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ままぴよ日記 110 「子ども端っこ政策」

 娘のパートナーが病気を発症して1年たとうとしています。1年の生存率50%。2年の生存率0%と言われている難病です。
 その間、私は自分の仕事をしながら娘家族のために何ができるか問うてきました。そんな中で子育て支援の仕事は私にとって救いでもありました。

 久しぶりに子育ての記事を書きます。
(かんなまま)
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赤ちゃんの声なき声は端っこどころか無視


令和5年4月から子ども家庭庁が発足しました。やっと「子どもの権利を保障して、子どもまんなか社会をつくる」と言い出したのですが、本当にそうなのでしょうか?

世の中は一部の人の利権で動いているのを知れば知るほど、「子ども端っこ社会」が見えないところで意図的に作られているのを感じます。

そんな矛盾に気づいても、どこからどう変えていけるのか?私にできるのは私の身近な世界を大切に生きることしかありません。まずは気づくことから。

今回は、そんな私が気づいた「子ども端っこ社会」を書いてみたいと思います。

まず、生まれる前から出産を計画するようになりました。陣痛誘発剤を使っての無痛分娩が流行っています。「5万円加算で無痛分娩が受けられるよ」「隣の人が苦しんでいる声を聞きながら、こちらは申し訳ないほど楽だった」というママの体験談が拍車をかけます。

赤ちゃんは時が満ちて生まれるもの。母親はもう1人の命をわが体内に身ごもり、はぐくみながらその時を待ち、お産は赤ちゃんとの共同作業だと思っています。

でも、今のママはそういう意識がないので家庭の都合、産科医の都合で分娩日を決める傾向にあります。核家族で上の子を見てくれる人がいない場合はパパの休みの日に産みたいのです。

10か月かけて準備をしてきた赤ちゃんの立場になったらどうなのでしょう?赤ちゃんの声なき声は端っこどころか無視です。

そして、生まれてすぐ、ママはスマホで赤ちゃんの写真を撮り、みんなに知らせるのに夢中です。みんなから「おめでとう」のシャワーを浴びてほっとします。その間、赤ちゃんはママの安静のために眩しすぎる新生児室に連れていかれ、泣いて訴えてもかまってもらえません。


母乳で育てなければいけないと思う人も少なくなりました。入院している間は、まるでホテルのような部屋で高級レストランのような食事を楽しみます。産婦人科は安全にお産をするのが優先。その次は母体の回復と安静なので、赤ちゃんの立場に立っていません。入院中の4日間で母乳指導、赤ちゃんのお世話指導まで手が回らないのが現実です。


赤ちゃんとのかかわり方、成長過程を知らないママ


退院時に子育て支援情報を教えてもらっても頭に入りません。「ミルクの方が楽よ」と、試供品をたくさんもらいます。子育て関連のカタログや雑誌をもらい、それが子育てのスタンダードになっていきます。

赤ちゃんとのかかわり方、成長過程を知らないママ。それどころかママ自身が自分の心や体の変化に気づいているでしょうか?自分の微妙な気持ちを表現できるスキルがあるでしょうか?ありのままの自分を肯定して受け止め(自己肯定感)、「自分は子育てできるカモ」と思える自己有能感を持っているでしょうか?

これまでの判断基準が「他人からどう見られるか?」ではなかったか?自分で考えるのではなく、周りに同調してこなかったか?

それはママ個人の問題というより、教育の弊害が大きいように感じます。子どもの頃からずっと比較されて、正解を示され、間違えば「自己責任でしょ!」と言われてきたのですから。

でも、自分の赤ちゃんを授かって育てるという人生の大事業を、他人の価値観や商業ベースに乗せられてスタートしていいのでしょうか?

子育てが辛くなり「夜中に何度も起こされるので別の部屋に寝ています」「抱いても泣くからテレビのボリュームを上げて聞こえないようにします」「離乳食を食べないから罰として食事抜きです」というママ達。赤ちゃんは自分を諦めることを学びます。


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hiropanの 絵と詩で泳ぐ 心の世界と島暮らし ~swimmer 第4回

 私の子育ての大きなテーマである『自己肯定感』。
 なぜそこにこだわるのかというと、自分自身が欲しくてなかなか手に入らなかったものだから、というのもありますが、やはりそれは人が幸せに生きていく上では欠かすことができない基盤となるものだと感じています。
 今回この『自己肯定感』について心理学的な視点と自分の体験を交えて解説してみたいと思います。
(hiropan)
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自己肯定感と子育て(2)

○自己肯定感は最強のプロテクションであり、魅力!

