいる
第10楽章
国境はいらない、311移民の物語
(2011年の3月11日 14時46分からはじまった命を守る物語)
息子は、へその緒が巻きついたので
緊急帝王切開で生まれた。
名前をつけるとき、瞬間に思いました。
どんな時代になったとしても、
生き延びることができる人になってほしい。
どんなことがあっても、息子を守るために
私はいるのではないかと。
まさか、そんな時代が10年後に本当にやってくるとは、
夢にも思っていませんでした・・・。
2011年 3月11日 14時46分。
日本が転換期を迎えた日かもしれない。
静かなる戦争が始まったと考えても
良いのかもしれない。
あの地震はびっくりするものでした。
60階のビルが、
目撃した方によると、ぐねっとまがったと・・。
3月11日から、なんか、胸騒ぎのような
ざわざわする感覚がずっとありました。
テレビの津波の映像を見て、
感覚がおかしくなりそうでした。
お米を買わなければ、水を買わなければと
振り回されました。
外国人が成田空港に殺到している??
3月14日の夜、検索をして、初めて気がつきました。
すべてのことが、わかりはじめたのです。
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独逸の伯林からいろいろな国の
難民、移民の方たちを書いてきました。
しかし、2011年から、本当に移民すべきだったのは、
日本の東側の人たちではなかったのか・・。
7年間、私はそんな思いで過ごしてきました。
気がついた方、その場から動けなかった方・・・
私たちは、どう生きていけばよいのか・・
問われているのかもしれません・・。