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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第13話 ― 阿片王と称された男

 電通の前身の満洲国通信社の初代社長兼主筆であり、「阿片王」と称されたのが里見甫です。里見甫の墓は千葉県にあり、その墓石には「里見家之霊位」と刻まれ、側面には「岸信介書」とあるとのことです。里見甫の墓に安倍前首相の祖父である岸信介が揮毫しているということで、里見甫と岸信介の繋がりの深さがここにも窺われます。
 「結局のところは人脈が物を言うことになります。ただし人脈には“黒い人脈”と“白い人脈”がありますが……」、どこかで竹下さんはこのように語られていました。
 里見甫は留学生として上海に渡り、一旦帰国するも再度中国に渡っています。中国語が堪能であった里見甫は中国人名を持ってもいました。里見甫は中国にて日本人側とも中国側とも広く深く人脈を形成していきます。そうやって大規模に事業を展開していったのでした。
 事業を成立させるにはどうであれ、人脈形成ができなければなりません。里見甫の事業は大規模な阿片事業であったので、その人脈は、多くは青幇や紅幇など地下組織のものでした。その意味で里見甫の人脈は“黒い人脈”に概ねは分類できるでしょう。
 ただし、欲望丸出しで獰猛な弱肉強食の地下世界で人脈を築き、地下の住人たちを取り仕切っていくには、それ相応の力と魅力がその人間に備わっていなくてはなりません。阿片事業を展開し「阿片王」とも称された里見甫は、それだけのものを持ってはいたということなのでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第13話 ― 阿片王と称された男

メディアを取り仕切る電通 〜里見甫の人脈形成の原点


随分以前のことになりますが、IWJ代表の岩上安身氏が当方に来訪されたことがあります。その時面談させていただいた中で、メディアは、テレビはもちろん、新聞や雑誌にしてもその新聞代金などではなく、広告料の収入で経済的には成立していることを語られていました。

これは業界では当然のことのようです。広告なしにはメディアは経済的に成立しないので、メディアは必然的に広告を取り仕切る存在に依存し、コントロールもされることになります。

「広告界のガリバー」と称され、その世界で圧倒的なシェアを占めていたのが「電通」です。巨大広告代理店だった「電通」が日本メディアを支配しているのは当然のことであったのです。

前回に見たように、この電通の前身が満洲国通信社であり、その初代社長および主筆だったのが里見甫でありました。


そして、里見甫は「阿片王」とも称された男でもあります。里見甫が「阿片王」と称されるようになったのは、里見には卓越した中国語の語学力と、培われた人脈という資質があったからです。

里見は中国に留学してその語学力を身につけています。ウィキペディアの彼の記事には、

1913年、福岡県立中学修猷館を卒業し、同年9月、玄洋社第二代社長進藤喜平太の助力により、福岡市からの留学生として上海の東亜同文書院に入学する。

とあります。

里見甫は「修猷館」では柔道部の猛者だったようです。明治編 第33話で見たように、「修猷館」は福岡黒田藩の藩校がその始まりですが、玄洋社(白龍会)とは非常に縁が深い学校です。卒業生には、玄洋社社員であった明石元二郎や山座円次郎、広田弘毅などなど玄洋社関係者が多数います。

そして、里見は「玄洋社第二代社長進藤喜平太の助力」にて「上海の東亜同文書院に入学」とありますので「里見は玄洋社(白龍会)から上海に留学生として送り込まれていた」と言ってもさほど間違ってはいないでしょう。

上海にて留学生の里見は卓越した語学力を獲得し、その後も中国で人脈を形成していきますが、その背景の原点には玄洋社(白龍会)の存在があったと見て間違いないでしょう。

ウィキペディア記事によれば、里見は 東亜同文書院を卒業後一旦は帰国していますが、再度中国に渡り新聞記者として活動、ここで関東軍、そして中国側の人物たちとも人脈を形成したとあります。

