アーカイブ: 天皇の金塊

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第35話 ― 終わらぬ戦争

 板垣英憲氏の情報にはしばしば「長老」というワードが出現し、その「長老」たちが重要な働きをしていることが示唆されます。「長老」はどうも日本人のようで、「長老」には国内在住と各国に散らばった「長老」が存在すると見て取れます。
 各国の「長老」とは、第2次世界大戦後に東アジア諸国が独立するのに尽力した人物を指すようです。「残置諜者」という言葉があり、この言葉が正確適用なのかはともかく、終戦後も外地各国に残留して種々の工作を実行し、その国の独立に導いた日本人たちがいるようです。板垣英憲氏は近頃は自らを「八咫烏」と名乗っていますから、その「長老」たちも八咫烏関係者のような気がします。
 この「長老」たちがどういう人物であったのかを知るヒントが、「陸軍中野学校」のウィキペディア記事にあります。記事には太平洋戦争中の南方での中野学校出身者の動向として、インドなどの独立政府樹立のために中野学校出身者が特務機関員として働いていたことが記載されています。そして中野学校閉校後、つまり戦後の中野学校出身者の動向として次のような記述がされてもいます。
また、インドネシア独立戦争や、インドシナ戦争(谷本喜久男少尉など)を始めとする戦後の東南アジアの独立戦争に携わった卒業者も多くいた。
 「長老」には当てはまりませんが、この中野学校の出身者で、戦後も約29年という長期に渡って任務遂行していた小野田少尉を取り上げながら、その背後の関係も見ていきたいと思います。
追記)上記コメントの中で「板垣英憲氏は近頃は自らを「八咫烏」と名乗っています」と記しました。これは、板垣氏が出されている情報の中で「吉備太秦氏からの情報」として以下の文面から判断したものです。
我々「ゴールドマン・ファミリーズ・グループ」の日本組織「チーム八咫烏」…
しかし、この我々は吉備太秦氏たちのことで、「チーム八咫烏」には板垣英憲氏は含まれていないようです。事実誤認していました。

「板垣英憲氏は近頃は自らを「八咫烏」と名乗っています」は誤りですので、お詫びいたします。
(2022/01/19)
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第35話 ― 終わらぬ戦争

特殊任務を命じられていた小野田少尉


1974(昭和49)年、一躍「時の人」になった方がいます。小野田寛郎元少尉です。戦後29年近く経過し、最後には一人となってもフィリピンのルバング島で大東亜戦争の任務を続行した方です。小野田少尉は1974(昭和49)年にその生存が確認され日本で大騒ぎとなり、同年の3月に現地で任務解除されフィリピン軍に投降という経緯を通した後に、日本に帰国されたのでした。1945(昭和20)年8月15日は小野田少尉の終戦ではなく、29年後がその終戦となったのでした。


なぜここまでの長期に渡り、小野田少尉の戦争は続行していたのか?

小野田少尉は陸軍中野学校出身の情報将校でした。そして、小野田寛郎ウィキペディア記事に「残置諜者および遊撃指揮の任務を与えられフィリピンに派遣」とあります。小野田少尉は「残置諜者」と「遊撃指揮」という特殊任務を受けてフィリピンに派遣されていたのです。

「残置諜者」とは「敵の占領地内に残留して 味方の反撃に備え各種の情報を収集しておく情報員」のことで、「遊撃指揮」とは要するにゲリラ戦の指揮です。ウィキペディア記事によると、

師団長横山静雄陸軍中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」と日本軍の戦陣訓を全否定する訓示を受けている。

とあります。

一般的な軍人とは異なり、小野田少尉の場合は直接上官からの命令がないと任務が解除されない状態にあったわけで、小野田少尉の受けた任務の指揮命令系統が、通常の日本軍のそれではない特殊なものであったことが窺えます。

フィリピンのルバング島の山中で、中野学校出身のスパイである小野田少尉は「残置諜者」「遊撃指揮」として何の任務に当たっていたのか?

