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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 大正編に先立って(下)

 八咫烏を名乗る人物や裏天皇の周辺にいるであろう人物は、私の知る限りでは、口を揃えてアベシを「國體総理」だと語っていました(ここ数年は分かりませんが…)。彼らにとってアベシは、日本国のことをよく考え正義を遂行する総理であった模様です。日本の一般国民とは随分と認識がズレてはいるのですが…。
 安倍政権は対中国戦争を企図して出来上がった政権なのですが、「國體総理」という言葉から対中国戦争を含めて、安倍政権が何のために作られた政権なのかが推定出来ます。
 明治期、天皇は國體天皇と政体天皇に分かれました。國體天皇として裏に回ったのが睦仁親王で、その跡を継いだのが堀川辰吉郎です。睦仁親王が考えていたこと、それは明治編31話に記した「頭山満のアジア主義」に現れているでしょう。
 ざっとは“日本が欧米支配から脱却したアジア共栄圏を構築し、日本は国際的地位を高め、英国から独立、世界に君臨”こんなところかと思います。これは頭山に預けられた堀川辰吉郎も引き継いだでしょう。
 ウィキペディアのその記事では「大東亜共栄圏」とは「日本・満州国・中華民国を一つの経済共同体(日満支経済ブロック)とし、東南アジアを資源の供給地域に、南太平洋を国防圏として位置付けるもの」とあります。
 安倍政権の対中国戦争への企図、それは地域的にはほぼ当時の「日本・満州国・中華民国を一つ」に、いわばネオ満洲国の設立、これが安倍政権発足の目的であったと思います。
 現在は不明ですが、つい最近まで彼らの頭の中身は百数十年変わっていない模様だったのです。いずれにしても、一般日本国民は全くあずかり知らず、その意思や思いが反映されない構想ではあったのですが…。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 大正編に先立って(下)


安倍政権の軍事志向の歩み 〜歴史的にはクーデター政権


「日本国憲法は核兵器の保有を禁じていない」、これは2015年夏の安保法制を巡って紛糾する国会での横畠内閣法制局長官の答弁です。国会中継を見ていて思わず仰け反りそうになったのを思い出します。
横畠内閣法制局長官は更に、2016年の3月の国会では核兵器の使用を憲法は禁止していないとまでの発言をしています。

「核兵器の使用」横畠裕介・内閣法制局長官の答弁記録 3/18参院・予算委員会 16/3/18

長らく日本の「法の番人」と言われたのが内閣法制局でした。しかし内閣法制局は、既に法の番人どころか安倍暴政の番犬と化してしまって現在に至っています。

安倍政権発足からわずか半年余りの2013年8月、安倍政権はその意向で、全く異例にも小松一郎駐フランス大使を畑違いの内閣法制局長官に就任させました。これが内閣法制局の破壊の始まり、つまり法治国家破壊の本格的な始まりでした。小松内閣法制局長官は就任時のインタビューで、集団的自衛権の行使を禁じているとの憲法解釈を積極的に見直す考えを明らかにしたのです。

異例・・・法制局長官に小松氏 集団的自衛権見直し向け(13/08/02) 2013/08/01

横畠長官は小松長官の後継です。従来からの行政組織の仕組み等を破壊しながら、戦争国家への道を走っていった安倍政権の発足からの歩みをざっと振り返ってみます。

2012年 12月 第2次安倍政権発足。
2013年 12月 特定秘密保護法成立、国家安全保障会議(NSC)発足。
2014年 4月 武器輸出3原則廃止
消費税率8%に引き上げ。
5月 内閣人事局が発足。
7月 集団的自衛権行使閣議決定
2015年 9月 安全保障法制成立
2017年 6月 「共謀罪」法成立

人間かまくらってこれだ!(字幕付き) 15/12/21
編集者註:2015年9月17日の参議院平和安全特別委員会で、与党議員らによる「人間かまくら」で、安保法制が強行採決されたときの一部始終