続いて記事では、里見は1928年には満鉄の南京事務所の嘱託として活動、1931年9月の満州事変勃発に際しては、関東軍担当部署からの嘱託辞令を受けて奉天に移り、「奉天特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で、甘粕正彦と共に諜報・宣伝・宣撫活動を担当する。これらの活動を通じ、中国の地下組織との人脈が形成された。」となっています。

こういう経緯から1932年12月、里見は、設立された満洲国通信社の初代主幹(事実上の社長)兼主筆に就任しているわけです。里見はゆく先々で人脈を築き、成果を挙げているのが分かります。里見は「使える男」「使い勝手のいい男」であったことが窺われます。

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メキシコ便り(91):中間選挙間近!チワワ州が目覚めてきているかも?! / メキシコ、メキメキ経済回復中!

 日本時間の明日(月)、こちらの6月6日(日)はメキシコ史上最大の中間選挙日です。ロペス・オブラドール大統領が作ったモレナ党が、また過半数の議席を取れるのかが注目されています。ロペス・オブラドール政権がスタートして3年目(メキシコ大統領任期は6年)、史上4番目(4回目)の大改革(4T:クアトロ・テ)を成し遂げるには憲法改正が必要らしい。ちなみに、ロペス・オブラドール大統領は、大統領になってから全くどの党も支持していません。自身が作ったモレナ党も全く支持しません。理由は、「大統領は、みんなの大統領だから。。。」

 反大統領派は、またモレナ党が過半数を取るとメキシコは破壊されると言っています。未だにロペス・オブラドール大統領のことを「共産主義者」「独裁者」と呼んでいるのには開いた口がふさがらない。朝の大統領プレス・コンファレンスを一度も見たことがないとしか思えないです。ある専門家はテレビで、「メキシコは今、一番民主主義的であり、これほどの民主主義は今までになかった。」と言っていました。きっとそうだと思います。

 popoちゃん在住のチワワ州は、反大統領派(PRI党、PAN党)がうじゃうじゃ。チワワ州でのPRD党(モレナ党の前身)の支持率は、6〜7年前はほんの数パーセントだったらしく、PRI党、PAN党の支持が圧倒的。そんなチワワ州に4T(大改革)がやってきているというナチョさん。え?!まじ?!意外!😶ということで、チワワ州の人々が目覚めてきているかもしれない様子をレポートにしてみました。

 また、後半、ロペス・オブラドール政権がちゃんと国民のために働いている証拠が、メキシコの経済回復に反映していると思える事柄を取り上げてみました。(popoちゃんのご近所さんに見せてあげたい。。。😆)
 実は個人的なレベルでも、経済回復を感じています。popoちゃんの旦那さまの会社が、2019年5月と比べ(メキシコのパンデミックは2020年3月あたりからスタートしたのでコロナ禍前)、2021年5月は、1週末コロナのため強制閉店したにもかかわらず売上が3%増だったとのこと。この一年、何度も週末閉店を強制させられましたが(チワワ州知事、反大統領派の意向のため)、コロナ禍で解雇することもなく、なんとか無事に乗り越えたようです。あとはワクチン接種で変異株が発生し、また感染者が増えないことを祈るばかり。。。

 コロナ禍での大統領の政策は、社会福祉プログラム(ご高齢者、若者の奨学金、身体障害者らへの補助金)を前倒しして支払うなどして、経済的に苦しい国民を優先に、70%の国民になんらかの支援を届けました。IMFからもどこからも一切借金することなく。。。そして大企業への支援は一切なしでした。メキシコでは、このやり方が良かったよう。経済は再び回り始めているよう。6月7日から約1年ぶりに学校も再開するようです♪
(popoちゃん)
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メキシコ便り(91):中間選挙間近!チワワ州が目覚めてきているかも?! / メキシコ、メキメキ経済回復中!

チワワ州に4T がやってくる?!