「心が傷ついた…」
「誰かを傷つけてしまった…(罪悪感によって自分もまた傷つく)」

誰しも経験があるであろう、この「心が傷付く」という現象。
心理学では、その人自身が自分を批判・否定している部分を改めて他人から指摘されることによって、「傷つく」という感覚が起こると言われます。


これって結構興味深いと思いませんか?!
私は初めて聞いた時、目から鱗が3枚くらいこぼれてきました!

例えば…、髪の毛が薄くなってきていることを気にしている人に「ハゲ!」と言ったら、言われた人は高確率で傷つきます。
お腹周りについてきたお肉を気にしている時、他人から「デブ!」と言われたらショックです。
いつまでも若くいたいと思っている人が「ババア!(ジジイ!)」と言われたら傷ついて怒り出したくなったりします。

ポイントは、自分で自分を否定している度合いだけ、あるいは、隠したいと思っている度合いだけ、傷の深さが深くなるということです。

体型が細いことを気にしている人に「デブ!」と言っても、本人は全然ピンときません。
仮に子供に対して「ババア」「ジジイ」と言ったとしたら、言葉に乗っかっている悪意や敵意に対して反発はしても、言葉の意味自体で傷つくことは、あまり考えられません。

時事ブログに以前紹介されたこの動画が私はとても気に入っています!


彼は自分の体型を完全に自分の『モノ』にしているように見えます!唐揚げを食べることや、太ること対して、彼自身が自分を責めていないので、受け取り方によっては「いじり」に当たるコメントへの返答が、とても清々しく、逆に人を惹きつけるものになりました!
自分を肯定することで、彼にとってこの体型は彼というキャラクターを際立たせる武器であり、魅力になっています!

私の祖父は、わりと若い頃から頭が涼しそうなタイプだったのですが、昔カツラをかぶっていた時期があったそうです。
親しい人に会った時、そのカツラを「こんにちわ!」と言いながら帽子のように、ヒョイと持ち上げて、相手を驚かせ、楽しませるような一面があったようです(笑)



なかなかインパクトのあるご挨拶!私がもしも今、そんな人に出会ったとしたら、面白すぎて、その人に対して一気に興味が湧いてくると思いますし、強烈な印象とともに、忘れず、覚えていることでしょう!

この時点で、祖父の薄毛は、祖父にとって、その場に笑いと、和やかなコミュニケーションをもたらしてくれるパワフルなツール(武器)になったと言えます。

しかし、一方で人はコンプレックスに感じるものほど、隠したくなる傾向があります。

仮に祖父が、薄毛を本気で気にして、どこまでも深刻に考え、隠すことに必死になっていたとします。

悲しいことに…隠そうとすればするほど、そこに気が行きますから、より一層人目も気になるし、他人もそこに漂う何かしらの空気を感じとります。

この場合の祖父は、他人から否定的に見られて、傷つかないための自己防衛として、自分自身を『隠す』ということをしています。「こんな自分は格好が悪い(受け入れられない)」という思い込みがあり、そのさらに下には「他人から受け入れられたい(愛されたい)」と言う潜在的願望があります。

しかし、この「隠す」という作戦が、本当の意味で「愛を得る」という結果に結びつくことはありません。

それはなぜでしょうか?