突然の民主党野田政権の「自爆解散」から誕生したのが安倍政権でした。敗戦後の日本は戦争放棄の平和国家そして建前の外見上ではありますが法治国家・民主主義国家として歩みを進めてきました。その敗戦後の日本の歩み全体から見れば、安倍政権は実質としてのクーデター軍事政権であることが確認できるでしょう。

そして偶発的にクーデター軍事政権の安倍政権が誕生したわけではありません。歴史に偶然などほぼ無いのです。計画・準備された上で裏天皇内閣である安倍政権が誕生しているはずなのです。

いつからその計画が作動していたのか? 遅くともその動きは2008年秋には具体化していたでしょう。

ウィキペディアに田母神論文問題」とされる事件がありました。2008年10月に田母神俊雄航空幕僚長が「日本は侵略国家であったのか」を発表。ところが現役自衛隊トップの論文のその内容が「政府見解に反する」ということで大問題になり、田母神氏が更迭され退官となった事件です。

この田母神事件が、実はクーデター軍事政権の安倍政権誕生に向けた動きの一つの現れだっただろうと見ています。表向きは現役自衛隊トップが政府見解に反する論文を公開したため更迭となっていますが、事実としては隠された裏があったはずなのです。


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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 大正編に先立って(中)

 この8年間でより一層ボロボロの衰退国家となってしまった日本。「日本を立て直していくにはどうしても安倍政権の総括を行う必要があるな。そのためには安倍政権とはいかなる政権であったのかを理解せねばならず、そうとなると安倍政権がそこから人脈と金脈を引き継いでいたであろう岸信介を…」、ぼんやり考えながらふと気づきました。現在の日本で「岸信介」と言っても知らない人がほとんどではないのか?と。
 ふむ、それはそうなのです。私自身が「岸信介」の活字は目にしてきてはいたものの、その「信介」を「のぶすけ」と読むのを確認したのはつい最近のことなのです。岸信介は生活の中で耳にすることもない名前で、意識にのぼらないので知らなくて当然なのです。
 岸信介とは安倍晋三前首相の祖父です。彼は山口県田布施村を本籍にするいわゆる田布施族で、太平洋戦争前に満洲でその辣腕を振るった高級官僚でした。「満洲人脈」を築き暗躍した彼でしたが、敗戦後はA級戦犯として巣鴨プリズンに収監されます。しかし、巣鴨プリズンを無罪放免となった彼は総理大臣にまで登りつめたのです。
 岸信介と同様に、A級戦犯として巣鴨プリズンに収監されながら無罪放免となった人物の一人に笹川良一がいます。笹川は笹川財団(現在の日本財団)会長となった人物ですが、前回の裏天皇・五龍会情報絵図を見れば緑龍会の総裁、つまり裏天皇に仕える大幹部だったのが確認できます。
 岸信介もまた裏天皇に仕える大幹部の一人だったでしょう。孫であるアベシはこの岸信介を受け継いでいるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 大正編に先立って(中)


裏天皇内閣であった安倍政権 〜アベシと赤龍会の結びつき


安倍政権は裏天皇内閣だと、竹下さんから幾度も指摘がありました。前回の裏天皇・五龍会情報絵図を改めてご覧ください。

八咫烏および五龍会の歴代総裁と五龍会直属の秦氏系企業(一部)

五龍会の中心である黄龍会に所属している組織神社本庁日本会議があります。安倍内閣の閣僚のほとんど多くが神道政治連盟国会議員懇談会、そして日本会議国会議員懇談会のメンバーでした。アベシ本人が神道政治連盟国会議員懇談会の会長であり、アベシと麻生大臣が日本会議国会議員懇談会の特別顧問です。

ここからも、安倍内閣が裏天皇に仕える五龍会の中心である黄龍会の強い影響のもとにあったのが分かります。

安倍首相が本当に仕えているのは裏天皇であり、彼を中心として日本会議、神社庁、右翼はもちろん、統一教会、北朝鮮まで一体になっているわけです。(中略)...本質は裏天皇内閣と言うべきかも知れません。
これまでこのグループは日本の独立はもちろんのこと、NWO(新世界秩序)と戦うため、ブッシュ・ナチ陣営と激しい戦いを繰り広げて来ました。そういう中で、日本から救世主が現れるというのが、彼らのグループに属する日月神示の予言なのだと思います。
2014/11/28 時事ブログ)
要するに、今の政権は(贋の)裏天皇内閣なのです。神道政治連盟の現在の会長を含め、日本会議の役員の名を見ると、(贋の)裏天皇に直接あるいは間接に仕えている人物がどのような人間で、どのような団体であるかが手に取るようにわかります。
2014/12/25 時事ブログ)