小野田少尉のキーワードとなっていたのは「フィリピン」「陸軍中野学校」「残置諜者」「遊撃指揮」です。このキーワードから必然的に出てくるワードが「黄金の百合」であり、結論としては、小野田少尉は「黄金の百合(一部)」の監視と守備を命じられていたと見て間違いないでしょう。

日本軍によって、中国を始めアジアから略奪した黄金財宝はフィリピンに集められ、この「黄金の百合」は戦局の悪化でその多くがフィリピンの山中に隠されたのです。

この「黄金の百合」の隠蔽工作に関して2016.07.25の《櫻井ジャーナル》では次のように記しています。

隠匿工作を実行したのは第14軍/第14方面軍で、司令官は1942年8月から43年5月までが田中静壱、43年5月から44年9月までが黒田重徳、そして最後が山下奉文だ。(中略)... 指揮していたのは秩父宮雍仁、その補佐役は竹田宮恒徳だったとされている。

小野田少尉がフィリピンでの任務開始に当たったのは1944年12月、第14方面軍情報部付としてです。

竹田宮恒徳
Wikimedia Commons
[Public Domain]
秩父宮雍仁
Wikimedia Commons
[Public Domain]
田中静壱
Wikimedia Commons
[Public Domain]
山下奉文
Wikimedia Commons
[Public Domain]


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第21話 ― 幻想の不協和音

 現在のテレビや新聞などのマスコミのルーツが、プロパガンダを専門とするような情報機関であったことは既に見てきました。
 昔、プロパガンダとは、敵側に敵国に向けて発せられるものと私は思っていました。……違っていました。
 プロパガンダの標的は、先ずは味方のはずの自国民です。自国民を騙し、幻想を植え付けるのです。どうもこれは鉄則らしく、現在、日本でも自国民相手のプロパガンダが最大限に発動しているのは、私たちが日々経験している通りです。「敵を欺くには先ずは味方から」という諺があるにはありますが、少し意味が異なるような…。
 幻想とは恐ろしいもので、簡単に植え付けられます。大日本帝国、かつて存在していたはずの帝国で、日本人のおびただしい数の血が流されたのは、この帝国の興亡をかけてのものだったはずなのです。
 ところが、この帝国も幻の帝国だったとも言えそうです。なにせ大日本帝国はその最初から英領として始まっていたのですから、少なくとも独立国家としての帝国ではなく、幻想にまみれていたのは事実です。
 その英領の帝国が、宗主国のはずの英国、そして米国を相手に戦争することになったとされます。無論、末端の現場レベルに近い程、本気で戦争に勝利しようとしたでしょう。しかしトップの方、とりわけ裏天皇は何を考えていたのやら…どうも理解不能の部分が残ります。
 しかも、この帝国は内部に深刻な対立を抱えてもいました。戦争の始まる前からおびただしい数の一般民衆が犠牲になるのは必然でした。幻想の不協和音の中での戦争です。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第21話 ― 幻想の不協和音


三笠宮も裏天皇に仕えていた?


前回、『★阿修羅♪掲示板』からの情報で、「金(黄金)の百合」作戦で戦局の最終盤に略奪された莫大な財宝が、フイリピン山中に「山下将軍の財宝」として埋蔵され、その隠匿工作をした人々が生き埋めにされたことを見ました。

この情報源は、『櫻井ジャーナル』でも指摘されているスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブ夫妻の著書のようです。

いくつかのブログでシーグレーブ夫妻の著書を翻訳した記事が掲載されていますが、その一つ『マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから』2007-06-05記事の中で以下のような記述があります。

ベンは竹田宮、そして裕仁の兄弟である秩父宮、三笠宮、そして南京虐殺において日本軍の指揮をとった年長者、朝香宮を指さした。ベンは彼らが在庫を調べ財宝基地に収納する間、ともに過ごし食事を運びお茶やタバコをもっていったと話した。

竹田宮恒徳
Wikimedia Commons
[Public Domain]
秩父宮雍仁
Wikimedia Commons
[Public Domain]
三笠宮崇仁
Wikimedia Commons
[Public Domain]
朝香宮鳩彦
Wikimedia Commons
[Public Domain]

ここで竹田宮たち皇族を指さしたベンとは、竹田恒泰親王の従者として財宝隠匿に従事したフィリピンの若者ベン・バルモアで、彼は財宝隠匿関係者たちの中での生き残りの人物である旨が記されてあります。

このベンが指さした皇族、つまり竹田宮、秩父宮、朝香宮は裏天皇の部下であったことは既に見ていますが、ここに加えて三笠宮の名前も出ています。

『夢幻と湧源』サイトの2009年6月2日記事には、キムスこと竹田宮、秩父宮雍人陸軍少将、三笠宮崇仁陸軍参謀、朝香宮鳩彦陸軍中佐、「これらの皇族たちは、1943年にマニラで開かれた会議の参加者だった。」とあります。