El Chapucero動画のナチョさんが、6月2日(水)popoちゃん在住のチワワ州知事選の候補者らを取り上げました。

タイトル意訳:必見!チワワ州での素晴らしいモレナ党(の選挙キャンペーン)の閉会式!セサール・ドゥアルテが再登場し、パン党を支持。

ナチョさんいわく、チワワ州に4T(クアトロ・テ:ロペス・オブラドール政権が行っている史上4番目の大改革)がやってきているという。前回のメキシコ便りで触れたのですが、ここpopoちゃん在住のチワワ州ファレスでpopoちゃんは反大統領派ばかりに囲まれ、大統領の人気ぶり(一瞬だけ世界一の人気に!)が全く感じられず、きっとまた州知事選は、パン党(反大統領派)が勝つのだろうと思い込んでいた矢先、チワワ州でMORENA党(モレナ党)の州知事選挙立候補者フアン・カルロス・ロエラ氏の支持が高まっているというナチョさん。

モレナ党のチワワ州知事選挙立候補者フアン・カルロス・ロエラ氏
2016年ファレス市長に立候補者したが落選。2018〜2020年は国会議員。

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ぴょんぴょんの「サインはV!」 〜『スプートニクV』は、なぜ血栓ができないのか?

 モデルナ、アストラゼネカの新型コロナワクチンが、承認されました。世界的には、アストラゼネカは下火で、ロシアの「スプートニクV」が人気急上昇中。
 ところで、ロシア発の「スプートニクV」は、他のワクチンとどこが違うのか?考え出したら、頭がグルグルしてしまいました。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「サインはV!」 〜『スプートニクV』は、なぜ血栓ができないのか?

華々しくデビューした「スプートニクV」


EUのワクチン死者数(3ヶ月)
 ファイザー        7,296人
 モデルナ         2,865人
 アストラゼネカ      2,102人
 ジョンソン&ジョンソン    235人

   計         12,498人
odysee

2020年8月、プーチン大統領は誇らしげに宣言した。
「今朝、世界で初めて新型コロナウイルスのワクチンが登録された」。

YAHOO!ニュース
その名も「スプートニクⅤ」。


ねえねえ、「スプートニクⅤ」の「V」って、ワクチン(Vaccine)の「V」なの?

いや、「サインはV」だ !

「サインはV」? それ、知らない。

・・・ハハ・・すまん、ついつい昭和が出ちまった。
いやなに、「V」は「ヴィクトリーのV」だそうだ。
華々しくデビューした「スプートニクV」だが、当初、世界の視線は冷たかった。
理由は、第3相の治験を待たずに承認されたからだ。(YAHOO!ニュース

ロシア発、って色眼鏡もあったんじゃない?

「スプートニクV」は、昨年末から、ロシア国内で接種が始まり、つづいて、1万9866人の被験者による第3相治験も行われた。
その結果は91.6%に有効、中〜重度の新型コロナには100%有効、副作用も最小限だった。
Sputnik
これが、2021年2月の医学雑誌「ランセット」で発表されると、たちまち注目の的に。
一時は、「水と変わらない」と酷評された「スプートニクV」の評価がガラッと変わり、一躍「人類の希望」に浮上した。(YAHOO!ニュース

Author:mos.ru[CC BY]
スプートニクV

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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第12話 ― 満洲の「影の皇帝」

 戦争は企業にとって「大儲け」のチャンスです。様々な企業が関与しますが、中でも「ぬれ手に粟」の代表は言うまでもなく大銀行、それに併せてすぐ想起するのは武器商人、いわゆる「死の商人」です。
 911テロの後のアメリカを見ていて、驚愕し呆れ果てたことがあります。私人がアメリカという国家の名を利用して、犯罪行為で莫大な利益を手にして欲望を遂行していくこと、そのあからさまさにです。これは謀などと呼べず、謀というべきなのか……。
 911テロ時の政権はW.ブッシュ政権でしたが、その閣僚中枢は私有企業から送り込まれた人物たちで占められ、その関係、私有企業へのあからさまな利益誘導を行っていました。最もわかりやすいのが、当時の副大統領のディック・チェイニーとハリバートン社です。
 チェイニーはハリバートン社の1995年から2000年まで、つまり政権に入る直前までの最高経営責任者だったのです。
 ハリバートン社は国防省と石油開発・施設建設の請負契約をしており、また軍需企業でもあります。911テロの直後に言いがかりで攻め込んだアフガニスタン戦争、明らかな国際法違犯の犯罪である2003年イラク戦争、これで莫大な収益をあげたのがハリバートン社です。
 私有企業が犯罪行為でも何であろうとも、「儲けるため」自分たちのやりたいことを「国家事業」としてしまえば、最も確実で効率よく収益を挙げられます。
 私人が国家を利用するのですが、これはアメリカだけの話ではありませんでした。現在の「電通」や竹中平蔵氏の「パソナ」など見れば、日本でも同じようなことが進行しているのが分るでしょう。そしてこれは最近に始まったことではなさそうです。
 日本が大陸に軍事進出する「国策」、この国策に群がる企業群がありました。この背景に何があったのか……、
満洲の「影の皇帝」と呼ばれた男にスポットを当ててみます。見えてくるものがあります。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第12話 ― 満洲の「影の皇帝」