それではアベシ、李晋三とも称される安倍晋三前首相が黄龍会に所属していたのか?と言えばそれは違うでしょう。アベシは、岸信介の孫であり、長州田布施族の流れを汲む上に、今回は取り上げませんが李晋三と称されるように朝鮮半島の王族の血流を受けているようで、特別な位置づけになるかも知れません。


そのアベシですが、そこに所属していたかどうかは分かりませんが、アベシが五龍会の中で最も密接な関係にあったのは赤龍会となるでしょう。裏天皇・五龍会絵図に示されているように、赤龍会の現在の総裁は今井尚哉氏です。アベシの筆頭秘書官を第2次安倍内閣から勤め「影の総理」とも称される彼です。アベシと今井氏は第1次安倍内閣からの密接な関係です。

更にウィキペディアの彼の記事の中に「第1次安倍改造内閣退陣後も、長谷川榮一とともに安倍を高尾山登山に誘うなど、今井と安倍は交流を深めた」ともあります。

第1次安倍政権、突如「投げ出し退陣」を行ったアベシは、当時再起不能とも言われていたのです。その傷心の落ち込み状態にあったアベシに声を掛け、再起を促していったのが今井尚哉氏ということです。アベシと今井氏は非常に固い結びつきにあったわけなのです。

このアベシと今井氏に関して竹下さんは9月25日記事で以下のコメントをされています。

日本のディープステートは、これまで態度をはっきりさせなかったのですが、ようやくトランプ大統領とQグループ側につくことを決めました。あべぴょんが、仮病を使って総理の座を降りたこと、影の総理で親中派だった今井尚哉氏が、菅内閣発足で退任したことからも、この事が分かると思います。

確かに今井氏が親中派であり、安倍政権を親中政策に導いたのはウィキペディアの彼の次の記事でも確認できるでしょう。

戦略国際問題研究所(CSIS)が2020年7月に作成した報告書「日本における中国の影響力」は、今井が安倍首相の対中政策に大きな影響力を持つ人物であり、中国が主導する一帯一路構想やアジアインフラ投資銀行に融和的姿勢を取るよう、安倍首相を説得してきたとしている。
参考:このCSISの報告書の持つ重要な意味について、馬渕睦夫氏がこちらで解説されています。

こう見ると安倍政権の「影の総理」であり、政権を親中政策に導いた今井氏は、現状況では“悪”と見做されそうですが、この点は少し注意が必要だと思えます。


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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 大正編に先だって(上)

 明治期のことはこれからも必然的に折々に振り返ることになりますが、明治編は第36話をもって終了し、大正編に移行していきたいと思います。ただしその前に…。
 八咫烏の起源は古代イスラエルにあり、八咫烏の問題は必然的にユダヤ問題となります。実は八咫烏に関する驚愕の情報を竹下さんから知らされていました。その情報から現在状況において非常に問題と感じる2、3のことを、大正編に先だって見ていきたいと思います。  
 安倍政権を“継承する”として菅政権が始まりました。安倍政権のいったい何を継承するのやら…。そして実際に安倍政権の閣僚などでそのまま“居座った”人物が幾人もいます。二階幹事長の留任も大きいですが、居座り閣僚のトップは麻生太郎財務大臣でしょう。
 麻生大臣は表の権力のトップの一角なのですが、八咫烏情報を見れば、実は裏権力のトップの一角でもありました。
 また菅首相は、安倍政権で政権内部にブレーンとして深く食い込んで政権を動かしてきた竹中平蔵氏と早々に会談しています。もとより菅首相と竹中平蔵氏は密接な関係にありました。その竹中平蔵氏は菅政権でもその内部深くにやはり居座って、政権に強い影響力を及ぼしていくと見られます。既視感がたっぷりでげんなりとはします。
 その麻生大臣と竹中平蔵氏ですが、彼らの過去からの行状を知る人で、彼らを“善”と見る人は皆無でしょう。日本を食いつぶしてきた犯人と見るのが普通です。その麻生大臣は裏権力のトップの一角で、八咫烏組織の総裁だったのです。そして麻生大臣が総裁となっているその組織にどうも竹中平蔵氏も所属しているように見受けられます。
 その組織とは、八咫烏直属の五龍会の一つである黒龍会です。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 大正編に先だって(上)


