注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
【原文カタカナ訳】 【漢字読み下し】
アメナナヨトコミキノアヤ 天七代 床酒の文
コノトキハ ミコオシヒトノ この時は 皇子オシヒトの
トツキマエ タカキカミキノ とつぎ前 タカギが酒の
アヤコエハ カミノヲシヱハ 謂 乞えば 神の教えは
(中略)
マサカキノ ウヱツキヰモニ 真榊の 植え継ぎ五百に(3000万年に相当)
ミツルコロ ヨツキノヲカミ 満つる頃 代嗣の男尊
ウヒチニノ スヒチオイルル ウビチニの スヒヂを入るる
サイアヒノ ソノモトオリハ 最愛の その基は
(中略)
メカミマツ ノミテススムル 女尊まず 飲みて進むる
ノチヲカミ ノミテマシワル 後 男尊 飲みて交わる
トコノミキ 融の酒
ミアツケレハヤ 身 熱ければや
アスミアサ サムカワアヒル 明三朝 冷む川浴びる
ソテヒチテ ウスノニココロ 袖 浸ぢて 多少の和心
マタキトテ ナモウヒチニト 全きとて 名もウビチニと
スヒチカミ スヒヂ尊
(中略)
コノトキニ ミナツマイレテ この時に 皆 妻入れて
ヤソツツキ モロタミモミナ 八十続き 諸民も皆
ツマサタム アメナルミチノ 妻定む 陽陰和る道の
ソナワリテ タクヒナルヨリ 具わりて 類成るより
トシカソエ ヰモツキアマノ 年数え 五百継ぎ天の
マサカキヤ 真榊や
(以下略)
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“続きはこちらから”をご覧になると、地球に最初に生まれたホツマの神はクニトコタチで、今から約3,000万年前になります。冒頭の、“三千年前のお話”というのは誤りです。
こちらのブログの年表をご覧になると、「鈴木暦の開始」から西暦までの詳しい年代がわかります。ただし、冒頭の紀元前3億年は計算間違いで、紀元前3,000万年が正しい数字です。また、「紀元前300万年前の大濡煮命から」の年代はほぼこの通りですが、ところどころ計算間違いをしているようです。
いずれにしても、ひな祭りの起源は、大濡煮(ウヒヂニ)尊、少濡煮(スヒヂニ)尊の時代である、紀元前約300万年前の出来事に遡ります。
ホツマツタヱによると、男女の御子が生まれ、二人は生まれた時に木の実を握っていたといいます。種を育てると、3年目の3月3日に百個の花と百個の実がなったことから、百(もも)の木、すなわり「桃の木」と名付けられたとあります。また、男の子をモモヒナキ、女の子をモモヒナミと名付けました。
二人は成人し、結婚することになり、婚礼が執り行われます。この時、神酒(みき)の語呂に合わせ、名前の最後に「ミ」がつくモモヒナミから飲むことにしました。桃は3年目の3月3日になったので、三・三・三の数字から“三回で飲み干し、それを三度繰り返す”ことになりました。これが三三九度の盃の始まりだということです。
翌朝、二人は体が火照っていたため、禊をします。この時に、着物の袖が大少(ウス)に濡(ひ)じたので、二人はウヒヂニ、スヒヂニと名を改めたとのことです。
これらのエピソード以外にも、より多くのことが書かれていますので、ぜひ原文をご覧ください。
ホツマツタヱの伝承を見ると、ひな祭りは日本古来のものであり、ひな人形は、大濡煮(ウヒヂニ)尊、少濡煮(スヒヂニ)尊の二柱を表していることがわかります。しかも、これは約300万年前に遡る伝承なのです。
ホツマツタヱには鈴木暦とキアエ歴が記されており、年代を正確に特定出来るのです。
ただ、この記事のように、ひな祭りの起源が約300万年前、クニトコタチが生まれたのが約3,000万年前という数字になり、多くの人は、これをそのまま受け入れることができないでいます。
しかし、「スミワタルタカキホシノヒメミコ様からの通信文2」をご覧になると、人類は、約4,000万年前に出現したことがわかります。また、通信文3では、“それから約500万年経った頃、天界から神々の転生が始まりました。今から約3500万年前の事です”書かれています。
国津神が約3,500万年前に転生に入り、準備が整った段階で、ホツマの神が約3,000万年前から転生に入り始めたと考えると、辻褄が合います。
日本はこのように、シュメール文明、アトランティス文明、レムリア文明をはるかに超える超古代からの伝承を持ち、しかもそれが文献として残っているのです。また、ホツマの神々が制定した数々の儀礼が伝えられており、そのホツマの神を祀る極めて珍しい国なのです。そして、その皇統は孝明天皇の代までずっと続いていたのです。
こうした真の歴史を知られると困るのが、イスラエルの末裔と言うか、旧約聖書を信奉している人たちだということです。彼らは、真の神が存在するのを知られると、自分たちが信奉しているのが実は堕天使たちだということがばれてしまいます。
彼らがホツマツタヱを頑なに否定するのは、このためだと思われます。