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ままぴよ日記 108 「ずっと 孫達の心に寄り添っていたい」

母の日に娘婿からカネーションが送られてきました。びっくりするやら嬉しいやら。

「こんなことしかできなくて・・」と電話口で言ってくれましたが、私達では想像できないほど過酷な状況の中で生きていてくれているだけで感謝です。

今回は娘家族に起こった一連の事件を孫の視点で綴ってみたいと思います。
(かんなまま)
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子どもの生活は親次第


私の身体は家にいながら心は娘家族を案じている毎日です。特に孫達の事を。
                              
思えば日本に帰国して9ヶ月間。孫達も頑張ってきました。なんせ、子どもの生活は親次第。親が外国に行くと言えば嫌とは言えないし、帰国すると言えば「はい」と従うしかありません。

親は子どもに良かれと思って住む場所を選んだり学校を決めたりしたとしても子どもにとっては青天の霹靂です。特に言葉も習慣も違う外国の学校に1人で居るのは不安だったろうと、孫の立場になって想像してみたら胸が詰まります。

幼稚園もしかり。知らない場所にいきなり連れていかれて、置いて行かれる気分。ここがどんなところか?いつ迎えに来てくれるのか?不安だらけです。

でも、好奇心旺盛なお友達が次々に関わってくれるし、先生たちも言葉のわからない子に優しく接してくれたから、どうにか過ごすことができました。

何より、アメリカの学校は発表やテストで評価されることもないし宿題もありません。半分遊びみたいな授業で自分の思ったことを自由に言えるし、黙っていても受け入れて貰えたのでびっくりでした。重たいランドセルもないし、おやつも持って行けます!だんだん楽しさの方が増していきました。

だから一度も「学校に行きたくない」と言わずに通っていました。そして、すっかりアメリカの生活に慣れてきた4年後、いきなり「日本に帰国する」と親が告げたのです。

友だちと別れるのは寂しかったし、もう楽しい学校に行けないと思うと残念でたまりませんが、どうすることもできません。

ただ、日本に帰るのは嬉しくもありました。だって、じいじやばあばに会えるし、従妹たちと遊べる!とりあえず、おいしい日本食が食べられる!というノリで帰国しました。

子どもは今を生きる人です。先の事を想像してもよくわからないし、自分でどうすることもできません。過去の思い出が、まあまあだったのでどうにかなるだろうと思います。そして、好奇心と新しい事を覚えて適応する能力が高いので、意外と逞しいのです。


事の重大さを感じとった子ども達


ただ、それだけでは済まなかった。

帰国と同時に父親の病気がわかり、生活が一変しました。父親が突然入院して会えなくなりました。

10時間に及ぶ治験の手術の後、過酷な病名を告げられた娘。その足で面会に行ったら、もう目が見えなくなって目の前にいる妻を手探りで探している夫の姿を見たとたん、気丈にしていた心が折れました。

子ども達は、病院から帰ってきた母親が腑抜けのようになっていた事。そして、父親が長く生きられないと伝えた時の母親の涙を見て、事の重大さを感じとりました。


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hiropanの 絵と詩で泳ぐ 心の世界と島暮らし ~swimmer 第3回

 下の子供が生まれた頃、通信でカウンセリングと心理学の勉強を始めました。子育ての中で感じた様々な苦労から、他のママ達を助けたい思いが出てきて、いつか子育て支援がしたいと思ったのがきっかけです。以前から関心のあった心理学、カウンセリングからのアプローチが自分には向いている気がして、勉強してみようと思ったのです。現在は必ずしもカウンセラーという形を目指してはいないのですが、心理学の勉強は好きで続けています。今回は、私が好きな心理学と、日々の気づき、体験を交えて、自分の子育てについて書いてみたいと思います。
(hiropan)
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自己肯定感と子育て(1)
私は自分のことが好きです。
自分に酔っているわけではないので、決してナルシシズムでそんなことを言っているのではありません(笑)
私は私でよかったなと、心からそう思うのです。

もちろん、昔からそうだったわけではありません。
記憶にある限り、少なくとも小学校の低学年頃には、私は私のことが嫌いでした。

子供の頃の私は、楽しそうに遊び回る他の子供達の姿を沈んだ気分で見つめていました。

「どうして私は私なんだろう?」
「あの子たちは、なんであんなに楽しそうにしていられるんだろう?」
「私もあの子だったらよかったのに。」

私という身体の中から、世界を見つめている自分という意識。それを不可思議に感じると同時に、嫌で嫌で仕方ありませんでした。自分が自分ではないような、また常に自分ではない誰かになりたいと思っていました。