こういった情報から、三笠宮も裏天皇側に所属していた可能性があります。三笠宮は南京事件や731部隊の振る舞いを批判していた人物で、その意味で三笠宮が裏天皇側に属していたとすれば意外ではあるのですが……。


また、現在は表示されていませんが2015/11/15竹下さんの記事紹介されてあった記事の中に次の記述がありました。

鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。どちらのクーデターもヤラセだった。

2.26事件は後述するとして、三笠宮が策を練ったとされる「8.15宮城事件」について。これはごく簡単には、終戦に反対する将校が宮城(皇城)を占拠し「玉音放送」を阻止しようとしたが、逆に鎮圧された事件です。

昭和天皇の意志に反し皇城を占拠した将校たちは、普通に見れば裏天皇側の者でしょう。そしてその叛乱将校を鎮圧、指揮の功労者が田中静壱司令官でした。

陸軍中将時代の田中静壱
Wikimedia Commons [Public Domain]

ところが、この田中静壱こそが、フィリピンで山下将軍の前に第14軍を天皇に親任され、率いていた司令官です。つまり、田中静壱は「金の百合」の実働部隊の司令官で、裏天皇の部下なのです。


鬼塚氏によれば、三笠宮が練ったとされる「8.15宮城事件」とは、裏天皇の部下がクーデターを謀り、それを同じ裏天皇の部下が鎮圧した構図になります。これだと確かにヤラセです。

一口に裏天皇側といっても、その中には派閥とその争いもあったであろうし、個々人の考え方の相違もあったであろうことは間違いないでしょう。また、その彼らの為した作業の中には、見せかけのヤラセ工作もあったでしょう。

問題はヤラセにしてもその目的なのですが…、残念ながら現在は不明です。


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第20話 ― 戦争の秘された目的

 帝国憲法では、「現人神」の天皇はすべての法に超越した絶対的な存在に規定されます。これを違う角度から見れば、天皇を自在に動かすことができる者がいれば、その者は天皇の名を借りて、その看板の元に好き放題ができるということになります。言うまでもなくこれを狙っていたのがアベシたちです。
 また、帝国憲法で超越的存在の天皇に準ずるのが皇族たちで、「法の上」にあるような存在でした。帝国憲法では、皇族たちは皇族典範でその地位が規定され、皇族会議、枢密院、貴族院に席を有することになります。これらは国家中枢を動かすものでもあります。「法の上」にある皇族たちは、自在な活動をしても処罰されるようなことは無かったのです。
 法の支配下にない彼ら皇族たちの一部が頭になって、秘密の軍事作戦を展開します。大東亜戦争の目的の第一義は「日本人国家の勝利」ではありませんでした。戦争目的の第一義が「大東亜共栄圏設立のための布石」という言い方ならば嘘ではありませんが…。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第20話 ― 戦争の秘された目的

無謀な戦域拡大のわけ


前回、引用された櫻井ジャーナルの記述には以下の4つの柱があると指摘しました。

日本軍による東アジアでの財宝略奪(金の百合)プロジェクトは1937年の南京攻略から開始された。
②南京攻略(つまり南京大虐殺と略奪の真の犯人は軍の最高指揮官の松井石根ではなく朝香宮鳩彦。
財宝略奪(金の百合)の主導者が秩父宮雍仁。その補佐が竹田宮恒徳。
秩父宮と駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルーは懇意。

①②については前回に多少言及しました。「金の百合」即ち日本軍による財宝略奪が本格的に始動するのは1937年の南京攻略からで、この「金の百合」の総指揮は秩父宮が執っていたようです。

秩父宮雍仁
Wikimedia Commons [Public Domain]

ただし、日本側による財宝の略奪は1937年の前から始まっていました。あの1921年国家間条約」に基づき始まっていたようです。2019/12/16の竹下さんの記事全体を通しては以下のことが明かされています。