「満洲の夜を支配する」と言われた男


日本の特務機関・特務工作機関の種類一覧
名称 説明
(前略)
甘粕機関(※②) 陸軍大尉の甘粕正彦によって設立された民間の特務機関で、満州国と関東軍をバックに付け、 満州国の国策であった阿片(アヘン)の中国国内での密売を茂川機関や松機関と共に行っていました。
茂川機関(※②) 茂川秀和少佐が設立した機関で、天津陸軍機関に所属していました。
主に阿片(アヘン)の中国国内での密売を行った他、盧溝橋事件での工作を行ったとも言われています。
松機関(※②) 上海に本部が置かれた特務機関で、現地の情報収集や阿片(アヘン)の中国国内での密売や、「杉工作」と命名された偽札の中国国内への流通工作を行っていました。
里見機関(※②) 里見甫によって設立された民間の特務機関で、関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。
興亜機関(※②) 関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。
(中略)
昭和通商(※②) 三井物産、大倉商事、高田商会の三社から出資された泰平組合を元とする、日本陸軍の特務機関です。
表見は商社ですが、中国国内での阿片(アヘン)の密売や、情報収集、物資や兵器調達などを行っていました。
また、里見機関や興亜機関などの特務機関とも連携を取っていたとされています。
(以下略)
いちらん屋より引用
※註:名称の後の(※②)は「阿片の取引に関するもの」として、前回、シャンティ・フーラで独自に分類したものの一つ。

東京大学教授 伊藤隆氏の「目で見る議会政治百十年史」がネット上で公開されています。その昭和期(I)に「満州某重大事件」があります。そこに次の記述があります。

田中首相は天皇に「張作霖横死事件には遺憾ながら帝国軍人関係せるものある如く、もし事実であれば法に照らして厳然たる処分を行うべく・・・」と奏上した。陸軍中央の調査によって真相は判明したが、陸軍はこれをかくそうとした。村岡長太郎関東軍司令官・荒木貞夫参謀本部作戦部長・小畑敏四郎作戦課長ら上原勇作元帥系のグループが強力に動いて真相隠蔽(ぺい)をはかった。河本大佐もこのグループに属していた。

1928年(昭和3年)満洲の覇王と称された張作霖が爆殺される事件がありました。この張作霖爆殺事件は、現在では関東軍の河本大作大佐が主犯とされています。

関東軍参謀
河本大作大佐
Wikimedia Commons
[Public Domain]
赤龍会初代総裁・
帝国陸軍元帥 上原勇作
Wikimedia Commons
[Public Domain]

この張作霖爆殺事件から満洲国設立に至るいわゆる関東軍の暴走、これを背後で操っていたのが、赤龍会初代総裁にて帝国陸軍元帥であった上原勇作であったことが上の記述から窺われます。帝国陸軍のトップ、元帥である上原勇作が、関東軍に密かに司令を出していたのは全く自然なことです。