周りの人がどう感じているか、自分に対してどういう印象や感情を抱いているか、瞬間的に掴んでいましたし、それにより人知れず、傷ついてもいました。親や周りの人たちの態度や思いに、内心いつも翻弄されていました。

私のような人間は心理学において、近年、HSPというタイプに分類されるようです。

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン/Highly Sensitive Person)とは、米国の心理学者であるエレイン・N・アーロン博士が提唱した心理学的概念で、神経が細やかで感受性が強い性質を生まれ持った人のこと。全人口の15~20%、約5人に1人はHSPと考えられている。

HSPの特徴的な4つの性質「DOES(ダズ)」

■ D:Depth of Processing/深く処理をする
  簡単に結論の出るような物事であっても、深くさまざまな思考をめぐらせる

■ O:Overstimulation/過剰に刺激を受けやすい
  刺激に対する反応が強く表れやすく、疲れやすい

■ E:Emotional response and empathy/全体的に感情の反応が強く、共感力が強い
  他人との心の境界線が薄く、相手の感情の影響を受けやすい

■ S:Sensitivity to Subtleties/些細な刺激を察知する
  他の人が気づかないような音や光、匂いなど、些細な刺激にすぐ気づく

HSPの人は、感覚的な刺激に対して無意識的・反射的に対応する脳の部位、「扁桃体」の機能が過剰に働きがちで、HSPではない人と比べて刺激に強く反応し、不安や恐怖を感じやすいことが分かっています。相手の気持ちを察知して行動したり、物事を深く探究できる半面、ささいなことで動揺したり、ストレスをためてしまうこともあります。
引用元

HSPの人は全人口の15%〜20%と言われますが、日本人の民族性としてはもっと多いようにも感じます。
刺激に対する感受性には、人それぞればらつきがありますし、明らかな虐待やいじめを受けていなかったとしても、非常に多くの人が、大なり小なり、心に歪みや傷を抱えて大人になっています。

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ままぴよ日記 107 「今はいっぽいっぽ歩くのみ」

「私、生きてるよ!」と枯草だけの大地に芽を出して、いつの間にか花が咲いています。みんな本当にきれい!

天気のいい日に野原に行くと、一番小さな孫が、パパの肩車に乗って「どの花見てもきれいだなあ~」と指さして歌ってくれました。
お姉ちゃんと草花のリースを編みました。


母も愛犬も、若い娘婿まで命を閉じようとしていますが・・・
春の大地が、みんなの命が巡っていることを思い出させてくれます。
これでいいんだ。私もいつの日か・・・。と、教えられます。
(かんなまま)
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春から娘が大学院に入学


この春休みに娘からビックプレゼントが届きました。

フレッシュで、この上なくかわいくて騒がしいもの・・・そう、孫達がやって来たのです。「えっ⁈4歳の孫まで来るの?ママがいなくても大丈夫?」と聞きましたが、本人が「ママがいなくてもばあばの首を触って眠るから大丈夫。・・・ああ、やっぱり気持ち悪いから触らなくても大丈夫」と言ったそうなのです。

実はこの春から娘が大学院に入学する事になりました。子ども達の春休みに、入学準備、入学式、オリエンテーション、奨学金の手続き等があるので子ども達を私にプレゼントしてくれるという訳です。子ども達も、日頃どこにも行けないので、ばあばの家に行くのをとても楽しみにしていました。


嬉しいやら、考えただけで気が遠くなるやらですが、受け入れる覚悟を決めました。だって、娘の孫が来るという事は息子の孫も漏れなくやってくるのです。息子夫婦も平日は仕事で孫達だけでお留守番です。2歳のチビちゃんは別として合計7人の大合宿です。

娘は毎日の生活を1人で頑張っています。子育てのワンオペどころか介護もワンオペです。その生活だけでも忙しいのに、この4月から大学院に入学して勉強する事になりました。それを聞いた人は口を揃えて「無理しないで、倒れるよ」と心配します。

傍からそれを見ていた私は、娘自身がどれほど大変になるかを知りながら自分のやりたい仕事に向けて歩き出そうとしているのを感じました。だって判断できない時は1歩ずつ確かめながら進むしかないのです。ダメな時は何らかのサインが来るでしょう。入学して無理だと思ったら休学すればいい。

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