  • 欧州外遊中の昭和天皇はイギリスのジョージ五世国王、ウォレン・ハーディング米国大統領、フランスのジョルジュ・クレマンソー首相らと1921年国家間条約」を締結。しかしこの締結は実際には堀川辰吉郎とウォルター・ロスチャイルド、エドゥアール・ド・ロチルド、そしてジョン・ロックフェラーの合意。
  • ウォルター・
    ロスチャイルド
    Wikimedia Commons [Public Domain]
    エドゥアール・
    ド・ロチルド
    Wikimedia Commons [Public Domain]
    ジョン・
    ロックフェラー
    Wikimedia Commons [Public Domain]
    堀川辰吉郎

  • 「1921年国家間条約」の当初合意した内容に沿って、金塊の大半が1924年から1945年の間に日本が建設したインドネシアやフィリピン諸島の秘密の掩蔽壕の中へと運び込まれた。その量600万トン以上?
  • 日本からの掠奪をおそれたアジアの王族たちなどが、すでに1928年頃から財宝をアメリカに預けるようになる。その合わせた量“約200万トンの金塊”。
  • このアメリカに預けられた金塊をもとにブレトン・ウッズ協定が1944年に行われる。1945年、このアメリカの金塊が“M1”と名付けられ、インドネシアのスカルノ大統領をこの巨額の資産を管理する口座管財人に選出。

1937年の日中戦争開始以降、日本は戦域を広げに広げていきます。こうなれば戦力を分散せねばならず、しかも補給線なしの戦域の拡大で、明らかに素人目にも無謀です。

Wikimedia Commons [Public Domain]

あの満州事変を起こした石原莞爾は、日中戦争を起こし戦域を拡大するのには反対していました。石原莞爾は日本がアジアの雄となるのを目指していましたが、戦域拡大はあまりにも時期尚早で、無理があると見たのです。戦争での勝利を目指す軍人の視点としてはごく当然のものでしょう。

補給線なしの戦域の現場で、日本兵たちがどんな目にあったかはよく知られていることです。日本兵の戦死者のほとんどは実質は餓死です。補給路の確保(兵站)は戦略の初歩の初歩です。ところが、この初歩の兵站を無視して戦域を拡大したのは何故か?

「戦争での勝利のため」では明らかにおかしいのです。
黄金の略奪を急ぐため、これが目的ならばやっと話が通じます。


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第11話 ― 裏天皇の実働部隊

 アヘン、アヘン戦争によって中国が蹂躙されたのは誰しもが知るところです。アヘンは植物の罌粟から作られる薬品です。
 アヘンは人間を廃人にする有害な薬品として知られますが、これと異なる側面の見方もあります。落合莞爾氏の『國體アヘンの正体』には、アヘンにも種類があり使い方次第では大変な薬効があること、「罌粟と黄金が真の本位財」という表現で、アヘン(罌粟)に黄金に匹敵かそれ以上の価値があるとの見方を示しています。
 この真偽の判断は私にはできませんが、ともあれ黄金とアヘン(罌粟)は地上の歴史を動かしてきたのは紛れもない事実です。そして、この黄金とアヘンという視点から歴史を見ないと、この地上世界の動きが捉えられないのも事実です。

 堀川辰吉郎の裏天皇グループは、地域としては満洲を新エルサレムとする日本中心のNWOを見越して動いていたでしょう。そして、その日本中心のNWO実現に必須なのが莫大な黄金であり、黄金奪取のためにも、軍や人々を動かしていくために必要としたのがアヘンの製造と売買だったのが見えています。
 この裏天皇の計画を実現していくためには当然ながらその実働部隊が必要です。日本が日清戦争以降に大陸進出に伴い数々設立されていったのが「特務機関」でした。この「特務機関」こそが裏天皇の実働部隊だったでしょう。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第11話 ― 裏天皇の実働部隊

特務機関の役割 〜特務機関の一覧とその始まり


正確な詳細は、『いちらん屋』さんというサイトの「日本の特務機関・特務工作機関の種類一覧」に目を通して見て下さればいいのですが、その情報から特務機関の一覧を下記のようにしました。出されている特務機関の名称全てと、説明の一部を抜粋させていただきました。それをこちら側で3つに大別・分類しています。