裏天皇と五龍会の詳細情報絵図 〜日本の裏支配の構図


通史では当然ながら、睦仁親王が明治天皇として即位し、その明治天皇が崩御して明治期が終了したことになります。そして実際に張勝植氏の『朝鮮半島から「万人幸福の世界作り」を目指した明治天皇』によれば、睦仁親王が崩御したことで明治期は終了したことになっています。これは事実と見て良いでしょう。

しかし反面、実際には睦仁親王は表の明治天皇として即位したのではなく初代裏天皇、國體天皇として裏に回り、表の政体明治天皇となったのは大室寅之祐でした。その大室寅之祐は明治末期に朝鮮半島に張基元として移住した模様です。

また通史上は当然ながら、大正天皇の即位によって大正時代の幕開けとなっています。しかし崩御した裏天皇の睦仁親王のあとを継いだのは大正天皇ではありません。裏天皇のあとを継ぎ、2代目裏天皇となったのが堀川辰吉郎でした。

つまり、大正期から昭和の敗戦後しばらくの時期あたりまで、この期間の裏に隠れた本当の主役は堀川辰吉郎ということになるでしょう。この堀川辰吉郎を中心とした動きが、実は令和時代の現在にまで直結しているのです。

竹下さんは、堀川辰吉郎が二十歳になった時に、堀川辰吉郎に仕え、守護する大日本皇道立教会が組織されたと語られていました。

大日本皇道立教会は明治維新の中核組織である天忠党の後継組織で、五龍会の中央の黄龍会と重なりました。大日本皇道立教会の結成は、黄龍会を中心とする五龍会を、裏天皇と共に日本を、アジアを裏から支配せんとする組織として改めて整えたということでしょう。

そして更に非常に重要なのが、八咫烏直属の政治組織の五龍会は現存し、裏天皇と共にあり、現在でも日本を裏から支配していることです。その現在にいたる歴代の裏天皇、そして五龍会の歴代の総裁などを竹下さんが調べ上げられ、その知らされた驚愕の情報を編集者のともパパさんが以下の絵図として整理されています。情報は竹下さんから公開の許可を頂いていますのでどうぞご覧ください。

八咫烏および五龍会の歴代総裁と五龍会直属の秦氏系企業(一部)

CSISというシンクタンクは知っとるかな? カール・ハウスホーファーの弟子のエドマンド・ウォルシュによって創られたもので、師の思想をアメリカに移植することを目的にしたのじゃ」
ジャパン・ハンドラーの組織でしょ? 日本を支配しているって言う人が居るわ」
「実はそうではない。CSISは日本財団(会長・笹川陽平の下部組織である東京財団と協力関係にある。カール・ハウスホーファーが緑龍会に忠誠を誓っていたように、CSISは今でも緑龍会の指示に従っておるのじゃ
2016/02/24 レイノルズ一家編14)
フルフォード氏は、白龍会が世界紅卍字会と同盟関係を結んだと言っているのですが、日本紅卍字会に関係している深見東州氏がCSISと繋がっていることはよく知られています。CSISはジャパン・ハンドラーで有名で、いわば白龍会の敵です。
(中略)
実は、白龍会はその最上層部が、裏天皇(預言者)を守護する八咫烏の指導の下に動いています。
昨日お伝えしたように、この2つの八咫烏の組織が統合されたことで、今後、ますます白龍会と緑龍会(世界紅卍字会)は、協調して動くようになると思われます。
2018/05/21 時事ブログ)
私の考えでは、世界にある主要な秘密結社や政治結社は、八咫烏の指示を受ける五龍会に収束していくと見ています。おそらく、将来の黒龍会に相当するのは、板垣英憲氏の言うゴールドマン・ファミリーズ・グループ(200人委員会)を中核とするグループだろうと思います。
2018/08/08 時事ブログ)

