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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第24話 ― 自殺行為の何故?
儀式的自殺?のハウスホーファー
ヒトラーの師匠として、1920年代から30年台にドイツを導いていたのがカール・ハウスホーファーです。しかし、ハウスホーファーとヒトラーの関係は徐々に悪化、ヒトラーがソ連に侵攻したことで、ハウスホーファーとヒトラーは完全に袂を分かつことになったようです。「ナチスとチベットの妖しい関係」記事には以下のようにあります。
ヒトラーが彼の地政学的主張を無視する形でソ連侵攻を開始(1941年6月)すると、ハウスホーファーのヒトラーに対する影響力は決定的に低下したのであった。
※ このハウスホーファーとヒトラーの関係悪化の状態は、ずいぶん前から始まっていたようで、1937年にハウスホーファーが日本に再来日した際には、ナチス本部から日本支部に秘密指令が出されており、その内容は「彼の歓迎を極力控えるようにし、しかも滞日中の動静を逐一ベルリンに報告するように」というものであったという。
※ このハウスホーファーとヒトラーの関係悪化の状態は、ずいぶん前から始まっていたようで、1937年にハウスホーファーが日本に再来日した際には、ナチス本部から日本支部に秘密指令が出されており、その内容は「彼の歓迎を極力控えるようにし、しかも滞日中の動静を逐一ベルリンに報告するように」というものであったという。
1933年に政権を握ったヒトラーは、1938年にオーストリアに侵攻・併合。1939年にはポーランドに侵攻し、これが後の第2次世界大戦に発展します。進撃を開始したナチス・ドイツは破竹の勢いで欧州を席巻していきました。
しかし、このナチス・ドイツの快進撃を暗転させたのが1941年のソ連侵攻でした。事実、スターリングラード攻防戦(1942年6月~43年2月)の敗北によって、ナチス・ドイツは壊滅の道に入り、反転させることはできませんでした。結果的に見るとハウスホーファーの見解のほうが正しかったとも言えます。
ヒトラーのソ連侵攻作戦(バルバロッサ作戦)
Author:Dhammika111 [CC BY-SA]
この後のハウスホーファーですが、1944年のヒトラー暗殺計画にハウスホーファーの息子アルブレヒトが関与していたとして、アルブレヒトは処刑されます。ハウスホーファーはこの息子の件と妻がユダヤ系であったということで、ドイツにおける全ての権限が剥奪され、ナチス当局からは監視され、軟禁状態に置かれたりしたとのことです。
そして、ナチス・ドイツ崩壊後のハウスホーファー。
このハウスホーファーの自殺、これは「ナチスとチベットの妖しい関係」では、次のように緑龍会の関係からであったとの見解を示しています。
個人に課せられた使命に失敗すれば、「緑龍会」の会員には儀式的な自殺が求められていたという。実際、ナチスの「使命」に失敗したあと、ハウスホーファーがやったのもまさにこれだった。
この見解はこの通りでしょう。「ナチスとチベットの妖しい関係」では、ナチス・ドイツ崩壊で廃墟と化したベルリンで、儀式的自殺をしたチベット人たちの様子を描いています。
7人の男の死体を眺めた。円の中央にあおむけに倒れている男の両手は祈るようにしっかり組まれていた。その手には不気味な「緑色の手袋」がはめられていた。しかし何より彼らを驚かせたことには、男の顔がまぎれもなく東洋人、それもチベット人のものだったことである。中央の男ばかりではなかった。ドイツの軍服を着てはいるが、周りの男たちもみなチベット人であった。
(中略)
チベット人たちは、殺されたのではなく何らかの儀式的な自殺を図ったらしいということだけだった。
Author:Yevgeny Khaldei [CC BY]
さらに「ナチスとチベットの妖しい関係」では、ナチス・ドイツが崩壊するも、最後まで激しい抵抗をしたのがチベット人たちで、その1000人を超える彼らが最後に儀式的自殺をしたというのです。
このチベット人たちは緑龍会と関係深い「緑人結社」の人物たちで、緑龍会のハウスホーファーも彼らと同様に自殺したと見受けられます。
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大東亜戦争では、その真の首謀者である裏天皇の戦争目的の第一義は「黄金収奪」にあったのは明確です。しかし戦争の勝利については、裏天皇がどこまで本気だったのか?がよくわからないのです。少なくとも緑龍会は戦争の勝利を期して、その司令を配下に下していたはずですが……。
日本と同盟を組んでいたナチス・ドイツの謎、ヒトラーはその構想を練って準備が整ってからオーストリアに、ポーランドに侵攻していると見受けられます。つまり、ヒトラーは本気で戦争に勝利しようとしていたはずです。
しかしそのヒトラーの行為の中で、多くの人も疑問に感じているのがソ連侵攻です。元来のヒトラーの構想から見れば合点できる部分はありますが、やはり無謀な部分も大きく、疑問が残るのです。自殺行為となったからです。
ヒトラーの師匠で日本とドイツの架け橋となっていたハウスホーファーも、ソ連侵攻など無謀と断じていたのです。そのハウスホーファーもナチス崩壊後に自殺しますが……。