日本の特務機関・特務工作機関の種類一覧
名称 説明
梅機関(※①) (中略)
土肥原機関(※①) (中略)
ゼスフィールド機関
(※①)
(中略)
甘粕機関(※②) 陸軍大尉の甘粕正彦によって設立された民間の特務機関で、満州国と関東軍をバックに付け、 満州国の国策であった阿片(アヘン)の中国国内での密売を茂川機関や松機関と共に行っていました。
茂川機関(※②) (中略)
松機関(※②) (中略)
里見機関(※②) 里見甫によって設立された民間の特務機関で、関東軍と連携し阿片(アヘン)の中国国内での密売等を行い、その利益で関東軍への武器や資材調達に関わっていました。
興亜機関(※②) (中略)
児玉機関(※②) 児玉誉士夫によって上海で設立された特務機関で、軍事物資などを海軍航空本部に納めていました。(中略)...
水田機関(※②) (中略)
昭和通商(※②) (中略)
明石機関(※①) 陸軍大将の明石元二郎が日露戦争中に創設した特務機関です。
日露戦争中にロシアを内部から弱体化させるために、(中略)...ロシア革命を支援する工作を行いました。
F機関(※①) (中略)
岩畔機関(※①) (中略)
光機関(※①) (中略)
南機関(※①) (中略)
板西機関(※①) (中略)
ハルビン特務機関
(※①②)
...(中略)ハルビン特務機関は後に関東軍配下に入り、関東軍情報部へと改編されました。
関東軍情報部
(※①②)
ハルビン特務機関を改編した組織で、天津特務機関、奉天特務機関、大連特務機関、アパカ機関など多くの特務機関が属していました。
アパカ機関(※①) (中略)
蚌埠特務機関
東機関(※①) (中略)
河辺機関(※③) (中略)
有末機関(※③) (中略)
辰巳機関(※③) (中略)
服部機関(※③) (中略)
山崎機関(※③) (中略)
野村機関(※③) (以下略)
いちらん屋より引用
※註:名称の後の(※①)(※②)(※③)はシャンティ・フーラで独自に分類したものです。

このような整理されたまとまった情報が出されてあるのはありがたいことです。

これほど多くの特務機関が表に情報として明かされている(表に現れていない特務機関はまだ多く隠れているでしょうが)のには少々驚きますが、この一覧に目を通してみれば「特務機関」の任務が大まかに見えてきます。

特務機関は秘密の部隊で特殊業務に携わっていますから、どの特務機関でも「諜報活動」は必須です。この上で一覧の特務機関を見ていくと、次のように大別して分類できるのが分るでしょう。

独立支援などの特殊軍事活動。
阿片の取引に関するもの
③戦後に設立されたもので、主にはGHQやCIAに協力

表された特務機関一覧を見ていけば、③は戦後に設立されたものなのでこれを除くと、日本の特務機関はそのほとんどが満洲を中心として、中国大陸そしてアジアで活動していた事実が浮かんできます。

「関東軍情報部」そのものが特務機関の一つとして一覧の中にありますが、特務機関の全般と関東軍は密接な関係にあったでしょう。

無論、関東軍とそうであるならば、特務機関全般は満鉄とも密接な関係にあった、というよりも満鉄には調査部があり重要な活動をしており、この満鉄の調査部が特務機関全般の元締め的な位置づけにあったようにも思われます。巨大国策企業であった満鉄、その満鉄の調査部こそが「特務機関」そのものだったでしょう。

満鉄調査部の活動を支えた奉天の満鉄公所(絵はがき)
Wikimedia Commons [Public Domain]

» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)2 ― 江戸時代の黄金流出の時期 ー

 「分断して統治せよ」。古今東西、世界中の支配者側が鉄則として掲げる統治方法です。
 なぜ分断させるのか? 支配者側は莫大な力を専有してはいます。しかし反面、彼らは圧倒的少数派でもあります。圧倒的多数の被支配者側が、団結して自分たちに立ち向かってこられたらひとたまりもないのは、彼ら自身が知っているからです。
 数年前韓国で、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領を退陣に追い込んだのは、大民衆となった国民のデモだったのが記憶に残っている通りです。
 被支配者を分断する基本は情報です。情報をシャットアウトし、誤った情報を被支配者に吹き込むのです。
 さて、支配者は例外なく何らかの秘密結社に所属しています。秘密結社も幾つもグループに分かれ、利益を巡り対立したりはしています。しかし対立関係にある場合でも、秘密結社間で情報のやり取りと折衝は行われているはずなのです。いつの時代でも世界中の秘密結社にこれは当てはまります。日本でも江戸時代でもそうです。
 江戸時代が鎖国だったというのは上面の庶民レベルの話です。秘密結社には当てはまりません。秘密結社が動かす情報と金が世界を左右してきたのです。特に日本からの黄金が世界に大変な影響を与えていた模様です。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)2 ― 江戸時代の黄金流出の時期 ー


鎖国体制のはずの江戸時代の黄金の流出 〜流出は江戸時代初期に遡る?