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第36話 ― 明治時代の終わり

 1910(明治43)年の韓国併合の二年後、1912(明治45)年に明治時代はその幕を引き、大正時代の幕が開きました。奇しくも辛亥革命による清国の終焉と、中華民国の誕生と重なっています。
 明治が終わり大正が始まったということは、当然ながら明治天皇が崩御し、大正天皇が即位したことを示します。
 明治天皇、この明治編においては、「英領日本」に伴い“表”の政体天皇に立てられたのが、睦仁親王とすり替わった長州田布施村の大室寅之祐であり、睦仁親王は“裏”に回り、國體天皇の孝明天皇のあとを引き継いだと記してきました。大室寅之祐と睦仁親王が、同時に一緒に大嘗祭を執行し、天皇の座を践祚したことも。更に「もう一人の明治天皇」“影天皇”の箕作奎吾がいたことも。明治時代に“表” “裏” “影”の3名、三つ巴の天皇体制が敷かれていたわけです。
 大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏の『朝鮮半島から「万人幸福の世界作り」を目指した明治天皇』p35では、「1912(明治45)年に睦仁さんが亡くなった。これで明治時代が終わり、大正時代が始まった。」とあります。同頁には明治時代天皇に“影武者”がいたとも記しています。そして同著には、大室・明治天皇は1910年の韓国併合に伴い朝鮮半島に移住したとも記してあります。
 睦仁親王の死去、明治天皇の朝鮮移住、これらは驚きの情報ではありますが、同時にこういった事柄は、ウソをつける性格のものでもありませんので事実と見て良いでしょう。明治“裏”天皇、國體天皇の睦仁親王が死去し、明治“表”天皇、政体天皇の大室寅之祐が日本を去ったことで明治時代が終焉を迎えたことになります。
 明治時代の後半からは日清戦争を皮切りに、日本は海外拡張路線を進みました。これは睦仁親王とその周辺の八咫烏の意図でもありますが、大室・明治天皇の意図でもありました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第36話 ― 明治時代の終わり

韓国併合は明治天皇の意図 〜八咫烏、大室家は共に海外拡張路線


韓国の民族衣装を着た韓国統監時代の伊藤博文
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このところ第32話から連続して1909年の伊藤博文暗殺の背後には、武力を持ってしても積極的に海外に勢力拡大を図る勢力があったこと、その勢力の動きが韓国併合、満洲国設立の動きに繋がっていたことを見てきました。

ロシアとの協商路線を志向した伊藤博文は海外勢力拡大派と対立する立場にあって、「韓国は自立独立すべき」「満州は清国の領土であって満州の経営、植民地化などもってのほか」との表明をしていました。伊藤は日本が中国、そして英米と関係を悪化させ深刻な闘争になることを憂慮懸念していたのです。

こういった伊藤博文の姿勢と真っ向対立していたのが陸軍の児玉源太郎であり、桂内閣でもありましたが、その背後にはロシアとの早期開戦を唱えていた杉山茂丸、頭山満、内田良平、山座円次郎などを擁する玄洋社があったのでした。

玄洋社社主 杉山茂丸
JapaneseClass.jp
[Public Domain]
頭山満
呉竹会_頭山満
[Public Domain]
内田良平
Wikimedia Commons
[Public Domain]

玄洋社とはいかなる組織か? 睦仁親王のあとを継いだ2代目裏天皇が堀川辰吉郎であり、堀川辰吉郎に仕え保護養育したのが杉山茂丸、頭山満とされています。そして堀川辰吉郎が総裁を勤める八咫烏直属の五龍会の白龍会の総裁が、玄洋社の実質社主であったとされる杉山茂丸でした。つまり白龍会=玄洋社と見なせます。


