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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝19 ― 建築されるエルサレム

 「イシヤの仕組みにかかりてまだ目覚めん臣民ばかり・・・」。これは『日月神示』に出てくる一節のようです。この一節の影響か、日本では、陰謀話になると石工組合(メーソン)が出てきて、「世界的な陰謀を働いている。」などの説が多くありました。
 昔、それらの説に私自身は???の連続でした。イシヤ?外国人の名前か?いや石屋か・・・、石工の組合がメーソンとかいうらしい、でもなぜ石屋か、石工の組合が世界的な陰謀を? そんな知識や力が石工組合にあるの?と言った具合に、です。
 様々な憶測や噂がついて回る謎の組織フリーメーソン、フリーメーソンを表すシンボルともなっているのが定規とコンパスの組み合わせです。そして、それには定規とコンパスはつきものですが、フリーメーソンの一つのキーワードになっているのが「建築」です。彼らが一体何を「建築」しようとしてきたのかが理解できれば、フリーメーソンの姿が、その起源が見えてきます。
 実はフリーメーソンには2つの流れがあり、その一つが古代メーソンとよばれるものです。今回はこれを見ている余裕はないので、もう一つの流れ、テンプル騎士団からフリーメーソンの流れを見ていきます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝19 ― 建築されるエルサレム

近代フリーメーソン発足 ~フリーメーソンには2つの流れがある


謎の結社フリーメーソン、著書『ヘロデの呪い』の訳者である林陽氏は、その解説として次のように記されています。

「近代フリーメーソンは、1717年6月24日に社会的名誉職として当時特権階級を成していた、行動的メーソン(ようするに石工)の組合を統一する、英国大ロッジの結成をもって発足したといわれている。この新メーソンは、自由、平等、博愛に基づく理想の精神的神殿(世界普遍宗教の理想世界)の建築を究極目標とし、それまでの石工の組合とはまったく異質な思想宗団として、思弁的メーソンを名乗った。変化の中心的役割を果たしたのがバラ十字。結社には多くのオカルティスト、錬金術師、学者、文人、貴族、新思想に傾倒する宗教者が加入した。」

解説に記されたその内容は、林陽氏自身がありふれた表の歴史と語られているよう、歴史事実の要約として非常にまとまっています。そして続いて解説で林陽氏が語られるように、メーソン発足にはその起源、裏の歴史があります。

1717年の近代フリーメーソン発足までには、そこに至る大きくは2つの流れがあり、それが合流して発足となっているのです。


その流れの一つは『ヘロデの呪い』のテーマである秘密の力」という秘密組織です。これは約2000年前、当時ローマ帝国の属州であったユダヤを収めていたヘロデ・アグリッパ1世と、その宰相ヒラム・アビウデを中心に結成された9名のメンバー組織です。

古代メーソンとも称される彼らの組織の目的は、イエス磔刑後も勢力を増すキリスト教会の抹殺です。彼らは、厳密に秘密を保持しながら代々存続してきて、現在にまで至っているのです。

もう一つの流れは、テンプル騎士団からバラ十字団、そしてフリーメーソンへ、との流れです。
この流れの原点は、これまで外伝で見てきたようにクムラン宗団です。別名はナザレ教、エッセネ派、原始エルサレム教会、つまりどう見ても「秘密の力」が抹殺対象とした原始キリスト教会です。それがテンプル騎士団からの流れです。

近代フリーメーソン発足に至った2つの流れ、その源流は2つとも約2000年前の同時期に発生、しかも皮肉なことに、この2つの流れは元来仇敵同士になるはずなのです。ところが、それがなぜ結びついたのか? 大きな理由の一つは、どちらもカソリック教会を敵としているでしょう。古代メーソンの件は置いておき、テンプル騎士団の流れを見ていきます。

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ままぴよ日記 12

 子どもへのまなざしを忘れた社会の中で子ども達がストレスを募らせ、言葉にならない感情をぶつけ合っています。政治家は子育て支援を掲げ、大人社会も子どもは宝だと言いながら、子どもの時間、空間(遊び場)、仲間を奪い、代わりに預かり支援、塾やおけいこ事、宿題、電子メディアが相手をしてくれています。そして子どもの行動がおかしくなったのはなぜだろうと考えるゆとりも無くしています。イギリスやカナダでは子どものためのアドボケイトという役割の人が活躍しています。子どもの最善の利益のために子どもの立場になって州や社会に対して代弁、擁護する人です。そう、その人材が日本でも必要です!
(かんなまま)
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3人集まるとまるで台風一家


オーストラリアで一生懸命子育てを始めた娘夫婦の姿を見た後に、4人目の子どもを授かる長女の出産が待っていました。8月が予定日です。8人目の孫です!