また、満洲への軍事的進出だけでなく、日本が満洲でも罌粟を栽培し、中国大陸で阿片事業を展開していくのを導いていたのが上原勇作であったことも前回に見ました。

この関東軍の動きに合わせるように、阿片事業を展開していく人物群が満洲に集結していきました。その代表格の一人が「甘粕機関」の甘粕正彦です。上に「いちらん屋」の特務機関一覧から、阿片事業の特務機関を抜粋していますのでご覧ください。

満州国時代の甘粕正彦
Wikimedia Commons [Public Domain]

甘粕正彦は、阿片より1939年に就任した満洲映画協会(満映)の理事長としてのほうが有名で、「満州は、昼は関東軍が支配し、夜は甘粕が支配する」と囁かれてもいたようです。

ただし、このように甘粕正彦が満州で「影の皇帝」といわれるほどの権勢をふるえた、その元にあったのが、阿片取引による莫大な収益でしょう。ウィキペディアには甘粕機関の設立の経緯は次のように記載されています。

1930年(昭和5年)、フランスから帰国後、すぐに満州に渡り、南満州鉄道東亜経済調査局奉天主任となり、さらに奉天の関東軍特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で情報・謀略工作を行うようになる。大川周明を通じて後に柳条湖事件や自治指導部などで満州国建国に重要な役割を果たす右翼団体大雄峯会に入る。そのメンバーの一部を子分にして甘粕機関という民間の特務機関を設立。

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ままぴよ日記 73 「インクルーシブ教育 この世は多様性に溢れている!」

アメリカにいる小学3年生の孫がビジネスを始めました。

学校で野生動物の保護について学んだ時に、もともと動物の生態に興味がある孫は詳しく調べて、自分で絵を描いて本を作りました。その時、孫が描いた動物の絵が素晴らしくて、友達が欲しいと言い出したのです。
それで、架空の会社を立ち上げて、注文を受けて絵を描き、お金も作って売り始めたのです。

お金を循環させる仕組みを学んだのも授業の一環で、得意分野が活かされて本気モードです。
今、予約が入りすぎて大忙し。絵の得意な友達も手伝ってくれるようになったそうです。「難しい注文もあるから、調べながら描いているよ」と、嬉しそうに話してくれました。

楽しく学んでいるなあ~、これだよなあ~、と思います。
(かんなまま)
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アメリカの学校の素晴らしい配慮


アメリカの孫達が全く英語を話せないまま、いきなり現地の小学校に行き始めたのが2年前。今では何不自由なく英語を話し、授業にも参加しています。子どもの適応力は凄いと思いますが、その受け皿である学校の配慮も素晴らしいものでした。

Author:woodleywonderworks[CC BY]

まず、通学する前に親子で面接があり、どの学年に入るか検討されました。英語が全く話せなかったので一学年ずつ下げてお姉ちゃんは5年生。弟は1年生に編入しました。17人クラスです。先生の配慮で日本人のクラスメイトをフォロー役に付けて、授業の通訳や、他の友達とも仲良くなれるように橋渡しをしてくれました。その子たちも同じ経験をしたことがあるので優しくしてくれました。

学校にはクラス担任を持たない特別支援の資格を持った先生がいます。多様な理由で授業についていけない子どもがいれば、そのクラスに入ってフォローしたり、自分の教室で特別支援の少人数授業をすることもあります。自由に介入できるので、いつも子ども達の様子を見ながらプロとして最善の取り組みを模索しているようです。

孫達は英語がわからないので2人の語学担当の先生が特別授業をしてくれました。毎日1時間、通常授業を抜け出して色々な国の子ども達と一緒に学習します。定期的に簡単なテストがあって、合格ラインに達したら卒業です。孫達はそこで色々な国の友達ができてよかったようです。

通常の授業も、日本の学校のように45分間座って授業を受けるスタイルではありません。先生が本を読むときは好きなソファに座る。みんなで話す時は輪になって座る。自習の時は思い思いの場所で勉強するなど、移動型のスタイルです。


これは、気が分散して集中力が続かない子どもの特性をよく理解している授業スタイルです。これなら多動傾向の子どもも目立たず、皆と同じように授業を受ける事ができます。

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