満鉄を用いて満洲の経営、植民地化の絵図を描いたのが杉山茂丸であり、韓国併合の最重要人物の一人が内田良平でした。伊藤博文暗殺には玄洋社の面々の関与が、少なくとも伊藤暗殺の背後には玄洋社の意思が働いていたと見るのが自然です。そしてその伊藤暗殺は韓国併合に直結していました。

こうやって見ていくと、後の泥沼の日中戦争、悲惨な太平洋戦争に繋がる韓国併合や満洲国設立に、その背後から深く大きく関与していたのが裏天皇の八咫烏勢力であったことが浮き彫りになってきます。

…しかし、こういった海外拡大路線を動かしていったのは裏天皇グループだけではありません。まず間違いなく満洲の植民地化の動きもそうでしょうが、特に韓国併合に関しては、玄洋社の内田良平以上の最重要人物がいます。誰あろう明治天皇です。

明治天皇とは長州田布施村出身の大室寅之祐であり、その大室寅之祐を奇兵隊に誘い込み、保護指導してきたのが同じ田布施村出身の伊藤博文だと記してきました。大室・明治天皇にとって伊藤博文は親族以上の深い関係であり恩人でもあります。

その伊藤博文暗殺に大室・明治天皇が関与したか否かは全く不明です。しかし、明治天皇が伊藤博文暗殺を利したのは間違いない事実と見受けられます。2019/09/04の竹下さんの記事にあるように韓国併合は明治天皇の意図でもあったようです。大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏の次の主張をご覧ください。

「教旨」によって、ひいおじいさんの基元は、影武者(Comprodor)を代わりの明治天皇として立てて、自分は、息子・仁錫と一緒に帳家の戸籍に変えて朝鮮に入りました。それが1910年の韓国併合の少し前。朝鮮半島に新しい国づくりをするためです。(『朝鮮半島から「万人幸福の世界作り」を目指した明治天皇』p24)

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第35話 ― 内田良平の日韓合邦運動

 子どもに対して「あなたが私の意のままになる“良い子”でいたなら愛してあげる」としたならば…これは愛とは言えないでしょう。子どもを所有物扱いし調教・管理の対象にした態度と言えそうです。
 家族や友人に対する愛は「隣人愛」だと教えられています。そして隣人愛を阻む“野心”が「所有欲」だとも。
 日本の隣国韓国に対する姿勢は「隣人愛」よりも「所有物」扱い的な姿勢を強く感じてしまいます。日本と隣国の韓国とは摩擦が絶えず、ネトウヨと称される人々などから「嫌韓」の姿勢が打ち出されています。これは「生意気な韓国に鉄槌を加え思い知らせてやれ」といった姿勢で、昨年の日本政府による韓国のホワイト国排除などはその「嫌韓」の象徴でもあるでしょう。
 要は、韓国は調教・管理の対象という姿勢です。こういった姿勢は日韓両国に決して幸せな結果をもたらしはしないのですが、ではこういった姿勢はどこから生じたのか? 110年前の日韓併合がやはり大きな影響を与えていると思います。
 当時の日韓関係の最重要人物の一人が玄洋社の内田良平です。1901年、黒竜江省にちなんで内田良平によって「黒龍会」が創設されました。黒龍会は玄洋社の海外工作センターと称されます。黒龍会は日本の右翼の源流でもあるでしょう。
 ところが、当時右翼の源流になる玄洋社や黒龍会は、「嫌韓」どころか日本と韓国の対等平等の合一である「日韓合邦」を掲げて運動をしていたのです。当時の右翼源流の「日韓合邦」の姿勢からすれば、現在の「嫌韓」とは相容れないものでしょう。
 なぜ右翼の対韓国の姿勢がこうも変質したのか? …いや、よく見れば変質したと言うより、当時の玄洋社・黒龍会の姿勢が現在まで遺伝子として受け継がれていると見るほうが良さそうです。現に玄洋社・黒龍会の流れを汲む組織であろう「国民同志会」の昨年の活動報告として、日本政府に韓国をホワイト国の指定から早急に外すよう建白したとしています。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第35話 ― 内田良平の日韓合邦運動