その娘は第1子が1歳になった時に小児科医として仕事復帰しましたが、親子で辛い思いをしたので子育てに専念しようと専業主婦を選んで7年が過ぎたところです。その間、2人の男の子を授かり、やっと4年生、1年生、幼稚園の年少組になったところで又妊娠。まだまだ仕事復帰はできないようです。

1人ひとりはとてもいい子なのですが、3人集まるとまるで台風一家(笑)。落ち着いて赤ちゃんのお世話などできるかしら?その生活を想像しただけでクラクラしそうです。


娘の産後の肥立ちの大切さを思うと実家である我が家でゆっくり過ごさせたいと思うのですが、かかりつけの産婦人科が遠くなる事と、学校があるので無理です。私の方が娘の家に行って世話をすることにしました。想定外も想定して頑張るぞ!と覚悟をしました。

8月、夏休みになりました。
当然、臨月の娘が1人で子どもの世話をしています。専業主婦なので学童保育も利用していません。幼稚園も夏休みの預かり保育があるのですが本人が「ママがいい」というのでお休みさせています。

30年前なら外で遊んできなさい!と言える環境がありましたが、今は命に係わる猛暑ほとんどの子どもは学童か保育園か家の中で過ごして外も歩いていません。夏休み中の運動場開放もプールも熱中症対策で禁止。行くところがないから家の中でエネルギーを持て余しています。

娘は臨月のおなかで自分の体を動かすのも苦しそうです。どこかに連れ出す元気もありません。日常生活も大変な時に、ほんものの台風がやって来ました。そんな時娘が「家の中も台風通過中。おもちゃが散乱して片付かない!ケンカが始まった。あー夏休みいらない!!」とメールしてきました。

pixabay[CC0]


私は娘の気持ちはわかるけど「子どもってそんなものよ」と返信しました。すると速攻で「わかっているけど嫌だ!」「怒っても仕方ないよ」「怒ってない!!見ているだけ。そして愚痴っただけ。笑い飛ばしてもらえれば結構!」と怒りの矢がこちらに飛んできました。

9種の娘です。わかっていることを言われるのが嫌いです。娘も最大限我慢して、愚痴っただけなのに私が正論を書いたのでイラッとしたのでしょう。そう、聞いてあげるだけでよかった!と反省しました。そして、余裕のない娘の顔が浮かんできて、助けに行ってあげなきゃ!と思いました。

早速、娘の家に泊まりに行きました。早起き家族で6時半には起きます。家族全員で朝食を食べてパパが7時に出勤します。

その頃からお布団の上で恐竜が動き始めます。小1と年少の男の子たちです。なりきったティラノサウルスとアンキロサウルスが威嚇したり、戦ったり!色々な恐竜に変身して啼き方も動きも素早く変わります。時々ばあばも匂いを嗅がれます。それを蹴散らせてお布団をあげます。枕を片付けようとすると今度はパキケファサウルスが頭突きして邪魔をします。

pixabay[CC0]


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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第22楽章 ドイツの学校での人種差別と政治と教育制度

第18楽章では、人種差別について触れました。

移民としてドイツに滞在していますが、滞在年数を経るにつれ、
外国人として、日本人として、人種差別とは言わないまでも、
差のようなもの、距離感を感じることも多くなってくるものです。

第22楽章は、ドイツの学校での人種差別と政治と教育制度についてです。
(ユリシス)
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我が家の身近にもあった人種差別


ドイツのベルリンで外国人として、移民として
生活をしていて、実際に我が家の身近な例から
見て行きたい
と思います。

ベルリン pixabay[CC0]