ご隠居、黄金の流出は江戸時代に幾度もあったとのことでやしたね?
それは具体的にはいつ頃に?

そうだね。そのことは大室寅之祐の先祖がいつ渡欧したのかも含め、整理する必要があるね。

大室寅之祐の先祖の渡欧などについちゃ、本編の第19話で指摘しているように、大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏が著作で主張しているその年代内容は、クチャクチャみたいでやすが?

そうなんだ。どうしてあんなクチャクチャな内容になるのか? ご本人は良い人のように見えるが、意図的なのか?誰かにウソを吹き込まれているのか?よく分からんが、ただし黄金の流出の時期などを整理していけば、彼の先祖がいつ渡欧したのか?等も大体の年代は特定できてくるだろう。

そうでやすね。昨年の12月26日記事からの情報から見ていく作業になりやすね?

先ずはそこからだね。
日本からの金流出の一つの基点になったのが1777年の蘭芳公司の成立のようだね。蘭芳公司とは客家によって建てられたアジア初の共和国で、この蘭芳公司が黄金を集約して、後には欧州にも送ることになる拠点になったと記事にはあるね。

Author:Uwe Dedering [CC BY-SA]
編集者註:領土に関してはこちらを参考。
蘭芳公司(らんほうこうし)は、1777年から1888年にかけてボルネオ島西部に存在した客家系の華人による政権。アジア初の共和国とも言われ、現代中国語では蘭芳共和国と呼ばれる。(ウィキペディアより抜粋)

蘭芳公司、そして客家でやすか。客家とは中国のユダヤ人とも呼ばれ、本編の第11話で「八咫烏と関連は深そう」だと記していやしたが、金流出の主体がサンカというか八咫烏なら確かにそうなりやすね。

そうだね。八咫烏と客家が組んで黄金を欧州に流出させたことになりそうだね。

うーん、それと1777年頃と言えば、1773年にボストン茶会事件、1776年にはバーバリアン・イルミナティ結成と米国独立宣言、1789年にはフランス革命と、大動乱の頃でやすね。

その通りだったね。ただその当時に何があったかは後回しにし、年代を先に追っていくことにしよう。
記事ではウイーン会議後に大量の金が日本から流出したとある。ウイーン会議は1815年のことだったね。

ふーむ、ていうことは、1777年頃を基点として幕末にかけて日本から金が流出したとなりやすね?


いや、その前があるんだ。
日本では1695年貨幣改鋳がされているのだが、その原因は金銀の海外流出だったようだ。ウィキペディアの「貨幣改鋳」記事の中に次のようにある。

長崎貿易によって海外に金銀が流出したこともあって、幕府が貯蔵していた金銀を鋳潰しても貨幣の供給は追いつかなかった。

オランダ東インド会社との貿易で日本が主に輸入したのが生糸、対して輸出品が金銀だったのがその要因だ。

日本の鎖国体制というか貿易相手がオランダに絞られたのが、1641年のオランダ商館が出島に移った時でやすね。て言うことは日本からの金流出のポイントになる年代を古い順でいくと、
1641年、1777年、1815年、1860年台の幕末

こう見るといいわけで?

そうだね。幕末の大量の金の流出が倒幕のトドメになり、その上実は米国の南北戦争、リンカーンの北軍の軍資金となったのが、駐日大使タウンゼンド・ハリスが日本から持ち去った大量の金だったようだから、1860年台の幕末をポイントに見るのは世界的な視線の意味でも正しいだろう。


編集者註:上記の「人権の踏み絵」さんのアカウントが凍結されたため、画像を追加。(20/04/29)
Author:As6673 [CC BY-SA]
Wikimedia_Commons [Public Domain]

えっ? リンカーンの北軍の軍資金となったのが日本からの大量の金?

そうだ。タウンゼンド・ハリスはいわばリンカーンの子分だった。ただこのあたりの詳細は省こう。
そして江戸時代の金の流出についてだが、非常に気になる情報がある。大変な大量の金が流出したのは江戸時代の始まり頃にまで遡るかも知れない。

えっ?江戸時代の始まり? それは一体どのような情報で?

» 続きはこちらから
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 13