内田良平と李容九の「日韓合邦」運動 〜韓国併合で憤死した李容九


1909年10月26日、韓国前統監伊藤博文が暗殺されるや、日本は「前統監の暗殺を機に、朝鮮の抗日運動を抑えることを口実に」(世界史の窓「安重根/伊藤博文暗殺事件」)その翌年1910年8月29日、韓国併合条約を締結し韓国を併合し、植民地としました。この日韓併合の重要人物として“いの一番”に揚げられるのが内田良平です。

黒龍会主幹 内田良平(右側)
Wikimedia Commons [Public Domain]
編集者註:写真左の人物は大本教主輔 出口王仁三郎、中央は玄洋社の総帥 頭山満。

内田良平については、「明治34年(1901黒竜会を創立、大陸進出を唱えた。韓国併合の黒幕として活躍、のちに満蒙(まんもう)独立運動を推進。」 (デジタル大辞泉)とある通りです。

先に八咫烏直属の五龍会の黒龍会と混同されることの多い内田良平が創設した黒龍会について。

黒龍会を英語で「ブラックドラゴン」と表記されるのには内田良平は不満があったようです。『歴史が眠る多磨霊園』の「内田良平」記事では黒龍会は「黒龍江を前に、雲を呼び風を望む高大な志をこめて命名した」とありますよう、黒竜江省のアムール川が黒龍会命名の基にあります。

黒竜江省とロシアとの国境を流れるアムール川(黒竜江)
Author:Kmusser [CC BY-SA]
Wikimedia_Commons [Public Domain]

さて、内田良平は杉山茂丸の口利きによって1906年に伊藤博文が韓国統監として渡韓の際に韓国統監府嘱託となり、伊藤博文に随行します。

その韓国内での内田良平の活動は、「明治40年(1907年には、一進会会長の李容九と日韓の合邦運動を盟約し、その顧問となった」(ウィキペディア「内田良平」)とある通りです。ただし内田良平の韓国との関わりはその以前からもあったのです。

『歴史が眠る多磨霊園』の「内田良平」記事で「1894(M27)朝鮮半島で政府打倒に立ち上がった東学党支援のため、玄洋社から朝鮮に派遣された。そこで『天佑侠』を組織、革命戦線に加わる。」とある具合にです。

再渡韓した内田良平と「一進会」会長の李容九が共に進めていた日韓の合邦運動ですが、これは日本と韓国が対等平等の立場で合邦して、一つの大帝国とするというものです。

編集者註:ツイートに添付されていた資料画像は、口語訳の箇所を拡大表示で確認しやすいように、シャンティ・フーラが差し替えました。
この資料は、アジア歴史資料センターで公開されているもので、国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所から提供を受けた歴史資料(近現代における日本とアジア近隣諸国等との関係に関わる日本の歴史的な文書)ということです。

この日韓合邦運動が大きな働きとなったのが、1909年12月、内田などが李容九とともに『一進会会長李容九および百万会員』の名で『韓日合邦建議書(韓日合邦を要求する声明書)』を、韓国皇帝純宗、曾禰荒助韓国統監、首相李完用に提出した」(ウィキペディア「内田良平」)ことです。

編集者註;このツイート主は、一進会とは日本人が「操縦」していた団体であり、一進会の声明文は、実際は内田良平らが日本国内で作成し、発表直前に韓国に持ち込んだ自演である、と主張しています。(ekesete1のブログ

この「韓日合邦建議書」は「我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」との文言で閉められており、日本が韓国併合を正当化する文書として利用されることになるのです。

つまり日韓併合は、「自発的に朝鮮を併合してくれと申し出たのを、日本はそれを受けたものであって侵略でも強制でもなかったとする証拠として利用された」(歴史が眠る多磨霊園「内田良平」)わけです。

そして実際に行われたのは日韓対等の日韓合邦ではなく併合であったため次の結果になっています。

李容九は「売国奴」と呼ばれ1912年に憤死、「内田は日韓併合後の政府の対韓政策には批判的で、後に『同光会』を結成して韓国内政の独立を主張している。」(ウィキペディア「内田良平」)

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