ドイツの学校では、多くの学校にて、
人種差別のない学校と謳われていますが、

差別などは、実際にあるようです。
息子が見て、聞いて、実際に体験したことは、
歴史などの60歳前後の先生は、同じ出来具合でも、
外国人には、低い評価をする
そうです。
髪の毛が黒いということで、評価が低くなるのです。

また、以前に住んでいたマンションのある一室で
空き巣があった
のですが、
まだ、犯人が誰かわからないのに、イスラム系に
違いないと、ドイツ人おばちゃんたち目線で
噂が飛んでいた
ことがありました。
このようにおばちゃんたちは決め付けているんだな・・
と思いました。
私は、違うな・・と思いましたが・・)

世界中どの国でも、本当のことがわからなくて、
マスメディアに翻弄される方ほど噂が好きなようです。
支配する側は、対立構造をわざとしかけるものであると
竹下先生の講座から学びました。

欧州を崩壊させる目的で、難民をドイツに大量に流入させて、
混乱状態を作って、対立するイデオロギーを戦わせる
方式が、
今、まさにドイツに見られる現状です。

ドイツでは、移民、難民に反対する、
極右政党のAfDが勢力を拡大
しています。
社会学者やジャーナリストの意見を見てみましょう。

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ぴょんぴょんの「ただ今、人体実験中!」

 ガラケーからスマホに移行した時期、マンション電波塔による健康被害で、NTTに対して訴訟を起こした人たちと会いました。
 ガラケー時代は無事だったのに、スマホが出てから、住人の中にがんや難病、不眠症が増え、自殺未遂まで出たと聞きました。
 かつての仕事場の近くにも、3本の電波塔を立てた高層マンションがありました。
 電波塔を立てると、携帯会社からの定期収入が入るのでマンション側はうれしいのですが、そこの住人たちにもがん、アレルギー、難治性疾患、精神疾患が多かったと記憶しています。
 電子レンジも携帯波も、問題になっているスマートメーターもマイクロ波です。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「ただ今、人体実験中!」


戦争の落とし子 電子レンジ


ま〜だ、おめえんち、電子レンジ使ってんの?

だって、冷凍ご飯もすぐにホカホカ、便利じゃない。

電子レンジってヤツは戦争の落とし子だから、温め方も暴力的なんだぞ。
知ってるか? レンチンすることをアメリカのスラングで、「nuke」って言うんだぜ。

「nuke」って、核兵器とか、核攻撃のことだよね。

pixabay[CC0]


カレイドスコープによると、「マイクロ波調理は核攻撃に通ずる」。
『nuke』という単語には、『電子レンジでチン(調理)する』という意味と、『核攻撃する』という意味とがあります。」

ええっ?? 「レンチン3分」て、「核攻撃3分」てこと?

電子レンジが世に出たばかりの1970年代は、「食品の分子を『核』によってダメにする機械、というニュアンスが残されていたのです。軍産複合体のアメリカらしく、軍事兵器開発の落とし子と言えるでしょう」。(カレイドスコープ)

軍事兵器開発の落とし子・・・・・。

第二次世界大戦中、
レイセオン社のパーシー・スペンサー博士が、マイクロ波を使ったレーダーの研究中にポケットの中のキャンディが溶けていたことにアイデアをもらい、1940年代に電子レンジを発明しました。」(mama’s ナチュラリズム)

レイセオン社と言えば、ミサイルで有名な軍事企業だよね!
まさに、軍事兵器開発の落とし子だ!

レイセオン本社 Author:Coolcaesar[CC BY-SA]


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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝18 ― テンプル騎士団「メリカ」の地へ

