特別軍事作戦の意味
2022年2月24日、ロシアがクライナへの特別軍事作戦を開始しました。2014年2月中下旬にウクライナで起こされたマイダン暴力革命から8年の歳月がたっていました。
ウクライナ危機 - ロシア軍事行動開始 ~目的は、ウクライナの非武装化と非ナチ化ー Putin orders military operations
自国民であった東部ロシア系住民を虐殺する、ロシアを挑発し続ける、これが内戦となった8年間の一貫したウクライナ傀儡政府の姿勢でした。また、ネオナチ体制を嫌悪した自国兵の寝返りもあって、
戦況が不利になれば停戦協定(
ミンスク合意)に、➡ でもその約束は全く守らずに
一方的に破棄し攻撃へ、➡ ところが
再び戦況不利になれば停戦協定(
ミンスク2)へ、➡ それでもやはり一切合意内容を遵守せずに、
時間稼ぎの体制建て直しと拡大をしながらロシア系住民を殺害、
こういった卑怯卑劣を続けていたのがウクライナ傀儡政府でした。
ウクライナ内部はネオナチが支配するようになったのですが、このウクライナ政府を人形として操っていたのが米国のネオコン・ナチスであり、欧米のパワー・エリートたち、またはカバールとも上級シオニストとも、また単に闇の連中ともいえます。これらがウクライナ側です。
ウクライナ紛争 ~政府内の過激派はアゾフではない ~ The extremists in the government are not Azov
✅
0:00〜:2014年のマイダン革命直後に成立した親欧米暫定政権ついて 〜 極右(ネオナチ)・反ロシア強硬派が占めるウクライナ暫定政権
✅
1:00〜:ネオナチでありながら閣僚まで出したスヴォボーダ党 〜 スヴォボーダ党首はどんな人物なのか?
✅
3:01〜:政治的影響力のないアゾフ 〜 プーチンが呼んでいるウクライナの真のネオナチ=バンデラ派とその実行部隊スヴォボーダ党
✅
4:31〜:ヤツェニュク暫定政権首相とオバマ大統領の会談 〜 クリミア危機勃発
✅
6:38〜:なぜクリミアはウクライナで唯一の自治共和国だったのか? 〜 クリミア住民投票の正当性
✅
9:52〜:2014年9月14日にキエフで行われたジョン・マケイン米上院議員の会見と、8年後の2022年にも繰り返されている同じ内容
✅
14:09〜:EU加盟、NATO加盟が実現しないウクライナが内包している歴史的問題
そのウクライナ側が、再び東部ロシア系住民そしてロシアへの一斉攻撃の開始直前、それをロシア側が捉えてその出鼻を挫いたのが、ロシア特別軍事作戦の構図となります。
このロシア特別軍事作戦からの戦闘そのものは、その開始時からほぼその
帰趨は決まっていました。米国ネオコンらの悪癖である、自分を過大評価して相手を舐めてかかる姿勢が災いしていて、慎重に準備を整えていたロシアに対して、ウクライナ側には士気・心構えの心理面だけでなく、物質的にも勝利できる要素などほぼない状態だったのです。そして同時に、
この特別軍事作戦の展開の意味するものは単なるロシアの大勝だけでなく、
この地上世界の歴史を物理的に大きく逆転で変えていくものでもあるのです。
軍事作戦開始から間もない
2022/03/10の記事にて、竹下さんは以下のように指摘されています。
今のウクライナ政権は、ジョージ・ソロスのクーデターによるものであること、ジョージ・ソロスの主人がロスチャイルド家であること、世界経済フォーラム(WEF)のクラウス・シュワブはロスチャイルド家の人間であること、そしてプーチン大統領はロスチャイルド家に対して宣戦布告をしていたことを考慮すると、ロシアは罠にかかったのではなく、ロスチャイルド家を滅ぼすために動いたのだと考えます。
「ロシアがロスチャイルド家を滅ぼす…」、不思議な因縁の糸に対する感慨にしばし耽りました。
「いよいよこの地上世界の歴史が塗り替わっていくのだな…」と。
ウクライナを操る「闇の連中」のトップ第1に数えられるのが、竹下さんがご指摘のように
ロスチャイルド家なのです。前に指摘したように、
近・現代の地上歴史を形成させた主導脈がシオニズムなのです。
シオニズムはハルマゲドン計画を具現化させるものであり、そのシオニズムを物理的現実に展開させたのがロスチャイルド家なのです。ロスチャイルド家はロシアを攻撃することからシオニズムを展開させたのです。
» 続きはこちらから
ここで書いたように、5月に、セルビア人が多く住む北コソボの地方選挙がありましたが、セルビア人がボイコットしたために、その地域で少数派のアルバニア人市長が誕生してしまいました。それに反発するセルビア人と、市長の登庁をガードするコソボ警察とのにらみ合いで、なんとNATOの治安維持軍KFORが発砲し、セルビア人2名が重傷を負いました。その後、騒動に関与したと思われるセルビア人が次々と逮捕されたり、コソボに帰還したセルビア人の家が焼かれたりという嫌がらせも続きました。そんな、緊迫した空気の流れる北コソボで、ついに9月24日、セルビア人武装集団とコソボ警察の間で銃撃戦になり、死者が出てしまいました。