 今回の記事は、映像配信「宗教学講座 225回」の焼き直しの内容なので、この「225回」をご確認下さいますよう、先ずお伝えします。
 さて、この世界で一度定説として染みついてしまったものを覆すのは、中々困難で厄介なことです。支配層は意図的に実体のない物語を定説としてしつらえて世界に流布します。この様な定説は数え切れないほどあるのですが、その中の一つが「コロンブスのアメリカ大陸の新発見」です。
 実際は、1000年にはノルマン人が北米に到達しているので、この定説は全くの誤りです。そしてコロンブス自身がテンプル騎士団員でしたが、その遙か先輩たちも既にアメリカに到達してもいました。ヘンリー・シンクレアたちです。
 コロンブスがアメリカに赴いた動機は「黄金の獲得」でしたが、同じテンプル騎士団でも、ヘンリー・シンクレアたちの動機は、コロンブスのそれとは全く異質のものでした。アメリカに“新エルサレム”を築き、そこを中心とした理想国家の建設が彼らの目的であり、動機だったのです。
 彼らの元々のスタートとなるルーツが、約2000年前のクムラン宗団であり、宗団はユダヤの独立、エルサレムの再建を目指した活動を行っていたのです。
 そして、約1000年の時を経て、ヘロデ神殿地下から発掘された彼らの秘密文書には、「星の指し示す土地」として「メリカ」が記されていたようなのです。その書の内容に導かれるようにして、シンクレアたちは新世界に向かったのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝18 ― テンプル騎士団「メリカ」の地へ

アメリカに向かったテンプル騎士団 ~1000年にはノルマン人が北米到達


1307年、一斉逮捕を逃れたテンプル騎士団員は、10月13日ラ・ロシェルの港から二手に分かれて出航。一方はスコットランドへ、もう一方はポルトガルで物資の補給を行った後に「ナザレ教の巻物に「メリカ」と書かれた星の指し示す土地を目指していた。」と『封印のイエス』では記しています。

同書によると、フランス人であるテンプル騎士団員は「この星を「ラ・メリカ」と呼んでいた。そしてこの名は、のちに「アメリカ」に転じた」とし、続いて「1308年初頭、彼らはニューイングランド州(註:マサチューセッツ州の間違いだと思われる)のケープ・コッド、もしくはロード・アイランド州あたりに到着した。」としています。

一般には、「アメリカの発見」はコロンブスの1400年代末の仕事とされていますから、これだとコロンブスよりも200年近く前に、テンプル騎士団がアメリカに到達していたことになります。

実際はどうだったのか?といえば、コロンブスがアメリカ大陸の最初の発見者で到達者という定説は全く違っていそうです。無論、人類初の意味では、先住民がいるのですからコロンブスの発見は誤りなのですが、ヨーロッパ人最初の発見でも間違いのようです。

ヴァイキングの航海。緑色はヴァイキングの居住地(植民地)、青線は経路、数字は到達年。黒海やカスピ海、北アメリカ大陸のニューファンドランド島にも到達している。
Wikimedia Commons [CC BY-SA]

この「世界史の窓」の記事等を読んでもらえば分かるように、日本ではバイキングの名称で知られるノルマン人が、少なくとも1000年には北米に到達し、現地の人々と交易を行い、更に失敗はしていますが、幾度も植民も試みているようなのです。1000年といえば、ノルマン人であるウィリアム征服王がイングランドを征服し、王朝を開いたのが1066年ですから、その70年ほど前になります。

ウィリアム征服王は、ノルマン人北米到達の知識は当然持っていたと見るのが自然でしょう。そして、それはシオン修道会、テンプル騎士団にも伝わっていたでしょう。ウィリアム征服王は、別名ギョーム2世、つまりマグダラのマリアの血流「王家の血流」であり、「王家の血流」を守護するのがシオン修道会とテンプル騎士団なわけですから。

シオン修道会の創設は1090年代で、その枝分かれでテンプル騎士団が創設されたのですが、その創設までのルーツ・前身があり、それは「王家の血流」とずっと絡んできているのです。

また、テンプル騎士団に関して、キーワードになる海賊、蛮勇、戦闘能力の高さ、フロンティア精神、地中海レバント貿易と並べてみると、これらはノルマン人とテンプル騎士団に共通した事柄です。

1130年頃までにノルマン人が征服した地

アメリカに帆を向けたテンプル騎士団はフランス人ですが、フランス北西部にノルマンディ公国があったこともあり、どうもテンプル騎士団員は、ノルマン人系が多かったのではないか?との気がするのです。

ともあれ、テンプル騎士団が1307年10月にアメリカに帆を向けて、翌年に到達していたとの説は全く不自然ではなく、事実だったでしょう。

表示されていないPin画像はこちら
1300年頃のヨーロッパにおけるテンプル騎士団のサイト

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